102号
○市場とその声の研究
研究所では、声や表現の研究をしてきました。本格的に研究体制が整ってきたのは、ここ十数年のことです。
1.日本のプロ歌手の個人指導
2.一般の人との養成所式グループレッスン、劇団の指導、ワークショップ、レクチャー
3.声楽家を中心としたプロのトレーナー集団での個人レッスン(複数トレーナー担当制)
と、3つの体制を経るなかで、医師、ST(スピーチセラピスト)、MT(ミュージックセラピスト)、フィジカルトレーナーや整体師、武術家、心理学、音響分析の専門家、ヴォイストレーナーほか、合唱、声楽、長唄など、専門家に協力をお願いして研究の体制が整いました。こういう運営ができるまでに20年近くかかったということです。
現場で、よい効果を出すには、よいトレ-ニング、よいレッスン、よい方法、よいメソッド、よいトレーナーです。利用するのがお客様というなら、行き着くところサービス業にあたります。市場主義にさらされるわけです。
プロのトレーナーなら、すぐにめざましい効果を感じられるようにすることが求められるようになりました。
1990年代、カラオケのブームで、絵になるトレ-ニングを欲しがっていたTV局と、私は袂を分かちました。そういうことに対応できるトレーナーが他にいたこともありますが、指針が違ったからです。
一般の人やビジネスマンを対象にするトレーナーも増え、その売りは「誰でも、すぐにできるヴォイストレーニング」でした。
私は当時、歌謡曲や演歌の終焉をみて、ロックや、ポップスのトレーニングを、脱日本、超世界レベルに考えていました。そこで「ロックヴォーカル基本講座」を出したのです。教則本を出すことで、こういう市場原理にも巻き込まれることになりました。結果として、レクチャーや本を通じて日本の声の市場を作ることに貢献することになりました。トレーナーになりたい人や、それでメシを喰えると思う人も出していくことになったのです。その私たちを越えて、大きく羽ばたいていきたい人には協力いたします。
〇1万人に1人
私は、最初にアーティスト、タレント、芸能人、落語家の師匠やお笑い芸人、プロの声優、アナウンサーと、対することになりました。先見性のある、勘のいい人は、畑違いとも思われる分野から、この声の活動に、積極的に関わってきたからです。
私はアーティスト養成に特化して、1,000人のうち1人は日本一、1万人に1人は世界一にするつもりで臨んでいました。目的も対象もトレーニングのスタンスや期間も、すべて異なっていました。市場で競合することもありませんでした。
90年代半ばに「カラオケ上達法」の執筆を頼まれた時、一般の人対象の本に、音声学を取り入れ、逆のスタンスで書きました。ステージングから、歌唱、それ以上を目指す人には、基本は大切だという、逆行です。カラオケをきっかけにアーティストを目指す人を出すためです。そのあたりから、少しずつ一般のビジネス自己啓発書と似てきました。
現場中心で動く私は、研究所といいつつ、くる人には自分自身の研究、アーティストとなるべく研鑽をつむようにセットしました。こういう風潮は、団塊の世代の年代の教養主義に通じますが、経験してない人には伝わりにくいかもしれません。それが変わってきたのは、まさに、いらっしゃる人が変わってきたためです。
○ヴォイトレの研究所の成立
ヴォイトレを中心において、その一方に、心と体をもつ―人間という、人類の芸道に共通する体(呼吸)という器があります。そしてもう一方には、国を越えて世界に、時代を越えて永遠に、価値や感動を与える表現という作品があります。
私が研究所と名付けたのは、声や喉の指導をするところというからではありません。この両極を統合していく研究こそが、ヴォイトレを確かなものにすると思ったからです。
一、二年後には古くなるようなプロデュースに、関わらなくなったのも、この普遍的真理への追求があったからです。自分の夢を賭けた人が集まったのが、当初の研究所です。
ということで、私は、一流アーティストといらした人を直結させるナビゲーターとしての役割を果たしてきたつもりです。日本ではあまり評価されないマルチクリエイターとして資金繰りをつけたのも、そのためです。
90年代、ライブハウス型のスタジオを構え(バブル期、代々木の表通りでは、維持費で坪3、4万円したのです)、2段構えの内装を含めると億単位にかかりました。そこに集う人のために私が奔走しました。研究所の収益は、この活動維持と研究のために、資料やコレクション収集と自転車操業でした。
どんな仕事でも引き受けました。月謝で生計を立てていたら、言いたいことも言えません。研究所維持のために辞められたら困るというのでは、お客さんとの関係だからです。厳しいこと、言いたいことも言うために、私はほとんどを他で稼ぎ、つぎ込んでいました。外ではビジネスアーティストといって、日本にできてきた文化研究所の嘱託や、アミューズメントの会社などの、ブレーンアドバイザーを複数つとめていました。
若手のベンチャー起業家なども、私は、歌手よりアーティストっぽいということで、面白く感じたのです。私のブログ(fukugen「追悼スティーブ・ジョブズ」2012/01/23」)に、アップル社のことによせて、入れています。
研究所は、マルチメディアスタジオだったのです。集客し感動させて、またリピートする。その時代、企業が求めていたのもまた、舞台の、アーティストのノウハウだったのです。
代々木では当時、オウム真理教も活動していました。90年代、内部を組織化していくと、ビジネス的とか、宗教くさい、という批判も出てきました。別にビジネスでも宗教でもよいのです。
要は、そこにどんな人が集い、そこから外に出て、どう活動していくかが問われることなのです。ですから、こういうところは、そういう人が集まらなくなった時、いや、そういう人が人材として外に出なくなったときに終わるのです。
○トレーナーの手腕
レッスンの料金や時間や、制度や体制などは、本来は、大した問題ではないのです。本人の志ほど、決定的なものはありません。本質や先見力、感性の働かなくなったところにヴォイトレをしてみても先はないのです。そういう人財を見抜き、集中して育成するのには、私もまだ若く経験が不足していました。
素質で選ぶのはプロデューサーの役割で、私たちのヴォイトレが真にヴォイトレであるならば、そうでない人にこそ、大きな成果をあげて、先を切り拓く武器となるものです。その考えは今も変わっていません。
素質のある人は、どういうヴォイトレに行ってもそれなりに成果が上がります。誰からもどこからも学びとる力があるからです。
そうでない人、例えば、本人に意志がないのに紹介された人、他のスクールでは続かない人、医者からの紹介の人などを、どのように教えるのかは大変なことで、そこがトレーナーの手腕です。
ここは、アーティスト、OB、医者などの紹介で多くの人がいらしています。こういう人のなかにはメンタルの問題が大きく占めるケースがけっこうあります。声がよいとか歌がうまいだけのヴォイストレーナーが、扱えることでないので、そういういところからもよくいらっしゃいます。研究所としての課題です。
私は、感性や集中力に関する研究があります。個別の能力開発は、ヴォイトレの中心テーマです。
アーティストというのは、人に価値を与える人です。震災でも、改めて、そういう力の存在を確信できて嬉しかったものです。心のケアも、専門家が行くよりも、アーティストの方が影響が大きいかもしれません。医者はメンタルよりも、身体のケアに専念するべきとも感じました。
○包括する
私が早くから本を出し、ロングセラーやベストセラーとなったこともあって、研究所には多くの人が来ました。それだけの人がここに関係したわけです。
「私よりもできる」と思ってトレーナーになった人もたくさんいます。それはよいことです。でも、アーティストを諦めてトレーナーになることは、必ずしもよいことではありません。
他の才能を実社会で試すこともなく、好きと生計のためだけで続けるのは厳しいでしょう。
生計をかけて打ちこんでいくと、だからプロ、という自覚が強まることもありますが、自分の生涯をそこでつぶす可能性もあります。
私は、一時カリスマ化されてしまった反省を踏まえ、無用な露出を控えています。そしてそのずっと前から、ここを複数トレーナー制にしています。次代のこともありますが、いろんなトレーナーを実際にみて欲しいからです。
そして、多角的にものを吸収することで自分なりの方法をつくらざるをえなくする体制にしました。これは日本人の最大の欠点を補うためにはよい方法だと思います。
複数のトレーナーとのレッスンでは、矛盾が生じます。そこで気づくことがたくさん出てくるでしょう。セカンドオピニオン(この場合は、私やスタッフ)が、そこでの矛盾にあたることが、ヴォイトレで最も大きな課題の解決になるからです。単一のトレーナーについていると、問題として上がってこないのが問題です。それを求めない人もいますが、よく考えて判断してもらえるようにしたいと思っています。
研究所では、あらゆる問題に応えるようにしています。それは総括できるノウハウがあり、私以外の専門家が、内外にいるからです。
それでも、喉そのものの問題は、難しいです。
〇「○○流」と言う自己流と組織の盲点
問題を個々に受け止めず、○○流(自論、考え)で押し通すトレーナーもいます。学問であれば、これは独善に陥りますが、ビジネスや舞台では、それもありです。原理がわからなくても、現場で効果があがればよしとすることもやむなしだからです。商品開発でも、その製品が良いと思う人が買って、いらなければ買わなければよいのです。
ただし、健康を害するものについては慎重であるべきです。喉もそれに準ずるからこそ、セカンド、サードオピニオンを持つことが望まれます。
誰をセカンドにするか、誰が専門家、トレーナーとしてよいのかが、わからないから厄介なのです。医者は痛みを抑え、命を助ける専門家ですが、万能ではありません。整体師も体の専門家ですが、個別の体のなかで喉は内部なので、特別です。そういうところをいくつ回っても、専門家に会っても、包括できないから、回るほど、混乱します。最後には、結局、自己流を疑わず、自信がある人につくことになってしまいがちなのです。
指導を組織的にやっているところはどうでしょう。多くは、皆がボスと同じ考えでしょう。しかし、それなら一人と同じともいえます。
私のところは、それぞれのトレーナーの違いを明確にしつつ、並立させる努力をしています。
研究所のもっとも人気のあるブログ「発声と音声表現のQ&A」、ブログの「研究所の複数トレーナーへの共通Q&A(同問異答)」を見てください。トレーナーのメニュも答えもそれぞれに違います。
〇直観力
何でもあるからよいというのではありませんが、私は、声については、どれが正しいとか間違いとかいうものでないと思っています。
研究所としては、どれだけの方法やメニュ、考え方があるか、そして、どのように世界や日本で行われているのかを明らかにしていく段階と考えます。皆さんは、どの声がよいかなど、今すぐよしあし決めるのでなく、自分にどれだけの声があり、また声の可能性があるかを追求するところからスタートしてください。
もし自分の方法が唯一だとか、誰よりも正しいと思っている人がいたら、それは未熟な証拠です。
他の人と比べないから、そうなります。同じく、あのトレーナーの方法は間違っているとか、だめというのも未熟ということです。
大声トレーニングで効果をあげている人も実在します。全てをだめにするトレーニングなどがあるでしょうか。ある時期は、多くの人は、直観的に喉を鍛えて、劇団や邦楽でも、名人を生み出してきたのです。もっとも学ぶべきことは、直観力といってもよいと思います。
○脱効率化
早く安全に、という効率だけでものをみるのも、未熟なことです。一生かけて、何かをやる世界です。そういうところが認められないで、短期的にみて成果を云々される最近の風潮には、私は大きな疑問を抱いています。
「すぐに効果を出したい」そして1回体験したら、「よかった」と感じる。
昔からすぐに大ファンになる人というのが、たくさんいました。ここに来て、すぐに感激して、すごいと思い込む人もいます。でも2、3年経つと、そう思わなくなる人もいます。
多くは、学び方の浅さです。高いレベルで判断できたというわけではないのです。
1.多くのケースでは目標を失い、モチベートが低くなって、感覚や判断力が鈍り、マンネリ化していく
2.入ったときほど自主トレーニングをしなくなっていく、レッスンの回数が少なくなる
3.頭打ちのレベルに達し、伸び悩んだままである
私がゴルフを習ったら、どこかで陥るであろうような状態のままといったところです。1年目に球が飛ぶようになったから、このコーチはすごいとか、この方法はすばらしいと思うでしょう。それで嬉しくて、2、3年とどんどん、本気になる人もいます。問題はいつもその先です。本質が問われているのです。
〇その日の効果
私は即成的なようにみえるトレーナーのやり方も一理あるとここでも認めています。その日に効果がでるのは嬉しいことです。それをきっかけに、やる気にるからさらに効果がでます。しかし、芸道もビジネスもそれではすみません。どうも日本人は初めに重点をおきすぎています。
トレーナーになっても4、5年で廃業する人はたくさんいます。客がリピートしていかなければ、成りたたないのです。
海外で著名なアーティストを担当するトレーナーに会って、有名人の名前も大して親しくないのにPRに使う人も増えました。
私はそういうところには、慎重です。「そんなに簡単に本当のことはすぐわかるものではない」からです。
拙書を読んでいる人は、すでに私のファンで、評価してくださるにもバイアスがかかっています。本当は10年ですが、最低3年も経たないで言われたことは、お世辞、お愛想と受け止めています。
一方で、長くやれば、必ず本質が学べ、より上達できるなどとも考えないことです。
歌や声は、プロでも、あるところからよくなっていかない人、悪くなってしまう人が多いのです。絶え間ないトレーニングを続けない限り、声もよくならないし、若いときにやったというだけでは、声も維持できません。
私も、いつもゼロからのつもりで、やり直しています。
〇声でみる
みる人がみたら、すぐわかるので、声は厳しい世界です。声でなく、特別の何かをしないとプロの声とわからない、というレベルでは、声でなく、俳優や歌手ということでの専門性に思えます。私は、ヴォイトレは声そのものを変えるものと、捉えています。
トレーナーの面談採用も、今はほとんど推薦です。私は、声でみます。次に演奏力よりも指導力です。これは、ここでもゼロから学んでいってもらいます。
日常性の中にある声や歌は、感覚や体が大きく変わらないと、技術では、本質的に変わりません。変じて器用にみせられるようになるだけです。それもノウハウですが、根本的に変えたければ習慣や環境から変えるのです。
あなたにとって、それは最初、非日常になるのです。そのためにレッスンがあり、レッスンからトレーニングで身につけていくのです。
ゆとり世代からは、褒められ、プライドを満たされないと、続けられない人が多くなりました。芸事もビジネス化が進み、よい人材が育ちにくくなりました。
邦楽界に残る縦社会をみると、昔は当たり前のことが、少しずつ消えつつあることが伺えます。これでは昔の人に勝てないのです。半年ほど休んでも、毎月月謝を払い続けるような邦楽にみられる日本の伝統芸の考えは、崩れつつあります。
○理論のミス
体、心の研究と表現の研究、この二極をやりましょう。その間、喉については一時保留すべきだと思います。喉の説明がなくても声の表現ができます。
私は、この分野で恐らくは世界最高レベルの専門家や医師に会ってきました。その上で、学者の研究や器材に一方的に依存せず、これまで通りトレーナーの直観でやることを勧められます。そこで声紋分析や医療のセンサーなどを導入しても、まだ一部の使用にとどめています。
これらを使うと面白いし、見栄えがするのは確かです。PR、客寄せにはなるでしょう。でも本以上に勘違いさせる可能性があります。声の原理の可能性は追求していくとしても、限界を踏まえなくてはなりません。ゲームや占いとしては、声の分析は面白いのですが、その先は慎重であるべきです。
科学や医学が権威づけにつかわれるのは、いつの時代も同じです。多くの本は、出た時点で、すでに古くなってしまいます。すでに誤った説になっている例も多いのです。巷で売れた本にはファンがつきやすく盲信しがちです。
私も彼らと同じミスを犯しました。私の考えでなく、引用において、後に学会などで否定されたことを、その人の名とともに引用したことがあります。学術的な図版や用語、定義、理論は本に引用せざるをえず、こういう間違いが起きてしまうのですが、できるだけ使うことを控えるようにしています。
とはいえ、その引用でトレーニングを間違え、効果を損なうようなことはありません。拙書「声のしくみ」ヤマハミュージックは、声の知識をまとめたものです。引用元の本も読みましょう。
間違いをあげていくと、経営の本、投資の本、健康の本などは、ほとんど世の中に出せなくなります。ですから、皆さんにも短期でなく、長期でものを見るようにしてほしいのです。
○ダブルスクール
研究所が続いているのは、変化し革新し続けているからです。矛盾やクレームも踏まえ、変え続けていなければ、なくなっているでしょう。
PRに安易にプロや有名人などの名を出さないから、そういう人も安心していらっしゃいます。目立たないのはよいことです。多くの人とじっくりと長くやることで、少しずつ信頼が築かれていくのです。
PRは必要ないのですが、迷う人もいるので、どんな分野でどういう関わりの人がいるのかは、出すようにしています。
他のところへ学びに行ってはいけない、などという劇団やプロダクションが日本にはあるので、個人情報に関連することは、伏せています。スクールや養成所には、他に学びに行くなら、契約破棄を定めているところさえあります。
ここはプロデュースをメインとしていないから、教えたから、育てたからと、その権利を主張することもありません。どこに対しても中立の立場をとっています。
声優や俳優のほとんどはプロダクションに所属しています。養成所などに行っている人が、声のことを専ら学びにきています。ダブルスクール、トリプルスクールのような利用も多いです。音大生や専門学校の学生のように、毎日のように来る人もいます。
〇考え方、使い方、引き出し方
私は一人の師やトレーナーにしかついてはいけない、という日本らしいシステムには異議を唱えています。プロダクションがお金を出すなら別ですが、本人が自腹で勉強したいというのでしたら、誰でも受け入れています(他の理由があれば、その都度、考えます)。
私は最初いくつものレコード会社、プロダクションと仕事をしていました。そのうち専属を求められたため、やめた経緯もあるからです。
デビューはさせても、その後の仕事がない、レッスン料目当てのやり方とわかっていてもやめられない。囲い込みの是非も論じられますが、本人が実力をつけなくてはどこにいっても同じことです。
相手に応じて必要な情報を出すにとどめています。
一人ひとりそれぞれがよかれと思って生きています。うまくいかなかったり、間違ったりして学んでいくのが人間で、人生です。努力しだいで結果が出てくるのです。
私は他の人のやり方は否定しません。クレームがきたら、問題の提起として役立てるようにはしています。しかし、やるべきことがありすぎて、匿名には構ってもいられない。ひまな人は欠点をあげつらうことしかしない。人生をそんなことに使えないのです(他人の悪口というのも何もしないより前向きかもとは思いますが、その時間を自分のために使うことがずっとよいでしょう)。
研究所も私もここのトレーナーも引出しはいっぱいあります。でも、引き出そうとしなければ、表面的なことしかみられません。それを改めていくように学んでいきましょう。
引き出しについては、本や会報やサイトを見てください。
何事であれ、一所懸命やろうとする人は応援しています。
○直観と経験
絶対量について、時間や長い期間、体験を積むのは、それにあたります。それが経験知として体現できたのかわかるのは、そこから何かが身に付いたことが示されてから、です。自転車に乗れるようなコツ、思い切りの勇気、未知の感覚への慣れと調整、具体的には体のバランス、重心コントロール、腕、足での支えです。
芸事なら1、2年ではできません。そして、直観。感性のマップから説明しました。これについては、私の感性と集中力の研究を読んでみてください。
生物として、情報を感受(感知)する、先取る、さらに直観―発想―創造力、この3本柱です。
アーティストを育てるにも、こういうものを天性として見いだし、引き出し、補強しなくてはなりません。
ここでは材料を与えます。材料を使い判断されてやっていくうちに、本人が判断をものにしていくのです。
精神論は、トレーニングに不要というような最近の傾向ですが、おかしなことです。アーティストにするには、コーチは相手の精神をコントロールしていけばよい、体のことは本人が一番知っていく、そのように育てなくてはいけないのです。
○全体と部分
喉は部分、体は全体です。これを最近、喉だけで解決しようという人が少なくありません。医者が声帯や喉頭をいくらみて、診断しても、アーティストは、そのようなこととは全く関係ないところで実践しているのが現実です。個人差もあれば、バラ付きもあります。
診断から発声や歌唱を判断することは、一理はありますが、参考に留めておくべきでしょう。
私も喉や声帯をみてもらいましたが、そのあとに何ら変わりありません。
ですから、多くのトレーナーは、喉を忘れるように指導をしてきたのです。つまり全身の感覚でコントロールすることを覚えていくのです。どちらかというと、質や条件の欠けている人が、喉という部分にこだわるので、ますます、力が入るような症状が出やすいのです。
病的なケースでは外見からの処置で直せることはありますが、それ以上は、どれくらいの効果があるかは、よくわかりません。そのあたりをきちんとふまえていきたいものです。
〇成果の検証
トレーナーのヴォイトレの効果は、検証が難しいものです。他のトレーナーなら、もっと成果が出たか、あまり成果が出なかったか、もっと悪くなっていたかは、簡単に試せるものではないのです。しかし、私はいつもそのことを考えて対しています。
前のトレーナーですぐに成果として出なかったり、一時、悪くなっていたようなことが、次のトレーナーのときに成果として出てくることもあります。どちらの効果かわからない。私は「野村監督のあとに(優勝させてしまう)星野監督効果」と言っています。どちらの貢献度が高いかは一概にいえません。
本人の充実度、満足感と本当の成果は必ずしも一致しません。案外とトレーナーの力でなく、本人が9割の要因をつくっているものです。そのようにしてみると、初歩においては、どのトレーナーでも、あまり差がないともいえるのです。さらに、短期的効果と長期的効果は違います。
受ける人の感性が鈍くなると、トレーナーもサービス業化していくものです。気をつけましょう。
1.笑顔
2.勇気づけのことば
3.専門知識での解説
4.安易な効果の実感、体験(体感)
5.商品のお勧め
こういうものは、概してメンタルへの働きかけでのプラシーボ効果です。一時、よくなりますが、本来の本当の問題から目をそらし、解決を遅らせてしまうことになるのです。
トレーナーの「毎日トレーニングしないとだめ」ということばも、「週に一度ほどでいい」ということばも、同じです。本当にコツコツとやっている人には、何の関係もないのです。
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