Vol.92
〇声は一人ひとり違う
私は、ぶりっ子やカラオケ声といった、ものまね声をあまり評価しません。よく思わないのは、声は生まれつき、それぞれの体に備わった楽器で生来の個性的要素があるからです。つまり、磨いたり鍛えたりして、よくしていくことができる可能性があるのと同じく、それぞれに生まれもったその限界もあるからです。
「どんな声にもなれる」と言う人もいます。マイクで音響効果をつけたら、いくらでも脚色演出できます。発声を自由に加工できます。しかし、そうするほど、本来のパワー、力を発揮しなくなるのです。それなら人間の声でなくてもよいし、ましてその人の声でなくてもよくなるからです。
声紋分析では、声にも指紋と同じく、その人を特定できるだけの個人差があるそうです。犯罪捜査や認証などで、声は使われています。一人として同じ声はないからです。
○オペラ座のトレーナーの話
私はフランスのオペラ座のヴォイストレーナーから、「なぜ日本人の声は二通りしかないのですか」と言われたことがあります。彼女に言わせると、「日本人は男の声、女の声、その二つだ」と。耳のよくない人なら、そんなものかもしれませんが、トレーナーとして最高の耳をもつ彼女が、そんなことを冗談でも言うわけがありません。
それでは、「フランス人は?」、「一人ひとり違っている、一人でいくつもの声をもっている」、日本在留の長かった彼女の言うことですから、納得せざるをえません。私はこれを自分のその頃に出した「人に好かれる声になる」(祥伝社)という本の推薦文カバーに日本人へのメッセージとして入れてもらいました。
つまり、そこまで多くの人は、自分の声に関心がない。たとえば、ある国にいったら、全員が一色の色の口紅を塗っていた、そんな感じだったと思ってください。私たちは声に対して口紅さえ塗っていないくらいだったのかもしれません。
それから確かにたくさんのヴォイトレ本が出るほどに日本人の声への関心が高まり、私は嬉しく思います。しかしまだ、実効果は出ていません。あなたがその先駆けを切ってください。
〇日本人のオリジナリティ
日本人が金髪にしたり、パーマにしたりすることについて、もう慣れっこになりました。日本人は羽織はかま着物が似合い、洋服はだめだとは誰も言いません。“ざんぎり頭を叩けば……”から150年以上。体格もよくなり、スーツの着こなしも板についてきました。しかし、背広などは、肩幅のある向こうの人に合っているのです。日本人の体型や歩き方などには、着流しが一番ですね。
グローバル化の時代、体に洋服、口に英語でもよいでしょう。ただし、それを国際化と思ってはいけません。日本というのは、とかく舶来主義で、向こうのものばかりに目を向けてきました。そんな時代があったからこそ、欧米に追いつけ追い越せできたのですが、今は足元をみつめることです。
今ほど日本が文化芸術、スポーツなどで世界の注目を浴び、日本人が尊敬されている時代はありません。海外に学びに行くのはよいとして、そこで日本の芸能や歴史、風土、食べもの作法など、尋ねられて答えられないとしたら、どうでしょう。彼らは、遠い国にいて、日本を学んでいるのに、日本からきた日本人が日本の伝統について何ら語れないとしたら?
日本の女性は、今も世界の人気者です。長い黒髪に象徴される美しさには、オリエンタル、エキゾチックを越えて憧れとなっています。着物を着ると、向こうの美女さえかすんでしまう。なのになぜ、向こうのまねをして、向こうのものを身につけるのでしょう。ブランド品のよさはあるとしても。
女性だけが評価されてきた日本も、最近、男性が評価をあげてきています。歴史をみると、支配階級の民族は、被支配階級の女性と結ばれました。今でもそれの逆、女性が自分よりも下とみる国の男性を選ぶことはないのです。日本の男性も、国際的にどんどん進出して評価を得ています。もう日本一でなく、世界一でないと、という時代なのです。
〇あなたの本物の声=個性を生かせ
さて、話を声に戻して、声色一色から、自在な使い分けにと、そういっているのではありません。声は楽器ですから、基本は一つ、そこから応用なのです。それを応用で固めてしまい、くせをつけないようにと言いたいのです。
「あなたのなかの、もっとも体(発声器官の発声原理)に理想的に基づいた声をベースに磨いていきましょう」ということです。
それを私は、あなたの個性の声、個声と呼びたいです。 「オリジナルの声」「ベターの声」でもよいでしょう。それを磨くことで、多用な応用力を身につけていくのです。
「個性的な声=“個声”」、これは私のネーミングですが、同じように使っている人がいたら、偶然です。
「個声を使うのがよい」というのが、私の結論です。なぜなら、一人として同じ声はないからです。
〇魅かれる個声とは
声は内面を表わすものです。
私も話し方教室やアナウンサースクールで、そういう勉強に熱心な人とはたくさん会いました。それは、声の魅力づくりというのとは、少し方向が違うのです。スキル、技術の習得は、仕事には必要です。即戦力として有力な武器にもなります。しかし、そういうトレーニングは、あなたの難をなくしていくことで、これは必ずしもよいことではないからです。
わかりやすい例が、ファストフードやファミレスの応対です。マクドナルドなどの応対の声は、客に不快を与えない声です。 “スマイル=0円”と同じ、つまり愛される声ではないのです。エレベーターガールなど職業独自の声や言い方もそうですね。
容姿のよい人が、はっきりと言葉をしゃべるのに、そのアナウンスの声には、人は魅かれません(もちろん例外はどこにもあります)。この物騒な世の中です。ストーカーよけに、あまり多くの人に見境なく愛されてしまう声も考えものですから、それで職業の声としてはよいのでしょうが。
では、「難をなくすな」ということでしょうか。いえ、難のうち、個性として生かせるものとそうでないものを区分けするのです。そうでなければ、ぶりっ子の声だけでも立派な個性となってしまいます。もちろん、天然ボケと同じ、それが魅力になる。それを魅力と感じる人もいるから、一概には否定しません。
必要なのは、人へ訴求する魅力をもつ声です。多くの人に広く浅く好かれるのを捨て、一人の人に深く伝わる声を選ぶことです。それも自分に合った人に。
そうすれば、あなたと関係していかない人から、何を言われても平気になるはずです。あなたの声がどうであれ、気にとめる必要はありません。
個声が変な声であるほど、その特別な声を選ばれたあなたは、永遠に好かれ続けるわけです。アナウンサーのように誰にでも感じのよい声なら、もっと感じのよい声の人に奪われるかもしれません。極端な例ですが。
〇すべての人に、よい声と思われなくてもよい
あなたといると、とても楽しいとか安らげると思えるとしたら、そこでキャピキャピ声では、どうでしょう。ふさわしいですか。ちょっと一緒にいておもしろいのと、長く一緒にいて飽きないのとは違うのです。
「ぶりっ子のキャピキャピ声で、あんなに素敵な人と」というケースもありますが。
待ってください。その人は、特定の人のまえではそうでないところを、そうでない声を見せているに違いありません。
もしそうでないのなら、声は個性、そして相性ですから。“類は友を呼んだ”のでしょう。
ここでは、顔やスタイルでなく、話し方や声が決定打として、大きな力をもつことを知ってください。
○声の演出力
若くしてキャピキャピ声を演出している子は、演出できるほどに、器用なのです。その反面、案外と地味な面をもつともいえます。余裕、落ち着き、エレガンス。相手は、そのギャップに驚いて、魅せられてしまうこともあるでしょう。驚き、ときめきは、共感への常套手段です。
私もこれまで、声一つでイメージが180度変わったことがあります。自分の知らないところで全く違う声を使っている人にびっくりしたこともあります。
いい人だと思われたら、あなたは、いい人でいられるのです。
いい声の人と思われたら、ずっと、その声をもつあなたは、その誉れに讃えられるのです。
○プロセスを楽しむ
声は、内面からゆっくりと変わっていくので待ってください。そのプロセスを楽しんでください。それが人生です。
「自分を信じましょう。信念をもちましょう。」
「あなたは自分の声を好きになれましたか。」
次のことばを忘れず、いつも声に出していってください。
「私は自分を自分の声も自分の話し方も、大好き」
「自分の声を大切にする」
「私は幸せになる、今も幸せ、もっと幸せになる」
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