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98号

○トレーナーを選ぶセンス

 

 人をみる眼を持つことは大切です。すべては人との関係で築かれていくからです。なかには腐れ縁というものもあります。人をよしあしやメリットデメリットでみることはよいこととはいえません。

 しかし、自分の時間やお金を投資する、つまり、何かを得ようというときは、よくよく考えてみるのです。

 人そのものに価値があるかないかはわかりません。自分がその人を活かせるかを考えます。その人に便宜を図ってもらうのではありません。その人と接することで自分が変われるか、発想や考え方や行動に刺激を受けるかです。

 自分の日常性を破ってくれるかです。それを直感として見抜けるかです。

 その人が多くの人に力を与えているから、自分もそうなるとは限りません。自分に対してだけ、そうなることもそうならないこともあるかもしれません。

 私は自ら、とりにいくようにしています。誰にでも与えられるような人を選びません。誰もがとれるものに価値はありません。他の誰もがとれなかった何かをとりにいきます。それが自分にも相手にも価値のあることだからです。要は自分次第です。

 

○相性とスタート

 

 まだ何者でもない人は、トレーナーなどを選ばなくてよいと思っています。本人が未熟な経験で選ぶより、私が選ぶほうが結果として適切なはずです。

 でも、あえて自己責任で遠回りをしてみるのも悪くありません。自分にぴったりのトレーナーや歌にめぐり会うには、自分を知らなくてはなりません。それは、すでにある自分ではないのです。そのままで相手に通じる、そんな天才なら、すでに世の中でかなりのことをやっています。

 自分に合う相手や、相手に合う自分が、あるのではないのです。自分を知るために相手に会うのです。会ってから、合うところや合わないところを知って、合わせていくのです。

 ここでは複数のトレーナーにいろんなメニュをセットしています。

 そのバリエーションからあなたの素質や才能、個性や性格が発揮されてくるように、です。

 自分のことは自分だけが知っていて、正しい判断で選べるなどというのは、根拠のない自信です。それで事に当たると、続かなくなります。すべては新しいスタートなのです。

(会報1205「メッセージ」収録を参考)

 

○トレーナー捜し

 

 トレーナーを探すのは、自分の能力をつけていくためです。どんなトレーナーであれ、あなたがそのトレーナーを最大限に使い、最も大きな成果を求めていくことです。

 すぐに合わないと決めてしまう人は、心の問題です。優れた人は、どのトレーナーにも合うのです。合うなかで、最良の選択をしていけるのです。トレーナーのよいところを取り出し、最大限に活かせるからです。

 トレーナーの悪いところを最大限に見つけるような才能は、愚の骨頂です。自己満足、自己保身でしかありません。変わりたくないなら、一人でやればよいのです。今の自分の肯定をしてもらいたくてトレーナーを探す人、そこで応じる人(トレーナー)、これは、医者とカウンセラーの関係です。芸や仕事の力をつける関係ではありません。

 

 「変わらなければ出会いでない」。変わるチャンスを自分の考えに囚われ、拒んでいるのは、未熟なのです。

 トレーナー探しが、自分探しになってしまいます。自分を見つめずに、トレーナーみてを判断しようと考えていても、仕方ないのです。トレーナーの目を使って自分の検証をすればいいのです。

 どのトレーナーも万能、完全ではありません。すべてのトレーナーがトレーナーとしてあなたにふさわしいとも思いません。私も私自身を誰にも推薦しません。この研究所には、いろんなタイプのトレーナーがいます。

 少なくとも、トレーナーはそれでメシを食ってきたので、そうでない人が学べるものはたくさんあります。

 

○変わるために変える

 

 これまで、いろんな人に会いました。欠点が目につく人ほど、それだけ欠点があってやれているのはたいしたものだ、その力の本質は何なのだろうとみてきました。

 いろんなアーティストとつきあってみると、必ずしも、その地位相応に常識やマナーのある人ばかりではありません。自分の世界を創りあげるためには、気を遣い、誰とも仲良くやっているわけにもいかないのでしょう。

 とはいえ、アーティストである限り、作品においては、いかなる制限の下でも、人が期待する以上の力を出してきたから認められてきたのです。

 トレーナーに就くと活かそうとするのです。トレーナーに自分の力を最大つけさせたいように感化せしめていくのです。このまわりの人をとり込み動かす力がなければ、芸も仕事もまともにできません。

 

 あなたの今の力に何かを加えたいのなら、大きく望むほどに、自分を無としましょう。トレーナーのいうことを聞けというのではありません。その向こうにある超越的な何かを感じること、そこに素直になっていくことです。

 トレーナーは、あなたの潜在させている能力を開花させるための技術(方法、メニュ)を与えて、変化させようとしています。あなたが何かできるなら、世の中に問うてください。何かできないなら、できるために、与えられたものに全力で取り組み、本当のあなたの力を出してください。仕事も他のことも同じです。

 

○トレーナーの本当の力

 

 ときに、とんでもない要求があります。「プロの歌手よりうまく歌ってください」、「プロの役者よりうまくせりふを読んでください」、「アナウンサーよりうまくニュースや早口ことばを読んでください」、などです。

 世の中には、スーパーマンのように何でもできる人もいます。しかし、トレーナーは、スーパーマンではありません。そんなことができるといったら、それぞれのプロの人に失礼なことです。

 そういうプロの人とはトレーニングしていないトレーナーなら、素人相手にのど自慢をするのもよいと思いますが。本当のプロとは、専門の場で長く居つづけた人です。トレーナーはレッスンのプロであり、ステージのプロではありません。

 

 自分の能力や素質、才能などは、わかっているつもりでわかっていないものです。トレーナーも、すぐにはわからないことが多いです。それでも、経験上、1020年と人をみていると、認識を深めていけます。

 私が続けていられるのは、私の力でなく、私に与えられた機会や場のおかげです。そこで取り組むうちに、私のなかのそういう力が出てきたのです。これも、そのプロセスの一部です。こうして伝えようと努力してきた結果です。

 

 私にとっては、当たり前のことが、世の中の多くの人にわからなくなったのは、中途半端な自己責任、個人主義に走ったためでしょうか。マスメディアや教育やトレーニングの劣化のせいです。学ぶ人もお客さん気分になってしまったからです。トレーナーの歌に感心するくらいなら、なぜ、その人がプロ歌手として、うまくいっていないかを学ぶことが有意義です。プロ歌手とトレーナーは違います。プロ歌手の二流が、トレーナーではないのです。

 

〇背景と蓄積の力

 

 研究所は何もないところからから私とその当時のスタッフ、生徒がつくりました。何年もたつと、そこにずっとあるかのように思って、人がきます。ここを、どれだけ多くの人が多くの時間とお金と汗と涙をつぎ込んで維持してきたのかを、わかってもらうのは難しいと思います。

 ロビーに、ここの史料の一部を置いています。私が50ヶ国以上、全国を巡って入手してきたものや、いろんな人からいただいたり、通われた人が残しておかれたものが、飾られています。そういったものこそが、レッスンのバックボーンとして、働きます。レッスンをあなたに活かすための力なのです。

 そういうものがあるところで学ぶのと、きれいなビルのスタジオで学ぶのは、まったく違います。そのようなことに感じられない人が多くなったように思います。

トレーナーについても、そこにバックボーンを感じなければ、大して成果は期待できません。方法メニュなどはいくらでも口移しでコピーできます。本当に世の中で活かせる力にはならないのです。

 伝統は、過去の力ではありません。それをあなたが今、未来へ向かって活かす、そのことによってしか活かされていかないのです。

 研究所も私も、スタッフもトレーナーも、形だけにならないように日々改良し続けています。皆さんから学び続けています。

 皆さんも是非、ここに今おかれた場と機会(トレーナーとレッスン)を利用して、最大限の結果を出していってください。

 

○サービス不本意

 

 私が毎日のように疑問や提言、クレームを皆さんに求め、それに目を通すのは、その解決がレッスンになると思っているからではありません。生徒にトレーナーやレッスンを評価させているのも、それでトレーナーの評価を決めたり、人気を計っているのではありません。

 教育や医療が市場原理主義で、商取引としてのサービス最優先で捉えるものなら、愛想よくして、その場での充実度、満足度の高い、楽しく楽なお得なレッスンを提供して、ビジネス収益を最大に上げるようにすればよいでしょう。多くの人は、それを正しいと思い、ここにもそれを求める人もいます。

 お客さんはわがままになり、規則を守らない(言った者勝ちのクレームをつける)、整理整頓をしない、失礼なことばを吐く、対価を払わない、ものを乱雑に扱う(こわす、もって帰る)、そういうことが、起きているスタジオやレッスン室もあるようです。

 サービスが最大のことに思われ、ランキングされ、不満やクレームがネットで荒れるようになると、どこの店も同じようなことに気をつけ、マニュアルを厳守していき、似たものになります。サービス業と、教育、医療、芸事は違うということさえ、わからなくなっているのでしょうか。

 

〇唄えないものを聴く

 

 私は、トレーナーのわがままを許さないのと同時に、いらっしゃる方のわがままも許しません。スタッフやトレーナーに比べて、私との接点の少ない皆さんの意見や感じ方を知りたいから、何でもいえるように気をつけています。

 トレーナーと合わないと、その人によかれと思ってセッティングしていることを、1回のレッスンで否定されても、何でもすぐに皆さんの望むとおりにすればよいとは思っていません。

 設備やモノについては、利用する人の求めに応じてできるだけ早く改善します。しかし、レッスンは、その人に見えないことを見させていく、気づかないことを気づかせていくためにあるからです。

 

 短期でみて判断すると、長期的にみたときの、より大きな成果を妨げるケースが多いものです。声や話、歌はみえにくい分野であるからなおさらです。

 理不尽なことを我慢しろとか、精神主義的に鍛えるのではありません。本人が自主的に行なわなければ効果半減です。

 

○本当の効果、成果とは

 

 次のことを覚えておくとよいと思います。

・レッスンにきているとか、レッスンが楽しいとか、レッスンが充実しているということと、本当の効果や成果は同じではないということ。

・自分が出ていると感じている効果と、本当に必要とされる成果は同じではないということ。

 

 目的がレッスンそのものでの快感なら、何もいいません。それが得られているなら、最高によいこと、うらやましい限りのことです。

 声を武器として使いたい、魅力的に使いたいという人には、トレーナーを最大に活かすように使ってほしいし、使えるようになって欲しいのです。心身がリラックスできて発散できれば心地よいという場と、自己修業として能力を高めていく高まり感の必要な場では、違うものということをどこかで気づいて欲しいと思います。

 

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○歌手の新分類

 

 歌手において、プロや職業的歌手ということを、歌で生計を立てているかどうかで問うことの無意味さを述べたことがあります。次のように分けてみるのは、一つの案かと存じます。

1.芸術的歌手(オペラ歌手)

2.総合的歌手(シンガーソングライター)

3.パフォーマンス的歌手

4.役者的歌手

5.タレント的歌手

6.ビジュアル的歌手

7.レコーディング歌手(流し、声優)

8.カヴァー歌手(オールディーズ)

 

 重なるところも多いとは思いますが、その要素は次のようなことです。

1.楽器プレイヤーの演奏レベル

2.作詞・作曲・アレンジ・演奏のトータルレベル

3.振り、アクション、ステージ、ライブ

4.ことば、せりふ、雰囲気、振り、表情、アクター

5.知名度を活かしての歌

6.ルックス、スタイル、ファッションを活かしての歌

7.何でも声でみせられる

8.どこまで似ているか

 7は、耳へ働きかける音の力として1と通じますが、ラジオ、CDに強い人、アニメソングや唱歌の歌手などが代表例です。8は日本のように外国の力(海外の流行のプロデュース)だけで成立してしまう国では、ほとんどのポップス歌手も含まれるといえます。

 

○歌手、役者の特異性~学ぶべきものの専門範囲がない

 

 ヴォイトレとして似ているものとして、話し(方)、語学(日本語、外国語)に関わる人、プレイヤー、役者、歌手、声優、アナウンサーなどで例をとります。

 たとえば、アナウンサーや声優は、2年くらいの養成所(スクールなど)での勉強の期間が必要でしょう。私どもも、滑舌や早口ことばを実習に入れますが、これは彼らの得意とするものです(つまり、きちんと習って身につけてきている)。普通の人なら2年くらいかかります。普段の生活にはない特殊な技術の一つです。いつも早口ではっきりとしゃべっている人のなかには、労せずマスターできる人もいるかもしれません。技術として、日常では個人差が大きいものの一つでしょう。

1.高低アクセント

2.イントネーション

も、標準語としての日本語(共通語)として教わりマスターします。方言は直さなくてはなりません。報道、放送のための共通のルールです。

 それに対して、歌手、役者はあまりスクールのようなところに行きません。実生活のなかでスキルを得てきます。他の人よりもおしなべて高い、感性、感覚と声の調整能力があると考えられるでしょう。

 研究所にくると、プロ歌手なのに音程、リズムから徹底して基礎をやらなくてはいけない人もいます。楽譜が読めても読めなくてもプロにはなれますが、耳・声のプロセスは、欠かすことはできません。

 

 レッスンとなると、「レッスン=トレーニングで上達する」というプロセスを歩ませますから、「楽譜を読めるように」とか、「楽器が弾けるように」というのを加えることがあります。音楽の世界で長くやっていきたい人なら効果的です。これまで入れていなかったから、入れることで大きく上達するからです。変わる可能性があればやるに値するのです。

 

○プロの条件

 

 歌手も役者も、出口は、表現力となります。そこで歌手は音楽の、役者は演技の振り、しぐさや表情といった、プロを目指さなくてはいけません。素人であってもプロ以上のプロ、役者以上の役者もいるので、いくつか定義してみます。

 

 プロであるには「プロみたい」「歌手みたい」「役者だね」といわれるようではだめです。最低の条件として、

1.いつでもどこでも(いろんな制約下で)最高のパフォーマンスができる。

2.不調のときにも、最低限許されるレベルより上で演じられる。

 そこでは応用性と再現性の2つが徹底して問われます。

 心身の能力が高いことがそれを支えます。感性や視野の広いこと、即興性も必要です。考え方や振る舞い方もプロでないと、務まらないわけです。非日常において日常であることができることはそういうことです。

 ですから、レッスンもトレーニングも非日常でセットしないとよくないのです。日常で、非日常なことをするのは、奇人です。プロは、日常と非日常を自由に行き来します。日常を一瞬で非日常化する力をもつのです。

 状況対応力は、プロの条件です。状況打破力は、一流への道、いつでも現状を自分で変えられる人、つくれる人だけが、生涯のプロ=一流となれるのです。その状況を指して、その人の世界というのです。

 

 日本語について、私たちは日本語を大して努力せずに話しています。多くの場合、音声で放送したり演じるレベルには磨かれていないので、トレーニングが必要です。

 その人の今のレベルというのは、それぞれに違います。必要とされるレベル(目標)も、それぞれに違います。

 その2つをはっきりさせます。トレーニングを曖昧にしないためです。アナウンサー、ナレーター、声優なら、目標を表現や演技で、音声で放送できるレベルに設定します。

 

○トレーナーの条件に日本語教師を例に

 

 日本語を外国人に教えられると思うのですが、相手の母語国語についての知識がないと効率が悪いもです。日本語教師は必ず、日本語だけでなく、相手の母語との音声での比較を学びます。

 ヴォイストレーナーにおいても、自分がしゃべれる、話せる、歌えるだけでは足りません。相手がどういう状態かを知り、それと自分とを比べるだけでなく、ここがポイントで難しいのですが、相手の理想像をセットしてのアプローチが必要となります。それには多くの経験を他の人の心身を通じて積んでおくことです。

 

 日本語教師

 a:日本語

 b:相手の母語

 abの比較

を埋めるトレーニング

 

 ヴォイストレーナー

 a:自分の声と心身

 b:相手の声と心身

 abの比較

それに加えて

 c:いろんな人の声と心身

 abcの比較

 d:相手の理想イメージ

 bdの比較

 e:自分(トレーナー)の理想イメージ

bと(acとd)から導いたeの比較

 そのギャップを埋めるトレーニング

知識だけでない分、このように複雑なのです。

 

〇トレーナーの条件話し方の先生を例に

 

 「話」となるとどうでしょう。話し方教室と比べてみます。

1.リラックス、緊張緩和、あがり防止

2.スピーチやプレゼンテーション、音声コミュニケーションの技術(パフォーマンス)

3.話の構成、内容、意味(ここは、文章で起こしてもわかる部分)

 

 声もせりふや歌のように使うところは、「話」と共通します。誰でも話せるし歌えるのです。そこに立ち返るのなら、より話せるより歌えるように、という比較の問題です。

1.(外部)うまい人と比べる

2.(内部)前の自分と比べる

 この2つの軸で比べます。それとともに、プロの条件として、コンスタントにその力を発揮するということです。そこを再現性、耐久力など目標にするとわかりやすいでしょう。

 

 スピーチ、面接、司会など人前であがりやすい人なら、心身のリラックスが問題となります。プロでも状態が未知数であったり、状態が不安(体調不良、準備不足)であれば、同じようなことが起こりやすいです。それが外にわかるかということのほうが現実としては問題です。

 次の2つを踏まえておくことになります。

1.状況

2.状態

500人の前で話してもあがりません」ということなら、500人の前で話す機会を与えて場慣れをしたらよいのです。経験を重ねることで自信をつけさせるのは、恐怖症の克服と同じくとても有効です。

 

○ピークパフォーマンスとレッスン

 

 基礎と応用、練習と本番を結びつけておくこと、これを常に考えてレッスンをするのが大切です。

 基礎のレッスンと即興のレッスンを比較しました。いつでも、もっともよいところのみで状態を取り出すこと(ピークパフォーマンス)は、メンタルトレーナーの専門です。スポーツや歌など人前で演じるアートでは、一つの分野といってよいほど、大きな課題なのです。

 誰にもメンタル面で落ち込むことはあります。うつ病は100万人で、国民病といわれるくらい社会問題です。意欲、モチベーションなどが関わるからです。

日本だけではなく先進国では一般的なことですが、日本ほどひどくありません。先日、いきなり何百人ものまえで話せといわれたシチュエーションで、外国人と日本人との比較(心拍数)実験がTVで流れていました。日本人の結果は、最低でした。

 

〇英語とヴォイトレ

 

 英語でなく英会話が苦手という人も、これに通じます。外国人とうまく話せない人は、外国語力だけでなく、外国に接していない、慣れていないことが大きいのです。メンタル面の自信のなさが、フィジカルに影響して、実力を発揮できないのです。

英会話学校の体験レッスンで初回は全くできないのが、45回でそれなりに話せるとなれば、英会話力でなく、慣れによって変わったのです。

 話し方や内容を学ぶよりも、人前に立って話すことで舞台慣れをさせていくほうが効率的なのです。これは人前で行なうことには共通のことでしょう。

 

 「英語耳ヴォイトレ」の執筆のときに、改めて英語でのコミュニケーションは音声の力に大きく依存することを確認します。特にヒアリング(リスニング)と発音といった、発声、呼吸に関わるところには、準備が必要な人が少なくないことに気づきました。外国人の前で外国語でというまえに、人前で大きい声を出せるか、強く息を吐けるかということです。

 

〇気づきと補充

 

いっぺんにすべてのことを行なおうとするとわかりにくくなります。ピアノの初心者なら、すぐ弾くのではなく譜面読みや指の運動を、別々にトレーニングした方がよいのです。

結果というと先のほうにばかり気がいきます。そこで直そうとして直せるくらいなら、すでにすぐに直っています。直っていないケースでは、もっと根本の問題に気づき、改めなくてはならないのです。改めるというと、正しく直すように思われがちですが、多くは不足しているものを補うことです。入っていないものを入れること、気づいていないことに気づくこと、そこから、感覚を変え、体を変えていくのです。体を変えていくこととは、感覚を変えていくことでもあります。

 歌でいうと、音感(音高や音程)やリズム感のよくない人には、間違ったところを正しい音やリズムに直すのでなく、気づかせること(気づく能力をつける)です。次に気づいたことを自らやり直し、正すことです。これを一人でできないから、トレーナーが指導したり、判断をするのです。しかし、教えるのではなく、一人で発見して矯正できるようにしなくては意味がありません。

 トレーナーは正誤の判断をするのではありません。その人の判断のレベルを判断することです。7音の曲を5音で捉えている人には、2つの音の存在を気づかせなくてはなりません。そのときに2つの音だけ教えて出させたところでは直りません。

 リズムを間違う人は、一定のテンポを正しくキープできません。テンポなしに正確なリズムは刻めません。トレーナーは、その人の大まかな、あいまいな、だらしないところを(プロのレベルからみて)判断の基準そのものを高めていきます。きめ細かく、ていねいで厳密な判断ができるようにしていくのです。

 

○体と心と声

 

 私は「方法とメニュでなく、基準と材料を与える」と言ってきました。息や声は一時、表現から切り離して、体中心に理想に整える。息吐きなどで条件をつくる、鍛えるということです。

英語を話すのに息を強く吐くトレーニングをしていたら、バカのようにみえるでしょうか。私はそこからヴォイトレととらえているのです。 

ですから、ヴォイトレでは

1.フィジカル、表情、しぐさ

2.メンタル、心、感情

を同時に扱っていきます。スピーチやプレゼンテーションでの疑問点や相違点もわかりやすくなるでしょう。

 

 プロは身内でなく、第三者(初めて会う人)に通じる力、プロが(ほかの分野のプロも)認める力が必要といえるかもしれません。

 フィジカルでも、脳科学を使った方法で、画期的にうつ病や認知症などが治ったという事例がたくさん出てきています。しかし、かつてのロボトミー(脳梁で左右脳を分離する手術、後遺症が出て失敗)などと同じで、誰かに一時、プラスであっても、一般化については、短期的にみて、すぐに肯定してよいものではありません。

研究や実験は大切です。それで進歩していくところもあります。しかし、客観的な評価ができると限らない分野もあります。科学的という売りに振り回される人が少なくないのは、どの分野も同じです。試みにすぎないのに、理論・理屈や検査で安心したいのです。人より機械やコンピュータ、実の声よりも理論を信じるようになってきたのです。どんな体験談も検査値も、必ずしも自分に当てはまるものではないことを知っておくことです。

 医者(他人)を信頼するだけで、かなりのことはよくなるのは確かです。医者やトレーナーを頭から疑ったり、比べて欠点ばかりをあげつらうのは、本人の成長のためにはお勧めできません。

 その人の性格や考え方が、その人をつくってきているのです。一時、少なくともレッスンでは、我というものを離してみることです。他人のように自分を眺められるようになることが大切です。そのことが芸を高める条件でさえあるのです。

 

○前向きな姿勢が最大の薬

 

 わがままと個性、くせと個性をわけるのは、難しいことです。専門家といっても、本当の専門家は、何をもってどう示すのかも難問です。声がよいからヴォイストレーナーとして優秀とはいえないでしょう。トレーナーの判断と自分の判断にどう折り合いをつけるのかは、難しい問題です。

 でも折り合いを付けなくてもよいのです。全てを受け入れつつ、よいところを活かしていく、どこまでも前向きな姿勢こそが何よりも大切なのです。

 将来に目標を持つ、目的を立ててそこに歩むこと以上に、よい薬はないのです。

 科学的手法について、私はかなりの情報を集めています。しかそ安易に使うのではありません。

ここに訪れる人やその人が通うところの情報を知っていることで相手や担当するトレーナーに安心を与えられることのほうが大きいのです。

 

〇カウンセリング

 

手法が希望をもたらすことで効果をあげるのは、カウンセリングに通じます。そういう名で呼ばなくとも、レッスンのなかでトレーナーと話すことの大半はカウンセリングと、結果としてなっているのです)。

 トレーナーには

1.経験がある

2.自信がある

3.ことばや伝える手段がある

 ことばは、とても大切です。

 トレーナーの大半は歌唱芸術家ですが、研究所ではことばで話しかけ、メールで励ましています。

 

「うつ」という症状が一般化しました。このことばのひびきがよくありません。「う」「つ」と、行き詰まった感じです。「アタ病」「オト病」「エテ病」「イチ病」では、だいぶよくしが変わるでしょう。

 

声の出にくい人は、性格や考え方を見直してみましょう。すぐに変える必要はありません。変わらなくてもかまいません。自分と向かい合う時間と自覚を強くもつことです。今がダメで、次に急ぐのではなく、今は今でよしとして、次に行けたら行く、というのでよいのです。

 

〇絞り込みと集中

 

 いろんな人の歌唱タイプを挙げました。どれになろうか、どれかになろうと悩まなくてよいです。どれもが一人のなかに混在しています。可能性をていねいにみつめ、最大に取り出せるものを選びます。変えたり、組み合わせたりすればよいのです。

 一流の人が100%使っていて、私たちが10%しか使っていないのではないのです。一流の人は自らのなすことを知り、そこに最大に集中しています。それがどういうことか学んでいけばよいということです。

自分を変えたり脱したりするのは、自分の限界を知ってからでよいのです。知るためには行動すること、壁にぶつかること、悩んで考えること、そのくりかえししかないのです。

 大きな世界を目指したり、才能をもっている人ほど大きく悩んでいます。自分のことでも悩んでいます。それでよいのです。

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