「答えあわせしない」 No.361
日本では、目的に問うことを抜かして、答えあわせを学んでいるので、表現に辿りつけません。それに気づかないことが問題です。問うこともなく、時間だけが経ってしまい、才能や素質がなかったとあきらめるのです。自分のことなのに、まわりの評価だけを頼りにやっているからです。それは、問わずに答えを求めたところで、すでに違っているわけです。
他人をまねたり、トレーナーのトレーニングを受けたりするのは、スタート前の準備段階です。それで歌えたりトレーニングの課題ができていっても、本当の問題は、そこからです。
ですから、私は、声をどう使うかを先に(遅くとも、ここでのトレーニング中からは)しっかりと考えていくように言っています。できるだけ早くから、問うように、ということです。
トレーニングは、目的ではなく、ツールの一つにすぎません。そういうことを言わなくてはならないほど、みえにくくなっているのです。
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