Vol.82
〇声をなぜ放っておくのか
最初は誰しも、自分の声を再生して聞いて違和感をもつでしょう。「私はこんな声ではない」という自己声否定状態です。なんとも間の悪い、バツの悪い、キマリの悪い思いをしても大抵はそのままです。気をとり直すと、考えることもなく、蓋をしてしまいます。目でみえないからです。すぐに跡かたもなく消えて残らないからです。
声は耳で音として聞いても、すぐに抜けてしまいます。鏡のようにチェックしてどこが悪いのかを把握することもありません。
風邪でもひかなければ「私の声、おかしくない?」とは、聞きません。変とは思っても、自分の声とわかるくらいには認識しているし、「何ねぼけたことを」と一蹴されることも知っているからです。
それでも、「自分の声と違う!」と言いたくなるものです。マイクでスピーカーから聞くときは、少し変でも、エコーでフォローされています。カラオケは目一杯、エコーがかかっているから、うまく聞こえます。だから「話している声もそのくらいになっているのでは」って逃げるのです。楽観視は自己逃避です。
録音しても、自分が発したときと同時でないので、なかなか真実を認めにくい。
でも残酷なようですが、エコーをとって歌ったり話してみてください。よくは聞こえないと思います。
「瞬時に消えてしまうから捉えどころがない」これが改まらない最大の原因です。しゃべっていて言った端から声は消えていく。責任を問われない。
でも「昔いった一言がうらみの元で」とも、聞きませんか。あなたが忘れていても、声は相手に届いています。相手の心に思いがけなく大きな作用をしているのです。 果たして、放っておいてよいのでしょうか。
〇自分を知るほどに、声を知らない
人は、人生経験において、自分というものを知っていきます。しかし、こと声に関しては、自分の姿が裸なのか下品なのか端麗に着飾っているのか、省みることはありません。つまり、鏡をもっていないのです。これは恐いことでしょう。
それゆえ、それを手に入れた人は、大きく変身できるということです。でも、今の日本のように皆が裸なら、恥ずかしくないかもしれません。
声を活かして成功している人はたくさんいます。そう、プライベートに燃える人も仕事のできる人も、相手の本音を声で見抜いて、自分に役立てています。
たとえば、あなたが相手の嘘を見抜くのは、何でしょうか。態度、そぶりでもあるでしょう。でも、相手の姿がみえない電話一本でも「おかしい」「あやしい」「変」と思うことはありませんか。それは声でも見抜いているのです。
文章などは、日々の業務のなかで、メールや手紙を書いていると、ちょっとしたトレーニングとなり、しぜんと上達していくものです。
自分の書いたものは読み直して書き替えることができます。自分の書いたことと近い内容の他の文書をみると比べられます。必要に応じて、仕事や生活の中で文例や書き方を身につけていくからです。
しかし、話し方を直すというのは、なかなかやっかいです。間違いであると、はっきりするものなら、経験で直ります。敬語などは、まわりをみて学習していきますね。しかし声は難題です。
〇声は直せるのか
声は文章のように目でみえません。一度いったことを聞くこともできません。もちろん、録音再生して聞くことができますが、聞いている人はあまりいないでしょう。自分の声が聞こえると、早々にoffにしてしまいませんか。
結婚式のスピーチも、読む練習はする人が多いというのに録音して聞く人はあまりいません。そんな人がいたら、たいしたものですね。
考えてみたら、文章は書いた通りに相手に伝わるのですが、声は自分に聞こえるように、でなく、相手が聞くように聞こえるので、チェックするにもなかなか難しいのです。
何よりも声というのはよくわからない。「直したくても、どこをどう直すのか」。多くの人にとって、声はとりとめのないものです。そうした疑問がたくさん出されてきました。
「声って直せるの?」「声って生まれつきのものじゃないの?」「どう直せばよいの?」「声帯を手術するの?」「いったい、私の声って何?」「いったい、よい声って何?」「上品に話したら私らしくないしぃ」
困りましたね。
〇幸せのための声と、不幸になる声
私は、声から魅力づくりを、ではなく、魅力的ということから声を考えていきます。「魅力的になることに声はどう関係するのか」ということです。
数年前、「負け犬、勝ち犬」という言葉が流行りました。この是非はわかりません。しかし、どんどんと幸せ気流にのる人と、不幸のどん底へ引きずられていく人と、大きく人生は分かれているように思います。どちらが、よい悪いということでなく、どうせ望めるなら、よい結果がでる方へ努力したいものです。ということで、人生なんて、神のみぞ知る、人や仕事、お金に愛されたら、よいとも思いませんが、私などは、そういうことを言う人に、「それが叶ったら言えよ」とつっこみたくなるのです。
少なくとも、幸せ気流へ乗せるための声をとり扱います。幸せな声ではありません。求めるのは、幸せになるための声です。
最近、私は70代くらいの人をみて、本当に人生は顔と声に出ると実感しました。同じ70年の人生で40代にみえる人も、90代にみえる人もいるのです。特に声の若々しさは、人生の勢いを象徴的します。あなたはどちらの人生を望みますか。
〇魅力的になるための声
魅力的になるのは、幸せになるためです。幸せは、自分一人の力では得られません。人間関係や愛はいわずもがな、仕事もまわりの人のおかげで心地よく成功して報酬を得られるのです。
芸能人をみていると、苦境に陥ったとき、両極に分かれるのが、よくわかります。一時、沈んだあと、復帰してこない人、逆に以前よりも大きく脚光を浴びるようになる人がいます。後者は、本人の努力もさることながら、まわりの人の尽力があったことでしょう。
天才的発明家、作家、アーティストのように、他に替われない才能のある人というのは別としても、一般的には、人間関係をはずしては幸せにはなれないでしょう。パートナーに恵まれることも、幸せへの条件となります。
ある先生は、「『富』は、自信だ」と言い切っています。
それでは、自信の中身とは、何なのでしょうか。
〇自信に満ちている声
なぜ「一声で幸せになるとか魅力的になる」というのか、それは簡単なことです。声ほど状況を左右し、また、状況に左右されるものはないからです。
まず、身体の健康です。元気であれば声は元気に、死にそうになれば人は死にそうな声を出します。風邪は風邪声でわかります。
次に、心の健康です。嬉しいときは嬉しい声、悲しいときは悲しい声、ショックになると声さえ出ません。
つまり、声は心身の状態と密接に関わっているのです。
幸せな人は、幸せな声を、魅力的な人は魅力的な声を出します。また、幸せな声で幸せに、魅力的な声で魅力的になります。
自信も同じです。声でその人の自信がわかります。自信をもつと、声に自信が出てくる、自信のある声が出せると、その人に自信が出てくる、すると、人生が大きく変わっていくのです。
〇はったり力から
声に自信が出ていたら、自信のある人ということになります。ここは大切なポイントです。
自信のある人の声は、自信に満ちている。なら、自信に満ちている声を出せたら、自信のある人となる。自信のある人とは、好かれる人、仕事のできる人の条件です。
でも、自信なんて実体のないものでしょ。それで「はったり力」と私はいっています。でも、声で大切なのは、相手がどう受けとめるかというところです。もともと声は実体がないとはいいませんが、すぐ消えます。問われるのは、それが相手に働きかけた力です。
ですから、仕事のできる人は、自信にあふれているような声を使います。
あなたが体や肌の状態が悪ければメーキャップや着ている服などで隠したり目立たなくしますね。ところが声はどうですか、いつも素っ裸にしていませんか。
自信があって、もっとも大きく変わるものは? スタイル? 顔? それは手術やメーキャップやダイエットの方がよいですね。しかし、お金も、かかりますね。
でも声、これは自信をもてば、よくなるのです。しかもある程度まではすぐに変わります。少なくとも、ここを読み終えるだけでも変わるきっかけとなるはずです。
〇声の切り替え力
私は、その人の能力、どの仕事でもベテランか新人か、声の使い方で判断しているかもしれません。どんな事情があろうと、それを隠してよくみせられる声に切り替えて使える人は、ベテランです。
まさに役者は、そういうことのプロフェッショナルです。わずか1秒で、喜びの頂点から悲しみのどん底へ声で変えなくてはいけない。アナウンサーも、オンエア直前まで口論しても、ONとともににっこり平常の声に切り替えます。こういう職で、それをできなければ、失格です。
多かれ少なかれ、社会人に問われるのが、この切り替え力です。それは、訓練しないと表情に出てしまいます。顔にも声にも。顔でごまかしても、声でバレます。
〇声のメーキャップの大きな力
声のメーキャップを知っている人と知らない人では、考えられないほど、まわりの評価が大きく違ってくるということです。
声のメーキャップは、声の切り替え与えですから、0.5秒もいりません。お金もかかりません。気分や感情を切り離して、メーキャップするのです。しかし、これを一日どころか何年たっても切り替えられない人が多いのです。すると、悪循環にはまっていくのです。
私もいろんなケースで困ってどうしようもなくなったとき、誰かの一声で救われたことがあります。
「いいじゃん、またやれば」
「もう終わったことだし、あしたからがんばろう」
「でも、いいこともあったよね」
どんなに悪い状況でも、明るい声、元気な声を与えられる人は、神様、仏様、菩薩様です。その人の明るい声は、皆の心に強く残ります。そして、その人の人生の栄華を保証します。
〇どこまで声をよくすればよい?
声は整形と同じく手術でも変えられます。ただ、今はまだ、障害のあるケースをのぞき、よい声にする手術は一般的ではありません。喉(声帯)を悪くしたのならともかく、治療での手術でなくても改善できるからです。もしかして将来、美容整形や矯正歯科のように、一般化するかもしれませんが、今は望みません。整形手術のように流行するのには、私は賛成しかねます。
手術などの最終手段をとるまえに、誰にでもまだまだやれることがたくさんあるからです。そしてほとんどの問題は、そこで解決できるばかりか、おつりがくると思っているからです。
整形手術を否定するわけではありません。それによって、自信をつけ、人生で成功した例もたくさんあるからです。しかし、顔を整形しただけでは成功しません。そのことによって、ほとんどすべての人が、姿勢、歩き方、声、話し方までよくなるのです。つまり、整形ということで得た自信が、すべてを変えていくからです。
それなら整形まえにその自信だけで同じだけのことを遂げてみればと思うのです。つまり、自信をもって、いや自信そのもので、姿勢から声まで変えるのです。
〇思い込みの力
芸能界にデビューするときれいになるのは、レッスンもさることながら、人に認められたこと、人に認められることで大きな自信をもつからです。
その自信がないと、何をしても難しくなります。そういうときは、歩き方や話し方、声のトレーニングから入るのも、一つのアプローチでしょう。
形だけにこだわる人、つまり手術をしても、「いつもまだよくなっていない」と思う人は、成功はしません。
一方、プチ整形で目立たないところのポイントだけ変えても大きく変わった人もいます。そもそも周りは必ずしもそこに気づかないのだから、変わったのは顔でなくそのことに投資して変わったと思い込んだ本人のイメージの方が大きいのです。
それと同じく、声がよくなることでも、自分の声はよいという、魅力的なイメージ、思い込みが大切だということです。
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