105号
○竹内敏晴さんのこと~力☆
「胴間声、馬を追い、田を起こす野良声は、熱く、強く、国を突き抜けて、海の船での人を呼ぶ声は、それを忘れてどれくらいになるのか」と、竹内敏晴さんは述べていました。日本のオペラ歌手をみて、「力がない、輝きがない、ひ弱な優等生の答えだ」と看破しています。「ここに人間がいる。この声を聞け!命の輝きを!イタリアのオペラの声を知った竹内さんの衝撃」それを、私も、また見失ってから久しいといえます。
「表現(呼びかけも含む)の伝達と、私が学生時代に学んだメルロ・ポンティの現象学―それが結びついてこようとは、当時、知る由もありませんでした。『これが自分の声』と、汚くても、しなをつくり身構えたような声を排除してきた、竹内さんの求める声を、多分、私も求め続けています。
マイクによって、人の声は、声と声、体と体のふれあいから失われていきました。「安らぎ、集中し、笑えるところがレッスンの場」と、竹内さんは言っていました。
笑い顔にするとよい声が出るのは、この状態が発声の理にかなっているからです。頭からでなく、体から、表情から動くのです。この生のことばや生の声の力を見習って欲しいのです。
「表現は内的に感じとるのではなく、外に、他者と共有する、この目の前の案内に、くっきりと存在しないものを作り出すこと」と竹内さんはおっしゃっていました。
私が竹内さんに言われたことがあります。「出しやすいところ、出してやすい声から始めようというのは、とてもよいですね」と。私の軸は、ずっとぶれていないと思ったのですが、それは私の軸でなく、地球の軸だったのかもしれません。人類の、人間の軸。私たちが、身近に感じているだけの、私たちの感じていた、確かな感触なのでしょうか。でも、それが失われて久しいと、悲しいかな、締めくくることになるのです。
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○「西洋音楽論」~アフタビートについて
「西洋音楽論」で指揮者、編曲者の森本恭正氏の、西洋音楽はアンダービートという論を読みました。日本人の裏拍は1And、2And…で、Andが強いというもので、クラッシックでも二拍子が強いということです。行進や、信号が赤から青でなく黄色をはさんで変わること、日本のマンガの急な展開、尺八のタンギングのなし、などを例に出されています。日本の楽器は、人のためでなく、自分の瞑想と思索のためにあるとのことです。求められるのは、音色でなく、旋律、ハーモニーでない。Dumb=バカ、しゃべる=饒舌な文化、バロックでの歌(旋律)と伴奏のミスラムの確立。
最後に「君が代」では行進はできない。世界で唯一、ヨーロッパの音階で作られていないから、というのは、私には知りようもないのですが…。ロマン派の狂気を読み取れなくなったら演奏する意味も、エキサイトメントも消えると。
これまでの私のリズムと音階論の裏づけにもなることでした。私は2拍目と言うより、1拍目の前の(つまり4拍目)の準備に、注意して述べました。ハンドルの遊びかもしれません。
私は、日欧のボールつき(ドリブル)で手でついたところでカウントするのと押し込んで引き上げるところでカウントする違いや、引く(のこぎりや柔道)と押す(のこぎりやボクシング)の違いを示しました。
私には、なぜクラッシックの人が気づかないかわからなかったのですが、昔の音大のピアノ科卒のポップスのピアニストなどが、アンダービートを苦手にするような時代は、終わっています。それでも、プロデューサーやアレンジャーなどの歌詞とメロディ本位と、リズム軽視がずっと続いていました。それは母音を中心とする日本人の耳の合わせるためのものだと。私が「ヴォーカルの達人2巻、音程リズム編」で述べたことです。
日本人 母音(共鳴)、メロディ(伸音)、一音(一声)さわり、高低アクセント
欧米人 子音(息)、リズム(グルーブ)、コーラス、ビブラート、強弱アクセント
これらの背景、文化、風土で表現に求められるもの、場も異なります。日本人の欧化政策と、古来の日本の文化や生活様式からの断絶が、この問題を、複雑にしています。
マイクや音響、合成音を駆使するポップスにおいては、簡単に述べられません。だからこそ、私は人間の体や声の元に戻って、アカペラで発声やヴォイトレを考えようと思います。
人間としての体の共通なところ、表現の普遍性、この二極を詰めるのです。そこでものごとを考え、その上で、今の、あなたの保ち続けたスタンスを考える、ということで、確かなものとしたいのです。本当に使える声として身に付けていくために、そこまで考えていくのです。
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○声への自覚
私は、発声に自覚的になるということを求めています。それは、最近の流行のような、喉や口内の仕組みや発声のメカニズムを知ることではありません。全身全霊で、声をどう把握し、どのように表現されるものかを知ること、そして、どう表現にならしめるかということが本題です。
あなたの喉という楽器の状態、調子がよいとか悪いとかは、そこからみると大したことではないのです。より大きな世界を創ろうとすれば、おのずと機能的に無理、無駄が省かれていくのです。
ちょっとした不調や悪条件、悪い状態でいちいち止まっていては、大した進歩もありません。声の力が弱まって、大歌手や、大スターが生まれなくなったのは、科学的な分析や理論や治療のせいかもしれません。プロデューサーやトレーナーが、細かなことばかり言うので、大きな冒険ができなくなったのかもしれません。自主性、自立性の欠如と依存症傾向でしょうか。
それも、本人のせいですが。人間としての幅、器、スケールまでにしか表現もいきつかないのです(「ヴォイストレーナーの選び方」ブログ内「ロマのバイオリンの話」に詳しい)。
フィジカルとメンタルを一流にすることが、声を育てるのに大事なことです。その日の声の調子をよくしたくらいのヴォイトレで、将来の声が変わるなど考えられません。そこに、世界に通じるくらいのものになる実感があるのか、そのもとに持続したトレーニングが、他の誰もついていけないくらいの質を伴って行われているのか、の方が大切です。
〇ひ弱な声から10分の1
よいレッスンもすぐれたトレーナーも、それに勝るものではないのです。竹内敏晴さんのいう「ひ弱な優等生の声」を変えなければ何ともなりません。「ロマン派の狂気」を、甘ったるい差にしか感じていないなら、本物のレベルに追い付くのは無理でしょう。
どのようにスタンスを持つかが、あなたの将来を決めていくのです。ですから、喉の開け方などより、このようなことを私は述べているのです。
具体的なことはトレーナーとのレッスンで充分に行っていますが、本やブログは、勘や感性を磨くのに、そのままでは役立たないとしても、役立てるために行動する、きっかけにはなるからです。私の半生の研究のまとめの本のタイトルは「読むだけで声や歌がよくなる…」になったのです。
ヴォイトレが、あなたに必要なことの10分の1になると言ってきました。すると、こういうアドバイスも10分の1になります。それが10分の1になれば充分です。あとは年月をキャリアに、練習時間を声の能力に、変えていくのです。そのセッティングをみるのが、今の私の最大の役割です。10分の7、8はご自身がやる、これは、どの世界も変わりません。
○優れた歌唱の条件~基準と精選「歌唱ステージ評価表」☆
以前作った「歌唱ステージ評価表」を刷新したので、取り上げます。
歌唱なので、歌手以外関係ないように思われますが、俳優、声優はもちろん、就活から婚活まで使えるものです。直接当てはまらない項目は、○音域別、○音程、○リズム(の一部)、○設定、○展開構成(の一部)、○伴奏との兼ね合い、○ハーモニー感、くらいでしょう。
毎日3~4ステージ、年2回は80人ほどの160曲を1日で聞いていた頃の私が、トレーナーと分担して審査していた表が、元になっていますから、実践的です。
今も私はプロの歌を聴いて、最初の「○準備」から、最後の「○可能性」まで、瞬時に半分くらい、1フレーズで7割くらい、1コーラスで9割以上は、判断しているつもりです。
皆さんも、独自の解釈で構わないので、これを参考に100項目くらいのチェックリストを作ってください。自分のよいところは○、だめなところは×をつけてみてください。他の人をチェックの練習台に使うとよいでしょう。私と基準が違ってもよいです。自分なりに設けた基準、それを精選していくことが大切なのです。
〇異なる解釈と可能性
基礎の力をチェックという切り込みを細かくつけていくことで、気づいていくためのよい勉強になるのです。プロの人は、私よりも歌えるからと、私よりもよい基準も持っているとは限りません。プロの持つ基準を、私ほど根本で把握しているとは限りません。
歌い手特有の現象ともいえますが、プロ中のプロであるほど、他人の長所には気付きにくいものです。
そこで、私は必ず、他の人と異なる視点や解釈を提示します。それを取り入れるのも、参考意見として聞くのも流すのも自由です。
声や歌については、他の人のものは客観視できても、自分のものについてみると、ぶれやすいからです。誰がみても、明らかに、悪くなってきたのを、よくなったと思うようなケースも少なくありません。
私は根拠や判断基準を、できるだけことばにします。ことばは、余程勉強しなければ、使えません。わかるが伝えきれない、すると、レッスンでなくなります。
相手がアマチュアなら、まねして、よい見本と比べさせることも一つのやり方です。これでわからせても実感するのは中々難しいです。実感できるくらいなら、修正できているからです。ほとんどが、間違ったまねになる、間違った実感だから伸びないのです。
判断できていないけれど、よいと思うからとか、それがいくつかあるから、そのなかからベストを決めるというのが、レッスンでは、起こりがちです。本人が判断できないケースでは、どれも高いレベルでは通用しません。
可能性のあるのを示すことなら、よいと思います。選曲できない人と同じですが、耳の力を磨かなければステージでは難しいでしょう。
日本のプロは、案外、くせとワンパターンが売りになる人もいます。しかし、そこで長く多くの人に通用していくには、かなりの研究や研鑽が不可欠です。
〇暗記する長所と短所リスト
歌唱チェックのリストの項目を新たに100出せと言われたら、私は10人くらいの歌唱を聴くだけで出てくると思っています。挑戦してみてください。小見出しはあまり気にしなくてよいです。項目だけ見るとチェックしやすいと思います。
オーディションでは、本人に渡しませんが、トレーナーが評価やコメントを書き、伝えていました。そこで並ぶようなワードです。頭に入れておくと役立つと思います。暗記して、初めてことばというのは作用します。
悪いところを直せというチェックリストではありません。悪いところは長所といわれるくらいに磨きあげ、よいところへ伸ばすことです。たくさんよいところを増やすのでなく、いくつかでよいから認めていきましょう。すると、長所、短所リストがあなたの強みと、無視してよいものリストになっていくでしょう。
〇感じる人
竹内敏晴さんの「人間、この声、命の輝き、衝撃」を、私は「生命力、立体感」と言っています。今のことばで言うと、「リアル、3D」でしょう。あなたがここにいて、その存在感が、オーラを放っているように、その一つの媒介を声として欲しいのです。歌わなくても、声を出せなくても、伝わるならもっとよいでしょう。
私もそのようなレッスンを目指していました。1990年代後半から感じる人が少なくなりました。研究所はそういう人の集うところから、そういう人を育てるところに変わっていきました。他の人のせいではありません。私の限界だったのでしょう。
○多様性のなかでの声
沈黙でも伝わるだけのものがあります。だから声を出したとき、輝くのです。
まずは、声そのものを輝かせていく、それを結果として、手に入れていくのはレッスンです。どこの国にも民族にもある魅力的な声は、かつて日本にも満ち溢れていました。このところ、急速に失われているように感じます。
ヴォイトレが普及したのはよいことです。声は努力次第で、誰でも向上できるツールです。声を出したり、使ったりするのが苦手な日本人が多くなっていくので、その価値は高まっていきます。
日本人は、他国に対する劣等感を、辛抱強く努力して、克服してきた民族です。それが一人前の大人としての、一個人としての表現の力として獲得するのでなく、カラオケや、初音ミクのような、ブレイクスルー(ハイテク化)で超えていくだけではならないと思います。そういう発展の方向があるのはよいのですが、そこが中心であるのはよくないと思うのです。
声は、人と人が触れ合っていくというところに生まれてきたものです。直接的なスキンシップでなく、空気を振動させて相手と触れあいます。それは命の架け橋にもなります。大震災でも、電話一本の会話が欠けがいのないものになりました。
声力で劣る日本ゆえに、こういった研鑽、努力を重ねて、いつか世界に冠たる声力を、多くの人が手に入れることを信じたいと思います。
〇心身是精進
正しいトレーナーとか、正しいヴォイトレの方法といった、うわべの違いに囚われず、きちんと本質を踏まえて、トレーニングを続けていくように整えていきたいものです。
時間はかかります。でもこれまで時間をかけてこなかったなら、当たり前のことです。時間をかけましょう。
いつも離れず身についている体ですから、楽器ほど大変ではありません。誰もがもっているから、表現のレベルまで身につけるのが大変なのです。
声を、どのようにイメージして使っていくか、ということに敏感になることです。
レッスンは、その気づきに材料を与える場にすぎません。この、すでに身についているのに、身についていない、正体の分かりにくいものを、明快にしていくために、レッスンを使っていくのです。
声で、全てのものごとがよくなるわけではありません。うまくいかないときに、声がよくないことは、とても多いのです。
歌うとき、せりふを言うとき、毎日、声は使っています。でもその声はレッスンだけで変わるわけではありません。日々是精進、モチベートを下げないようにしましょう。
声の場合、基準があいまいになりやすいのです。つかみどころがなくなると、やる気も失せます。レッスンをペースメーカーにして、日々挑戦し続けて下さい。
死ぬ直前までよい声が出たら、嬉しいと思いませんか。なら使い続けることです。心身の健康があってこそ、声がよりよくなっていくのです。
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