「お山の大将」の脱し方
○トレーナーの採用
ときおり、トレーナーになりたい人から連絡があります。これまでの経験から、トレーナーの採用とその周辺の事情について述べます。
ここで扱うヴォイストレーナーとは「声を育てるトレーニングをする」トレーナーです。
いくつかのスクールの立ち上げと共に、トレーナーの紹介をしてきたことは、私にプラスになりました。その後にそこからの経験や結果、人が育ったか声が変わったかということもフィードバックされました。研究所外ですが、多くの学びがありました。
短期のレッスンやワークショップ、体験レッスンも、これまで随分と行ってきました。
このようにして私は元より、私のところのトレーナーは、いろんな材料を持っています。DVD、CDなどの教材も集めてきました。現実のレッスンとは切り離されたものですが、いろんな示唆が得られます。
○声を観る
トレーナーをみるときには、私は2つのことをみます。一つは声で、もう一つは本人をどのくらい客観視できているかです。
日本の場合、経験の略歴や肩書というのもほとんど当てにならないのです。出身の大学(音大)などや、学んだトレーナーの情報が、実際のレッスンで問題が生じたときに参考になることもあります。しかし、それらは先入観にもなるし、同じ出身でも声に関しての考えや扱いは一様でないので、その人の体、感覚上に現出している声とそのコメントをみます。そこは生徒さんをみるのと同じです。
教えてきた経験の有無やキャリアについては気にしません。経験のある人は、どこかでレッスンを受けてくる生徒と同じく、ブレが大きく、よい方にも悪い方にも大きく出るので、気をつけてみます。
声などは曖昧なものですから、何か人に教えてきたという経験、つまり教える技術だけでもレッスンくらいできるのです。呼吸や身体、話し方などの一つに詳しくて何かを教えたことがある人なら、ヴォイストレーナーと名のればそれでOKでしょう。資格がない上に、何をどう教えてどうなるのかさえ決まったものではないのです。ですから、教える技術、つまり、人に対することへのスキルを持っている人ほど気をつけなくてはなりません。
「喉や声をよくしてあげる」と言って、信用してもらえたら、カウンセラーでも、フィジカルパーソナルトレーナーでも、務まってしまうからです。そういうトレーナーに気をつけろと言っているのではありません、そういうことが得意なトレーナーこそ、自ら気をつけることです。自分の得意におぼれてはよくないのです。
研究所は、私がトレーナーに信用を与えた形になるので、その後、レッスンが成り立つところまでしっかりとみる必要があります。しかし、そこからお互い多くを学べるのです。
○アカペラの声
私は声をアカペラ(この場合は、マイクなどの音響技術を使わないということで、意味が違うのですが、生声というのも私の伝えたいニュアンスと違うので、慣習的にそうしました)でみることにしています。歌唱やせりふ、ナレーションにもいろんなテクニックがあります。そのなかで、声そのもののトレーニングに焦点を当てるために、マイクを使わない声としてみています。ヴォイトレには、これと異なる見解があるし、マイクテクニックやマイクを通した声でみることを否定するのではありません。ここにも一部、マイクを取り入れるレッスンがあるからです。
アカペラがなぜ大切かというと、声を、音のソースとして純粋にみるためです。音響で加工することを前提にすると、トレーニングの前後で何が変わったのかも曖昧になりかねないからです。
マイクの使い方がうまくなって作品がよくなるのはマイクテクニック、同じように、発音がよくなって作品がよくなるのは発音トレーニングです。そのベースにヴォイトレの効果もあるなら、どこで区分けするのかが曖昧です。
実際、声に基準をつけるとしたら、こうしたボトムアップでなく、一流のレベルで声を使う人を想定してのトップダウンでしかないと言うのは、基準を明確にするためです。
○声の力
私は、声の基礎を習得するのに1万時間以上はかかりました。3~5万時間のトレーニングで安定してきた自覚があります。
とはいえ、声は楽器と違い、練習時間だけで判断できないものです。練習時間を正しく算出することができません。人前で弁論し続けてきたとか、役者を何十年も続けたことで、同等レベル以上の声を持つ人はいくらでもいます(この比較の基準のとり方こそ、問題にすべきことです)。
同じような育ちで同じ年齢、性別で同じ体をしていても、一方は立派な声、他方は貧弱な声というケースもあります。声には、素質論、環境論(教育論)と、いろいろな未確定要素があり、突っ込みどころ満載です。
研究所のトレーナーの共通点としては、2、3時間、舞台で声を出しても、その後に支障がないこと、しかも全力での声で、です。私自身の経験では、連日8時間、大声で話しても異常をきたさないレベルです。野球でいうと力投で完投できるということでしょう。小学生でもそういうピッチャーはいるのですから、大学かプロの二軍リーグくらいの感覚を、体のレベルで求めているといえばよいでしょうか。その上は、歌唱や演技の技術になります。これは、ヴォイトレからは応用のことになるのです。
○強さを条件とする
強い声、強い喉は、歌手や役者の必要条件ではなくなりつつあります。それがあれば万全といった充分条件にはならなくなりました。今の私の立場での見解です。
ただし、トレーナーとしてのありようとは別です。組織として、一緒に教えるトレーナーの条件としては必要なことです。
ヴォイトレは、発声―呼吸―体と変えるのです。そこで共鳴の専門家である声楽家は、この支えが必要条件になっています。1万時間かどうかはわかりませんが、5年から10年のキャリアで基礎ができてきたねくらいにしかならないくらいの研鑽を積み重ねているからです。邦楽も同じです。
ここのトレーナーは一声で差を示せる感覚、体をもっています。それを伝えることができます。一般の人を納得させる、トレーニングしていないと出せない一声があるのです。
これについての異論、異なる見解はあるでしょう。私もわかります。しかし、声ゆえ、聞いてわかるというシンプルなものでしょう。経歴や肩書をみなくては判断つかないなら、その方がおかしいのです。
○声量が基本
トレーナーが立派な声でなくとも、教えるのにすぐれていればよいと思っています。声の出ないトレーナーを否定しているわけではありません。トレーナーによっても大きな差はありますし、それぞれに強味も違います。
オペラ歌手ならオペラの歌唱がよければよい。トレーナーなら教えた人の声がよくなればよいのです。トレーナーの声にこだわっているつもりはありません。
共鳴―声量というのは、アカペラの世界においては第一の条件です。発音や音感、リズム感がいくらよくても、音として伝わらなくては乗っているものは伝わりません。
ビジネスマンの声の研修で、「声の要素のうち、もっとも大切なのは何でしょうか」と聞くと、説得力、高さ、入れのよさ、元気、心、優しい感じ、魅力とか、いろんな答えが返ってきます。正答は声量です。どれもまず、相手に聞こえなくては始まらないということで、声量です。
声の大きさは、大きければよいのではないですが、適度に通る声、不自由なく伝わる大きさの声が必要です。この基本が、特にマイクが必然となった歌唱のヴォイトレからは失われています。ヴォーカルのためのヴォイトレが混乱しているのです。
○オープンにする
自信をつけさせるには、合っているトレーナーをつけますが、ときに、逆のタイプをあてるのもトレーナーを育てるには効果的です。
これらを組織的に行うと、こちらが意図しなくとも、生徒さん自身が自分が合っていると思うトレーナーを選びます。これは当然のことです。特定のトレーナーとの結びつきが強くなります。
私が強いて2人以上のトレーナーをつけ、他のトレーナーも関わらせようとするのは、その結びつきをクローズなものでなく、オープンなものにして、自分の力を客観視できるようにするためです。それはトレーナーにもよい学びになります。
ここで育てるのと、そうでないこととは大きな違いが出ます。
長く続けてもらうには心地よくする、今でいうと大手の英会話教室のように、徹底して顧客サービスをするのです。褒めて、励まし、認めて、満足させて、長く続く中でしぜんと身につけていく、これは語学だけでなく理想的なことです。
ハイレベルで学んだことを人前で使いたいとか、誰よりもすぐれたい、より高くとか、より早くという欲があるのならば、ふしぜんにも予習復習をし、人の何倍も努力しなくてはなりません。トレーナーはシビアな状況でも切る抜けられるほどの疑似環境をつくります。一流レベルに近づくにつれ、要求をもって厳しく接するでしょう。
それがよいと言っているのではありません。そこは生徒さんの目的や要望によるということです。ストレス解消、趣味でという人と、それで食べていこうという人は違います。それをはっきりと本人もトレーナーも区別しておくことです。
○開けていく
昔ならば、心構えや考え方もできていないのに芸は教えませんでした。それで「プロになりたい」と学びに来た人を、プロのトレーナーなら引き受けなかったでしょう。しかし、今やプロたるトレーナーは少なくなりました。大半は先輩や友人型のトレーナーです。理想やヴィジョンよりも、自らの生計と生きがいのために誰をも愛想よく受け入れるようになりました。
これを批判するのではありません。需要があれば供給もあります。「絶対プロになれます」とうたって生徒を募集している大手スクールよりよいかもしれません。
私が思うに、人は自分の器に合わせて人生を選ぶのです。そしてトレーナーも選ばれるのです。小さければ小さいなりにをういう相手に、大きくなったら大きい相手に巡り合えるように人生はできています。
声を聞くよりもその人の処し方、ここやトレーナーとの関わり方などをみると、その人の人生が開けていくかどうかがよくわかります。トレーナーをみていてもわかります。
3~5年くらいで人は大きくも小さくも変わります。最初は問題児だったところから大変身した人もいれば、続かなかった人もいます。ここはやめたあとも会報などを続けて学んでいく人もいます。外に出てからの活動もありがたいものです。
○諌める
研究所のトレーナーは、声楽家がメインで自らのステージが目的ですから、担当している生徒の人数を競うようなことはありません。むしろ、抑えがちです。トレーナーの仕事の過酷さを知っているからです。
生徒は、学ぶものがないと思うトレーナーにはつきません。そういうトレーナーはここでは残れません。私も採用しません。
世間にありがちのヴォイストレーナーの「お山の大将」、「裸の王様」といった状態は、どうして生じるのでしょうか。ここのトレーナーも自分を気に入る生徒だけに囲まれて感謝のレポートばかり読んでいるとなりかねないのです。他のトレーナーと比べて選ばれたり、他のトレーナーのレッスンより効果があると絶賛されると、そうならない方がおかしいでしょう。
しかし、別のトレーナーにも同じことは起こっているのです。
ときに私は、元のトレーナーを外して他のトレーナーにも行っている生徒はいるということを伝えます。トレーナーのうぬぼれは、生徒とレッスン場の心中をしかねないからです。
○レッスンの判断
トレーナーとのレッスンの内容の判断は、簡単にはできません。生徒の評価が高いことよりも現実に結果が出ていることを優先します。しかも「すぐに少しよくなる」(これで満足する人には、それでよいのですが)よりも「時間がかかっても、その人の最高のレベルにいく」ことを重視しています。
多くのトレーナーが、毎回何らかの結果を出し、満足させ評価されなくては、次に生徒が来てくれないという、顧客サービスビジネスとして厳しい状況におかれているなかで、この研究所が許された存在意義が別にあると思っているからです。そうでなければ、この研究所はいらないし、トレーナーも別のところで教えたらよいからです。
○トレーナーの比較
私はこの分野で多くの執筆をしてきたおかげで、他のトレーナーやスクールからきている生徒をずいぶんみてきました。研究所も3年目あたりから大所帯になって、先人のやり方を否定するような本を上梓しました。一時は人数が多く、グループレッスンだけだったので他に行った人もいます。兼ねていた人もいました。ともかくも長くたくさんの人と接してきたため、どこよりも情報があります。
なかには、ここのやり方というより、私の論やメニュを否定するような人もいました。それに対して書き続けているのではありません。そういう人にではなく、ここで関わった人へのフォローとして、今も毎月、会報を出し、現状を伝え続けています。自分の不明や不足を知るようになってフォローしているのです。
そのおかげか、ここでの方法を否定したトレーナーの元をやめてここにくる人もいます。
トレーナーは「お山の大将である」ことを自覚してはいかがでしょう。たとえば、日本でTVに出たり本を出したトレーナーの元より、ここにはいらしています。
だからといって、そのトレーナーやそのやり方を私が否定しているわけではありません。ここに来ても1年もたたずやめる人もいます。必ずしもトレーナーの問題といえないのです。
オペラなども、舞台に出て、他のトレーナーよりも活躍していると、自分の教え方がすぐれていると確信するようになります。実のところ、その教え方が他のトレーナーよりも通じない相手もいるのです。オペラに出ていない分、しっかり指導して、力をつけているトレーナーもいるのです。
○育てる
私が、私一生徒でなく、研究所(私―トレーナー)―生徒、もしくは研究所、私―(トレーナー―生徒)というような二重構造を取っている意味を理解していただけますか。カリスマトレーナーがいても、その一代で終わってしまうことも、これからの日本を考えると頭を離れない問題です。
私は、私にしかできないこと、トレーナーでもできること、トレーナーの方ができることと分けて、絞ってきました。
分野を超えて、声というのは全ての基礎ですから、いろんなところと関わってきました。
私が頼まれたこともできるだけ、次の世代のトレーナーへ移すようにしてきました。後進に早く経験を積ませな
くてはなりません。
日本は、上の世代がいつまでも力を持っています。特に団塊の世代のリーダーシップ力が強いほどに、長く続けるほどに、次の世代は、とんでもない苦難に直面するでしょう。4年生が卒業しないでずっと試合に出ているようなのは、後進のためによいはずがありません。
○試練(田中将大さん)
(田中)マーくんの活躍は、コーチのフォームの改良のおかげだそうです。TVの解説通りですが、背番号が半分かくれる大きなフォーム改良をしたのです。そうしなければ、肩を壊していたらしいです。
怪我をしないことと、最良最高のありようにその人をもっていく、これが見事に一致するのが、スポーツのよさです。もちろんヴォイトレにも通じます。
もしかして1球だけの速さや遠投を競うのでは、こうはならないのかもしれません。どんな競技も、最初の優勝者は力づくで勝ちとる力自慢でしょう。そのレベルが上がると、誰もが力は持っているので、そこからフォームが勝負の決め手となってきます。
忘れてはならないのは、そのために彼は投げ方を変えただけでなく、徹底した下半身の強化をしたということです。
- 以下、参考までに引用します。(再録したもの)
○筋トレ必要☆
僕の持論は、「野球の技術は練習で鍛えられる左右の筋力の微妙なバランスの上に立っている」というものでした。(中略)
筋トレは否定するというより、やるのが怖かったという方が正しいかもしれませんね。(中略)
篠原和典さん [週刊ポスト]
○筋トレ不要☆
その「恐怖心」からトレーニングを続けていきました。(中略)
野球の筋肉はグラウンドで、という考えも間違いではないと思います。もちろんダッシュやランニングもやりました。それでつく速度や遅筋をバランスよく、野球で使える筋肉にするために筋トレする。これによって選手生命も延びたと確信しています。
僕は明かに筋力不足だったので筋トレを始めましたが、筋力を鍛えて硬くなるということはないし、全身を使う野球に不要な筋肉はないと思っています。(中略)
シーズン中にも筋トレを続けていたのは、筋肉だけで太っていたので、体重を落としたくない目的で筋力を鍛えていくしかなかった。
金本知憲さん [週刊ポスト]
○体づくりとフォーム☆☆
「バカ者、ワシがどれだけ投げたと思っている(5526・2投球回数は日本記録)。人間の体は、そう簡単に壊れやせんわい」(金田)
(中略)
「僕は、体が出来上がるまでの成長期には沢山投げてはいけないと思っています。ですが20歳以上や、プロになるなど、体ができてからはある程度投げないとダメだと思っているんです。理由は早い時期に合理的で効果的なフォームを身につけるため、それを固めれば、ケガしにくくなるんですよね」(桑田)
(中略)
「すると、いいピッチャーには絶対の共通点が一つ見つかったんです。どの名選手も、頭を残して先に下半身が前に行く『ステイ・バック』ができているんです。こうすると、上半身に負担がかかりにくいから、どれだけ投げても故障しづらいんです。
でもこれは、足腰が強くないとできない。だから金田さんの「走れ走れ」というのは、実に理にかなっていると思うんです」(桑田)
(中略)
「獣がケンカする時には、沈む態勢をとって構えるだろう。あれと同じだ」(金田)
「金田さんのいう「沈む」というのを、最近の選手は勘違いして、軸足一本で立つ時にヒザが折れてしまう。これだと下半身だけでなく、上半身も一緒に前に出る。だから負担がかかってケガをする。大事なのは頭を残して腰が前に行きながら沈むことです」(桑田)
「ワシが現役の頃は、マウンドもすぐに土が惚れて足首まで埋まってしまう最悪な状態だったからケガしないため柔軟な体を作る必要があった。環境の悪さが関節を柔らかく保つ重要性を教えてくれたようなもんだ。股関節の硬いヤツはみんな消えていった」(金田)
(中略)
「ロッテの監督時代、1人の故障者も出さなかったのは、下半身強化の練習をやらせたから。だが、今の選手にあの練習をやらせると、すぐにぶっ壊れてしまうだろうな」(金田)
(中略)
「経験者でないと分からないだろうが、疲れ切ると球がピューッと行くことがあるのよ。ところが翌日は、どれだけ投げてもその感覚にならない。そしてある日また、その感覚が戻ってくる。これの繰り返しだ」(金田)
「だからといって、量を投げればいいというものではないんですよね。特に変なフォームで投げていると、余計に下手になるだけだから、アマチュアは量だけを求める練習はやめた方がいい」(桑田)
「投げ込みで大事なのは内容だ。ノルマを課すことに意味はない。今はこれがわからんコーチが多い」(金田)
(中略)
「今は中6日が普通。5日、6日もあくと、精神的にもたつくんだ。勝利への執念が薄れ、体に対する別の緊張感が出てしまう」(金田)
(中略)
「その球数制限についても一言。日本ではメジャーの「100球制限」が誤解されているんです。あれはメジャーが中4日だから球数を限っているのであって、日本のように中6日では意味が違う」(桑田)
(中略)
「肩を使うから故障するのでなく、無理をするから壊れる」(金田)
金田正一さん 桑田真澄さん [週刊ポスト]
ヴォイトレにおいても、下半身の強化や柔軟は、初心者レベルと一流レベルにおいては、特に効くと思います。私の考える基礎とはそういうことです。(Ei)
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