「レッスンの状況とことば」
○レッスンの状況とことば
情報を公開することは、それを信じたり、使ったりすることを強制しているわけではありません。研究所のサイトには、その注意を入れています。
「回答は、トレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたに当てはまるとは限りません。参考までにしてください」
情報については、トレーニングに関して、すべてについて正しいとはいえません。正しいのもある、ではなく、絶対に正しいのは一つもないでしょう。
状況にもよりますが、人によるし、受けとめ方にもよります。同じ状況というのは、厳密にいうとありえないからです。本人の今の状況と目的があってこそ、トレーナーは、より明確なアドバイスをできます。それを聞いた上で、メニュ、方法もより活かせます。最初は伝わらなくても、回を重ねるごとに理解できるようになることも多いのです。
相手が違い、目的が違えば、効果が逆になることもあります。ことばでその状況と状況ごとの対応を、すべて表すことは不可能に近いです。
よく、本人不在の問いがあります。「こういうことを聞きましたが本当でしょうか」となると、誰の何のという状況がベールに包まれて、答えられるものではありません。「聞いた人に聞いてください」となります。
私のところでは、生徒さんは複数のトレーナーについています。一方のトレーナーのアドバイスや言ったことを、他方のトレーナーに聞く人もいます。同じようなことが生じます。一方のトレーナーのことを他方に聞くとしたら、そこに何か事情があるのです。私としては、当のトレーナーに聞くように言っているので、その事情をみるのが狙いです。これは、二人のトレーナーのことがわかる第三者やセカンドオピニオンの立場であるからできることです。
○セカンドオピニオンの役割
私は、研究所の内外問わず、他のトレーナーのレッスンのことをよく聞かれます。本を出しているから、国内は遠方からも、海外からも疑問をいただきます(訳書もあるし、日本の書籍も売られているからでしょう)。
原則としては、そのトレーナー本人に聞くように促します。その上で、アドバイスを必要とするなら、セカンドオピニオンとして、見解を述べます。セカンドオピニオンとは、担当のトレーナーを否定、批判するのではなく、その説明を補足する役割です。担当のトレーナーの話が信用ならないから聞きにいくのではありません。ですから、まったく反対の見解であったとしても、それを担当のトレーナーにも伝えてもらい、担当のトレーナーとよりよい解決を図るために利用するとよいのです。
担当トレーナーを変えるのではありません。一見したくらいで、長くみているトレーナーとの間に立ち入るべきではありません。それでは、セカンドオピニオンでなく、次のトレーナーになってしまいます。ですから、他のトレーナーのやり方で相談にいらした人に、そこをやめるようなことは決して勧めません。だから皆、安心していらっしゃいます。
○セカンドオピニオンの勧め
私の場合は、研究所内のトレーナーでよく知っているケース、外のトレーナーで、ある程度知っているとか面識があるケース、そこから生徒が何名かきていて知っているケース、私のところのトレーナーがよく知っているケース、誰もまったく知らないケースなどがあります。
ただ、多くの生徒さんのいるところからは、必ず何名かはいらしているので、だんだん事情もわかってきます。すると、最初は分からないことがあっても、少しずつ、なぜそう教えているのかもみえてきます。その方向性、可能性や限界も学ばせてもらっているのでウエルカムです。
日本で30年近く第一線でやってきたのですから、どこよりもその事情には通じていると思います。是非、ここをセカンドオピニオンとしてご利用ください。
○言語化の必要性
ヴォイトレは、声を身につけていくトレーニングです。しかし、ことばや文章化することを頭から否定するのは関心しません。それには、いくつもの理由があります。
まず、第一は、生徒さんとトレーナー自身の勉強と研究のためです。他のトレーナーの状況や方法、そこで述べていることを読んだら、もっと学べるようになります。すでに同じようなケースを自ら体験したり、人に教えて同じ状況に面したトレーナーたちのことばです。
状況に応じて一つの答えというのがあるというのなら、トレーナーの答えは同じになるはずです。そこは、千差万別です。違う見解や他の対処方法もあります。ことばや音声として記録していかないと比較、検討や検証はできません。
第二に、トレーナーの指導の技術として、声に対する処方とともに、的確なことばを使うことも学ばなくてはいけないということです。レッスン中にも、それ以外でも、ことばで伝えることは必要となるでしょう。ことばやその使い方を学ぶことは、トレーナーとしても必修です。ことば一つの使い方で、生徒がよく理解できるし間違いを回避できるからです。
ヴォキャブラリーが豊富で、イメージや例えをわかりやすくできると、生徒はよりよく学べます。これは長くトレーナーを経験したらわかることです。ここのトレーナーも、私や他のトレーナーのことばやことばの使い方を学んでいます。
実際に教えられた生徒にとって、トレーナーのことばの記録は、将来に必ず役立ちます。トレーナーの他人へのアドバイスを見たり読むのも役立ちます。会報やブログはそのために出しています。トレーナーの他の生徒へアドバイスしていることばを知り、その言動をみると、より早く深く理解することができるようになるからです。
個人差が大きいとはいえ、そういう状況を明らかにする方が、方法やメニュが合うとか合わないとかを考えるよりも先です。自分にはうまくいっていないレッスン(方法やメニュ)で大きな効果を上げている人のことを知る、いろいろと参考になります。そこから、自分に足らないものの存在に気づき、大きく伸びるきっかけとなるからです。
ことばや情報の理解のためにも、自分がことばにする、自ら情報を発信することは欠かせないことです。それは、世の中で実践していく力にもなります。
○第三者へのことばの力
第三者、直接に関わっていない人が読んだらどうかということです。これを否定してしまえば、スポーツ、武道、芸術、医学なども、伝わらないから、言語化して残すな、伝えるなということになりかねません。どんな書物であっても心身に関しての処方の記述に完全なものはありません。どの人が使っても、必ず一定の効果が現れるというものはありません。
一方で、トレーナーが面倒だから、ことばにしたくないという怠惰さは忌むべきことです。ことばに残す努力をして一流になった人が、芸術家やアスリートには少なくありません。
私は、この分野の多くの情報に接して、多くのことを発信してきました。そして、私の本やホームページを読んでいらした人のトレーニングをみてきました。
それだけに、いかに情報がいい加減に伝わり、使えないもの、誤解、誤用を防げないものかを知っています。読み手と書き手の両方の立場から知っています。実際に、そういう体験もしてきたからです。それでも、ことばの力を信じるのは、大きな効用があるからです。
○インデックスとしてのことば
ことばはインデックスになるということです。イメージは、なかなか捉えられないし、まして人に伝えられません。私たちは、絵でも、ボディランゲージでも、何かに例えて説明せざるをえません。トレーニングの意図やレッスンのあり方についても伝えるのは難しいものです。
声だけでみせたところで、すぐにそのままできるような人などはいません。まして、声は、まねたらよいのではないのです。
レッスンは、ことばで伝わるのというのではなく「実習あってのことば」です。ことばはないよりもあった方がよいでしょう。声のイメージを伝えて共有していくためです。
それらは、私の考えよりは、いらっしゃる人の要望です。私は、しばしば、ことばの使い過ぎや説明を抑えます。そうするよう、トレーナーにも注意しています。
○要は使いよう
一人で、黙々とやっていくと、人は考え悩みます。いろんなイメージが思い浮かびます。ほとんどは雑念です。それを切るには、何も考えないことです。でも、そんなことはできないなら考え尽くす、ことばから離れるために、ことばをありったけ使い尽くすというのです。公案問答のようなものです。
習い事を、真っ白の心で始めて、そのまま無心で身についていくなら理想的です。ですが、本気でやろうとするなら、そういう人はほとんどいません。
一流になる人は、誰よりも一流の人の演奏を聞き、本も読んでいるものです。それは、芸事でも同じでしょう。より新しく、より高く、より深く、物事を極めていくのに、どうして過去の偉業や他の分野の一流の人から学ばないことがあるでしょうか。
理想というよりは、ことばは必要悪なのです。「ことばは、不要」というのは、「歌なら歌っていればよくなる。声は出していればよくなる。レッスンはいらない」と思って伸びない人の考え方です。そこでうまくいくならよい、いかなければレッスンにいけばよいのです。本や会報も同じです。使えると思えば使えばよいし、使えないうちは使えないのです。いつか活かせるように待てばよいのです。
「方法やメニュを使うと悪い方にいく」というのは、「声楽を学べばポップスが個性的でなくなる」というくらいに安易な考えです。ポップスを聴かず、自分の表現も追及せず、声楽で言われるままにしか声を出していなければ、そうなるでしょう。それしかしていないのがおかしいのです。自分のしたことしか出てこないのはあたりまえです。
本や会報やQ&Aを、いくら読んだところで、声も歌も身につくわけがありません。日本人は、検定クイズのようなものが好きなので、ハマってしまう人もいるでしょう。それを戒めるなら、「ことばは、不要」といえます。
○総括し比較し気づける場に
会報には、よくある質問に、私が一人でなく、何人ものトレーナーの答えを一緒に載せています。過保護かもしれませんが、いろんな答え、というよりは、いろんな意見や見解があることを知って欲しいからです。いろんな状況もあり、いろんな人もいて、それぞれに異なるということです。客観的にしているのです。
多くのトレーナーはそれぞれに、それぞれの立場で自分の考えに基づいてレッスンを行っています。ですから、トレーナーは、自分が正しいと信じているものです。自分だけが正しいと信じているような人に教えられるのは、入口の周辺です。
昔の私もそうでしたから、わかります。いつも、誰にも、どんなことにも正しいことなどはありえません。正しいということ自体が絶対的なものでなく、相対的なものです。常に、目的や時期によって、その人にとって、より正しいトレーナーは世界のどこかにいると思うべきです。
それまでは、トレーナーと客観視して使える環境をつくりましょう。それぞれのトレーナーの正しさを信じつつ進めていきます。厳しくなるほどに、絶対的に正しいことなどは一つもないことがわかるのです。
この分野は、どの生徒にも自分のやり方を、よしあしはともかく、工夫もせず行っているケースが多いと思うのです。ましてや、レッスンにも通わず一人で練習している人の思い込みやトレーニングの非効率なところは本人にはわかりようもありません。
○一般論でなく各論
声楽家は、発声を他人に習うことの必要性を知っています。オペラという舞台が日本人の日常とはかけ離れたところにあるからです。その点は、クラシックバレエにも似ています。(なのに、なぜバレエの方は、日本人も世界レベルに達する人が出るのかということです)習ったからといって一流になれないのは、なぜでしょうか。他のトレーナーのレッスンを受けている人や、一人でトレーニングをしている人を批判しているわけではありません。すべての方法や考え方は、対立したりどちらかを選ぶものでなく、欠点を自覚し、相補充して、うまく活かせたらよいからです。
この分野は、未熟なせいで、正しいか間違いかでしか考えない人が多いのです(トレーナーや先生方もそういうレベルに安んじているのです)。一般論でなく各論、自分にとって、今よりよくなるかどうかだけを考えればよいのです。☆
今の自分を絶対視せず、正しいと思っても、常に学ぶことを怠ってはなりません。天才であって、これまですべてが正しかったとしても、教えることまで正しいとはなりません。言動の記録はその一助になります。記録をみて、すべての内容を捉えられるのではありませんが、同じミスを防ぐことができます。
○動画とことば
動画の教材も多くなりました。ことばで伝える何百倍の情報が、動画では、声や歌でも数秒で伝えられます。ことばよりも動画はわかりやすいため、よく伝わるように思えます。その反面、間違いやすいことも助長されます。
動画だけでヴォイトレがうまくなるなら、現実のステージを見て、まねているのでも、皆、うまくなるはずです。それは理想です。それでうまくなったところで、足らないからヴォイトレがあるのです。必要に応じて、レッスンのことばがあるのです。
こういう分野は、文字でなく音声や動画をもっと使うことだと思うこともあります。音声検索ができるようになれば、もう少し、動画を使いやすくなると思います。
今しばらくは、使いたいところだけ選んで学ぶには、文字が100年の長があります。それをきちんと踏まえて動画版をつくるのなら効果的でしょう。ストレートな分、メリットもデメリットもより大きくなるということです。具体化されるために、イメージ、想像力の働く余地がなくなりかねないのです。音声より画像に気をとられるでしょう。音声ならTVよりラジオで学ぶ方がよいと思いませんか。
○伸びない理由
一流のアーティストは、作家でもないのに、皆、すぐれたことばや文章を残しています。まさに、世界観、思想です。ことばには価値判断を迫る力があります。本人がよしあしの吟味を厳しくし続けてきたときに働いたのでしょう。まして、アーティストに、厳しい判断をして、修正を促すトレーナーが、ことばに説得力をもたずによいはずがありません。ことばを使うのは、おのずと考えることになります。考えずに指導していては、同じことのくり返しで行き詰まります。
アーティストタイプのトレーナーは、特定の人だけを特定の方向にしか伸ばせないし、あまり変わることがないのは、そのためだと思います。自分の見本を見せてイメージを説明するには、アーティストタイプのトレーナーがもっとも有利でしょう。それと異なることができる人は限られています。スクールでも似たことがそこそこにできる器用な人はたくさんいます。それゆえそこで終わります。そういう伸び悩みは巷にあふれています。目的がそうなっているので当然なのです(アーティストタイプのトレーナーもまた、器用な例の代表ともいえます)。
○変わり続けること
ヴォイトレについて、日本には、世界に冠たる重鎮はまだいないといません。トレーナーが優秀というのは、世界に冠たるアーティストが出たときに裏付けられるでしょう。声もトレーナーも歌い手も役者も、実力としては発展途上国レベルから後進国レベルへ後退していると私は思っています。
体力や気力が衰え、頭で理屈っぽくなっている人が増え続けています。頭でっかちにするなというのが私の考えです。
私は、レッスンでは、肝心なときだけ最小限のことばしか使いたくありません。ことばに気をとられると感じなくなるからです。私のレッスンは静かです。言いたいことは述べ、述べられないことは、会報やブログに載せています。
時代ともに生き方も異なっていきます。トレーナーは多くのことを常に学び、人を育てるなら発信しなくてはなりません。自分の考え、やり方、メニュの改良、自らの変わったことも伝えていかなくてはなりません。もし、若い頃に習ったままでずっと通じると思っているのなら若い人は育ちません。私も研究所もここのトレーナーも、変わり続けることをよしとしています。よいにしろ悪いにしろ、常に学び、考え、情報を発信する姿を見せていこうと思います。ステージでも歌唱でも演技でも、使うことばは情報の一形態です。
○掲載の仕方について
私は、会報に生徒や皆さんの質問や投稿を、できるだけ載せてきました。そのとき、省略という形(最小限の編集)で個人の事情や不必要なことばを抜いています。それは、スペースの問題と、一般化して、他の人が読んだときに、自分の問題として捉えやすくするためです。答えるトレーナーも記名しないのは、いつの時代も、どこの人も、使えるように、です。具体的な一事例を取り上げ、その人にでなく、そういう人たちに普遍化して述べているのです(本人には、本人宛てに応じることもあります)。
○アーティストに向けて
日本人というのは、まじめで受容能力が高く、いろんな情報から選ぶ能力は長けています。それゆえ、海外に追い付け追い越せの時代には有利でした。ネットの時代ですから、料理をつくるのに、早く安く、それなりにおいしくするのにレシピを利用するというなら、それでよいでしょう。どれが今日の自分の状況に一番よいかを選べばよいのです。
しかし、私の接しているアーティストには、そんな一般的な正解は不要です。まったく役立たないからです。これからの世界をつくっていくのですから、Wikipediaの情報や知識などは使えません。主体的に創っていくのに必要なものを、ここから取り出せるようにしているのです。
一つは、直感的な力です。料理なら味覚です。私もそれに対応できる回答、いやヒントを出すようにしています。その一部をここに公開しているわけです。
○創造すること
情報を、どのように整理し、組み合わせて使うのかを学ぶことです。選ぶとか正誤を判断するというのではなく、自ら創ること、それに役立つものを引き出すと考えます。選ぶのでなく、少しでもヒントになるなら、そこからつくりあげるのです。その努力を惜しんでは創造できません。まさに私がここで回答をしているのと同じです。
「合わない」「間違った」とネガティブに捉えてフィードバックするのではありません。行動していくのにポジティブに情報を使っていくのです。現実の世の中を切り拓いていくのです。
しかし、日本人には、ポジティブに世界へ出ようというエネルギーが減じてきているのではないでしょうか。出れば打たれるのはあたりまえ、無理するから失敗もするし、間違いも起こします。でも無理しなければ、高いところを学べないのです。
これを読む人も、これを活かそうとするのでなく、自分の頭で白黒をつけようとしてどうなるのでしょう。私のファン(アンチも含めて)でいたいのでしょうか。
物事はスタンスによって、よい方にも悪い方にもみえます。生涯かけてやっていくことに、あるいは、そこまでかけなくても、ネガティブにみることに何の意味があるのでしょう。自分自身が、否定でなく肯定して行動することです。
○感謝と願い
先を読みたい人、深く本質を読みたい人が、いらしてくださるのはありがたく存じます。その人に恥じないように書いていくつもりです。そうでない人が、ポジティブな考えになれるのなら、とても嬉しく存じます。
情報も知識も方法、ノウハウもメニュも、断片にすぎません。私はものの考え方、捉え方を述べています。いろんな材料でケーススタディして、その判断を教えられるのでなく、自分で基準をもてるようになるように、あなたの勘が磨かれるようにしていけたら嬉しいです。
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