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96号

○声の評価

 

 声は、スポーツや楽器、音響などの測定のようにはなかなかいきません。声の専門家がいたとしても、これらを実証するのは難しいです。医療分野もいろいろ測定器具などはありますが、専門家の耳で聞いて捉えた印象に勝るものはなかなかありません。

 

 これまで私はいろんな医師や専門家に話を聞いてきました。結局のところ、直感に勝るものはないといわれ、改めて、原点を確認せざるをえなかったのです。

 

 私のように、現実の人間の声に対して効果を出すことを優先で動かなければいけない立場では、科学者、医者、学者の、この30年ほどの成果は、まだまだ取り上げるに足りません。派閥などで固まっているとしても学会などをもち、少数であっても問題提起をしています。それに対して、ほとんどのヴォイストレーニングは、自分の指導していることを疑ったり改革しようという発想もない段階で遅れています。そういった土俵にも上がっていないのが現状です。

しばらくはトレーニングプログラム、カルテを完備しつつ、データをとりながらアプローチしていくつもりです。

 

 声のチェックとして、専門的には

感じとして

1.ざらざらしている

2.息が漏れている

3.弱々しい

4.努力している

この4要素を04で評価しています。

 

これらを次の体制でみます。

1.3人以上でみる

2.5年以上の経験者でみる

3.時間をあけてチェックする

 

 こういった体制で客観視します。

 この医療の見解は、私たちには、最低限のケアのレベルですから、その上にいくつものステップをくみあげています。しかし、体制などについては学ぶ点があり、とり入れています。

 

○逆を考えること

 

 トレーナーとレッスン受講生(以下、レッスン生)との関係について、私は、レッスン生主導のレッスン、できたら、一流の作品とレッスン生をダイレクトに結びつけて、そこに最小限、トレーナーがアドバイスをする立場としているのが理想と思っています。

 多くの場合、そこで大きなギャップがあり、ヴォイトレで感覚と体を補わなくてはいけないのです。そのプロセスをみつめるのが、レッスンです。

 

 初心者や慣れていない人の場合は、トレーナー主導にならざるをえません。できるだけ、そのままの状況が続かないことが望まれているのですが、トレーナーは先生で、レッスン生は生徒でありたい傾向が強いために、そういう関係が固定されがちです。それでは、クリエイティブなレッスンになりません。

a.トレーナーが主、レッスン生が従

b.レッスン生が主、トレーナーが従

c.a-b半々

というのもあってよいでしょう。

 なぜ、aで固定されやすいかというと、主従関係や封建制度のように、そう決めると、お互いに楽だからです。すると、トレーナーの言いつけどおりにやるかだけが問われるようになりがちです。レッスンを受けたいという真面目なタイプは、こういう形があることと、カリキュラム通り進むことを望みます。それほど安心できることはないからです。日本人はその傾向が強いのです。

 

 一例として、日本の英語教育をみると、その特徴がよくわかります。正しく記憶し再起する力が求められています。適当に身振り手振りで話してでも意志を通じさせる力が養われません。単語や文法に詳しく、読み書きに高度な能力がついたのに、発音や聞き取りに弱く、話す聞くに弱いのです。これは、会話より文献講読を必須としていた時代背景もありました。音楽教育やヴォイトレでも同じ傾向があります。教えられたい、教えてもらわないとできないという人が多いのです。どこでも教えるのがうまいトレーナーをそろえることになりました。

 

 本来は、最初にカルチャーギャップをあびて、感覚を神経レベルで切り替えられるとよいのです。しかしついてこられないのです。ついてこられないのが当然なので、ついてこようとして、悩んだらよいのです。なのに続ける気力を失ってしまいます。これまでの教育の方法を少しずつ変えていくようにします。変えるかどうかも本人次第、変えたくないなら変えなくてもよいとしています。

 

○他のトレーナーとのレッスン

 

 トレーナーが替わるときや引継ぎのとき、前任者のメニュをどのくらいふまえるかという問題とが、現れます。そこでの変化についてこられないなら、前と違うことはできません。

 前任者と同じやり方、メニュを使うほうがレッスン生はやりやすいのは、確かです。

 ヴォイトレでは、使っているスケールも、音(母音など)もトレーナーによって違います。私は、それを許容しているどころか、推奨しています。

 質のよいレッスンとして、トレーナー本人の最も自信のあるメニュで対応していくのがよいと思うからです。

 いくつかの考え方があります。

1.全体の共通メニュを使う

2.トレーナー個人のメニュを使う

3.代表(福島英)のメニュを使う

4.レッスン生の持ってきたメニュを使う

 

 この研究所では、これらのすべてを可としています。

 14をふまえ(難しければ24でよい)、新たにトレーナーと共に、担当のトレーナーたちのメニュをつくっていくということです。結局は、レッスン生個人の新メニュとなりますが。それをセカンドオピニオンとして、別のトレーナーや私が知っておくことです。

 ねらいは、一人のトレーナーとレッスン生でクローズしないようにしておくことです。有効な対処法は、同時に二人以上のトレーナーにつくことです。

 

○自分でつくっていく

 

 私は自分のことばや方法をレッスン生に押しつけません。新たなメニュとまでいかなくとも、できるだけ新たにその場で作り出します。メニュやプログラムは、個別対応です。

 過去のメニュや、他の人のメニュとも共通するものもあります。変わらないものもあります。でも、いつも説明の仕方や使い方は変えています。毎月会報を出しているのは、その証です。

 

 たとえばの話ですが、レッスンで「その声は少し右だから左に」というような注意をします。ここの右や左には、様々なことばが入ります。こもっている、浮いている、ひびきが拡散している、絞られている、のどが開いている、しまっている・・・など。

 これらは、イメージ言語ですから、これを取り上げて正誤を論じてもしかたありません。

 よくトレーナーの指導することばや用語の間違いを指摘する人がいます。私もおかしな使われ方をたくさんみてきました。しかし、結果として効果が出ていたら、何もいいません。執筆のときは少し気をつけています。

Ex.「肺活量を増やして」(といっても、本当は増えません。でも、そういうイメージということなら、かまいません)

 間違って使われているほうが多いことばもあります。

Ex.「音程が下がっている」「音程が低い」、これは2音の間隔が狭い、高いほうの音が下がっている、ことなら正しいのですが、音程=音高(ピッチ)と間違えて使っていても、相互に了承していたらよいでしょう。

 「胸声は胸に共鳴させて」「胸で深い音色をつくって」と。たくさんあります。

 トレーナーとレッスン生の間でのイメージの共有ができているかが問われます。発声をよくするためにことばがイメージを喚起するキーワードとして働いていればよいのです。

 

○トレーナーのイメージのことば

 

 トレーニングのプロセスに他人が入ると、ややこしくなります。私はトレーナーの間に入るときは、結果を中心にみて、使っていることばは気にしません。

 ことばを変えることでよい効果がもたらされるところはアドバイスします。そういうことばほど、事実と異なることが多いのです。セカンドオピニオン、プロデューサーなども同じようなことをしています。

 

 「のどを使うな」というのは、発声としてはおかしいことですが、ほとんどのトレーナーが使っています。

 スポーツで、投げるのに「腕の力を抜け」というのも、事実と違うことばです。こういったイメージのことば、つまり感覚のことばが、トレーニングでは中心となるのです。

 

 第三者が入ってやっかいなのは、他のトレーナーが、右によっているとみて、左へ導いているようなレッスンや、そこの声だけをみて、左へよっているから右に戻さないといけないと判断してしまうケースです。逆のこと、反対の間違ったことをしているとみえてしまうのです。この点で、私は他のトレーナーに自分のレッスンをみせたくないトレーナーがいることは一理あると理解できます。

 他のトレーナーが腹式呼吸を教えたあとの、レッスン生の発声をみると、「お腹ばかり意識せず、共鳴や流れを意識しなさい」といいたくなることになります。「ヴォイトレに行くと悪くなった」などというプロデューサーやプレイヤーなどがいたら、こういう誤解をしているのです。

 

○目的とメニュ

 

 トレーニングと本番との目的と違いはこういう誤解が多いのです、結局ヴォイトレが、トレーニングとしてではなく、柔軟や発声練習のように期待されているからです。つまり、トレーニングしたらすぐによくなるということに期待されているのです。

 トレーナーのなかには、そういう要望に応じる人がふえ、トレーニングにもそういうのが中心になりました。それは、基礎でなく応用でのコツを伝えるということになります。

 私もそういうレッスンを入れています。本でも、「カラオケ上達法」や「裏ワザ100」などのように、応用したものを出しています。これは基礎でなく、本番体験というような応用なのです。そこから切り込んだ基本を必ず加えています。私の場合は本当の基礎を忘れないように心がけています。

 

 トレーニングにおいて大切なのは、何が正しいのかでなく、目的の絞り込みとそのためのきめ細やかな方向づけです。右のほうへのズレを真ん中に戻してOKということもあれば、もっと右へもっていき、次に左へ戻すということもあります。この幅の大きさがトレーナーの本当の力といえます。

 たとえば、ヴォイトレの前の柔軟運動などは、すぐに声に効果が表れます。しかし、そのあとはかなり徹底してやるまで大して効果に反映しません。高いレベルの目的や判断でないと、それができても前提に過ぎない、あるいは本当には必要とされないことであったりします。

 トレーナーが何人いても、いくつものメニュがあっても、その逆のことの存在と可能性をも知っておいて欲しいのです。メニュが上へとか左へとなっていたら、必ず下へとか右へということも考えておくようにということです。

 

○舞台とトレーニングの違い

 

 私の「レッスンとトレーニング(応用と基本についての相違)」を引用しておきます。

  1. ステージ 本番 歌 全体的 無意識 調整 状態づくり
  2. トレーニング 練習 声 部分的 意識的 強化 条件づくり

 aの理想は即興でのファインプレー、bは将来へ計画的ということです。ですから、abでも、bのなかでも、一見全く反対のやり方をとるトレーナーやトレーニング、方法やメニュもあります。どちらが正しいかではないのです。

 多くのケースでは、どちらも必要です。その割合や優先順位が目的、レベルによって、トレーナーによって、そして何よりもあなたの個体差によって違ってくるのです。

 

 私は最初から異なるタイプの二人のトレーナーにつくことを勧めています。そのことで、かなりの独りよがりを防げます。

 多くの場合、独りよがりを防ぎたいからレーナーにつくのですが、初心者ではトレーナーの偏りにに対抗できません。これは、一人の歌手の歌しか聞かないカラオケファンが、その歌手の影響下に知らないうちに100%置かれてしまうことで明らかです。

 トレーナーのレベルの問題もあります。トレーナーといっても、客観性を持たないで、そのトレーナーの主観だけでの判断が行なわれているものです。どんなに優れたトレーナーでもその可能性は否定できません。

 

〇レッスンのメニュと内容

 

 レッスンのメニュや内容の根拠というのをみてみましょう。

1.それが自分の歌だけの経験(歌手)

2.トレーナー自身の受けてきたレッスン

3.レッスン生に受けさせてきたレッスン

 この3つの条件がそろっていても、きちんとフィードバックしていないと、あなたには、あまり役立つものといえません。

 

 トレーナーの歌やせりふは、その人やその声の個体差によるので、基礎の声とみるかとなると難しいです。ほかのレッスン生の歌や声をみるのがよいでしょう。

 トレーナー自身の受けたレッスンがそのトレーナーの声にどのくらいの影響を与えているのかは、わかりにくいです。有名なトレーナーにレッスンを受けてきたことを、そのやり方だけ受け売りしている人もいます。そういうときは、トレーナーのトレーナー(師)とトレーナーとをきちんと比べましょう。習得度をみることが賢明です。免状をもらったとかいう人でも身についていない人が多いものです。やり方だけまねして、右から左へと教えている人も多いようです。

 

 私はやり方に価値を認めません。レッスン生の声へどれだけの価値を生じさせるかが全てと思っています。

 やり方そのものだけでみないので、どんなメニュをみても、それだけでそのトレーナーを判断したり、よしあしを述べることもしません。感性があればできようがないのです。

 声にはいろんな声があります。いろんなやり方があるのは当たり前です。

 私は常にその人の最も扱いが完璧になる声を基本とします。ですが、そうでないところに価値をおく人がいても、それらを求める人がいたらよいと思っています。

 歌も声も、どれがよいとはいえません。レッスンもメニュ、方法も同じです。そうでなければ、私は人以上の出身を異にするトレーナーや他のところにいるトレーナーと一緒にやってはいけないでしょう。

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