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107号

○メンタルからフィジカル、そして

 

 メンタルの問題、心療内科や精神科医につながるようなことについて、フォローすることが増えました。何人かのトレーナーにも基礎的なことを学んでもらいました。私が大学性の頃に学んだことや音楽療法などで知ったことも役立っています。

 そういえば、私が学んだとき、無益だった現象学は、ヴォイトレについて多くの示唆を与えてくれました。心理学も社会学も実在主義など哲学も、上の世代の人とやっていくのに、うまく働いたのかもしれません。

世界を飛び回り、言語、民族、体の相違に突き当たったときに、比較文化論やレヴィ・ストロース、コンラード・ローレンスなど、どこで何が役立つか分からないものです。もっと学んでおけばよかったと思います。これまで思わなかったのですが、今は、そう思うのです。

 

 メンタルやフィジカルについて、パーソナルトレーナーでは優秀な人が出てきて、マスメディアが取り上げるようになってきました。

斉藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」のヒットの頃、身体論が見直され、音読メソッドから、川島氏に代表される脳トレ、甲野善紀氏の古武術などの、流れの延長上に、ヴォイトレの一部ものってきたように思われます。

 ヴォイトレ、声への関心も高まり、新しいトレーナー、トレーニング法がたくさん出てきました。私も音楽の分野から、役者、声優などを経て、一般の分野に引きこまれ、これまでと違う人たちと出会うことになりました。健康としての体への関心が高まって、「TARZAN」のような雑誌が売れ行きを伸ばしています。腹をへこますとか、体幹、インナーマッスルとかで、科学的、生理学的なトレーニング法が出てきたのです。美容や老化防止(アンチエイジング)に結びついて、老若男女問わずブームとなり、いろんな機器や小道具も登場しました。

 ヴォイトレも少なからず影響を受けています。オリンピックを目指して奔走したスポーツ科学に比べると恥ずかしいばかりの程度ですが。

 

○一般化による退行

 

 芸に関わらず専門分野の一般化は、メンタルやフィジカルで選抜されていた優等生ばかりだったところに、そうでない人が入ってくることに伴い、様々な問題となって現れてきます。専門家の方法が通用しにくくなり、混乱してきます。目標と必要性、意欲についても異なるので、当然のことです。

 頭で考える人を神秘と科学で虜にしたオウム真理教のようなことにもなりかねないのです。私は宗教を否定しているのではありません。宗教なしに音楽のあるのが不思議なのが、一般的な社会です。

 声は体から出ますから、声を使う人、歌手や役者は、肉体芸術家、肉体労働者です。体が楽器です。楽器の演奏者ですが、楽器が内在化し、身体の中に入っているので大きく違います。体と心とを一緒に手入れします。

 歌い手や役者は、感性の豊かなアーティストでありつつ、ハイレベルな身体能力を持つアスリートです(「感性について」は、私のサイトでの研究をお読みください)。

 

〇理解とトレーニング

 

 ヴォイトレは発声も呼吸(法)や聴力など、身体と習得していくものです。体への理解と、体の発達にトレーニングを必要にします。それを頭で考え、やろうとする人が増えたことが問題です。

喉の仕組みを知って、正しく使うことが、前提という考えを持っている人が多くなったことに、ショックを受けていす。

1/10の1/10で、「100人に1人くらいは、それが必要」と述べました。本当は1パーセントの人も必要としないことです。ざっとみると2人に1人くらいは、私の読者でさえ(いや読者ゆえ)正しいことを勉強しようとしているのです。

 

たとえば今はトレーナーが否定している、昔ながらの大声トレーニングがあります。役者出身のトレーナーには、続けている人もいます。そこで成果の出ている人がいるのも否定できないのです。

 合理的な方法をとれば、より早く、より良くなると、科学的なことに「絶対だ」と考える人が多いのですが、何ら確かなことではありません。ただし、喉を痛めてまで練習している人には、自分だけで行う練習を、全否定しないまでも、お勧めしていません。 

 

〇選択問題

 

 楽に少ない練習で、すぐに50の出来になるのと、時間をかけてたくさんの大変な練習で60の出来になるのと、どちらをとるかというときに、昔の人は後者を、若い人は前者をとるのかもしれません。これが効率というものの正体です。その選択のどちらが正しいとは言いません。仮に設定した選択問題です。                               

                         

 現実には、1か月で50を得る人も、10年で25も得られない人もいる、という世界です。それを確実に12割増しのリターンにしてあげるのがトレーナーの仕事かもしれません。それは早さ、労力、質のどれでしょうか。私は質にこだわりたいですが。

この背景には、マイクを含めて音響技術の発達があるのです。アカペラ、マイクなしの勝負なら、607080しか通じないのではっきりします。そこを基礎とするのか、余力とするのか、余分、無駄とするのかは、考え方によるのです。少なくとも、私は、選べるところまでみせたいと考えています。

 

〇絶対量の累計経験

 

 人より優れるためには、誰よりも練習しなくてはいけないというのは、馬鹿正直な考えです。そこから抜け切らない人も少なくなりました。

声について、私は日本で一番とはいえませんが、ある時期、これほどやる人はいない、と思えるところまでやりました。

 歌については、私は声の100分の1もやってないのですから、小さい頃から歌っている人に敵わないのです。ヴォイスの専門家は、プロの歌手ではないのです。

量が質をもたらすことを私は体験から熟知しています。アテネオリンピックの800メートルで、ゴールの200メートル前からダッシュして抜いて金メダルを手にしたのが、水泳の柴田亜依選手です。毎日5時間18キロ、他のオリンピック選手の1.5倍練習したといいます。因みに、私の体形は、10代の2年間の水泳で逆三角形に変わりました。どんな知識があろうと、毎日の体での積み重ねがないと、変わらないのです。

 

〇人と違うレベルの声

 

 大声トレーニングで教えているベテランの役者に、プロの役者とやっている人に、トレーナーが「方法が間違っている」とか、「科学的な理論と違う」と言うとしたら、「ちょっと待て」です。

 練習をして、自分の声を、人が一声聞いて、鍛えられている、人と違うレベルだ、信用できると思われるだけのものにしておくことです。

 私も後進のトレーナーを育てている立場です。いつもこういう点について、頭で勘違いしないように、伝える努力をしています。読んだあと、頭を外して身に付けていただければ嬉しいです。

 

○知識と実践

 

 生理学や運動学は学んできましたが、現場では、私はそれを机上のQ&Aとして、知っていても使わない、使えないものとして、封印しています。研究所には、人体の骨格や喉などのパーツの模型が、いくつも揃っていて、まるで病院か理科室のようです。しかし、私は、それでしか説明できない質問のない限り使いません。権威づけには効果的ですが、レッスンの本道とは関係ないからです。トレーナーが知識も知っているのは、よいことです。ただ、使い方、使うときを誤らないことです。

 

 「喉で声を出すな」の世界で、「喉からどのように声が出ているか」を教えるのは矛盾しています。知ることはよいことですが、知っていることで囚われていませんか。忘れられたらいいのですが、最近は、知らないとうまく出せない、知るとうまく出せるような、トリックが幅をきかせているように感じます。

 レッスンを受ける人も説明されると学んだ気になり、得した気になります。科学的とか、理論というのは、よい売り物になるのです。でも、ピアノを弾きたい人が、調律師やメーカーにピアノの仕組みを教えてもらうことは、レッスンと関係ありません。貴重なレッスン時間では、もっと優先すること、時間をかけることがあるのです。

 

〇正確さを求めるな~ホムンクルスの図

 

 体のマッピングを正確に知ることが、絶対条件のように説かれることが多くなりました。自分の体ですし、まして、それを楽器として声を出すのですから、知ることも学ぶことも、教わることもよいです。ただし実演家として、最も大切なのは、正確な体のマッピングではありません。イメージをして最もよく発声できるようなマッピングが必要なのです。

 ホムンクルス(体性感覚)の図を見たことがありますか。それは感覚器のところが大きく描かれています。本来の人の実際とは、かけ離れています。イメージとしての図としては、その方が近いのです。もちろん、発声のイメージとして、よい図ではありません。

 

〇イメージの共有

 

 私はレッスンでよくイメージの図を描きます。体や頭、顔、喉、メロディ、リズムなども、二次元の世界でイメージとして伝えようとします。最初はわからなくても、だんだんと私が何を言いたいのかがわかってくるようになってきます。

 トレーナーと本人との間に共有できたイメージが全てともいえます。それを引き出すのにインデックスをつけたイメージのことば「キーワード」が、レッスンの要なのです。それは二者間でのクローズの世界ですが、私は、他のトレーナーや人にも伝わるようにオープンにしようと考えてきました。

 スポーツより難しいと思います。目でなくて耳の力に負うからです。耳の力を目で補うために、コンピュータでの音声の解析は、発達しましたが、同じ理由で限界があります。

 

○身体知

 

 身体知の話です。私が量のことを言ったのは、根性や精神力や忍耐のこととは違います。かつて芝居の修行などはそういう中で磨かれていったと思います。しかし、私は心地よくさせることでの声の習得を目的としています。楽にというか、楽しく取り組んでもらいたいと思っています。でも日本では、楽しく取り組むのでなく、楽しくしていれば身につくような、大きな勘違いがありますね。

 

 身体に身についたものは、身体そのものの差やメカニズムのように思われますが、大半は脳によるもの、つまり、脳を進化させてこそ、可能になることです。それを最初に知っておきましょう。

 筋トレや柔軟をいくらやっても、やらないよりはよいのですが、そのままでは、スポーツ選手や楽器のプレイヤー、歌手にはなれません。

 記憶術をいくら覚えても、それで英単語を覚えられたのとは違うということです。テストでよい成績を取りたければ、テストの勉強をたくさんする。運動会の100メートル走で1位になりたければ、早く走れる本を読むよりも、瞬足というシューズを買う、いえ、走る練習をたくさんするということです。

 

〇脳の働き~シンプル、エコに

 

 プロの条件の目安について、私の体験でもあり、一般的に言われていることです。発声と違うのですが、ピアニストの指、これは常人離れして強いと思いますか。実はアマチュアと差がないそうです、つまり指のタッチの筋肉系を鍛えても、空手などではよいのでしょうが、ピアニストには、さして関係ないのです。

脳の働きが違うということです。それがどう働くかというと、神経細胞などは、ど下手な私などが弾くと、めちゃめちゃに働き、プロの一流は、いつも通り変わらないそうです。

 これはスポーツでならわかるでしょう。水泳で素人が選手と競泳すると、素人の方が速くたくさん腕や足をバタつかせて力も入ります。プロはひとかきでスーイと伸び進みます。すでにしてシンプルに最も効果的に働くように、プログラムされているのです。

 あなたが初見で歌うと、つっかかる曲も、100回練習したら、楽に声が出るでしょう。シンプル、エコに、それで余力をもってプレイしなくては、人を感動させられません。

 つまり、専門化(スペシャリスト化)、職人化が行われているのです。いくら、喉や発声器官のあり方やメカニズム、個々の動きや状態のよし悪しなど、部分的にこだわったところで、一般的に、一、二割よくなるだけで大して効果ないのです。

 

○喉でなく脳の違い

 

 調律が必要な楽器は、狂いがあれば、うまく演奏できません。声は声帯がうまくくっつかない―ポリープや声帯結節など、どうしようもないのは、休ませて回復を待つか、手術などで元の音を出るようにしないと難しいでしょう。

 喉については複雑です。医者が処置をした方がいいケースもあります。しかし、発声に対しては、個人差もあり、喉で調整するよりは、体全体から発声において調整していくことが、何よりも大切です。

 

 ヴォイストレーナーが、発声のメカニズムを知っていても「喉頭のなかの声帯をこのように閉めなさい」と言わないのはどうしてでしょう。

なかには喉を閉めることを教えるトレーナーもいて、私はそれを否定するのではありません。外国人トレーナーにもいます。

 問題は、発声を体との関係で覚えて、発声、歌唱に有利な変化をしていっているかということです。

 注意することは、一人ひとりの喉が違うために、この変化について絶対無比に正しいプロセスはないことです。細かくみるのなら、一人ひとり違ってくるのです(これについては、以下に再録する「ロマのバイオリンの話」を参考にしてください)

「表現やオリジナリティを踏まえて述べるなら、私はロマのバイオリニスト、あるいはインドのカースト制度下で音楽を生業としていた人たちの演奏を思い出します。楽器は、ボロボロの寄木のようなものから本人自身がつくります。手製でも、その耳とそれぞれの楽器に合わせた調整や、それを活かす演奏がプロフェッショナルなのです。楽器を半分つくり変えるほどの調整もしてしまうのです。[中略]私はあなたに、ここに述べたロマのすぐれた演奏家を目指して欲しいのです。自分のがどんな楽器であれ、それを疑わず自分流に最大限に活かせる工夫をして、最高に使い切るつもりでトレーニングにのぞんで欲しいのです」

 

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〇小脳で司る~筋肉の発達

 

自製の楽器の形状に合わせ、弓も弾き方も工夫していくのです。それは、感覚→身体→楽器の順であり、楽器だけの完成度を単体として問うメーカーの基準のようなものではないのです。

 

 考えてみれば当たり前のことです。ピアニストの指は、相手を倒したり、重いものを持つものためでなく、ピアノを弾くために進化させたものです。それに関わる筋肉の違いではなく、脳の細胞や指の神経細胞の働きによるところが大きいのです。

 これはスポーツでは、常識です。体の運動を扱うのは小脳です。

 ゆる体操の開発者の高岡英夫氏の監修しているサッカーのマンガでは、「大脳はテクニックを担っていて、フロントキックを蹴るプロセスを大脳が筋肉に命令する一方で、このテクニックが、スムーズに繰り広げられるかは小脳の働きにかかっていて、その時、筋肉は何も考えず、何も覚えていない[中略]筋肉は使うことで発達するが、筋肉の付く場所、形、量が違ってくる」とあります。

サッカー選手でも、軸がなく、背骨が屈曲し、固まり、大腿直筋が発達してしまう人と、軸があって背骨がゆるんで真っ直ぐ腸腰筋が発達する人とは、大きく違うといっています。この場合、サッカーということで、サッカー選手として問われることも違うと思いますが…。

 声はいろんな使われ方をするので、このあたりは、声―スポーツ、一流のオペラ歌手―サッカーのように大きく分けてみるしかありません。浪曲、詩吟―相撲のようになるのかもしれません。

  練習によって、筋肉を変える、筋肉の状態を変えるというよりも、脳を変えるということが大切になります。長期にわたり、本格的に一流を目指すのか、短期にあるレベルに楽に達するのかによっても違うでしょう。

 小さな子供ほど、早期学習、かつ連続学習の効果が高いのは、こういうことから頷けるでしょう。音楽にも脳の形成の時期における変容ということで、臨界期に近いことがあると察せられます。私たちは10歳には戻れませんから、現実問題、これからの練習について考えていくことになります。

 

○イヤートレーニング~ヘッシェル回

 

 「楽器の練習や人の歌を聴くと、喉が疲れるから発声の練習は先にするように」と私は教わりました。確かにそのとおりで、イメージは声帯に働きかけ、歌っていなくても疲れることがあります。発声をしなくても歌いやすい状態にセッティングされるともいえます。

 歌うことをイメージするトレーニングは、脳の神経細胞を動かしますから、これも有効でしょう。このあたりは、スポーツでのイメージトレーニング(ボクシングのシャドーボクシングなど)で同じことをしています。

たくさんの曲を聴いているだけで歌がうまくなったり、発声がよくなるということです。

そこで、私は「読むだけで声と歌がよくなる本」にはたくさんの曲を紹介して、聞くだけでも根本から学べるようにしているのです。

 ピアニストは、ピアノの音を聞くと、指の神経細胞が動いているそうです。

量が質に転じると、ミスを予見して目立たないようにしたり、タッチに音色の違いを出したりできるようになります。弾いて出すより、聞いて修正するのです。つまり、聴覚野「ヘッシェル回(横側頭回)」の神経細胞の働きがプロなのです。

 耳のよさは

1.幼いころからずっとやっている人。

2.幼いころだけやって、大人になってやりだした人。

3.大人になってやった人。

4.大人になってやっていない人。

と、この順で鈍いのです。大人になってからでもやれば、幼いころの経験がなくても、よくなるということを知っておくと、自信になるでしょう(失音感楽症や自閉症の人など、ここでもいろいろ難しいことがありました)。

 

○早くより、しっかり

 

 喉に限りませんが、体、筋肉を固めると、同じように動かしやすくなります。そのため、初心者やアマチュアではまじめな人ほど正確さを狙って固めがちになるのです。トレーナーにも、それにこだわるまじめな人が多いです。

それに対して、プロは最大限、無駄をなくし、流れの中で効率的に扱うすべを身につけています(これには重力や反動などもあります)。

 早く正しくできるように急ぐのと、しっかりと身につけることがイコールでないことに留意してください。ただし、プロセスでの必要悪としてレッスンやトレーニングでは、固めるプロセスをとり入れざるをえないことが多いのです。ただ、それを自覚しているトレーナーが多くないことが問題です。

 遊びや、ゆるみ、しなりは必要です。頭をからっぽにし、遊びながらの練習がいいのです。笑いながら、アホな顔してやれば、力は入りません。

 これらは多くのレッスンと反することですが、イメージトレーニングで大切なのは、全力でやるのと、自分のフォームのあるべき姿は、大体において、違うということです。野球でも投球の軌道で打つのは違ってくるでしょう。目的によっても、鍛えられること、つく力も違うということなのです。

 「他のトレーナーのトレーニングをすぐに否定するな」というのは、初めての人には分からないことです。そのトレーナーもわかっていないことがあります。

 私はいつも間に入って説明しているので、誰よりもわかってきました。

 

欠点を洗い出すレッスンと、欠点をカバーする本番は真逆です。あなたのレッスンは、欠点をカバーすることしか教えられていないのではありませんか。毎日どんどんよくなっていくからよい、と思っていませんか。ミスしないということや高い声を出せるようにということと、効率のよい自然な発声は、異なることが多いです。

 そういう目的の一つから入ることは否定しません。プロセスとしては、無理しない範囲で、一つのことにこだわらず、大きな目的に格上げできたらよいのですが。

 

〇複数のトレーナーを使う

 

 私のところは、他のトレーナーについている人も受け入れています。ここのトレーナーの違いの幅よりも、巷のトレーナーとの違いは少ないとさえ思うのです。

大切なのは、違いよりも深さです。トレーナーの方法を否定するのではなく、位置づけを見直し、そのトレーニングの活かせるところを活かし、補うようにしていきます。

本人は、ここでゼロからやり直したいということが多いのです。そこは求める程度、深さの違いだと思います。

 

 複数のトレーナーがつくと必ずそのうち誰か一人が、相対的に合っていると思うものです。他のトレーナーはそのトレーナーほどではないと思いがちです。

その人の判断力は尊重したいのですが、その判断力の結果が、その人の今の声や歌の問題ということもあるのです。ですから、一時、問題と判断を保留することです。将来の器が大きくなるようにトレーナー選んで、できたら複数つけておくのがよいと思うのです。

多くの場合、トレーナーを否定できる根拠は、それほどないです。プロセスを経て、自分に本当にふさわしいトレーナーにつけばよいのです。

そこまでは自らがバージョンアップして、声や判断力を高めることが重要です。その時に、自分とは異なるトレーナーの判断の仕方に学ぶ方がずっと大きいのです。

 安心できたり、わかりやすいトレーナーは、あなたと同じレベルで判断しているに過ぎないのです。やりやすいということは、12割伸びたら、終わりというパターンです。

 どのトレーナーにも素直に対してみることが、大切なことだと思います。わからなくなったら、それもよいことです。私に聞いてください。

 

○フォームを身につける

 

 私が水泳のときに感じたことを述べます。あるとき、緩めること―力の逃がし方、リカバリー、クッション、流れにのる、妨げないというのがつながりました。最初はばらばらの動きが、つながった瞬間、体が水に乗るのがわかりました。それをコツ、タイミングというのです。

いくら本で読んでも体(腕や足)をもって実際に動かさないと、身につかないものです。独学でフォームが身につけられる人は、一割もいないと思います。

それはフォームができるのに筋力や関節の柔軟などの準備がいるからです。その上で、イメージ―全体、流れが感じられるほど脱力できることが必要です。それを支えるためには、体力、筋力が整うのと、それを合理的に使うのとの矛盾を昇華しないとなりません。支えられないと、正しいフォームにならないのです。

 体と一つになること、そのイメージは、そう簡単につかめるものではありません。

バスケットのシュートで「膝からシュート」と教わるのは、まさにそういうことです。腕の操作を気にしていては、全体は一つになりようがないです。

 プロとアマチュアの違いは、全体を使うか、部分を使うかともいえます。部分を使うと疲れが早くきます。正確さにも欠けます。しかし、固めやすいので、早く習得しようとするとそうなりがちです。

 これは初心者のテニスと同じです。手先ばかり動き、器用にラケットにあてて返しても、勝つことは、できません。素振りでフォームを体で覚えていないからです。部分的に固めて打つのをやめ、腰中心にフォームで打つことを強制されて、矯正されるのです。それを覚えたら、最初は大変でも、よりパワフルになります。完全な正確さも求められると必ずそうなります。手先のスマッシュでは持続は不可能だからです。

 

発声も同じでしょう。私は、腰から声を出していますから8時間声を出しても影響ありません。それだけでも聞きにいらしてはいかがでしょう。

 

〇トレーニングで可能なこと

 

体で声を出すことがわからなくても、イメージとして入るところからスタートです。

 息も同じです。息吐き競争にいらしてください。

オペラ歌手の一流の人は、誰にも負けないでしょう。

非日常でのトレーニングによって日常を非日常にし、非日常を日常にしたからです。

ここまではトレーニング次第で可能です。というより、トレーニングはトレーニングで可能なことを得るために行うものです。新しく鍛えて強化して、身体、喉、声を獲得することです。

 スポーツ選手やプレイヤーと同じく、声に関しても、優れている人を見たら、レベルがわからなくても、優れていくことはわかるものです。人間の素晴らしいところだと思います。

そうでないのは、頭でっかちな人や、中途半端にそれをかじった人です。そういう人は、素直にみられず、素人でもわかることさえ否定します。妬み、嫉み、やっかみのこともありますが、中途半端にやっていると偏ってしまうのです。やり出して23年くらいの人やトレーナーに多いのです。私もそういうときがあったのでよくわかります。それを改めて、超えなくては、人に通じるところへ達しません。

 頑張って身につけて、抜け出してください。山に登り始めると、山の形が見えなくなっていきます。山の形は見えませんね。上達すると声も消えてしまうものです。ですからシェルパーならぬ、トレーナーを利用するのです。無心となり、景色がよい、そのくらいに自然にありたいものですね。

 

○トレーニングの考え方とメニュ

 

1.自然のプロセスを妨げない

2.無用のことをできるだけやらない

トレーニングは、意図的に何かを

1.より早くか

2.より高いレベルに

叶えようとするものです。ですから、普段の生活でも

1.声を出し(息や体を使い)

2.ことばをしゃべり(発音、調音、声量)

3.歌を歌って(声域、共鳴)

なじみのあるものとしておくことです。オペラになると

1.より深く響く声に

2.外国語で

3.アリアを歌う

3つとも、日常とは異なる訳です。これを違うと捉えるか、延長上と捉えるかですが、非日常ゆえに、トレーニングになります。

ヴォイトレの位置づけについては、特別のものか、日常のものかは定まっていません。

1.声のキャッチ、確実に声にする

2.息を流す つなげる レガート(ロングトーン)

このフレーズに、音色の変化、表現づけ(タッチ、ニュアンス)をするのです。

テンポ、声量、ピッチのゆるぎ、クレッシェンド、呼吸、ブレス回数、体のゆれにも注意しましょう。

ある研究者によると、ピアノの実力をキープするには、毎日3時間45分以上、練習がいるそうです。声の実力には?

 

○基礎の3ステップ

 

やればできるというなら、やらないでできていないものを目的とすることでしょう。スポーツのトレーニングの研究をすると、基礎といっても、いくつかに分けられます。スポーツでは、一般的に

1.基礎の基礎―柔軟(調整)

2.基礎―体力作り、ランニング(強化)

3.基礎の応用―特別なプレイへの動き(調整)、もしくは、そのための特殊なトレーニング(強化)

一概に基礎といってもこの3つがあります。2までは、腹筋や腕立て伏せなど、どのスポーツでも同じようなものです。3では種目において異なることです。

バスケットでは3は、ピボット(急に向きを変える)や、カニさん歩き、腰をかがめ、重心を低くして手を上げ、横に歩く=ディフェンスの基礎、

この上に、ボールプレイの

4.応用の基礎―ドリブル、シュート

5.応用―1on111

6.応用の応用―3on35on5

そして、本番は、10分の4クォーター(ピリオド)です。

 

10のランク

 

 実践形式のトレーニングを分けるとしたら、10くらいのランクがあるのです。

 2までは誰でもやればよい日常の延線上にあるものです。3から先は、プレイで必要とされることによって専門特化していくのです。バスケット特有の動き、トレーニングを、テニスや水泳の選手がやっても仕方ないでしょう。3からが、プレイには不可欠なものなのです。

 カール・ルイスは、100メートル、200メートル競走と、走り幅跳びを兼ねました。高跳びやハードルはやりません。これは3から先のトレーニングが矛盾するからです。つまり、速く走るための理想の体と、高く跳ぶための理想の体が違うのです。ストレートにいうと使う筋肉が違うのです。高く跳ぶ筋肉は、早く走る筋肉と矛盾してしまうのです。

 これを声や歌に置き換えると、どのようになるかを、私は課題としてきました。高い声と低い声、細い声と太い声。声域と声量、どこまで両立し、どこで矛盾するのかは、簡単に述べられることではありません。スポーツ以上に個人差があるのです。ヴォイトレにおける3とは、いや410とは何なのでしょうか。私がよく使う声の基本表を掲げておきますので、考えてみてください。

 

<基礎>

1.体

2.息、発声

3.共鳴

<応用>

4.発声、ことば、フレーズ感

5.リズム感。温感

6.構成、展開

<本番>

7.キャラクター

8.状況対応力

9.オリジナリティ、世界観

10.オーラ、人格、人間力

 

○思い込みという信頼感or依存心のチェック

 

次のようなことについて、どう思いますか。

・医者やトレーナーは万能である。体(病気、治療)や声のことは何でも分かる。

・医者やトレーナーは自分に合わせてくれる。合わせられる。

・レッスンやトレーニングをしないとよくならない。

・メニュや方法がないと不安である。上達にはアドバイスが絶対に必要。

・独自のメニュの方がよくなる。

・よくチェックするのがよいトレーナーだ。

・質問をしても意味がない。

・いつも、自分に最も良い方法でやっていると思う。

・有名な人ほど実績がある。

・プロデューサーやレコード会社は、未知の才能を発掘する。

・スタジオや設備が充実しているところがよい。

・マスコミによく出る人はすごい。資格を持ったり、学会、他、加入している人、海外などに有名な人に学んだり、習ったりしている人はすごい。

 これらについて考えてみてください。

 

〇メンタルが何割か

 

 私の親しくしている専門家は、声については、メンタルの問題が9割といいます。

・少し具合が悪いとすぐ専門家や医者のところに行く。結構なお金を払い、その分、効果があるように思う。

・長時間のレッスンの疲労感に実感を得る、コミュニケーションにおいて充実感や満足感を得る。

  喉の状態が悪いために、そういうところへ行ってよくなる例は1/10×1/101001つです。しかし、行くのは悪いことではありません。そこで

 ・原因を教えてもらい、自分なりによい状態をつかむ。

 ・専門家と話すことで、安心する。

 ・信頼することで、将来への自信を取り戻す。

これは、メンタル面での効果です。大切なことですが、長い時間軸でみると、自分のもつ条件は変わっていないのです。つまり、現実には状態がぶれているだけのことです。それがトレーニングというのなら、幻想に近いでしょう。ヴォイトレが本当に効果をあげるのかが、各界の第一人者に未だ認められているといいがたい状況は、このあたりに原因があるのです。

 

 これは日本人の病院好きと似ていると思います。どこかしら悪いところをみつけにいく、病院で病名をもらいに行く。それがおすみつき、安心なのです。風邪で病院に行くのは日本人くらいです。その薬を貰わないと安心できなくて、眠れない。これでは自ら、病気になりにいくと言えます。

 

「原因がわかれば何とかなる」などというのは、科学の与えた幻想にすきません。

声についても、ほぼ推測、仮説での試行です。それでは心もとないから、「あなたは○○ですから○○をすればよくなります」というフォーマットでトレーナーは対応してしまうのです。いらっしゃる人から、そういう役割を求められてしまうからです。

 方法やメニュを与えても大した効果はありません。望みが高くないから、どんな方法やメニュでもそれなりになってしまうのでしょう。よくなったと思い込みたいので、よいところをみて、そのように思い込んでしまっているのです。

よいレッスンは、気づきのための基準と補うための材料を与えることです。方法やメニュは、それを使えばすぐに解決しそうと、すぐに解決しようとする方向で使われやすいために、害になりかねないのです。

 

○無知の知

 

 トレーナーは、いろんな経験から、いろいろ学んでいますが、いくら学んでもわからないことはたくさんあるものです。わかっていることなどほとんどないのかもしれません。しかし、不安に思わせては、いらっしゃる人にあらぬ心配をさせ、効果もでにくくなるので、ニコニコと完璧なふりを装って対応します。

 何もわからないのでは困りますが、何がわかっていて、何がわからないかを知っていることが大切です。トレーニングするにあたって、私はできるだけそれを提示するようにしています。一般の人の最高の集中力で5分、それを何とか20分に引き伸ばして、30分弱というところではないでしょうか。

 レッスンの時間も長いほどよいのではありません。

 

〇チェックとは

 

 柔軟や声のチェックは、トレーニングではありません。声の使い方のアドバイスも、状態をよくすることと、将来の可能性の把握のために使うものです。

 本格的なトレーニングを集中して行うと、バランスを失うなどのデメリットも出てきます。どこかに副作用を想定して対処することを考えてアドバイスしているのです。

 

 私のところでも、トレーナーの見立てが異なるとき、トレーナーの個性で偏らないようにと、客観視することを務めてきました。必ず複数のトレーナーでチェックしているのです。

 チェックは、何がわかるかでなく、わからないものについて行うことが大切です。チェックは、事態をよくするためにあるのです。ですから、チェックそのものよりも、そこからどうするかが問題です。

 本人や周りが納得できるようにしたいのですが、納得したものが、本当によくなるとは限りません。

 いつも「自分の声について、他人任せにするな」と言っています。体も、生き方も、価値観も、目的も一人ひとり違い、それを伴うのです。まずは、あなた自分自身の目的を明確につかみ、示していくことです。

 

○現場のデータの蓄積と分析

 

 私が自ら声について行ってきたことをとりあげつつも、体験談など生徒自身の声を提示しているのは、それが現場だからです。こうしたことは、頭だけで考えられるものではありません。研究所であらゆる仮説を試行し、試行錯誤を通して完成に近づけようとしているのです。うまくいかないことも、ミスも当然ありうるのです。要はそれを放置してきたのか、修正しつづけてきたのか、ということです。その違いをみてほしいのです。

 

1.トレーナーの考え、理解、方法、メニュ

2.自分の考え

1と2は対立してもかまいません。いずれ自分のものとしていくというなら、トレーナーへ依存している比重を少しずつ自分に移していくことです。

 定義、基準、資格のない分野ですから、トレーナー本人のPRや肩書をうのみにしないことです。たとえ、学会でも、会費で所属できるところが大半です。あなたも入れるでしょう。その人がそこで、どれだけ活躍しているかをみてください。

 

○トレーナーを先生としない

 

 トレーニングは常に、形から入り、形をとり、(固定する)その形を取る(解決する)。そして、また123…と繰り返すのです。

 私たちもエビデンス(証拠、論拠)を求められることがあります。提示できることもあれば、できないこともあります。ハッタリも、プラシーボ効果として必要なときもあります。科学や道具を使っても、何にもならないことが多いのです。

 トレーナーの示す楽観的な見取り図は、レッスンを引き受けたり、キープするためだけのことも多いのです。どこまであなたを中心に考えているのかは、わからないのです。これはトレーナーに限らずどこでも同じです。

よいレッスンを維持できる環境や条件を求めなくては、トレーナー失格です。リハビリのようなマッサージのレッスンで、あとは何の効果もないことも少なくありません。

 

〇代替のトレーナー体制

 

 私のところにも、他の著名なトレーナーについている人が、

トレーナーが忙しすぎる。 

他の仕事で出張。出演が多い。

留学や休みが多い。

予約が取れない。キャンセルが多い。

などの理由でもいらっしゃいます。優れたトレーナーが実演家であると、教えることに全力をつくせないこともあります。そういうトレーナーの元からも、いらっしゃいます。

私のところでも専属トレーナーとはいえ、舞台があれば、やむなく休むときもあります。トレーナーが病気や事故ということもあるでしょう。その時に、レベルをおとさず代替や振替ができるか、そのトレーナーを引き継げるか、そういうことを考えている体制かを問うてください。

 

○不調の対策

 

 喉の病気といっても、休めて治す、自然治癒がメインです。本人が治すもので、トレーナーや医者は、補助にすぎません。

 薬や飲食物、スプレーなど、道具などを使っても、

1.体の回復(フィジカル)

2.心の回復(メンタル)

3.体力、柔軟、喉の状態の回復

を待つしかありません。

少しずつ、こういう状態から

1.鍛えられ

2.コントロールできるようになり

さらに

1.予知できるようになり

2.対応力もつくようになる

これが大切なのです。

トレーニングは、調子が悪い時も舞台に立つための下支えです。トレーナーはその下の下支えなのです。

 

〇水分のとり方

 

世の中には、声のためにも、喉のためにもいろんな薬やツールが出回っています。アメ、水、嗜好品、加湿器、喉スプレー。そういうものを使う分だけ、あなたは、ひ弱になり育たないことにもなりかねません。

 例えば、発声のための喉の状態をよくすること、声帯に水分はとても大切です。しかし、いつも水を飲んでは発声していたら、ないときは大変ですね。唾液がもっとも良い状態に口内を保ちますから、水で流すのは必ずしもよくないのです。このあたりも人それぞれに違いますが、喉アメなどで整えるのは、お勧めできないのです。

 加湿するのは、喉には良いことですが、本番では乾燥や埃のひどい中でやることの方が多いです。そのあたりも、日頃からあまり甘やかさないのがいいと思います。

 無理して埃だらけの中で歌うような練習をしてはなりません。しかし、ステージの乾燥には慣れなくてはだめでしょう。それに耐えられるくらいのトレーニングも環境は用意すべきです。

 豊かな国のスポーツ選手が、アウエーで弱いのは、環境のためです。睡眠などを含め体調管理について、よほどの経験がなくては崩れてしまうからです。

 

○甘やかさない

 

 好ましいトレーニングのプロセスをまとめておきます。

1.自然に直す

2.自然に直すのを妨げない

3.自然に直すのを妨げていることを排除する

4.自然に直す力の衰弱を補う

自分の心身にそういう力をつけるのが、もっとも望ましいです。

空調も、空気清浄機も、加湿器もなくて、同じことのできる力のある人は本番に強いし、有利です。

人間は文明を発展させ、治療についても飛躍的にさまざまなツールを発展させてきました。ある意味、じっとして治している動物に見習うべきところがあるでしょう。

 

〇プリミティブに

 

1.悪い原因を探り、対処する(調整)

2.欠けているものを補う(補充)

3.強化する(鍛錬)

本来のトレーニングは3にあたります。

 頭で考え、科学的に分析すると12にエネルギーが行くのです。

 日本のサッカーのエリート教育みたいなもので、平均レベルは上がるがスターは生まれない。スターは、教育の前に、自由奔放に、路上サッカーなどで、その強化の時期をふんでいるので、天才となりえるのです。これはアーティストや音声を扱うようなパフォーマンスにも求められるのではないでしょうか。

 本能的に極限状態を求め、大きく器をつくること、それには、もっと野性的であってほしいと思うのです。

トレーナーの過保護、丁寧さ、やさしさ、ほめすぎ、リスクや危険の一方的な防止、禁止と甘やかすだけではなりません。

 規則正しい生活がよいのですが、いつも、そういうトレーナーの制止を、振り切れとも願っているのです。

 多くの人は、大してムチャもやってないのに制止を願っているようです。まるで自主規制です。これでは何万人どころか、何十人の心さえ動かせないではありませんか。そのうちヴォイトレ・ホスピス編を書く破目になりそうです。暴走するアーティストをなんとか制御するのがトレーナーやプロデューサーという関係でありたいと私は思います。

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