« 「歌の判断について」 | トップページ | Vol.104 »

「『日本スゴイ』としても」 No.363

確かにすごいものがある日本に生まれ、「日本スゴイ」と思えてくるのは、悪いことではありません。すごいもののある日本には、すごい人がいて、日本も、ある分野ですごかったりはするのです。

しかし、自分がすごいのではないのであり、日本や日本人が褒められても、自分自身は何らその対象ではないのです。

でも、それに乗せられると、自分もすごいと思い、すごいもののために頑張る構図ができてしまうのです。自ずと、その誇りに使命感がでて、知らずとその権威筋からの命令に従うということになります。それによって、すごくないように思った人を差別していきかねません。

世界中にすごいものがあるし、そういうものをつくった自然もあり、人もいて、いろいろと確かにすごいのですが、それは、そういうものやそういう人をみて、すごいと思っているだけなのです。

そこは、もはやグローバルな世界においての評価であって、少なくとも、あなたや私のものではありません。

日本文化論と日本精神論、その勤勉や道徳の普及は、大戦開戦前後にもっとも高まりました。それは日本が発展後、停滞し、追いつめられていたときです。

今は、どういう時期なのでしょうか。

« 「歌の判断について」 | トップページ | Vol.104 »

5.プロフェッショナルの伝言」カテゴリの記事

ブレスヴォイストレーニング研究所ホームページ

ブレスヴォイストレーニング研究所 レッスン受講資料請求

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

発声と音声表現のQ&A

ヴォイトレレッスンの日々

2.ヴォイトレの論点