No.345
<レクチャーメモ「歌からお笑いへ」>
私が子供の頃、映画からTVに主流が移り、TVの半分はドラマ、さらに歌番組がゴールデンタイムに多かったものです。つまり、俳優と歌手がスター、お笑いは色物、添え物に近かったのです。
1980年、山口百恵引退の頃、ドラマからバラエティとアニメへとメインが移ります。お笑い芸人からお笑いタレントとなり、彼らのTV番組のMCからコメンテーター、ひな壇まで占有していきます。
お笑いライブも、プロダクションが事務所ライブとして新人発掘に使い始めます。まさに、歌手の発掘のやり方と同じです。そして、音楽事務所がお笑いタレントを抱えるようになります。
空気が読める、トークのできるタレント、ステージとしてのセットが不要で、素人参加型にも適合する、時間をとらないネタでどこでもできる、そうしたものがTV低迷時代のニーズにマッチしていったのです。
リモコンによるテレビのチャンネル変えから、YouTubeのザッピングになると、ショートなものほど本領を発揮するわけです。
アドリブ力とボキャブラリーが求められ、わかりやすいもの、大衆受けするものの時代の到来です。
昭和の初め、落語家、漫才師、声色
次に喜劇役者、コメディアン、エノケンの軽演劇
森繫久彌や伴淳三郎、渥美清など、
当時は有名になると役者へ転向。
クレージーキャッツと渡辺プロダクション
プロダクションとマネージャーによるバックアップ
「コント55号」「ドリフターズ」から、
1980年漫才ブーム、「B&B」「ツ―ビート」「紳助 竜介」など。
1982年NSC(吉本総合芸能学院 95年東京進出)
「THE MANZAI」オレたちひょうきん族」楽屋オチのネタ。
映画、ドラマ、ニュースキャスターなどへ進出。
その先駆けは、放送作家の青島幸男、前田武彦、大橋巨泉、永六輔。
「いいとも!」タモリのMC。
バラドル(バラエティ・アイドル)森口博子、井森美幸、山瀬まみ
1988年SMAP、ジャニーズ出身者のタレント化
1989年「ベストテン」終了
リアクションタレントとひな壇 出川哲朗、山崎邦正、上島竜兵
システム
吉本 興行では、最初の1年
2ヵ月1回のライブ ネタ1分
1分のオーディション [491]
<レクチャーメモ「歌からお笑いへ」>
私が子供の頃、映画からTVに主流が移り、TVの半分はドラマ、さらに歌番組がゴールデンタイムに多かったものです。つまり、俳優と歌手がスター、お笑いは色物、添え物に近かったのです。
1980年、山口百恵引退の頃、ドラマからバラエティとアニメへとメインが移ります。お笑い芸人からお笑いタレントとなり、彼らのTV番組のMCからコメンテーター、ひな壇まで占有していきます。
お笑いライブも、プロダクションが事務所ライブとして新人発掘に使い始めます。まさに、歌手の発掘のやり方と同じです。そして、音楽事務所がお笑いタレントを抱えるようになります。
空気が読める、トークのできるタレント、ステージとしてのセットが不要で、素人参加型にも適合する、時間をとらないネタでどこでもできる、そうしたものがTV低迷時代のニーズにマッチしていったのです。
リモコンによるテレビのチャンネル変えから、YouTubeのザッピングになると、ショートなものほど本領を発揮するわけです。
アドリブ力とボキャブラリーが求められ、わかりやすいもの、大衆受けするものの時代の到来です。
昭和の初め、落語家、漫才師、声色
次に喜劇役者、コメディアン、エノケンの軽演劇
森繫久彌や伴淳三郎、渥美清など、
当時は有名になると役者へ転向。
クレージーキャッツと渡辺プロダクション
プロダクションとマネージャーによるバックアップ
「コント55号」「ドリフターズ」から、
1980年漫才ブーム、「B&B」「ツ―ビート」「紳助 竜介」など。
1982年NSC(吉本総合芸能学院 95年東京進出)
「THE MANZAI」オレたちひょうきん族」楽屋オチのネタ。
映画、ドラマ、ニュースキャスターなどへ進出。
その先駆けは、放送作家の青島幸男、前田武彦、大橋巨泉、永六輔。
「いいとも!」タモリのMC。
バラドル(バラエティ・アイドル)森口博子、井森美幸、山瀬まみ
1988年SMAP、ジャニーズ出身者のタレント化
1989年「ベストテン」終了
リアクションタレントとひな壇 出川哲朗、山崎邦正、上島竜兵
システム
吉本 興行では、最初の1年
2ヵ月1回のライブ ネタ1分
1分のオーディション [491]