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101号

○ヴォイトレリアル

 

 「革新的な試みをしているのに、叩かれないなら、その名に値しない」といいます。いろんなオーソリティにお会いして、叩かれてもいる私ですが、そのことについて。

 声の分野は、実質としては、啓蒙期に近いところで、同じようなことをくり返している段階で一個人の体験、そして、微々たる結果、それをもとにした指導、それだけで終わっていることがほとんどです。その後に、フィードバックして、改良し、他の人に共有されること、そして更にそこで第三者に試行され、チェックされ、改良されていくようなプロセスが、とられていません。声に関しては、このことがとても難しいことをずっと述べてきました。

 

 なのに、今や人は、正しいものなら、すぐに自分にわかり、実行したら、すぐに効果が出るのが当然だと思う傾向が強くなりました。日本の高度成長後の経済的低迷やゆとり教育の失敗で、何ら根本的な改革されずに超高齢化社会に突入、そうした世潮がこれに拍車をかけたように思います。

 私からみると、どんなことも、発展して後、万人に受けるようになってからは、ちょっとした目先の転換、目のつけどころの差別化になります。安く早くても、12割、変わるくらいでは大した意味はありません。ゴルフを習うと、「打つときに球を見ないで」とか、教習車では、「目線はずっと遠くに」などと言われて修正するのと同じです。それが必要な人にはレッスンにもなるともいえますが。

 

 私が研究所を個人レッスンだけにして、トレーナーは声楽家を中心とした集団指導体制にしたのは、この入口でのニーズにも充分に応えられるためです。

あなたの目的、レベルによって、あなたの好きなトレーナーを選べます。スタッフが間に入り、トレーナーのメニュも目的やレベル、進行のテンポも変えられます。

研究所も一般の人を指導するにあたって、かつての養成所の体質から、カルチャースクールや教室のような機能を合わせ持つことになりました。

 古武術家が介護法を教えるように、基本の原理を、今、必要とされているものに応用していくのは、世の中のためになることです。芸術や芸能、ビジネス、ボランティア、ということでも、いろんな面から関わる人を刺激することになります。ただし、そこは入口です。

 

○ヴォイトレの30

 

 私はこれまで、著書に、あえて、あまり科学的なことや生理学的なことを入れないできました。

 デビュー本で、公にした仮説の元は、1020代までの実演や経験です。自分が3割、海外や日本の他のトレーナーとの経験が2割、レッスン指導の経験が4割、類書からの参考引用が1割です。

 それから10年後に「基本講座」「実践講座」と、最初の2冊の本を全面的にリニューアルしました。そのときに思ったことは、他書から引用したことが、研究の進展で、ずいぶんと変わったことです。声のしくみについても「裏声は仮声帯で出す」と、音声医の第一人者が本に書いていたくらいです(米山文明氏など)。音声の研究は、物理的(音響学的)、生理学的に進みました。声については、専門分野の人向けだけでなく、一般の人も研究できるようになってきました。

 ヴォイトレでは1990年代後半から、

1.欧米のメソッド(クラシックよりポピュラーとして)

2.科学や理論に基づいたようなメソッド

3.日本人の求める高音発声や声域拡張、ミックスヴォイスなど

が出てきました。

 

〇研究所の30

 

 研究所は代々木という土地柄もあって、声優、ナレーター、俳優、タレントの対応が増えました。ミュージカル俳優になりたい人も増え、J-POPSの志向が強まったので、外国人やポピュラーのトレーナーを使いました。そして、基礎の必要性を改めて認識して、体制を一新しました。声楽家をトレーナーとして声のベース(息、呼吸、共鳴)づくりを主体としたわけです。

 自前のライブハウスを引き上げ、個人レッスンにしたため、プロやプロデューサーと接する機会が増えました。歌の仕上げの後、プロデュースを依頼しました。ジャズやシャンソン、ラテンのシンガーも増えました。専門の先生についた人の基礎を引き受けることが増えました。トレーニングもコラボレーションが中心となったのです。

 研究所で、私は、2000年からメンタル面(精神科医、心療内科の方向)、その後はフィジカル面(インナーマッスル、整体、マッサージ、他)の研究を重視せざるをえなくなりました。スタジオにも音声の医療や人体模型や解剖図、センサーや声の分析の機材などがおかれ、研究者との繋がりが増え、研究所らしくなりました。2010年までには、それまでのビジネス、執筆や講演を抑え、研究に専念できる体制になったのです。

 

○ハイレベルと効果の大きさ

 

 日本の声の現状を把握し、欧米とのギャップを縮めようとして研究所をスタートしました。今では、欧米だけでなくアジア、アフリカも含めて全世界と日本、古き日本と今とのギャップということです。

声ですから、歌唱だけでなく、せりふも入ります。俳優からビジネスマンまで、一流の国際的なレベル、歌手なら美空ひばり、役者なら、仲代達矢、渡辺謙のレベルに、どうやって声を鍛えるのか、というのが、研究所の一貫した課題です。

 声は、ギャップを意識することからのスタートです。それがなければ、その人にヴォイトレそのものの必要がないのです。それは自分より高いレベル、必要性に対してのギャップです。

 その人のレベルによるので、人並みにとか、リハビリで最低限に声の出せるレベル(ST=スピーチセラピストの担当する範囲)というのも含まれます。

 心身の状態がよくなると声は出ます。そのレベルで不安定な声の人は、一般レベルまでは、心身を強健にするトレーニングを併用すると効果的です。

 研究所にはプロのゴルファーやアスリートがいます。そういう人は効果が出るのが早く、ハイレベルの手前までにはなります。年配の人でも体(体力、筋力、柔軟性)と心(表現力)がある人、たとえば、毎日、太極拳やヨーガなどを行っている人、健康的な生活習慣のある人は、レベルが高いです。美輪明宏さんは、毎朝、読経して、80代でも第一線で舞台をやっています。

 若くても、心身の条件が弱いと、うまくできるのに時間がかかります。こういう初期条件が整わないと、声、せりふ、歌がハイレベルに達するのは難しいです。しかし、ヴォイトレ以外でも変えられる条件が大きい分、そこを加えると効果は大きいのです。ハイレベル(他人と比べず絶対的)と効果の大きさ(自分と比べて相対に)とは違うのですが、どちらもトレーニングの目的です。

 

○状態の改善でなく条件の革新

 

 私はヴォイトレを、状態の改善でなく、条件の革新で捉えています。方法では、使い方ということで、声を心身の状態で整えようとするのがヴォイトレの大半です。そこでは、アスリート並みの条件だけがあればよいとなりかねません。心身を平常にすれば全力が出せ、それで通用する。アーティストにとって、それは必要条件の一つにすぎません、もっとも、ベテランなら不調を解消する調整をすればよいのです。

それに対して、これから一流になろうという人、一から始める人など、すぐれた条件を持っていない人では方法が違ってくるのは、あたりまえでしょう。

 トレーニングは、条件づくり、心身を条件として変えるために行なうのです。この大切さに私が改めて気づいたのは、一般の人と長く接したからです。

 プロは少なくともオーディションで選ばれてきますから、一般の人以上に心身に恵まれていたり、それまでに努力してそれなりに使える声を獲得していることが多いのです。10分も走れない人が、オーディションを通ることはないでしょう。

 私は野球、柔道、バスケット、水泳、合気道と、どれもかじっただけですから、一流のアスリートの境地まではわかりません。しかし、いつも、新しい物事を始め、3年くらいにわたり、あるレベルまで、形をつける基礎まで、つまり、一目みて素人ではないところの形を得るまでのプロセスを、何回もゼロから体験してきたのです。それは、トレーナーとして他の人のプロセスへの直観を働かせるのによい経験になりました。

 むしろ、幼いときからずっと続けているプロは、「自分に与えられたもの」「長い間かけて習得していったもの」の正体には気づきにくいのです。「灯台もとくらし」となるのです。

 いろんなスポーツや武道を毎日、3年やればリズムや時間にも鋭くなります。呼吸も深くなりますし、体のバランスや心身の状態も、気づけるようになるのです。舞台や人前でのメンタルコントロールも、初めて体験することが多く、大変なだけに鍛えられます。

 

○絶対量としての時間<しずちゃんの挑戦>

 

 アーティストに、アスリートのトレーニングがもたらすヒントはたくさんあります。教本や理論書をたくさん読んでいたら一流になれたでしょうか。いえ、一流の人に接してみると、彼らが読んでいるのは、精神面を鼓舞するものです。

 高いレベルの目標設定、それを可能とする具体的なトレーニングがなかったら、どうにもならないということです。

 バスケット部なら、監督がNBAVTRを見せて、ゲームの本質を伝えてみたらどうでしょう。毎日のトレーニングを先輩から言われたままでなく、自分に合わせて創意工夫してやれば、もっと上達するでしょう。そういうことさえ気づかないと、大して上達しないのです。

 大切なのは、そういう方法以前の量です。不可能を可能とするトレーニングは、絶対量から始まります。

 南海キャンディーズのしずちゃんは韓国のチャンピオンに、一ラウンドで敗れました。「2000時間のトレーニングが、2分で終わった」と、彼女のトレーナーが言っていました。身長、体重で勝っていても、相手はトレーニングを2000時間以上やっていたのでしょう。2000時間は2年で割ると、13時間です。

 5年やると、あるレベルに達します。それが、つまり1万時間の壁です。

 

○状態の改善の限界

 

 私は、最初から「ヴォイトレは、全体の10分の1」と言っています。あるレベルに行くのに、その10分の1であれ、確実によくなるものがあるなら、大きな糧となります。そうなるようにメニュを与えています。

 私の本を読んで、ヴォイトレがほとんどの問題の解決の鍵と思ってしまう人が出たなら遺憾なことです。あくまで10分の1です。まして、リラックスやマッサージや発声の仕方を変えただけでどうなるでしょうか。

 私がリラックスしても、どの競技でも中学生のクラブ活動のレベルで通用しません。スポーツは、職人技のようなものですが、頭、体、心も、声も、究めていくと同じです。

 

 10代で喉もよく、歌もぱっと歌えていた人は、音大に入るにはよいでしょう。そかし、そのままではそういう条件を伴わない生徒の多いスクールなどのトレーナーには向きません。

 そうでなかった条件を努力工夫で克服する経験をもつトレーナーは、一流のアスリート、アーティストにコーチするのは難しいでしょう。私が水泳を子供に教えられても、オリンピック選手に教えられないのと同じことです。

 

 ちなみに私は、喉としては判断できませんが、発声としては、最低の部類でした。10代から誰にも負けない絶対量を、自分に課してそんなものでした。大学時代をバイトとレッスンに費やし、トレーニングで変えてきました。

 ヴォイトレで最初の23年に、あるいは23日でも、23ヵ月でもよいですが、大きな効果が出たけれど、そこからさっぱりという人は少なくありません。本人がそのことに気づいてないことがほとんどです。

状態と条件との違いを考えてみて下さい。私のいう状態は、左右の横軸、条件は上下の縦軸のようなものです。大半が、くり返しているだけでステップアップしないようになってしまうのです。

 状態の改善とは、あたかも医者が、ステロイドを処方したり、手術したりするようなものです。医者が、ここを紹介するのは、ここは12ヶ月でなく、3年以上先の問題に対応しようとしているからです。他の人が1年で学んでいくことを23年かかって学んでいくからこそ、先の見込みが広がるのです。

 

○俳優、歌手の声力の衰え

 

 私は以前、俳優のワークショップのヴォイトレをたくさんしていました。プロの劇団を除くと、大抵はアマチュアで声は一般の人が対象です。となると、状態だけをよくします(大半は一日で完了という時間の制限があります)。

 俳優は23年目から、しぐさ、表情が伴って声に反映されていくから、純粋な声としてのトレーニングは、あまり行っていません。それぞれ、自己流の中で、表現の力で修正をかけていきます。経験量が声を鍛え、プロとして活動できるだけの器を作るといえます。

 実際のところ、今ヴォイトレを行っている俳優さんより、そんなことを知りもしなかった昭和の時代の俳優の声の方がずっとパワフルです。太く迫力があり、説得力があります。いわゆる腹からの声があったのです。歌い手も腹から全力で歌っていました。よく喉をこわしたり、ときに手術する人もいました。それでやめる人などいませんでした。

 ヴォイトレが、より早く効率的に、声を鍛えるものとして、利用されているならよいのですが、どうも、安全に喉をこわさないだけの目的に、留まっていませんか。自然と得てきたところで限界を破り、未知の可能性を広げるものになっていますか。私はどうも逆行、退行しているという気がします。

 

 その原因の一つは、歌手や俳優として選ばれる人が、昔ほど声のキャリアを問われなくなってきたことです。声の資質や経験値が高い人が、俳優や歌手になっているのではありません。日本は、世界に逆行して、小顔、しょうゆ顔、エラなし、首も体型も細型が好まれるようになりました。声は優しく、男性は高音、中性化(去勢化)が進んでいます。全体的にも声の出せない民族になりつつあります。

 

○日本のミュージカルの難点と克服法

 

 ミュージカルには現実的な対応がせまられます。舞台のスケジュール中心に動かざるをえないからです。研究所には、さまざまな人が来ますが、ここのところ多いのは劇団(ミュージカル俳優で、声楽の経験のない人)です。オーディション対策の若い人に加えて、30代、40代の中堅どころになって、声が劣ってきたと感じる人です。演目の多様化で、声楽の発声では出せない声を求めていらっしゃることもあります。

 もう一つの理由は、その人が教える立場になるからです。自分でやってきたトレーニングが、そのままでは、若い人に通用しないことが多いのです。指導しても、自分たちのようには伸びないのです。

 ミュージカルは、マイクが使用できるので、声楽の基礎レッスンでの対応が無難です。オフシーズンのように、集中してトレーニング期間をとれると理想的です。とれない人は、舞台の合間にヴォイトレを行います。

 疲れている声に対して、できるのはクールダウン、声のバランスを取ること、声を休めることです。そのレベルでのレッスンが役立ちます。

 これは「プロの舞台への応用トレーニング」の位置づけに当たります。呼吸や体の使い方、何よりも、その人の中心となる声を調整していくのです。若手やJ-POPSの人に行うのも、こういう調整からです。

 

 メニュの中心はスケール、レガート、ロングトーンなどです。これはアスリートのベンチの裏に控えているマッサージ師のようなものです。試合での疲労を回復させたり、次に残らないようにするのです。そのマッサージで、筋力がつくなどということはないのですが、声については、そういう勘違いが多いです。

 

アスリートが、基礎の力をつけるのはシーズンオフです。そこでは体力、筋力をつけ、フォームを修正して、シーズン開始にそなえます。オンすると同時に一気にブラッシュアップします。

私も水泳では、一冬でタイムが3割も縮まりました(初心者ならではの効果です)。育ち盛りでしたから、2年間で肩幅がでて、逆三角形になりました。

 相乗効果を出すためには、週1日で10年よりは、週7日で2年の方が大きいのです。若いうちは、最初に徹底してくり返して、身につけることです。声でなく、トレーニングができる習慣を身につけるのが大切です。

こういうことがわからない人が多くなりました。週0日よりは週1日の方が効果は大きいというローレベルでのヴォイトレが一般的になってしまったからです。セーブしたり休むから、喉が疲れない、壊さないだけだとしたら、それはトレーニングではありません。

 

○一流の見本とトレーナーの見本

 

 ヴォイトレで目指すべき声のモデルのとり方について考えてみます。それを演奏能力にとるのか、楽器レベルにとるのかは、両極といえます。

 養成所としての研究所の頃は、歌唱を1フレーズでチェック(コピー、デッサン、フィードバック)、自主トレとして、毎日、体という楽器作りをやらせていました。しかし、トレーナーが増えたこともあって、少しずつ研究所のレッスン内で、体の楽器作りをやることになります。

 

 一流になるのは、一流の人の後追いしかないのです。その感覚の生じてこない人は通用しないのです。

 誇張して見本を見せることで教えるのは、簡単な方法です。動画を見てわからないから、トレーナーをそばで見たらわかるという期待にこたえます。トレーナーが体を触らせる。1フレーズをゆっくりと繰り返す。うまくまねて近づけていく、そういったことより、感覚を鋭くすることが大切です。その多くはCDDVDでもできるのにやらないのです。

 もっとも効果的に思えるのは、思えるだけ、のことが多いのですが、トレーナーがあなたのまねをして、次にその癖をとったやり方をすることです。あなたが気づかないギャップを明確に示すことです。しかし、これもよし悪しがあります。

 他人に頼りすぎると感覚がマヒして、指示通り動くだけのレッスンになります。それを食い止めるために、私はレッスン後にレポートを課しています。トレーナーにもアドバイスを書かせています。どちらも共に学んでいって欲しいからです。

 

○まねの限界

 

 何でもフリーに聞ける時代になりました。アーティストの音源を聞かないで、トレーナーを見て学ぶだけではよくありません。

 学びやすくするためにトレーナーは、体や息を大きく使ってみせることがあります。

 そうしたパーツとしてのトレーニングでは、全体像は見えにくくなくなります。フレーズや発音のレッスンも同じです。このパーツを組み合わせても、ベストの発声にはなりません。1つのパーツをきちんと長く繋げて作品にしてみた方がいいほどです。

 見せるためには、過度に強調してゆっくりと行います。息を深く吐き、ときに深い息の音を作ります。本当に深くとも音はしません。しかし、それではわからないから音をつけます。そこをまねてはいけません。

 みえるところから本質を感知して、自分の中に置き換えられるかです。主体的にやるのです。まね、コピーは、本質ではありません。

 習いにいっても多くの人は先生の半分以下の力しかつかずに終わります。そういうものになってしまうのは、本質をつかまないからです。一方、トレーナーや先生というのは、自分のようにしてあげよう、自分にしかできないことをできるようにしようと考えるからです。初等教育ではよいのですが、アーティストにはよくありません。

 歌の先生の生徒が皆、その先生と同じ歌い方になってしまうのは、その弊害です。それが入口になっていればよいのですが、先生のようにできたら、満足するから、そこが出口になります。いつのまにか目標が先生のように―となってしまうのです。先生は、アーティストではありません。同じことができたところでなんともなりません。入口の前にすぎないのです。

 

〇研究

 

 私の研究は、ヴォイトレの両極です。

1.心身のモデル、一般的でなく、その人特有なものとして、その中のベストヴォイスを追求する。

2.演奏表現への応用、そのイメージと技術の能力の育成。声は「うまい、器用、正しい」でなく、その人の体、心に合ったオリジナルなフレーズ、オリジナルなデッサン、音色を追求する。

2は、フレーズトレーニングで私が試みていることです。そこで行き着くところ、1の声帯、呼吸という体の中でも発声に関わるところを問題にしていきます。

 

○音声学と理想モデルの違い

 

 私が参考してきたのは、音声学です。特に生理学と物理学的でみた喉と共鳴のモデルです。これは、トレーナーが知っておけばよいもので、レッスンでは副次的なものです。ところが、世の中での科学知識重視の傾向で、理論を知らないのは不安だから、知って安心したいということで、取り上げるようになりました。

 私も、声の仕組みや音声学を、本でも説明することになりました。しかし、最小限しか入れないようにしています。他の先生のように出したくないのは、あまりにあいまいだからです。知識と発声や歌唱の上達とが、ほとんど関連していない点も大きいです。

発声はリアルの体で生じる問題です。静止した状態でみても何ともならないのです。

 例えば整体では左右のズレをバランスをとろうとして、チェックして直します。それで声はよくなるでしょうか。健康になり、けがをしにくくなればよいともいえますが、果たしてそうですか。人間の左右は違うという大前提が抜けていませんか。

 

〇自分で創る

 

 私は一流のバイオリンを入手しないと、一流のバイオリニストになれないとは思いません。一流なら、一流のバイオリンで演奏した方が映えるでしょう。

 ストラディバリウスという名器をもつと、その想いや伝統の重さで演奏がよくなるという、メンタル効果があるでしょう。しかし、一流なら、どのバイオリンでも人を感動させられるでしょう。

普通は、一流とか天才にはなれません。本人の感覚で自分という楽器を知り尽くしていくことです。調整して、声、せりふ、歌にする努力を優先するのです。

 人間は機械ではありません。ロマのジプシーのバイオリニストは、ボロボロのバイオリンでストラディバリウスに引けをとらない演奏をします。音と自分のつくりあげる世界と、自分のもつ楽器を知り尽くしているからです。

 4人メンバー集めないと、ロックバンドができない、というところから考えてしまう日本人には、わかりにくいことでしょう。

 でも邦楽で、例えば尺八は、まさに本人が作るのです。声明、読経などでも、あるのは、ゆるやかなルールです。日本の声楽の限界は、追いつき追い越せに、また戻りつつあるということです。ポップスでも同じように、1980年代とか1960年代の回帰ブームのようです。

 

○絶対的な時間量

 

 歌い手は、喉のプロであるとともに、音の構成、展開での演奏、イメージの組み立てにおいて、プロであるべきです。音響の完備された時代ですが、科学的、生理学的見解からなされるトレーニングのメニュや方法には、疑問があります。私自身、理由や根拠の全くわからないところで反駁されたことがあります。知識、理論をいくら集めても反証になりません。

 トレーニングをやらなければ、効果は出ないのです。感性、感覚を磨かないと声も表現に反映されていかないでしょう。

 絶対量から導き出され、声が変えられる、質となるのです。時間は、絶対必要です。

 

○理論、ことばの無力さ~声帯振動

 

 研究所にある、たくさんの声の測定器材を、PRのためには利用していません。そんな程度のものだからです。

 最近は、生じかじった理論がトレーニングの邪魔している人が、本当に多いのです。自分の成長のためにあるトレーナーや理論(この場合、説明なども)が、やれば出てくるはずの効果の邪魔をしてしまうのです。それは、自らが省みて再構成しないからです。

 科学的(解剖学、生理学、音響学)とつくと、完成されているような気がします。例えば、自分の体を正確につかむことで、正確なボディマッピングをする。例えば、舌が思ったより大きいことを知る。しかし、表現や演奏上での舌のイメージ(表現に必要になる)は、実態と違います。

 声帯の振動が1秒に440、これを880にしようと、1オクターブ上を出す人は、現実にはいません。プレイヤーがボールの球速や角度の数値を計算して、打ったり、とったり、シュートしたりしているわけではありません。直感的に読んで合わせるだけです。

応用される舞台では、現実のモデルと次元の違うモデルが必要です。

 料理人は、舌の味覚だけで味を捉えていないはずです。ヴォイトレで「喉を使わない」というのも、現実と矛盾することばです。

 

〇横隔膜の克服

 

「横隔膜で呼吸を動かせない」とか、「喉頭筋がうまく動かせない」などと言う人もいます。喉もかなりの個人差がありますが、よし悪しです。

「喉がよくないから直したい」と言い出す人もいます。直せるものは直せばよいのですが、直せないものもあります。直す必要がなく、バランスが少々悪いとかいうこともあります。人と違っていても、直さなくてもいいこともあるのです。

 喉は発声に関する重要なパーツです。こういうケースで「歌手(俳優)に向いていない」と思ってあきらめる人と、「だからこそ、着目され活躍できる」と思う人とがいます。本人の性格や考え方が大きくものをいいます。

 本も、理論にばかり狭く深く入っていく人は、メンタル的な問題が大きいです。その克服の方が、声の改善より大きな問題のことが大半です。それもヴォイトレで直ることもあります。頭でなく体を使うことで変わってくるからです。

 トレーナーが、声のこと以上にも手腕を持っている必要があります。最初から、相手を声の問題に閉じ込めることが、よいとは限りません。

 就活、婚活に悩んでいる人には、声のトレーニングから始めるのも1つのアプローチになります。確実な10分の1がとれるなら、あやふやな残り10分の9のことより、声を優先して重要視するとよいでしょう。

声は心身から出ます。身体は運動やヴォイトレで変えていけますが、心の問題は結構厄介です。頭をからっぽにしてトレーニングに集中するのが一番よいことです。生じな知識は、それを邪魔します。

 効果が出ないか、不安をあおられる。それなら、人、本、理論と一時、決別しましょう。体や喉のシステムを知らないから、声がよくならないのではないのです。

 最近どんどんと新しく出てきた理論や考えは、早々に、また否定されたり、改められたりしていくものです。理屈(科学や理論、説明も)とは、そういうものです。

 

○声のプラシーボ効果

 

 声は、心の問題、プラシーボ効果でも大きく左右されます。いつもわかりにくい問題です。

私も「トレーニングで、そういう声になったのですか」と、よく聞かれます「そうだ」とも、「違う」とも言えます。

 日常に生きている中で、使うものが他人と違うレベルに達するのは、トレーニングの成果です。トレーニングは、やればやっただけの成果と思いたいものです。私も人一倍やりましたから、そこでは、胸を張りたいのですが、トレーニングをやっていなかったらどうなっていたかという自分とも比べなくては、科学的な証明にならないでしょう。それは不可能です。

 この声で、仕事も研究所も、とことんやってきたことが、現実レベルでの証明です。いくら出版社でも、「この人がトレーナー?」という人の本は、出してはくれません。レッスンを受けにくる人もいなくなるでしょう。

 

 もちろん、トレーナーの、笑顔や生き方が素敵で、レッスンも好きというのでもよいでしょう。

1.依存心

2.安心感

3.前向きになる

トレーナーの勧めるメニュ、方法、技法、運動、体操、果ては飲食物まで、どこまで信頼できるのでしょうか。それで声に効果があったと思うなら、それはいいことです。健康法と同じで、「この健康法があればこそ健康だ」というのは、方法、器具、トレーナーに頼らずに自分でできるようにならないか、考えるとよいでしょう。

 サプリにはプラシーボ効果が著しくあります。私は結構はっきりと言うことにしています。自分の喉の形、喉の機能などに一喜一憂しないことです。人は、それぞれに独自のものを持っています。育ち、生活や習慣、環境で、それは大きく違ってきます。そこを変えていくことです。地道にコツコツと、です。

 声帯という、とても小さなものでの歌唱が、人々の心を感動させるのです。

 美空ひばりだからこそできたといわれることもありますが、彼女は、間近に死を控えて、片肺の状況でも30曲以上歌えたのです。人の声は、科学を超えるのです。それを突き詰めることこそが、科学的なのです。自分の判断を育てていくことです。

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