「歌の裏ワザ」Vol.1
○ヴォイトレの目的
「ヴォイストレーニングとは何か」ということは、あなたが歌うのに必要なことを知って、そういう定義をしてください。ヴォイストレーニングは何のためにするのかを 決めるのは、あなたです。
巷では、高音発声を目的にしているトレーニングが多いようです。
私は、ヴォイストレーニングを「いかにイメージに対して、繊細にていねいに声を扱うかを習得するためのすべて」と考えています。結果として、声の自由度、柔軟性を得る、声の表現への可能性を広げるためにするものと思っています。
○表現のための発声
最近、トレーニングで鍛えた声というのが、みられなくなってきました。それでも舞台やステージで通用している人はよいのです。
でも、もしあなたが、トレーニングで起死回生をしたいなら、それはプロの声を鍛えあげるとともに、声の表現、せりふや音楽としての使い方を知ることからではないでしょうか。
「声があっても、歌えるのではない」。でも、少なくとも、声が自在に扱えれば、ワンステップにはなります。
「発声からでなく、声の使い道から、つまり目的から考えること」です。
ヴォイストレーニングは、その補強に必要なものと位置づけるべきです。
○目的を分ける
歌は声の応用、ステージは、歌の応用です。弾き語りでも、ギターと歌は、最初は別々に練習するでしょう。 同時に全て行うのでなく、それぞれの目的を定めて、個別に対処するのがトレーニングです。この問題は、基本と応用との違い、習得するためにするトレーニングとそれを自由に応用する歌との違いです。
私は、ヴォイストレーニングとは、声を出すことでなく、声の出る「状態」を取り戻し、その「条件」を確実につくることであると思います。
トレーニングの終わったあとに、声がよく出るようになるくらいが好ましいのです。
喉が痛くなったり、声が出にくくなるトレーニングは困りものです。すべてのケースが悪いとはいえませんが、独習なら、おすすめできません。
私の述べる「状態」とは、今の体・感覚の中のベターな声の出せるもの、「条件」(づくり)とは、将来の鍛えられた体、磨かれた感覚で、ベストの声の出せるものです。
○歌い手の三つの要素
プロ歌手は、持っている声、発声(声の使い方)、声での音楽の組み立て、少なくとも、この三つで成り立っているのです。歌は応用だから、やり方では教えられないのです。
感覚を盗むには、イメージを拡大して、表面上でなく、内部の感覚を大きくとることが必要です。真似してしまったままの歌や発声は、限界を超えられません。
すぐれたアーティストが学んだように、どう学ぶか、それには耳の力をつけることに専念します。 聞き方が変わってはじめて声も内から変わるからです。
○トレーナーや教則本の使い方
トレーナーにも、参考書にも一長一短があります。ことばや内容をうのみにしないことです。世の中には、そういう考え方や、そのように考えている人がいるという程度に考えてもよいでしょう。本を読み、スクールを転々としてはいつも悩んでいる人がいます。どこにも答えはありません。
すでにあるものを習得するのでなく、あなたが創りあげるのです。
正しい方法、間違った方法とか、よい先生、悪い先生とかではなく、世の中すべてから、あなたが活かせるものをよい方に活かしてものにしていくことです。私がみてきた限りでは、世の中にはその逆のことをしている人ばかりなので、そうすれば必ず、やっていけるようになります。何もないより、多くの本や教材が出ていることは、刺激にも勉強にもなります。拙書も参考にしてください。
○表現していくということ
私が思うに、ヴォーカルになろうと本を読む人や学びに行く人は、まじめです。でも、本当に人前で聞かせるのに、もっとも大切なことが欠けている人が少なくありません。
声を正しくまじめに確実に学んでいくことが表技だとしたら、究極の裏技は、そこで得たものがあろうがなかろうが、観客に大いにアピールできる力といえるかもしれません。
芸ということでは、そのリアリティ(虚構の中での伝達力)こそ至上のものです。ヴォーカルもまた声を使って、その音でなく、その声に現われてくるリアリティを聞く人の心に伝えます。
発声を学んで声を聞かせても、歌がうまくなって歌として聞かせても、人を惹きつけ魅了させられない人がほとんどです。ここに学ぶべきものは、表現力に直結する力のつけ方といってもよいでしょう。
○発想を変える
すぐに歌がうまくなる、高い声が出る、パワフルになる、そのための特別な方法なんてことを求められることも多くなりました。それなら、そういうことを売りものにしていらっしゃるトレーナーもたくさんいるでしょう。
ですから、ここでは、これからヴォーカルを始めようと思っても迷われている人や、やり出してみたものの行き詰まったり、悩んでいらっしゃる人に、発想の転換で先に進めるようなことを述べていきます。
私が常にレッスンの目的として言っている“気づくこと”に通じることを、です。
思えば、何の方法も知らなかった私は、大して声も出なかったので、野外で大声を出したり、マンションの屋上で壁に声をはねかえさせたり、禁じ手もかなりやっていました。それでも、雨の日、傘へのひびきを手で感じたり、スタジオでドラムやタンバリンを声で鳴らしたり、声と戯れた日々は決して無駄だったとは思いません。
何にしろ、師というのは大切です。10年にわたる声楽や海外でのレッスンで、私は目を開かれていきました。人を相手に歌うのだということさえ、最初はみえなかったのです。
ですから、今となると器用なヴォーカリストやトレーナーのトレーニングの穴がポコポコみえて気になって仕方がないのです。
いつも、共に仕事をしてくださった方、仕事をしてくださっている方、それから、これまで研究所に関った方、予想以上に効果が上がった人、期待にお答えできぬうちにやめられてしまった人、すべての方に私は、いつも感謝しています。すべては多くの皆さんとの現場での格闘からいただいたものだからです。
今後、この分野の、よりよい発展と真にすぐれた人材が育つことを、心より祈っています。
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