Vol.90
○元気な声
声の相乗効果について、考えてみましょう。一人の声が次々とまわりの人に影響を与えるとします。それをプラスの相乗効果にするか、マイナスの相乗効果にするかは、最初にかけるあなたの一声から始まるのです。
声は、本当に人につられるものですから、元気な声の人のいるところは元気になります。元気な声は、もともとあるのではありません。勉強して出すのでもありません。元気な人が、元気に出せば、元気な声です。
それは、柳沢慎吾君の声とは、ちょっと違います。しかし彼は、元気に声を出す名人です。
〇芸人の声
芸風ですから、ここに出すのもはばかられますが、あなたの周りが、お笑い芸人のヒロシさんばかりになったら、どうします?(日本中にペピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」を、再普及させたヒロシさんです)
でも、お笑い芸人の声の演出法には、大いに学んでください。
映画の感動シーンや印象深いシーンを思い出してください。そこでは、声がいかに効果的にせりふに使われているか。声の表現力こそが、エンターテイメントだけでなく、長い人類の歴史を動かし、導いてきたのです。
○因果応報
天にツバする、するとツバは自分の顔にかかります。ネットの悪口を気にして悩む人もいます。他人の不幸の味は密の味、人間ってどうしようもなく愚かなものです。そこに群がる人もたくさんいます。
私は、匿名でそんなものに関わらないで生きてきた自分を幸せだと思っています。気持ちのよいことではないでしょう。
でも、それはストレスのはけ口となるのでしょう。その人は、そこに人生の大切な時間を使っています。そのエネルギーをためて、他のことに昇華すればよいのに、そういう忍耐を知らないことが、かわいそうなのです。
○朱に染まらず
人間の残したものには、いろいろなものがあります。映画や本にも名作も駄作もありますが、駄作といっても、まだ、何人かが関わり世に出しただけまともです。ネットの大半が落書きレベルなので、それとは比べられません。限られた人生、どうせなら名作と言われるものに接しましょう。
自分がくだらないと思ったら、そこから距離をとることです。「朱に交じれば赤くなる」というのなら、よいところで染まりましょう。
あなたが悪口を言われても、何ら気にする必要ありません。仮にそれが影響力をもち、あなたから人が遠ざかるとしたら、それはあなたにとって、それだけの人です。あとで知るより、早く知ってよかったと思ってください。
○声の作用
どんなに気をつけていても、何か降りかかってくることもあります。不幸が訪れたときに、友人と思っていた人でも、離れる人もいれば、日頃うまくいっていないと思っていた人でも、助けてくれる人もいます。逆に、あなたがよいときにだけ、ちやほやしてくれる人もいます。
あなたにとって、大切なのは、そういうことを知ることです。
よい声は、よい作用を及ぼし、悪い声は悪い作用を及ぼします。あなたの人生、声に自信があり、誇りがあると、詐欺や犯罪などにも巻き込まれにくいはずです。そう考えたら、勇気も出てくるでしょう。死んだら終わりですが、自ら死を望んで、まわりに迷惑をかけるようなことをしないように注意してください。あとはどんなことであれ、ポジティブに受けとめることです。
○学ぶということ
いろんなセミナーに出て自己啓発をしている人が、たまにこちらにもいらっしゃいます。なかには、魅力的な人は少なくありません。しかし、そうでない人よりも必ずしも恵まれているとは思えません。
なぜなら、学ぶことで、どんどんものごとを難しくしていくタイプもいるからです。いろんな知識を得ても、それを使えばよいというものではありません。
人間社会、生活や仕事は、知識だけでは片づきません。そこから知恵を出さずに、そんなに簡単に答えの見つかることは少ないのです。
わかっているつもりになっていくと、変に優越感だけ高くなるだけです。学ぶということは、そのことでわからないことがどんどん出てくることです。本当に学んでいる人は、こうべは低くなるのです。
○一声で解決
私は、何ごともたった一声ですべてなんだというように考えるようにしています。
あるとき、問題を起こしてネットで調べて解決しようとしている人がいました。私はすぐに相手に連絡して、詫びるように言いました。電話をかけたら、そこで解決してしまいました。遅れたら悪い結果になっていたかもしれません。
そういう人は、一所懸命、人づきあいにも気をつかって悩み、こなしてきたのでしょう。
しかし、そういう捉え方そのものが、すでにネガティブなのです。人は、そんなに複雑なものではありません。どんな人も一皮むけば、感情のかたまりです。タイムリーな一声の力を知り、信じることです。
○声で与える
「お金は、幸せと違う」「何かに頼って生きていきたくない」
本当はそんなことでもないというのは本人も知っているのですが、目的と手段を直視したがらないタイプの人がいます。
何か学んだことや理論で正当性を得たいのです。ですから最初から、自分の答えがあり、それを変えないのです。
それでは、うまくいくはずがありません。そこでまた、学んでいけばよいのですが、さらに自分の考えを固めてしまう。
こういう人は、自分を磨き、成功するために、キャリアアップに、英会話、ITに、エステやフィットネス、ジムなど自己投資を惜しまないことでは、感心なことです。
ただ、他人に対して与えていかなくては、人生は開かれていかないのです。
ところが、見て見ぬふりをしているのです。だから、近所の八百屋さんと話すこともありません。困っている人をみかけても、声をかけたりしません。
〇声で殻を破る
学ぶのは、固めるためでなく、壊すためです。勉強は行動で学ぶことです。だから声からなのです。「小さな親切、少しの勇気の声かけから」
〇海外に学ぶ 声のコミュニケーション
日本人は、思っていても押し黙る、気がついても声をかけない、えてしてその傾向が強いようです(でも、小さなゴミが落ちていたら拾うし、人にも分け隔てなく、とても親切にする、お互いの立場を身分や職業を抜いて尊重しあうことでは、とてもすぐれていると思います)。
海外などに行って、まわりから声をかけられると私は嬉しくなり、そして日本に戻ると、少しさみしくなります。
海外が好きだという人は、そのあたりのフレンドリーさを求めているのでしょう。求めてばかりでなく、それがよいなら、日本でもそうすればよいでしょう。
外で出会った日本人同士は、あいさつしない。なぜみんな声を掛け合うことがよいと思っているのに、そうしないのでしょう。それは、日本の生活風土、慣習とともに、必要以上に他の人と関わらないという姿勢にあるのでしょう。
〇声をかけるのは存在を認める
イギリスなどの紳士とやらは別ですが、こうも他人と関わらない日本人は、異常かもしれません。この姿勢では、もっと他人が信じられず、怖く疑い、フレンドリーにはならないのでしょう。そのことが逆に危ないことともいえるのです。
ある国では、男女に関係なく声をかけてきます。そこでは、それによってプライベートな関係になったり、勘ぐったり、仕事に支障をきたすことはありません。もともと人は魅かれ合うし、お互い知らない人だから、出会って、知って、決めていけばよい。自分の責任判断で―大抵は、一期一会そこで終わることになるのです。しかし、頭から決めつける必要はないのです。
日本では、男性がヘタに女性に声をかけると勘ぐられるし、女性が、となると、好意があると誤解されかねません。こういうところは、まだまだ自分に自信がないからでしょう。もちろん、話が通じないことには、その先もないと思いますが、人間同士、いろんな考えや判断の人もいるのです。相手によって、対応も違うし、ケースバイケースのはずです。声をかけ合わないというのは、存在しないのと、同様なのです。
○2つに分けない
日本人に限ったことではありませんが、人は、正誤、善悪に加え、人間までもいい人、悪い人と二通りに分け、レッテルを貼らないとつきあえないという人が多いようです。これでは子どもと同じです。漫画の世界です。
声を扱っていると、いかにこの二分する考えが無意味なのに幅を利かしているのかがわかります。
「正しい声にしたい」「間違った呼吸法を直したい」~、いつも困ってしまうのです。
「あなたの声も息も、あなたのままでよいではないですか。それを深めましょう。」
「その使い方、声配りに、もう少し工夫しましょう」
「相手にどのように聞こえるかを知るところから、入りましょう」と、否定でなく、これまでのに積み重ねるのです。
「仕事はおもしろい」「人生は楽しい」と、ストレートに声を出してみましょう。
その方が、心がはずんできませんか。声を使うことで
人生にときめく機会が増えるでしょう。
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