「総合と本質」
○総合化と個人化
総合化と個別化ということばでまとめます。
スポーツでいうとこの2つは、チーム力と個人プレー、一人の選手でいうとトータルの力量と、何か一つ抜きんでた力量となります。個人競技のプレーなら、オールマイティと得意技でしょうか。
バランスがよいのは総合力、力を高めるときにトータルとして強くするのが総合力です。たった一つでも特別に強いのが個別力となります。総合化とは、総合力をつけることです。人間や生命としての共通ベースから得られるところの本質まで迫ります。それに対し、個別化とは、自らの個の本質を究め、オリジナリティをつけるものです。
○個別化と「我」
個別化は特殊化ですが、決して「我」ではありません。オリジナリティというときに「初めて」とか「他人と違う」のではなく、それは本人の資質の延長上にあるものです。自分がそうやりたいとか好きとかいうものではない、むしろ、そこが否定されたあとに生じるものです。
一部の天才は、自分が思うままに世界をつくってしまいますが、それは動機としてであって、多くは、他人との差異で修正されているのです。いえ、正しくは、人間としてのベースを極めたところに出てくる差異なのです。(このあたりは「守、破、離」で述べたことを参考にしてください)
○10年のキャリア
他人に教わり、あるいは他人を真似て人並みになるところのレベル、この人並みは、やっていない人ややっていてもまだへたな人に対して言えるだけのことで、やった分だけ得られたビギナーレベルです。
プロならプロでのビギナー並みということです。たとえると、高校野球においてトップレベルに達したくらいのところで、およそ10年ほどのキャリアを示します。そこまでは基本を守るわけです。
次の10年が、本人の本人になるための葛藤で、破です。これは、基本に忠実にしろというコーチ、監督の思惑と、ときに対立します(多くの人は、言いつけを守って対立しません)。しかし、上に行くには、飛躍を求めることです。人間として共通の体での理想のフォーム、レベルから、その上での個性、個人としての理想のフォームづくりに進む必要があります。大体の優等生は「破」れません。他人を疑うことより自分を否定するということが問われるからです。
一人ひとり、体も心も、考え方は違います。その差異に入って、つきつめていくのです。やがて本人にしか許されないという破格のフォーム、型、形として結実します。ここで破格とでたらめは全く違います。
○「総合カルテ」をつくること
個別の完成について、私は次のようにみています。
総合的なデータ(他人と共通であり、比較できる)から、個人の適性、レベルを知って、個別のメニュにするのです。
a)声域(周波数)、最適音、低、中、高音域
1.1音~半オクターブ
2.半オクターブ~1オクターブ
3.1オクターブ~2オクターブ
b)声量(振幅):量感、ダイナミックさ、メリハリ、pp<ff(p、mp、mf、f)
1.体と呼吸
2.発声と共鳴
3.結びつき、体―息―声―共鳴
c)ことば:共鳴、構音(調音)
1.1音、母音、ハミング、リップロール
2.子音、ことば、
3.せりふ、歌詞
d)長さ、ロングトーン、レガート
1.1つのフレーズ
2.Aメロ/Bメロ/サビ
3.1曲(1コーラス、フルコーラス)
e)構成
1.終止:ひとこと(フレーズ)を言い切る
2.間:メロディフレーズのあとの余韻
3.展開:フレーズと離し方、次の入り方の組み立て
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○個性化
総合化のメニュのおよそ半分は、音大4年レベルの発声のカリキュラムまで、ほぼ賄えると思います。歌唱だけでなくせりふやスピーチの声に基礎部分も同じです。俳優、声優から一般の人、ビジネスマンまで、その基礎は通用します。発音、ことば、せりふのトレーニングを補います。
総合のなかに入っている個別のメニュをそれぞれに使って実力アップさせていくのです。総合というのでトータルにつかんでいく方向もあります。歌っているうちによくなるのがもっともよいのです。歌の表現とそれを支える発声は、目的が違うので、トレーニングとして分けるべきです。
ピアニストのフジコ・ヘミングはリストの名手ですが、練習のメソッドは使わず、リストの曲で基礎の練習をするそうです。そういうことのできる人もいるということです。ただし、歌での練習は勘違いしやすく片寄りやすいので、注意が必要です。
○自分を知る
すべてにおいてハイレベルにできるのなら、それは理想ですが、現実的には難しいものです。そこで、自分は、どの分野がどのくらい得意なのか、苦手なのか。そのなかでどういうポジションがよいのかは大問題です。自分の素質とプレーのために必要な条件を、どのようにみていくかは、個別に研究していくしかありません。
トレーナーにつくのは、未知の将来性への確からしさを期待してのことです。自分のまわりではすぐれていても、これからやっていく世界では、どうなのかがわからないからです。
就職や結婚と似たようなもので、運や偶然もありますが、切り拓くのは本人です。自分の才能、素質、性格、性分を自覚して、目標を立て、スタートできるような人は稀です。価値観や思想(考え方)は、学んで大きく影響されているくらいの状態では、自分のものとはいえないからです。
ですから、他人とまみえることで自らを知ることです。それもまわりの人とでなく、そういう世界で生きている人と広く、次に深く接することです。それによって自らを早く相対化することができます。そこからもいろいろな選び方があり、留意点があります。
指標の一例
・優れている
・好き、自分に向いている
・楽、やりやすい
・苦でない、すぐできる、少したてばできる
・確実にできる
・稼げる
・目立てる
・長くやれる、後までやれる、続く
○精度と安定度
私は、よく「トレーニングは、ベターをベストに高めるために行う」と言っています。ベストに高めていくには、ベターが確実に再現できないと積み重なっていきません。シンプルなことで何百回も重ねることをくり返して精度を高めていくのです。
ベターが確実に再現できると、悪い状態が少なくなってきます。ひどい心身の状態になっても最低限、カバーできる実力を保つことができるようになります(この場合、声でよいのですが)。これがトレーニングの最大の効果であり、誰もが目指せる成果ともいえます。
長年やっても、ベストがプロとしてのベストにならない人もいます。一方、プロの仕事は、いつでも確実にこなせることに重点がおかれます。そこでのヴォイトレの目的は、才能をマックスに発揮できることよりも、安定した声が、いつでも思い通りに出せることにあります。高いレベルでのベター状態のキープということです。となると、プロになる、認められるときのパワー、説得力の伴う声は、オーティションに受かってデビューのところまでにしか使わないという不思議なことが起こるわけです。☆
○声のプロへの仕事
ヴォイトレトレーナーは、一般的には声のプロであっても、偉大な伝説的なアーティストではありません。クラシックはともかく、ポップスでは、偉大な歌手が、歌のアドバイスはともかく、ヴォイトレを教えることは多くありません。楽器のプレイヤーと異なり、活躍した人が、そのコツを他の人に伝えられるものではありませんし、なかなかできません。本人も伝えることが楽器のように簡単でないことを知っているからです。
現役の歌手にとっては、喉への負担が少なくないこともあります。ヴォーカルとして大成する人の気質はあまり、教師に向いていません。そこで、指導については作曲家やプロデューサー、演出家などが担当することになるのです。
私は、ヴォイトレの本質は、中心となる声の発見、発掘、育成、それに加えて、歌唱のベースとなる声でのフレージングを発見、発掘、育成することだと思っています。
中心となる声を知るには、表現の最低単位として、フレージングを想定する必要があります。絵でいうとデッサン、色と線を見出す、育てるということになります。
歌は一色で、線だけでもデッサンできます。色を音色、線をフレージングと例えてきましたが、色は何色も必要ありません。一色でもよいのです。ただ、墨のように濃淡豊かに、緩急をつけて描けるなら、です。
○自分のことばで語る
私は、すぐれたアーティストやトレーナーは自らのことばで語ると思います。ことばがないから、歌や演奏やプレーをするともいえますが、不思議なことに、名選手やアーティストは、必ずその人独自のことばを持っています。
これには少なくとも二つの理由があるように思います。一つは、どんな表現も、まわりにそれが認める人がいて、ファンがいます。ことばに説得力がなく、作品だけで語らせるでは、自分の世界はつくれても、それを世に知らしめるのは、なかなか難しいでしょう。おのずと人前に立ったり人に影響力をもつ人は、ことばの力をつけていきます。説得力やプレゼン力としての対人コミュニケーション力です。
もう一つは、自らの芸を高めるときには高度な判断が必要になります。イメージによってなされることも多いのですが、そのインディックスとして、ことばがよく使われます。
メニュにしろ、練習にしろ、感覚通りにやればよいといっても、ことばを使わないと、覚えにくいし思い出しにくいので、レベルアップしにくいのです。
○ことばとアーティスト
私はたくさんのトレーナーをみてきました。そこでも人を教えるときに、アーティストから聞くようなことばをたくさん知りました。造語であったり、擬音であったり、イメージであったり、あまり論理的なことでないので、ここには書きません。秀でた人には感想や判断にも、独特のことばづかいがあります。
私は、スケジュール表やメニュ表、日誌をつけることを勧めています。歌手や役者は、計画性のない人が多く、それがとりえでもありますが、3年、5年先をプランニングすることは大切です。
○書くということ(会報)
私が会報をつくったのは、同じことを何度も答えなくてすむように、よく注意するようなことを予め知ってもらえるように、との気持ちからでした。本には書けないことを述べたのです。
説明不足や知識不足を改めて補って伝えるためもありました。声というあいまいな分野のデータベースをつくるつもりもありました。
ヴォイトレや声のことをよく50冊以上も書いたと言われます。しかし、ここでは毎月、昔なら本の3冊分、今でも本1冊分にあたる分量の会報を出しているのです。どの学会にも負けないくらいです。本は、どの出版社にも似たことを求められるので、会報やこの連載の方が、よほど内容は深いはずです。
○書き変えていく
読者や生徒さんへの回答を載せることでした。疑問点、効果などをオープンにすることで、研究材料になります。
トレーナーも生徒も、私の本を使って(それを覚えるのではなく叩き台として)自分のマニュアルを確立していくよう勧めてきました。会報の発表の場にもなりました。できるだけ表現して学び、得たものはシェアしようということで、アーティストの自覚も出てくると思いました。
ブログでも学びつつ、習慣と環境を変えていく。書くことで、気づいたり身になることは少なくありません。
私も昔からトレーニングノートをつけていました。1~2年は大したことがなくても、5年、10年となると、同じところをまわらず発展していけるのです。
喉や体調がよくない―なども記述しておくと、次にどうなるかということが、データから予知できるようになってきます。
私が書くよりも、レッスンを受けた人の気づきやトレーニングの感想をオープンにした方が、より具体的、かつ多くを与えられるようです。
○学び方を学ぶ
教えるだけでなく、学ばせる。それだけでなく、学び方を教え、そこを変えなくては、人は大きく変わらないのです。
トレーナーは私に、個人レッスンの一人ひとりのメニュとメッセージを報告しています。それをみて、そのレッスンを受けた生徒さんのレッスンの後のレポートを読むと、両面からよくわかるのです。
トレーナーがどんなによいレッスンをしたと思っていても、生徒が受けて、よくなくては問題です。生徒が満足する、充実したレッスンが必ずしも最高のレッスンとはいえませんが、一つの目安になります。
伸びる生徒は、ポイントをうまく自分のことばで表現できます。これは、トレーナーも同じです。すぐれたトレーナーはポイントをつく自分のことばを持っています。そうでない人は、そうなってくるのが変化、成長となり、育っていく前提といえます。
私は学び方そのものについて、たくさん述べ、そのような本も出しきました。これもまた、私よりも一流で才能のある人のことばを引用して伝える方がよいと思い、アーティストのことば集もつくりました。これにはスポーツ選手、政治家、経営者なども入っています。古今東西、孔子や孟子からの引用まであります。
会報の半分は、トレーナーと生徒さん、OB、読者さん、のことばで埋まるようになりました。学会も論文も大して活性化しない声の分野に、ずっと一石を投じてきたわけです。
○鍛練としてのヴォイトレ
ヴォイトレは調整でなく鍛錬です。日本どころか世界でも、ヴォイトレから鍛える。負担、負荷、抵抗などということばが除かれていきました。困ったことです。
健康も、食事も、表現も鍛えないと身につかないのです。自らを強くすることです。免疫をつけ、体力や気力を養い、自信をつけ、失敗をしに人前へ出て、勇気、胆力、忍耐力、回復力をつけることです。
(<巻頭言2012.12引用>からの再録)
「遠くの目標をもつ」
私はレッスンとトレーニングを分け、その必要性を高め、より高い目的へチャレンジさせるようにアドバイスしています。
ヴォイトレというあいまいな世界で本気の上達や効果をあげるには、遠くの目標をみる必要があります。上達や効果ということさえ、近くの目標にすぎません。
船乗りは、大洋を横断するには、島や雲ではなく、星を目印にします。遠いゆえに動かないからです。そのためには、古典や歴史から学ぶことです。私は自分の本がすぐに役立たなくても長く、愛読されることを願っています。
誰もがお客さんから一歩、人前でお客さんにみせる立場、プロになる道へ踏み込むと、今までみえていたものがみえなくなります。大海原に出たり山のふもとに入ったりすると、全体がみえなくなるのと同じです。その連続の道であればこそ、高く遠く確かな目標が大切なのです。
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