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2021年8月

「基準と基礎から、一流と大衆性」

○基礎と基本の定義

 

 基礎とはfoundation、下部構造、大本、基い、土台、建築物でいうとコンクリートの基礎であります。基本はbase、物事の成立に基づくもの、判断や行動、存在の基、基い、根本、土台という感じでしょうか。

 とはいえ、英語でもどちらにも使われ、日本語も区別されないときもあります。ちなみに私の本では、基礎、基本講座とついたものがあります。基礎、基本に対応するのは応用やアドバンスで、上級などになるのでしょうか。

 そんなことはさておき、ここではヴォイトレにおいて、歌唱やせりふ、朗読に対しての位置づけのことです。声のヴォイストレーニングに対して、歌はトレーニング、せりふ、朗読はせりふ、朗読トレーニングでしょう。そんなことは何回も述べてきたので、ここでは定義で考えてみたいと思います。つまり、芸能の判断をするときの基準としての基礎や基本ということです。これは、とても大切なことです。そこから伝統と芸、時代を生き残るための基本、芸術性と大衆受けまで述べたいと思います。

 

○基礎のある人

 

 よく「誰の作品を聞けばよいのか」と聞かれます。基礎のある、いや、基礎を学ぶのがよい歌い手や役者は誰かということです。

プロの人は「基本を教えて欲しい」とか「基本をやり直したい」とか「基本を知らないので」などと言って、ここにいらっしゃいます。ポップスでは、歌っていたら、バンドを組んで活動していたらプロになれたという人が多いので、自分は基礎をやっていない、正規の教育を受けていないといいます。そういうコンプレックスがあるのかもしれません。しかし、基礎や基本とは何なのでしょうか。

 研究所では、そこを「発声体としての基礎」においています。音大のカリキュラムのような統一されたものではありません。しかし、どこかで学ぶべき基礎といわれるのなら、ある程度の統一性は必要です。

 トレーニングが特殊なものだから、基礎トレーニングというのです。どこでも迷いが生じることです。

声楽では教育を受けずに、つまり発声の基本を身につけずに、オペラ歌手になるのはとても難しいでしょう。発声の基礎が、そこにあるということです。しかも10年以上のプロセスとして歌唱力と分離されて声楽、発声練習としてあるのです。邦楽でも10年、20年では基礎どころか小僧という深い世界です。そこからも多くを学ばせていただいていますが、邦楽は、芸と基礎トレの分離ということ、流派(一人の師)ということ、日本だけで、という点で扱いにくいのが実状です。

 

○一流を入れる

 

 スポーツや音楽の世界では、教えられずに、あるところまで才能を発する人がいます。それには条件があります。必ず、それ以前に、一流のプレー、試合、作品などに接して、そこから吸収しているということです。

独力で伸びた人は、誰よりもそこから多くのものに気づくセンサーが鋭いのです。学んで自分をコントロールし、足らないところを補っています。語学もラジオだけで何か国語もマスターした人もいますね。何から学ぶとか、誰から学ぶとかもセンスであり、才能の一つです。

 オペラにはメソッドがありますが、ポップスや邦楽にはありません。メソッドといっても、その時代の流行のもので、全世界で統一してあるというわけではありません。

 独力であれ、学校であれ、一時期はしっかりと他の人に学んでいるという事実です。歌を聞いてもいないし歌ってもいないで歌手になった人もいません。最初からうまかったとしても、しゃべれなかった時には歌えてはいないでしょう。今の実力とは、何に出会い、どう反応してきたかの積み重ねなのです。

 

○天然型の基礎

 

 これまで、何事にも基礎があるということで、基礎への探求はなされてきました。それをメソッドとして学ぼうと学ぶまいと、人から教えられようが教えられまいが、身についているかどうかということです。それは、より早く、より高く(ハイレベル)、より深く、より長くなどのために必要ということです。

 しぜんと聞いて歌っているだけで、実力派の歌手になれた人は、そこに基礎も、必要なことも入っていたのです。聞いて声を出すだけでハイレベルに対応でき、つくりあげられた人です。

 そうでない大多数の人のために練習法、メソッドやトレーニングがあるのです。

今の私は、そこを突き詰めることが主になってきました。しかし、それに加えて、あまり論じられないことですが、一流やプロの力をつけるにはどうするのかということです。

 歌手や役者になった人でも、その実力を維持し、向上させ、新しい時代に対応するには、たくさんの課題があります。そのための声の研究もメインなのです。

 

○「歌がうまい歌手」リスト

 

 新年の週刊現代の「歌がうまい歌手」日本人で、プロデューサーたちが選んだリストをみました。その翌週には、歌手やヴォイストレーナーが異論を、それぞれに述べているのですが、私は、そこともスタンスが違います。結局、述べませんでした。

私としては、一般論ですが、歌手であれ何であれ、世の中でやれていたら皆それぞれによいという立場です。

 それは音楽、歌、発声だけの実力に限りません。そこは研究所のトレーナーとも違います。(レッスンでのスタンスというなら、レッスンでの声の可能性と限界においてみるようにしています)

 私のところには、マルチな才能をもつ人がたくさんきます。声を、何にどう使おうとでやれていたらよいと言っているからです。やれていなければダメということではありません。芸能であれ、ビジネスであれ、やれている人の声は、ひとまず肯定するというスタンスです。その上でどうするか、また、やれていない人は、やれるようにどうするかです。

 プロなら声で伝えている、その伝えているということを、ここでは広く深く捉えているということです。

 私もその一人です。歌とか朗読、アナウンスでプロでないと言われたところで、それは畑違いなのです。

 リストのなかに、知人もいるのであまり述べたくもないのですが、具体的でないと論じにくいので引用しますと、

 ヴォーカルランキング

1、桑田 2、中島 3、山下() 4、小田 5、井上 6、五木 7、沢田 8、都 9、石川 10、玉置 11、桜井 12、中森 13、松任谷 14、坂本() 15、稲葉 16、布施 17、吉田() 18、高橋() 19、椎名 20、松田() [週刊現代11724日版]

 これに対して、次の号で、歌い手やトレーナーが異論を展開しています。

 

○声に戻る

 

 私の持論はこれまでも述べてきました。(拙書「読むだけで…」に、ヴォーカルのリストあり)

 トレーナーとしては、プロとしてやれている歌手のよしあし、好き嫌いはどうでもよいのです。そうでない人が誰をどう見本や参考にして、何をどう学ぶかということです。それは一概に言えないのです。相手(生徒)の目的やレベル、方向、優先すべきものによって違うからです。

 他のトレーナーのように「この人を聞きなさい」とは言いません。まして「この人は聞かない方がよい」とは、もっと言いません。どんなプロ、いやどんな人からでも学べる、学ぶ力がプロであること、それをプロのように学べる力をつけていくことがトレーニングです。 

 それでも、私がこのようなもので気がかりなのは、現在の日本人のなかでも、歌に耳があると思われている人の評価のあり様です。この評価のケースで出てくるプロデューサーや歌手、トレーナーは、今の日本の一端を代表しているからです。

 私なりのランキングは、声中心ですから違います。すでに今の時代、ヒットする日本の歌は声中心ではないので合わないです。それも踏まえた上で、声に戻ることが基本だと言いたいのです。ですから、いささかクラシックな考えになります。1960年前後のポップスなどでは、すでに50年以上経ち、当時のリアルタイムで聞いていたファンが伝えてきたとしても、クラシックになりつつあります。

 つくられたときにいた人がいなくても継承し続けたところでクラシックとすると、早くて80年、およそ100年経てからの評価です。著作権の切れたところあたりから後のことですね。

 時代を超えた、ということ、国を超えて自国のファン以外にも愛されてこそ、クラシックといえるのです。それは、このランキングでは、到底なしえていないのです。

 

○ワールドサイズで考える

 

 歌や宗教をワールドサイズで考える視点が、日本では欠けています。ガラパゴス化を超えて、自家中毒になっています。それは批判ではありません。

時代や国、時間や空間を超えて通じるものであってこそクラシックということです。そうであろうとなかろうと、これは基準と基本を知るためには、大切なことなのです。

 アーティストに声の基本を強要したいのではありません。音大に行かなくてもプロになれた人は、音大に行った人より才能(努力も含めて)があります。音大を出た人こそ、そこに学ぶべき基本があるともいえます。

 それをクラシックとかポップスとかで二分したいのではないのです。長く多くの人たちを惹きつけるものには、根本に共通のルール、基本が宿っています。私が、このリストを前振りにして述べたいのは、根本、基本があることと、世に認められる大衆性を得ること、および芸術性との関係です。その成立についてです。

 

○根本のもの

 

 美空ひばりは、玄人受け(プロから目標とされた)だけでなく、大衆受けし、死して十数年経ってもセールスは続いています。紛れもなく、日本を代表する偉大なアーティストです。これで国際的なヒットがあればと残念な限りです。歌は、その大衆性こそが、歌い手の知名度に表れているのです。

 誰をあげるかで、聞く人の基準、判断がよくわかります。好き嫌いであげる人が多いのですが、プロでは、音程、リズム、発音の確かさでみる人、音質、発声でみる人もいます。歌には歌唱力とはいっても感情表現、感覚的なこと、聞く方の個人的な感情や育ちが入るので、なかなか客観的にならない評価しがたいものです。

 私は、これまで出会っていない人、自分の人生と別のところにいた人に見本をとることを勧めています。

学ぶというのなら自分に入っていないものも学びたいものです。それは苦手や嫌いなタイプの歌手、トレーナーがもっていることが多いのです。となると複雑です。

・表現レベルに芸能としての歴史、浪曲―歌謡曲―JPOPS(日本)

・それに対するワールドミュージック、世界のPOPS

・大きなくくりでは、学校、小説家、歌、声優、お笑い、神話、詩、本―漫画―アニメ、演劇―映画、ラジオ―TV、レコード―CDDVD

 世の移ろいにつれ、いろんなものの流行り廃りがあります。

 そこに仕掛けるプロデューサー、それを受けとめたり流していく大衆、群衆、個衆(個人志向)と、一見すると、とりとめのないもののなかで、普遍的に共通しているものがあります。その根本を学ぶことを知ることが大切なのです。

 

21世紀には

 

 オペラも邦楽も21世紀になり生き残るのに青息吐息です。歌の番組はプロレスやボクシング、野球並みに低迷しています。スターが生まれなければ滅びる、ヒット、人気商品が出なくては、衰え潰れていくのです。

 多くの人が長く愛するもの、それこそが基本のあるものです。私たちの学ぶべき“クラシック”としての基準です(ここでのクラシックは、オペラ、声楽のことではありません)。それは、ときに、その時代、その国や地方のその場限りの大衆性と反します。

 根本を考え、そこをトレーニングします。世の中を、次世代を先駆ける感覚を形にすることです。その一つのツールとして、ヴォイトレを捉えるということなのです。ちなみに、ローリングストーン誌が世界のシンガーのランキング100を公開しています。それをみると、いろいろと考えさせられるのではないでしょうか。

 

No.360

泣顔

表情

変化

生命体

空想

人様

大丈夫

熱心

呆け

運動

毎日

駄目

買い物

掃除

仕上げ

一定

集中

物語

積木

真実

系列

継続

作品

生きかた

晩年

世間

周知

手元

細大

心得

「原因と結果」

○元の原因とあとの結果

 

 トレーニングは、A→B、メニュでやったことと効果を因果関係として、「こうしたからこうなった」という形で出そうとしています。それは違います。「こうしたい」でなく、「こうなった」の世界です。実のところ、結果に直接に効く原因はなく(本人やトレーナーが思っているだけで)間接的に効く要因がいくつかあったということです。

「できた」といっても、「できなかった」ときとは、何かしらの基礎が整ってきたのか、応用によって働きが違ったことで可能になったのか、それによっても違うのです。そこを分けて判断することが大切です。

それ以前に、「できた」とは、どの程度なのかということを忘れていませんか。

 「音にする、声をならす」でなく、「音になった、声になっていた」とならなくてはいけません。☆☆

主観的な判断を客観的な判断にしていきます。

 「響かす―響く」、「あてる―あたる」なども似たようでも違います。前者は試みで、後者は結果です。試みでできるのは、ふしぜんなものです。結果でできてしまっているのがしぜんです。そうなるまで時間を待つしかないのです。

 結果が出てからでしか何ら言えず、結果が出ていたら何も言うことはないのです。

 試みるのは、トレーニングであってはなりません。試みたときにはできているように、深いところ、基礎、器づくりを行うことがトレーニングなのです。

 

○プロセスとスパーク

 

 レッスンやトレーニングの目的に、「歌手」や「役者」になる、ということをあげると、そのための目標の一つが発声の基礎トレーニングです。目的をおき、目標は、3年、1年、3か月のように時期で区切るとよいでしょう。

 声は、芯を支えていると動きだし、外へ働きかけたとき、共鳴しています。そういう結果が出ます。結果を出そうとしてレッスンし、トレーニングするのです。

 結果が出るのは、閃きと同じで出てしまうのです。出そうとして出るのではありません。瞬時に、閃きのようにスパークしてしまったらできているのです。

 夢のように時空が消えます。体―息―声―共鳴がすべて一体化して、そこで言語や歌を処理しているということです。無心に読経しているような状態が参考になるかもしれません。

 早い、高い、深い、この3方向を応用としてとるとします。そこでは、好き―嫌いでなく、すぐれているもの―すぐれていないものがあり、すぐれている人―すぐれていない人がいます。

 どれか一つからでもよいのです。表現という目的において、いつか一致すればよいのです。

 何をやっても、もっと才能のある人がいて先がみえないときには、勉強不足と思って勉強しましょう。

 欠点を磨いて長所にするのも、大切なことです。

a.長所 概知  くせ、過去、体制的、保守的、こなす、うまい、正しさ、きれい

b.欠点 未知  個性、未来、反体制的、創造的、表現力、深い、インパクト、濃い

対照してみると、こうなります。baでなく、abなのです。長所から短所にいくのがトレーニングのプロセスです。

 

○時間と資質

 

 理想の何パーセントをまで使えるものとしていくのかというトレーニングが大半ではないでしょうか。「やり方」を学ぶというなら、そのまま100パーセントまで、マックスで使ったら、それで終わりです。

 方法よりも 結果として、できていることが大切です。理想を今の100で甘んじずに2倍、3倍にする、という条件を課すことです。

 そこまでして、ようやく体の感覚から変わる必要性を帯びるようになります。変えるでなく変わるであって価値が出ます。それがトレーニングです。

 歌では、次のようにみるとよいでしょう。

a.カラオケ<ポップス<声楽

B.体の感覚<ゆれ<こぶし<ビブラート<共鳴

C.心身のメンタルトレーニング<フィジカルトレーニング

 

○目的とプログラムの説明

 

 どの程度に説明するのかは難しい問題です。医者であれば、2つ以上の案を示し、それぞれのメリットやデメリットを説明するのでしょう。どれか1つの方法が、絶対にメリットだけなら選択も代案も必要ないからです。

 ただし、その1つでさえ、他のものに比べてましとか、今のところは一番ましというものでしかないこともあります。

 こうした説明は、デメリットが出たときの逃げにすぎないともいえます。説明責任を果たすというと良心的なようですが、予めリスクを話すのは、何かの際の責任追及から逃れるためという面も大きいのです。

 何事にも絶対的正解はありません。常にすべてが試行なのです。結果は、本人の意思や努力あってのメニュ、方法によります。そこから芸になります。

 

○意志力

 

 どんな方法をとるときにも、こちらが説明や実践することで、本人に信心ややる気が出てくると、結果が違ってきます。トレーナーや方法が同じでも、一人ひとり決して同じ結果にならないのです。まさに不確率の世界です。

 そのために、ともかくも何らかの説明が求められます。それは、あってもよいでしょう。協力していく、トレーナーとクライアントが一体になって問題にあたっていくのはよいことです。

 医療についてなら、大体は元に100パーセント戻すのを目的として、90パーセント戻れば上出来といったくらいです。でも、そのくり返しで100×0,9×0,9×…で、人は弱っていくのです。ヴォイトレの調整でも、戻すのだけを目標とするなら同じことでしょう。☆

 今の力をキープするには、キープ=守ると考えた時点で負けです。「もっとよくなろうとして初めて、何とかその力をキープできる」のです。

 

○直すのではない

 

 長らく怪我や病気をしたあとの治療であった医療が、予防へ向かっているのは、よいことです。守りでなく攻めといえます。先手必勝、早く対策するのは、目標を今より高くおけるということです。そうあるべきに思います。ここで、トレーニングは、治すのとは違うことを知って欲しいのです。

 ヴォイトレは、うまくいかない、下手なのを直す、間違っているのを正すというのがほとんどです。下手でも間違いでもないのに、直したところで、正しいと言われるようになったところで、通じないことでは、ほとんど変わっていないのです。なのに、どこがトレーニングかということです。

 

○早くでなく、すごく

 

 普通のトレーニングは、「早くよくなる」のが目的のように思われていますが、「よりすごくなる」が忘れられています。これらが両立したり、順になるなら一番よいのですが、少しでも早くよくなることだけが目的にとられがちです。そうするつもりではなかったのに、それだけになっていることが多いのです。トレーナーの考えも、トレーニングする人の目的がそうだから、そうなるのです。

 すごくなるには、とても時間がかかります。結果としてすごくなるという目的であってこそ徹底した基礎トレができるのです。早く少しよくを目指すなら、バランス、調整中心の使い方、技巧のメニュや対処方法のオンパレードになるのが関の山でしょう。アスリートの世界で考えたら、言わずもがなです。

 勉強ということ自体、私たちは昔よりもずっとしているようで、理論というまやかしに走って根本が見えなくなってきたのです。学ぼうという人は、理屈やノウハウばかり欲しがっているから、なおさらそういう傾向になります。トレーナーの質も、それに伴ってしまうものです。

 

○本質と万能 

 

 一子相伝は、選ばれた一人に直接、師が自分と同じようになれるように口伝します。型に完全にはめて、型通りになって継承すると形骸化していきます。せっかく伝承されても、滅びてしまいます。どこかで型破りの天才が出て、新しいものに改革、創造するから伝統となって受け継がれるわけです。

 ヴォイトレは、相手に合わせ、時代に合わせ、基本をなおざりにしすぎました。かと言って昔のようにトレーナー、先生、師に合わせて、前の世代しかできない体験を継がせても何ともなりません。

 本当は自分をまねさせるのでなく、自分も先代もまねしてきた、もっともすぐれた本質的なものに気づく必要があるからです。そのための手段が、型です。

 型は、基本として厳格でなくてはなりません。トレーニングでは、よしあしの判断の厳密な基準ということです。師によって異なるというのでは、私の意図するものとは異なります。形は問いませんが、その下にある型は、みえずとも万能の器です。それは、語れるものでなく気づくしかできないものです。

 

○先に与えない

 

 一般の人に一流の作品に接させたら、トレーナーは、その本質に至るための邪魔をとる、それでよいのです。それが理想的です。「語らず教えず」でよいのです。

 それでは、生徒はわからないというので、やさしい先生は、すぐに丁寧に教えだします。「私の通りに」とか、「こういうふうに」と。生徒が欲しているならまだましです。欲していないのに先に与える、教えたいから教えているのが、今の風潮です。教える人が、教えているという充実感、満足に囚われているのです。

 トレーナーがこうして、一つ先に早く進めて、そこから先にさえ行けないプロセスにしてしまうのです。一つ先に連れていかれたのがすべてとなって、それが百歩の中の一歩とも気づかないからです。

 昔から師に可愛がられ、早くいろんな技を教えてもらい、早く師のようなまねができるようになった人は、およそ大成しないものです。それは、結果の形をまねただけで、プロセスで気づいて自ら体得していくものを得ていないからです。形はつくけど実はない。丸暗記で覚え、正しく言えるけれども内容は把握していないので伝わらないのです。

 教えて、潰してしまう。師の形でしかできなくしてしまうのは、大きな誤りです。それを後継者とする、他で通じなくしてしまうからこそ、形として続く家元制もたくさんあるのです。

 

○実質と基準化

 

 トレーニングは、形(メニュ)を使って行います。大切なのは、そこで実質をつかむことです。ドレミレドで声が届いたとか音程がとれたでなく、ヴォイトレなら、体、呼吸、発声、共鳴が楽器として整ってきているかを目的にします。そして、その判断を基準化していくのです。

 迷い、悩み、もがき苦しむことでわかってくるものを、トレーナーが先にこうだよと示してしまうと、それをまねて、同じようになる。それがレッスンと思っている人が多いのです。レッスンの代価は、トレーナーのノウハウではないのです。それは、やめさせず続けさせるようなノウハウですが。

 ヴォイトレは、声のトレーニング、声の力をみるのですから、その目的は、声一つ、一声の違いというように考えたらわかりやすいでしょう。

 もちろん、それだけですべては得られません。同じメニュでもいろんな目的や判断があります。ほかのメニュもそこから派生します。

 たくさんのメニュを順にこなしていくだけでは、力はつきません。「何曲覚えたからすごい」というのと同じです。すごいなら、一曲でも一フレーズでも一声でもすごいです。形や数で満足するのが好きなのはよしとしても、そこで終わってしまってはもったいないですね。

 

○多様なもの、変じるもの

 

 メニュもやり方も、すべて変じて多様なものになります。変じてあたりまえです。トレーナーも多様でありたいものです。多様であることは豊かなことだからです。

 レッスンで、やり方がどうとすぐに言う人をみると、そう前に、なぜ一度、受け入れてみて学ばないのかと思うのです。私も瞬時に変じているのです。変じたものでなく、変じることを学ぶべきなのです。

 先生やトレーナーでは、大して変われらないかもしれません。変わらないのをよしとしている人も少なくありません。

ここに入ったときのトレーナーも2人に1人はそんな感じでした。「私が教えられた発声を教えにきました」というようなものです。それを今は「私の発声を教えにきました」にしてスタートしていただくようにしたいます。そういうトレーナーしか採らなくなりました。

 一方で、どのトレーナーも、自分以外にも、いろんな正解、いや、いろんな方法やよいメニュがあるとわかるのに、案外と時間がかかります。わかっても、それを使って教えるのがよいのか、それで早くできるようにするのがよいのかは別です。

 すぐれた歌唱をする人ほど、自分の過去のプロセスに自信をもっているから変わりにくいものです。特に、教える相手が自分よりも未熟であるとそのままです。変わらないのはまだよいのですが、「変われない」のが困るのです。応用力がないということです。

 

○通じる

 

 普通、トレーナーは、自分のやり方があまり通じない人や合わない人とは長く接しません、そういう人は、伸びないとみなされるか、他に移るからです。他のトレーナーで上達していくようなプロセスを知ったり経験したりする機会がほとんどないでしょう。そのような経験を積むと、基礎があるトレーナーなら一気に変われるのです。しかし、そう簡単ではないようです。

 トレーナーも変われないと、トレーナーが複数いて教えている、この研究所では生徒がつかなくなってしまいます。本当の基礎があるからこそ、自在に対応できるようになるのです。

 「自分の方法が通じない」ということを認めるのは勇気がいります。どのようなトレーナーでも大半は、生徒よりは声は出るし歌はうまいので、生徒は、それなりにいろいろ学べるからです。

 ところが、ここにはプロの人や異なる分野の一流の人、トレーナーより社会的に活躍している人もきます。他のスクールのすぐれたトレーナー、ベテランのトレーナーに教えられている人にも教えます。これまで学んでことだけでは通用しないことが起きます。そこで、トレーナーも自分の問題として突きつけられるのです。

 そういう機会が多いと学ばざるをえません。トレーナーの方が生徒より学んでいてこそ、生徒も接する価値があるのです。私も、こういう環境で、今も新たに学ばされ、力不足を感じることばかりです。ですから、私たちの学んでいるプロセスとして、こういう学びの情報が尽きることはないのです。

 

○やり方もメニュも無限

 

 今の私は、他のトレーナーや他のやり方の方が早く、いや早くよりも将来的により大きな可能性を得られるというなら、自分のやり方に固執しません。

 トレーナーが自らを絶対視しているのはよくありません。他のスクールでは、よくみました。そのために、もっと学べるのにあまり学べないことは、生徒にもトレーナー本人のためにもよくありません。他のトレーナーや、そのやり方を批判的にみて、試しもしない、意見をも聞かない、それで充分に通じるのは、いつまでも低いレベルだからです。対応において、それを許容しているからです。他に替われるトレーナーがいないのは、あまりよいことではないでしょう。

 

○トレーナーの自立

 

 私は、トレーナーには、いらしてから23年、本人のやりたいようにやらせます。生徒に対してきたのと同じスタンスです。本人が生徒と接して学んで自ら気づいて変わるのを邪魔したくないからです。これまでの私たちと異なるやり方やメニュを、ここで発達させてもらうと、お互いの次の発展につながります。

 ですから、最初に他のトレーナーや私のやり方を学ばせません。日本では、とても新しいことと思います。ある程度、本人が対処法を確立しないと比較もできないからです。いらっしゃる時点で、少なくとも56年以上の本人自身の声のキャリアがあってのことです。

 最初は、新しいトレーナーは遠慮して、誰にでもわかりやすく伝えようと、あまり我を出さないものです。そこでは、大体よくも悪くもない。ベテランのトレーナーとは、違う新鮮さがあり、生徒にも好まれます。それも大切な武器です。

 ところが、その後、新鮮さがなくなり、偏り、個性と共に、くせが出てくるのが普通です。自信をもつとそういうようなことになります。そこからが本当のレッスンになるかどうかの勝負です。独自の存在価値をもって自立できるかということなのです。

 

○挫折すること

 

 自分を疑い続けているトレーナーには自信を与えますが、疑ったことのないトレーナーには、挫折から学んでもらいたいと思っています。早く挫折して欲しいので、ベテランの生徒や難しい生徒を混ぜたりします。うまくいかないところにこそ、その人の個性やよさも出てくるからです。

 挫折や失敗のないトレーナーでは、人を育てられません。自分が学んでいるということは、より高いレベルのことが求められるようになることです。その分、失敗やうまくいかないことに必ずぶち当たるものです。誰でもよくする、すべてうまくできると言っているような人は、目標が低いか自己のやっていることの把握もできていないということです。だから続けられるということもありますが。

 多くのトレーナーは、発声を学ぶときの挫折を経験に乗り越えたと言います。それでは、ただの自己PRになりかねません。ここで問うているのは、トレーナーとしての挫折のことです。

 プロデューサーでオーディション対策というのなら、その人のもっともよいものをまとめ、よくないところをすべて省くでしょう。ですが、レッスンなら、悪いものをとことん出してもらうことが大切です。そこからよいレッスンになっていくと言っています。

 レッスンは、最初からスムーズにいくとは限りません。目的を高く大きく変えていくなら挑戦であり冒険だからです。すぐにうまくいくようなのは、少しうまくなるくらい、私からみると、さして変わりがないのをよしとしているからです。順調で楽しかったレッスンも、あるとき、頭打ちになり、うまくいかなくなる。その先からが本当の学びなのです。早くそこまで行かせたいのです。

 

○表現力を高める

 

 ときに、表現力をつけたいと言って来る人がいます。この場合、ベテランの人ほど変わるのは難しいことです。初心者は、一流のものを聞くこと、そこから力が引き出されるようにプログラムすれば、後は時間をかければよいのです。

 しかし、ベテランは、それが終わったレベルに達していると、新しく入れるにも、入れ方から、気づきから学び直さなくては大して変わりません。よいものが相当に入っている人ほど難しい。そこでは自らを白紙にできるか、ということです。頭だけがベテランになっていて、力が伴っていない人は、さらに難しいことです。

 表現力をもう少しつけたいというなら、技術の問題ですから、発声の基礎からやり直します。しかし、本当につけたいなら、これまでのキャリアや自信まで白紙にします。

 これまでのうまくやれてきたことが、さらなる成長、可能性の追求を邪魔していると考えるくらいの覚悟が必要です。その覚悟があれば、そこまで高いレベルで気づけいているなら、最高のプログラムとして与えられます。そこから自分にないものを必死で入れ込みます。こういう人は、本当に稀です。ほとんどの人は、自分でやってきたことを取り戻し、確認できたら満足してしまえるのです。

 

○トレーナーの支え

 

 ヴォーカルというのは、自己肯定力がないと続けられないものですから、どこかで自信過剰、自惚れがあります。まして売れた人ならプライドも相当に高いものです。売れていないのにプライドだけが高い人は、難しいです。

 よい歌い手でも、自己肯定力があまりに強いため、世に出られないタイプもいます。そこには目をつぶり、他の人に任せよというのですが。

 自分が売れてもいないのに、そういう人たちにズケズケ言うとしたら、トレーナーは、歌手や役者と違うものに支えられていなくてはなりません。歌やせりふに対して声、ステージに対してジム、本人一人だけに対して多くの人、というのが、トレーナーのキャリアです。長い年月での声の育成プロセスの把握や、そのプログラム、結果の分析なども、アーティストには自らの体験しかないので、トレーナーに求められる経験です。よくわからない世界だけに多くの人を長い時間みた経験、それも一人で行うのでなく、多くのトレーナーを介してみてきました。うまくご活用ください。

 

○有能ゆえの無能

 

 一人で指導している人は、その人に合わない人が辞めていくので、もっとも大切な、自分に合わない人への対処について、あまりにも学べていません。残るのは、自分のやりやすいタイプか自分のやり方に合わせられるタイプで、そこでの効果から全てをみるからです。これが、歌のうまい人は声楽家のところで伸びるが、下手な人はもっと悪くなると、竹内敏晴氏の疑問への回答の一つです。

 私は心身が丈夫というか、人並みなので、そこの弱い人への対応は遅れました。心身が弱い人へは、それを克服してきたトレーナーが適任で、その経験を基に対応してくれます。私は喉が弱く大声も出なかったので、そこがもっともベースとなりました。それと同じく、有能なアーティスト、歌手、トレーナーが、一般の人への対応にうまくいかない。これは実質面でのことです。

 特にクレームがあるからでなく、本当はもっと力がついていなくてはいけないのが、少しうまくなって止まっているのは、「教える人が有能ゆえ、他の人に対して無能」ということなのです。

ヴォイトレはトレーナー本人が「有能なところこそ、対処に無能になる」です。この有能さを他人に活かすには、トレーニングの長い経験と、他のトレーナーからの気づきが必要です。

 

○二極論の補足※

 

 「二極論」については、私のこれまでに書いたものを参考にしてください。以下、補足です。

A.役者型―劇場 視覚 イベント パフォーマー 詞 ストーリーテラー(漫才) 詩人 ことば スタンダップコメディ 熱狂 音楽性 インタラクティブ 詞先 (今の長渕剛、美輪明宏)

B.ミュージシャン型―BGM 聴覚 ライブ バンド メロディ、リズム 音楽性スキャット プレイヤー 音楽、インストルメンタル 曲先  (昔の長渕剛、憂歌団、横山剣)[敬称略]

No.360

<レッスンメモ>

 

「声のいろいろ」

 

モゴモゴ声、ボソボソ声、ネチャネチャ声、ガンガン声、キンキン声、消え入る声ふわふわ声、カンカン声、キャピキャピ声、ベタベタ声、いろんな声

 

声はエネルギー

声はキャリア

声はパフォーマンス

声の変遷を知る

自分のなりたい声

自分の本当の目的

声による話の切り方。間をつかむ

声での駆け引き

声と性格

声と能力

声と武道

 

棒読みをする

下手に読む

キャラをつけて読む

口の中のトレーニング

発声法のトレーニングと効果の時間ギャップ

大きな声が出せるようにする        

No.360

<レクチャーメモ>

 

「日本の学会について」

 

日本の学界の多くは、未だ海外のノウハウを実験したり翻訳本の知識を練習しているというようなものです。

最先端は少数派、ゆえに尊重すべきなのに、古い権威と多数決が幅を利かしています。新しいことや自分のわからないことはスルー。お手軽なノウハウには、ろくなものはないのです。指導担当の明記もなされない。政治活動や利益誘導活動がメインなのは、変わっていません。

学会は、大学の意向とは別に、本来、政府が中立的に学会をコントロールして、企業こそ排除をすべきなのです。

しかし、治験などは、大学病院がお金をもらう企業にデータを提出しています。公平中立は、ありえないのです。

「実践からのトレーニング」

○実践からのトレーニング

 

 実践における基本の能力差を埋めるために、さまざまなトレーニングが生み出されてきました。しかし、それは実践でのパワーアップよりも、正確さも含め、調整のためにシミュレーションされたものが大半です。

器を広げるものと、器を完全にするもの、つまり、パワーアップと確実性(正確さ、丁寧さ)の2つが必要なのに、後者だけしか使われてこなかったのです。日本人がまねた欧米、大半がそうだったのですが、主流になりませんでした。

 マラソンでの高地トレーニングは、前者の一つでしょう。大きな刺激、過酷な条件で、量、スピード、長時間でメンタル、フィジカルを鍛え、より完全、確実にするのです。

 この2つを伴わせてなくては実現できないのです。一方に偏ると害になります。パワートレーニングでフィジカルは強くなっても実践に向くわけがありません。

こういうことは日本でも気づいた人はいました。調整だけでは厳密に調整できないからとパワーが重んじられたのに、形にまでできず、再び調整中心になったのでしょう。スポーツではありえないことも、音響のフォローで可能のように思われたからです。

 バッターなら、大振りして当たったらホームランという力をつける、球威に負けないパワーが必要です。しかし、本当はより確実、正確にするために大振りでなく、シャープに振り切るスピードというパワーが必要なのです。

 実践だけで声は育て、それを模したフレーズトレーニングを中心にした方がよいという考えが出てきます。せりふや歌でいうと、舞台に出すもので実践の練習することが第一であると。その考えは、劇団などでは主流です。落語、邦楽では、実践練習だけで声もコントロールしていくのです。

 声だけをトレーニングとして分けたのがヴォイトレですが、不要と考える人もいるのです。せりふの暗誦ということが練習の優先となりがちです。パーフェクトを目指す人か、他の人に声の問題を注意された人にしか、需要がないということになります。この二者は、必要性に迫られるからです。いえ、それがよいのです。その関係も知ることが第一です。ヴォイトレで、私と見解が分かれるのは、多くのトレーナーは後者だけしかみていないからです。

 

○プロに通じるヴォイトレ

 

 あるベテラン歌手から「ヴォイトレに行ったが大して効果がない」という話を聞きました。「メニュの大半は歌唱のなかでできるし、それ以外は特殊で、歌に使えないから」ということでした。典型的なヴォイトレのメニュ、方法への否定意見です。

 私は、まったく異なるアドバイスをしました。これまでの歌の中のもっとも歌いやすいフレーズと声を出してください。もっともよい一音中心と、曲の1フレーズだけのメニュです。

 書道での墨の付け具合と、その一筆をみる。ピッチャーなら勝負球、最高のスピード球と最高のコントロール球をみます。実践では、状況や相手で配分を変えて、表情もフォームも読まれないようにしますが、ここではまったく自然体にします。ストライクゾーンも無視です。もっとも楽に走る球を体で覚えることを最重要視するのです。すると、最高のスピード球と最高のコントロールのよい球は、なかなか一致しないということになります。

 声なら、強い声、高い声、長く伸ばす声、質のよい声(情感のこもった声)、響く声までそれぞれに違ってしまう。何かを優先すると何かが犠牲になります。しかし、それでよいのです。そこでの自覚が大切です。

 

○独自のメニュづくりを

 

 「スピリッツ」連載中のグラゼニの凡田夏之介が、後輩のピッチャーに、ストライクゾーンの枠外の9点に全力投球ができるかと試すところがあります(2014.11)。相手が打ってしまうかもしれないストライクゾーンに入れるのでなく、そういうギリギリのボール球をコントロールできないと、プロとして通用しない。ストライクのコーナーを全力で入れる練習をするのは誰でもやりますが、ボールになるよう全力で投げる練習を必ず毎日するピッチャーは、そう多くないでしょう。発想の転換、それによる独自の練習法とメニュです。

まさにヴォイトレで考える意味もそこにあるのではないでしょうか。

 各要素ごとの声をチェックし把握し、次に組み合わせて自在にする。

 歌とステージは観客に届かせるところへ、プロほど神経がいきます。ポップスではマイクがある分、いろんな加工ができます。MCやパフォーマンスの効果も絶大です。

声の表情にもこだわれますが、ややもするとつくりすぎて、客に媚びすぎて、あるいはリスクを回避しすぎて、よい発声を失っても気づかずにいることが少なくありません。自分の中のよい発声と、伝わる発声との関係を考えたことはありますか。☆☆

 クラシックも、一流になるほど、理想的な発声フォームの上に共鳴を備え、作品と一致していきます。その上で伝わる声を応用します。多くの声楽家は、このレベルまでいかず、歌の声域や動きによってフォームで慣らしていきます。そこはポップスも歌唱でなく発声のレベルで大いに学べるものと思います。

 

○声のチェック

 

 トレーナーは、プロの前で歌っても、見本をまねさせるのでなく、その人の本質的なものを発見することです。相手が下手なら、まねさせる方が早いので、そういう教え方が多いのですが、まねても本当にはよくはなりません。

本人自身が、声の可能性に新たに気づくヴォイトレが必要になります。しかも、声から見た可能性となると、時間も手間もかかります。

 今の歌唱を修正するのとは違うからです。その否定から始まるともいえます。表現と声との間に歌唱を新たに生み出す、プロといえども、今までの歌唱を一時、封印しないと次のレベルに行けないということです。大抵は、トレーナーも、声のなかで比較的よいところを残して、そのレベルに他をそろえることで終わってしまうものです。むしろ、プロの方が、声や歌の力以外を売り物としているので、そういう人には下手にみせないヴォイトレが中心になります。

 声の要素別にみると、

1、高さ―もっとも出しやすい高さと、人によっては高音、低音でもっとも出しやすい2種類に分かれることもあります。

2、大きさ―これは長さでもって試すこともあります。厳密には異なるのですが、もっとも楽に伸ばせる大きさがあるはずです。高いレベルになるほど小さい声で長く伸ばせるようになります。

3、長さ―長く伸ばすほど粗がみえやすくなります。呼吸や共鳴のチェックにも使えます。

4、音色―声色、声の共鳴としてもっともよいもの、芯があって心地よく響くものを目指します。

 1音「ハイ」でみるときと1フレーズ「アー」(母音のどれかでハミング)を伸ばしてみることもあります。この伸びは、長さと関係します。ビブラートが安定してかかっていること、無理にかけないことです。

5、発音―主に母音の中から選びます。子音やハミング、リップトリルからでも、よいものがあればかまいません。

 

○歌でのチェック

 

 選んだフレーズを声のチェックのベストレベルで変えていきます。

 

 拙書「読むだけ…」では、「つめたい(レミファミ)」を例に「メロディ処理」を説明しています。たとえば、

1.声の高さ、2.大きさ、3.長さはテンポに変えてみます。まずは1フレーズでよいです。これは4小節くらいですが、ケースによっては1つのワード(1~2小節)や1息(48小節)でもよいと思います。ただ半オクターブ以内、難しければ3音(3度以内)応用したければ1オクターブにしてよいでしょう。メロディをアレンジすればよいのです。

4、音色、これが判断の中心です。

5、発音<母音や子音のもっとも出しやすい発音やその組み合わせにかえます。ハミングでもよいです。

 

 こうして歌詞、メロディ、リズム(テンポ)を声に合わせてもっとも完全なフレーズをつくります。そこから知ることで基準をつくるのです。

 歌唱と発声と分離がわからないから多くの人は迷います。ヴォイトレをしっかりと理解したり習得したりできず、充分に使えていないのです(ここではトレーナーのことは考えずに述べています)

 

○ヴォイトレの中に表現を宿す

 

 歌やせりふの下にヴォイトレでのベストの声があるのではありません。ヴォイトレの中に歌もせりふもあるのです。

 他の国では、このヴォイトレ=日常の声となっているのです。しぜんでおおらかで柔軟に富み、変幻自在、だからこそ日常の感情表現をステージにそのまま使えるのです。もちろん、ステージは表現を凝縮しますからボリュームアップしています。

どこかで学んだ発声(法)やヴォイトレで、ぎこちなく歌っているのではありません。日本のオペラ、ミュージカル、ポップス、その他の歌唱やせりふでは、そこが大きく違うのです。つくりもの、ひらべったさがみえてしまうのです。そのために、この「トレ選」で同じことをくり返して述べているのです。もう一度、示しておきます。

1、体と心

2、呼吸

3、発声―共鳴―発音(高低/強弱/長さ/音色)

(母音/子音/ハミング/他)

4、表現、せりふと歌唱(ことば/メロディ/リズム)

これを一つずつ別々にチェックします。(メニュ化)

最高の組み合わせをチェックして、プログラム化していきます。このときに高―低、高―中、中―低などに2つの異なるベストの声が出たり、裏声(ファルセット)と地声、人によってはその間の声がもっともよいとなるときもあります。

 一方で、ポップスでの歌や曲に合った声や客の求める声というのは、ヴォイトレの体に合った声とずれることも多々あります。

どちらをとるかということの前に、どちらも煮詰めてよりよくしていくことを考えます。多くのケースでは、どの一つの声もベストとして使えない、並みの上あたりのことが多いのです。それで迷うのです。

だからこそ自分のベストを知り、完全にコントロールする、その声を元に歌唱やせりふの世界を捉えていくのです。その声を歌に活かすというより、その声を捉え、練習しておき、歌やせりふは、そこで求められるものを使っていくのです。

 

Vol.101

〇どんな声になりたいですか

 次の4つの声について考えてみましょう。

1.仕事の声

 2.普段の声

 3.笑い声

 4.泣き声

あなたは、どういう声の使い方をしたいですか

どんな声の人が好きですか

相手のどんな声が好きですか

幸せな声って何でしょうか

声は、仕事にもプラスになります。声でも魅力的になりましょう。

 

〇DNAで声は選ばれてきた

 今、生きている私たちは、誰もがとても厳しい環境の中、生き残ってきた人類のDNAを受け継いでいます。わずか○年前(○は、あなたの年齢)、受精のときもわずかな可能性をオンリー1で勝ち抜いて生命を得たのです。

頭や体と同じように、声をつくる発声器官もまた、そのなかで育まれてきたものです。今の日本で生きているだけで、あなたはすでにとても幸運な人であるのです。

〇あなたも声を選んできた

 

あなたが声や歌に興味をもち、アートに感動するというのは、何かしら昔から受け継がれてきたレセプターに愛されたのです。その多くは遺伝のなかで培われてきたものです。

 ここまでのDNAに加え、この世に生み出されて○年、あなたも育ってきたなかで、いろんな声のなかで本能的にもっともよい声を選んできたのです。とはいえ、ここには大きな個人差があるのです。

○降臨するもの

 

私は、文章を書くときに、アイデアが出てくるのを待ちます。話も同じです。人を前にして、話すことが出てくるのを待ちます。これは私が学んだ体験や学習の記憶があるからですが、どうもそれだけではないようです。

知識といえない知恵は、どこかで得ていたに違いないように感じるのです。まして、直観となると、もはや個人の能力を超えてくるものと思います。

 それは親や祖先から継承、前世からということかもしれません。その母体が日本人や人類の場合もあるでしょう。

 

〇声のつながり

 

声を出そうと思っても出しても、声は出るだけです。しかし、人とつながろうと思ったときに、声は人とつながるような動きをとるのです。そのためには心身のリラックスと快の状態を整え、神様のおりてくるのを待つのです。

〇笑い声効果

 笑顔になると、気持ちも華やいできます。手っ取り早くそうなりたいなら、笑い声を出すことです。笑い声のあふれている場は、幸せな花が咲きます。

「おもしろくもないのに笑えない」と思うでしょう。でも、何もなくても笑っていると楽しくなるものです。

 ワークショップのなかで、「無理に笑う」というテーマがあります。笑っているうちにおかしくなって、原因もないのに笑えて楽しくなってくるのです。「相手の顔を指さして笑い合う」などというのもあります。日常ではタブーですが、原因がない実習だからこそ、開き直って笑えます。すると、心から楽しくなるのです。

〇笑いを思い出す

 

 思えば、私たちはいつから無邪気に笑うことを忘れてしまったのでしょう。邪気ばかりに声も笑いも抑えられ、表情も頭も心も硬くなってしまいました。

 あなたがお腹を抱えて笑うことは、どのくらいありますか。考えてみてください。

○笑い度のチェック

 笑っているときは、とても魅力的な声が出ているものです。「覇気がある笑い声、その声を活かしなさい」というのが、声をよくする最短の道です。

 笑い声や泣き声は、それだけでまわりの人の注目を集めます。声の力によって集まる人の顔つきまで違ってきます。笑い声は、周りの人を期待にあふれた顔に、そして、泣き声は心配そうな顔にします。

○笑いの伝達

 もらい泣きと同じく、もらい笑いというのもあるでしょう。周りの人が笑っていると、自分の頬も緩みます。人は人に同調するものだからです。笑い声を聞くと、自分の声も笑おうとするのです。

〇笑う運動

 

 笑い続けるのは、大人になると1分間でも難しいでしょう。全身運動だからです。笑い過ぎるとお腹が痛くなります。しかし腹筋も顔筋も鍛えられます。笑っていることが、声のトレーニングになるのです。

 お笑いやコメディ映画をみて大いに笑いましょう。

〇一声、加える

 とにかく声を出すことです。そして、どんなことでも自分にとってはよいことと思うことです。何ごとも受けとめ次第で変わるということを知ってください。

 確かに、声によって、ほとんどのことは解決できるのです。今すぐムリなことは、時間を待ってください。悩んでも仕方ないことは、悩まないようにおいておきましょう。

〇テンコブポーズに声

 

 かつてミリオンセラーとなった「キッパリ」という本には、5分間で自分を変えられる方法が入っています。その表紙は、天高くコブシを突き上げ、テンコブボーズです。でも、私が思うに、そこに一声あれば、さらにパワーアップです。

 「ブルーなときは、歌を口ずさむ」(自分のために歌おう)というのもありました。

○堂々と現実逃避

 私は、昔、辛いとき、歌を聴いてやる気を起こしました。さらに声を出します。声がうまく出るとか出ないとか、気にしません。そして、頭の中をからっぽにします。

 そう、これ以上なく、堂々と現実逃避するのです。現実の入ってこられない時間と空間をもつのは、保身に大切なことです。完全にプライベートな時空でストレスを解消する。ですから、一芸を仕事や家庭とまったく関係なくもつことは、精神上、とてもよいのです。

 歌は、エネルギーを与えてくれます。音楽を聞く人が多いのは、ストレートに心を動かし、すっきりさせてくれるからです。

○感情を声に出そう

 泣くのも怒るのも大いにけっこうです。まわりには迷惑をかけないように、一人で号泣し、ぶち切れてみてください。

 号泣すると、すっきりします。怒りも抑えをはずして、大声で怒るとすっきりします。中途半端に抑えるとストレスがかかります。声を出せるところにいって、思いっきり怒り泣いて笑ってください。

 これが、カタルシス効果をもたらします。映画や芝居を見に行かなくても、自分でてっとり早く、カタルシスを得られるのです。

 それが難しいなら、思いっきり楽しい歌と悲しい歌をカラオケで熱唱してください。連れがいてもよいし、一人でもよいではないですか。

〇イメージ力を使う

 

現実がどうであれ、頭の中のイメージは自由です。どれだけのイマジネーションをもてるか、もち続けられるかが、すべてです。

 あなたも毎日の現実の世界で何かをやっていることでしょう。それはあなたが選んだことです。しかも、やめる自由もある、なのにやっているなら、何かしらあなたに合っているからです。

これがどれだけ恵まれたことか、それだけでもあなたは先祖代々に感謝してください。人類史のなかで、こういう自由を手にするのは、宝くじにあたるより難しかったのです。

 合っていないと思うのでなく、合っているからそうしていると肯定して、より大きく生かすように考えてみてください。

〇時空環境を変える

 

 人は、自ら環境を切り拓く力がある唯一の生き物です。他の動物なら、環境が変わると滅びる。人間はそれを防ぐ知恵を出して乗り切ってきました。

 人はまた、明日のことを予測できる唯一の生き物です。今日のことを、やらされるようにやっているだけでは、人として与えられた能力を充分に使っているとは言い難いです。目標をもち計画を定め、実践していきましょう。

「先人研究」 No.360

自分の個性の発現に役立つトレーナーなどは、簡単にはみつからない、いないものと思ってもよいでしょう。他の人に頼るところから依存心が増していくのはよくないことです。

やさしくていねいに教えてくれるトレーナーほど、すぐに役立つように思えてしまいます。しかし、それは、本当には役立たないものです。肝心なことしか教えてくれないトレーナーをどう利用していくかと考えることが大切でしょう。

トレーナーも相手によって変わるので、「トレーナー」を「こと(内容)」とおきかえてみてもよいでしょう。

先人を研究することは、重要です。そこで、何が必要とされ、何がなされたのか、結果、どう評価されてきたかは、あなたのシミュレーションになるからです。トレーナーもこの先人の一人となります。

そこで成し得なかったことをつくり上げるには何が必要かを知る、つまり、そこで行われなかったことを具体的に知っていくことが必要なのです。

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