No.367
<レクチャーメモ>
〇3つのアート
音楽を純粋に極めていくことは、社会に対して無関心を貫いていくことにもなります。そうして、恵まれた家庭に育ち、ボヘミアン的なアートを創造していた人たちもいたわけです。そうしたものは純粋アートであって、商業アートや写実派アートは、区別されていたようです。写実派とは、日常的に感じる生活や社会問題を取り上げるものです。
〇欧米との一体化
1980年代、日本人と洋楽との距離が縮まりました。1985年は世界がひとつになる、ライブエイドがあり、これは世界84カ国に中継されました。「ウィ・アー・ザ・ワールド」です。
「ベストヒットUSA」(1981年から1989年)のようなMV番組は、1970年代からの短波やFMラジオ、あるいは、レンタルレコードなどで普及しました。
〇Jポップス
Jポップスとは、外国人が日本のポピュラー音楽を聴くとしたら、そのように名付けるだろうという想定で日本人がつくったようなものでした。
いつも、欧米の方を本場として見て、そこに認められたものを認めるというような体質が、日本には根強くあったのです。
フランク・シナトラからフランク永井、ペギー・リーからペギー葉山と名づけたのです。日本のジョーン・バエズの森山良子、日本のボブ・ディランの岡林信康だったのです。
〇海外での日本人歌手の成功歴
坂本九「上を向いて歩こう」1963年アメリカビルボードNo.1
沢田研二1975年フランスでナンバーワン
ピンクレディー1979年ビルボード37位
その他、少年ナイフ、ラウドネス、松田聖子、Puffy、アジアでは浜崎あゆみW-inds、嵐などが人気を得ました。しかし、アニソンの人気は全世界に普及しているのです。
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