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「基準と基礎から、一流と大衆性」

○基礎と基本の定義

 

 基礎とはfoundation、下部構造、大本、基い、土台、建築物でいうとコンクリートの基礎であります。基本はbase、物事の成立に基づくもの、判断や行動、存在の基、基い、根本、土台という感じでしょうか。

 とはいえ、英語でもどちらにも使われ、日本語も区別されないときもあります。ちなみに私の本では、基礎、基本講座とついたものがあります。基礎、基本に対応するのは応用やアドバンスで、上級などになるのでしょうか。

 そんなことはさておき、ここではヴォイトレにおいて、歌唱やせりふ、朗読に対しての位置づけのことです。声のヴォイストレーニングに対して、歌はトレーニング、せりふ、朗読はせりふ、朗読トレーニングでしょう。そんなことは何回も述べてきたので、ここでは定義で考えてみたいと思います。つまり、芸能の判断をするときの基準としての基礎や基本ということです。これは、とても大切なことです。そこから伝統と芸、時代を生き残るための基本、芸術性と大衆受けまで述べたいと思います。

 

○基礎のある人

 

 よく「誰の作品を聞けばよいのか」と聞かれます。基礎のある、いや、基礎を学ぶのがよい歌い手や役者は誰かということです。

プロの人は「基本を教えて欲しい」とか「基本をやり直したい」とか「基本を知らないので」などと言って、ここにいらっしゃいます。ポップスでは、歌っていたら、バンドを組んで活動していたらプロになれたという人が多いので、自分は基礎をやっていない、正規の教育を受けていないといいます。そういうコンプレックスがあるのかもしれません。しかし、基礎や基本とは何なのでしょうか。

 研究所では、そこを「発声体としての基礎」においています。音大のカリキュラムのような統一されたものではありません。しかし、どこかで学ぶべき基礎といわれるのなら、ある程度の統一性は必要です。

 トレーニングが特殊なものだから、基礎トレーニングというのです。どこでも迷いが生じることです。

声楽では教育を受けずに、つまり発声の基本を身につけずに、オペラ歌手になるのはとても難しいでしょう。発声の基礎が、そこにあるということです。しかも10年以上のプロセスとして歌唱力と分離されて声楽、発声練習としてあるのです。邦楽でも10年、20年では基礎どころか小僧という深い世界です。そこからも多くを学ばせていただいていますが、邦楽は、芸と基礎トレの分離ということ、流派(一人の師)ということ、日本だけで、という点で扱いにくいのが実状です。

 

○一流を入れる

 

 スポーツや音楽の世界では、教えられずに、あるところまで才能を発する人がいます。それには条件があります。必ず、それ以前に、一流のプレー、試合、作品などに接して、そこから吸収しているということです。

独力で伸びた人は、誰よりもそこから多くのものに気づくセンサーが鋭いのです。学んで自分をコントロールし、足らないところを補っています。語学もラジオだけで何か国語もマスターした人もいますね。何から学ぶとか、誰から学ぶとかもセンスであり、才能の一つです。

 オペラにはメソッドがありますが、ポップスや邦楽にはありません。メソッドといっても、その時代の流行のもので、全世界で統一してあるというわけではありません。

 独力であれ、学校であれ、一時期はしっかりと他の人に学んでいるという事実です。歌を聞いてもいないし歌ってもいないで歌手になった人もいません。最初からうまかったとしても、しゃべれなかった時には歌えてはいないでしょう。今の実力とは、何に出会い、どう反応してきたかの積み重ねなのです。

 

○天然型の基礎

 

 これまで、何事にも基礎があるということで、基礎への探求はなされてきました。それをメソッドとして学ぼうと学ぶまいと、人から教えられようが教えられまいが、身についているかどうかということです。それは、より早く、より高く(ハイレベル)、より深く、より長くなどのために必要ということです。

 しぜんと聞いて歌っているだけで、実力派の歌手になれた人は、そこに基礎も、必要なことも入っていたのです。聞いて声を出すだけでハイレベルに対応でき、つくりあげられた人です。

 そうでない大多数の人のために練習法、メソッドやトレーニングがあるのです。

今の私は、そこを突き詰めることが主になってきました。しかし、それに加えて、あまり論じられないことですが、一流やプロの力をつけるにはどうするのかということです。

 歌手や役者になった人でも、その実力を維持し、向上させ、新しい時代に対応するには、たくさんの課題があります。そのための声の研究もメインなのです。

 

○「歌がうまい歌手」リスト

 

 新年の週刊現代の「歌がうまい歌手」日本人で、プロデューサーたちが選んだリストをみました。その翌週には、歌手やヴォイストレーナーが異論を、それぞれに述べているのですが、私は、そこともスタンスが違います。結局、述べませんでした。

私としては、一般論ですが、歌手であれ何であれ、世の中でやれていたら皆それぞれによいという立場です。

 それは音楽、歌、発声だけの実力に限りません。そこは研究所のトレーナーとも違います。(レッスンでのスタンスというなら、レッスンでの声の可能性と限界においてみるようにしています)

 私のところには、マルチな才能をもつ人がたくさんきます。声を、何にどう使おうとでやれていたらよいと言っているからです。やれていなければダメということではありません。芸能であれ、ビジネスであれ、やれている人の声は、ひとまず肯定するというスタンスです。その上でどうするか、また、やれていない人は、やれるようにどうするかです。

 プロなら声で伝えている、その伝えているということを、ここでは広く深く捉えているということです。

 私もその一人です。歌とか朗読、アナウンスでプロでないと言われたところで、それは畑違いなのです。

 リストのなかに、知人もいるのであまり述べたくもないのですが、具体的でないと論じにくいので引用しますと、

 ヴォーカルランキング

1、桑田 2、中島 3、山下() 4、小田 5、井上 6、五木 7、沢田 8、都 9、石川 10、玉置 11、桜井 12、中森 13、松任谷 14、坂本() 15、稲葉 16、布施 17、吉田() 18、高橋() 19、椎名 20、松田() [週刊現代11724日版]

 これに対して、次の号で、歌い手やトレーナーが異論を展開しています。

 

○声に戻る

 

 私の持論はこれまでも述べてきました。(拙書「読むだけで…」に、ヴォーカルのリストあり)

 トレーナーとしては、プロとしてやれている歌手のよしあし、好き嫌いはどうでもよいのです。そうでない人が誰をどう見本や参考にして、何をどう学ぶかということです。それは一概に言えないのです。相手(生徒)の目的やレベル、方向、優先すべきものによって違うからです。

 他のトレーナーのように「この人を聞きなさい」とは言いません。まして「この人は聞かない方がよい」とは、もっと言いません。どんなプロ、いやどんな人からでも学べる、学ぶ力がプロであること、それをプロのように学べる力をつけていくことがトレーニングです。 

 それでも、私がこのようなもので気がかりなのは、現在の日本人のなかでも、歌に耳があると思われている人の評価のあり様です。この評価のケースで出てくるプロデューサーや歌手、トレーナーは、今の日本の一端を代表しているからです。

 私なりのランキングは、声中心ですから違います。すでに今の時代、ヒットする日本の歌は声中心ではないので合わないです。それも踏まえた上で、声に戻ることが基本だと言いたいのです。ですから、いささかクラシックな考えになります。1960年前後のポップスなどでは、すでに50年以上経ち、当時のリアルタイムで聞いていたファンが伝えてきたとしても、クラシックになりつつあります。

 つくられたときにいた人がいなくても継承し続けたところでクラシックとすると、早くて80年、およそ100年経てからの評価です。著作権の切れたところあたりから後のことですね。

 時代を超えた、ということ、国を超えて自国のファン以外にも愛されてこそ、クラシックといえるのです。それは、このランキングでは、到底なしえていないのです。

 

○ワールドサイズで考える

 

 歌や宗教をワールドサイズで考える視点が、日本では欠けています。ガラパゴス化を超えて、自家中毒になっています。それは批判ではありません。

時代や国、時間や空間を超えて通じるものであってこそクラシックということです。そうであろうとなかろうと、これは基準と基本を知るためには、大切なことなのです。

 アーティストに声の基本を強要したいのではありません。音大に行かなくてもプロになれた人は、音大に行った人より才能(努力も含めて)があります。音大を出た人こそ、そこに学ぶべき基本があるともいえます。

 それをクラシックとかポップスとかで二分したいのではないのです。長く多くの人たちを惹きつけるものには、根本に共通のルール、基本が宿っています。私が、このリストを前振りにして述べたいのは、根本、基本があることと、世に認められる大衆性を得ること、および芸術性との関係です。その成立についてです。

 

○根本のもの

 

 美空ひばりは、玄人受け(プロから目標とされた)だけでなく、大衆受けし、死して十数年経ってもセールスは続いています。紛れもなく、日本を代表する偉大なアーティストです。これで国際的なヒットがあればと残念な限りです。歌は、その大衆性こそが、歌い手の知名度に表れているのです。

 誰をあげるかで、聞く人の基準、判断がよくわかります。好き嫌いであげる人が多いのですが、プロでは、音程、リズム、発音の確かさでみる人、音質、発声でみる人もいます。歌には歌唱力とはいっても感情表現、感覚的なこと、聞く方の個人的な感情や育ちが入るので、なかなか客観的にならない評価しがたいものです。

 私は、これまで出会っていない人、自分の人生と別のところにいた人に見本をとることを勧めています。

学ぶというのなら自分に入っていないものも学びたいものです。それは苦手や嫌いなタイプの歌手、トレーナーがもっていることが多いのです。となると複雑です。

・表現レベルに芸能としての歴史、浪曲―歌謡曲―JPOPS(日本)

・それに対するワールドミュージック、世界のPOPS

・大きなくくりでは、学校、小説家、歌、声優、お笑い、神話、詩、本―漫画―アニメ、演劇―映画、ラジオ―TV、レコード―CDDVD

 世の移ろいにつれ、いろんなものの流行り廃りがあります。

 そこに仕掛けるプロデューサー、それを受けとめたり流していく大衆、群衆、個衆(個人志向)と、一見すると、とりとめのないもののなかで、普遍的に共通しているものがあります。その根本を学ぶことを知ることが大切なのです。

 

21世紀には

 

 オペラも邦楽も21世紀になり生き残るのに青息吐息です。歌の番組はプロレスやボクシング、野球並みに低迷しています。スターが生まれなければ滅びる、ヒット、人気商品が出なくては、衰え潰れていくのです。

 多くの人が長く愛するもの、それこそが基本のあるものです。私たちの学ぶべき“クラシック”としての基準です(ここでのクラシックは、オペラ、声楽のことではありません)。それは、ときに、その時代、その国や地方のその場限りの大衆性と反します。

 根本を考え、そこをトレーニングします。世の中を、次世代を先駆ける感覚を形にすることです。その一つのツールとして、ヴォイトレを捉えるということなのです。ちなみに、ローリングストーン誌が世界のシンガーのランキング100を公開しています。それをみると、いろいろと考えさせられるのではないでしょうか。

 

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