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2022年6月

「絵巻物」(2) Vol.63

平安時代、空海 密教 曼荼羅や祖師の画像 真言の経典は「隠密」で「図画」の形を借りなければその真意は伝えられない。彫刻主体であった仏教美術において絵画(仏画)が重視されるようになった。

9世紀後半、和歌文学 屏風絵や障子絵 10世紀末の「やまと絵・倭絵」 障子や屏風などの日常の調度品に描かれる。

10、11世紀、貴族社会、絵画は曼荼羅を中心とする密教の図像や、浄土教絵画、釈迦図像などの仏画 仏像と仏画はどちらも「仏」 仏画は「絵仏」「画仏」「仏の絵像」と記す。 白河院による院政美術 仏画、装飾経、絵巻に大別

絵や絵画は奉納されるもの、絵馬などに形を変えて現在に至る。

 

『日本絵巻大成』(全27巻、中央公論社、197779年)は、『続日本絵巻大成』(全20 巻、同、198185年)および『続々日本絵巻大成』(全8巻、同、199395年)と 共に、絵画・詞の料紙すべてを総力ラーで収録したわが国初のシリーズもの

平安後期、『源氏物語絵巻』などの物語絵巻、『伴大納言絵巻』などの説話絵巻、浄土信仰や 末法思想と関わる『地獄草紙』『飢餓草紙』などの六道絵巻

鎌倉時代、『北野天神縁起』などの社寺縁起、『西行物語絵巻』『一遍上人絵伝』などの高僧伝、『平治物語絵詞』『蒙古襲来絵巻』などの戦記絵巻、『伊勢新名所絵歌合』などの歌仙絵、歌合絵

南北朝(14世紀)、幅広い層を対象として量産化 庶民的表現 冊子形式の絵本等が登場

 

参考文献:Wikipedia、「絵巻に見る『病のイメージ』一『日本絵巻大成』から一半田結

 

「歌の裏ワザ」Vol.6 

〇自分自身の判断力を養う

 

歌に関しては、まわりはあまりに無責任な発言ばかりするものです。ですから、他人の言うことは、うんうん肯いて聞くだけにして、気にしないことです。

私もよく間に入り、次のようなことをわかってもらうように努めました。でも、本人がわかっているのかと思うこともたびたびです。

1.ヴォーカルがもっとも力を発揮できるようにセッティングしないのなら、全体の実力はあがりません。(それなら、ヴォーカルは入れない方がよい。ヴォーカルをMC係とか、パフォーマンス担当と割り切るなら別です)バンドでのサウンドも大切ですが、ヴォーカル中心の音作りに協力してもらいましょう。

2.ヴォーカルは短期でうまくならないし、声にも限界があります。個人差も大きく、練習にも無理はできない。その多くは、プレイヤーほど、確実なキャリアを積んでいません。うまい、器用というだけでは、その先はないこと。誰かのようにでなく、他の誰でもないようになるまでの時間を待ってあげてください。

バンドのプレイヤーは、コピーレベルの高さも実力ですが、ヴォーカルがあらゆるヴォーカルをコピーできても、ステージはよくはなりません。(ものまねショーなら別ですが)

もちろんバンドのプレイヤーの意見は無視できませんが。自分で自信をもって続けていくと、よい方向にいきます。

 

 

〇心地よく歌えないとき

 

 歌のうまいサラリーマンやOLさんがヴォイトレをすると、一時、メキメキうまくなります。しかしすぐに、そのうまさには限界がきます。

トレーニングの基本に戻ると、今度はいろんなことを考えて、心身が不自由になります。

レッスンでトレーナーのやり方を学ぶと、そのやり方が合うまでにはギクシャクし、一時へたになることも珍しくありません。(これは、悪いことではないのです。でも、ずっと合わないこともあります。)

ということで、しばらくの間は、それまでの調子のよいときに、自信をもって心地よく歌っていた自分の歌を超えられません。好きな歌を好きなように歌っていて、調子のよいときは、けっこうあこがれのプロに似てる、だから気持ちよくうまく歌えるものです。

そんな快感は、プロとしてハイレベルな人ほど、めったに味わえないのです。一流の何たるかを知っていると、自らへの評価が厳しくなるからです。

 そこは、シェフと主婦の違いのようなものです。レベルが高くなるほど、それについていけない不満を、世界一流の天才ヴォーカル以外は皆、感じていることでしょう。だからこそ、新たな目標となり、向上するのです。

 

 

○エアヴォーカルのお勧め

 

エアギターの例を引きましょう。音は出ないのに、パクリで、そこにアレンジを加えて、ギターをも奏でているかのようにみせる、その表情はまさに音に陶酔しきったギターリストそのものです。

世界一となった「ダイノジ」の大地さんは、ギターを弾けないそうです。でも、その瞬間、彼はなりきり、かっこよく輝き、満場の拍手がくるのです。それはまた、他人になり切り演じる、芸人の真骨頂といえるものです。

彼が本当の音でそのレベルをするには、20年専念しても難しかったでしょう。わずかな期間で世界一にのぼりつめたことは、エアーというなかれ、誰もができることではありません。客は大いにその創造性に楽しみ、興奮し、感動までしたのです。

その奇抜な発想力とイマジネーション、大胆な表現行為にお客を楽しませ、魅了するための数々のテクニックがあるのです。巷の多くのギターリストの演奏以上に、そのショーを楽しんだのです。

ここからの教訓はたくさんあります。まず、プロのヴォーカリストのような表情と身振りが出せるか。なり切るところにステップアップの秘訣もあるのです。

 

 

〇音楽的才能でなく、イメージ力

 

音楽的才能というのは、確かにありそうです。私は生まれつきの天才とまでは断じられなくても、生まれてからの環境習慣のよさに恵まれ、10代からトップレベルで歌っている人や、20代から始め、いきなりスターダムにのしあがった人とも、レッスンをしてきました。

同じ年齢でも、才能のあると思える人、あまりないと思われる人、さまざまです。しかし、そんなものがあろうとなかろうと、あなたにとってはどうでもよいこと、考えても仕方がないことです。

あなたは、あなたで、行動するだけです。一人でできない、才能がないと思うなら、才能のある他人を使えばよいのです。自分よりもすぐれた才能を使って、才能のある仕事をすることこそが、プロの才能です。決め手は、どうありたいかということの確固たるイメージ力です。

 

 

○自分を発見する

 

自分に足らないと思えば、学べます。足りていると思って学ばない人は、大して才能がないのです。天才の才よりも学ぶ才能、人を使える才能を大切にしてください。続けなくては、才能があろうとなかろうと、開花しないのですから。

誰にでもその人にしかできないことがあります。自分の好きなことをするのも人生ですが、それに気づいたら、世の中のため、自分を生かす使命を全うするのも、意義のあることに思います。

私が人のまねや売れているもののコピー、高音の発声などに否定的なのは、それも可能であろうけれど、苦手なものを克服しても、売りにはならない。それを得意として勝負している人には、才能=アートの世界では勝てないからです。

というより、もっと足元に大きく能力の使えるものが誰にでもあると信じているからです。

「出口のコントロール」

○出口のコントロール

 

 ヴォイトレは、言われたような声を出すのでなく、自らのなかにそれを感じて取り出すのです。出口をコントロールするのではありません。出口の前で、すでにコントロールされていなくては何ともならないです。

 それを司るのは外からの指示でなく、内なる感覚です。

そういう意味で多くのヴォイトレが、「ヴォーカルコントロール」と私が称したように、出口でのコントロールだけを学ぶようになっているのは残念なことです。

 その教え方は、言われたように声を出させるのです。それは感じたままに声を出してうまくいかないから一つの手段として、( )に入れてやることなのです。この( )は、やり方も期間も人によってさまざまです。

 私が「ヴォイトレの方法論は、机上の空論で考えても無意味」と言うのは、トレーナーの数とレッスンする人の数以上に組み合わせがあるからです。入口としての自覚をもっていればともかく、出口、目的となっていることが、とても浅いのです。

 

○コントロールするものとは

 

 自分の心身や周りの環境は常に変わります。そこに適宜に応じていきます。曲や発声が変わるのに振り回わされず、他の条件の差よりも、自分のなかでの差を大きくしていくことです。その積み重ねによって、あたかもしぜんのように、おのずとそうあるように振る舞えるレベルへ向上します。

 届かない音高や広すぎる声域に振り回されて、できた、できていないと言っていても、大して意味はありません。音が出せたとしても、まるでできてはいないからです。

 とはいえ、( )付で試みたり、結果としてどうなったかのチェックとして行うのはかまいません。目的なのか、目標なのか、結果なのかも明確にすることです。

 

○ふしぜんに

 

 どこかのレッスンをやめてきた人には、声を出してもらったり、歌を聞かせてもらうと、ふしぜんなので、すぐわかります。それは、( )の時期だからなのです。

 ヴォイストレーナーや声楽家は、一般的に、他の人の教えのついている人を嫌います。最初から自分が教えたら、こんなにふしぜんにならないと皆、思っています。お互いにそう思いあっているということです。

 他のトレーナーのレッスンを辞めてきた人をみていても、自分のところを辞めた人を、他のトレーナーがどのようにみるのかを知らないからです。

 この問題については、「あとで大きく効果の出るレッスンほど、最初はふしぜんになる」のがあたりまえと思えばよいのです。このふしぜんさは一つの型の囚われです。あるレベルにいくまでは、外れないし、それもよしとするのです。

 

○型のしぜん化

 

 武術の基本の動きを参考にしましょう。その演武、型をみせてもらうと、初心者ほどふしぜんです。上級者になるのつれ、美しくたおやかにみえてきます。師匠になると、型と思えないほどしぜんになっているのです。それを身についたといいます。

 ヴォイトレの問題は、武術やスポーツなどと比べるとわかりにくく、すぐれていることの判断が難しいことに尽きます。声ゆえに分かりにくいということです。

 ( )が外れないまま、トレーナーや本人が( )をつけたままでよしとすることです。こんな初歩的なことを私は言い続けています。他の分野なら、1年目にあたることをスルーしているからです。

 第一線の歌い手も知らないし、知らなくても歌えたらよいわけです。歌や声を教えるとなると( )に入れることを目的として、疑うこともないのです。よくあるレッスンメニュは、ほとんどそれにあたります。

すでに世に通じている人はよいのですが、その人以上の人が育たないです。本人も( )のためにやれている、つまり、限定されているのです。それを外しにくるプロもここにはいます。大いに期待しています。

 

○ど真ん中

 

 トレーナーは、自分の型ではない型がみえるのが嫌なのです。理解できないか、理解しようとしたがらないのです。そのまま自分に置き換えてみると不快だからです。それは、歌手の感性からです。

教えるには自分に置き換えて相手の状態をつかみます。中途半端な型の上に乗せるよりは、その型を外すことから始める方が楽なのです。

 教え上手の先生は、カラオケのうまい人のくせをはずして、下手にしてから伸ばしていきます。

 レッスンの場やトレーナーを変えた人の多くは、前のところでは身につかなかったから「ゼロからやり直したい」と言ってくることが多いのです。そこはトレーナーと意見が一致します。「最初からやり直しましょう」となりがちなのです。相性とか方法が合わなかった、で片付けてしまうのです。多くのケースでは「よいトレーナーに会った」という根拠は、「やさしい、親切、わかりやすい、自分を認めてくれる、評価してくれる」という、トレーニングとはほとんど関係ない要因です。ホスピタリティ、サービス精神に通じていることは、教える人としては大切ですが、何よりも大切になってよいのでしょうか。

 

○鋳型と自己流

 

 型は、土台ですから、完成に近づくまで、中途半端でしかないのです。そこをどうみるかが問われるのです。私は、どんな型も元の型のように考え、できるだけ活かそうとます。そうでないと、研究所で他のトレーナーたちの方法と両立できません。いろんな生徒さんがいらっしゃるので、いろんなアプローチがあって当然です。

 その理由は、よくも悪くも最初についたトレーナーの型が鋳型として大きな影響をもってしまうからです。私はできる限り、肯定できるところから始めたいのです。

 トレーナーにつかずにやってきた自己流、我流、自然流、天然流にも、私は寛大に対応しています。自己流も他に教えられたものも同じくらいにその人自身のど真ん中の声から、それていることが多いので同じです。

どちらにしても、浅く、程度として低い状態に変わりないのです。自分独自に試したり誰かに教わって少々違う方向に偏っていても大した問題ではありません。

何をしても見えていない分には偏るのです。そのなかから、是とできるものをみることが大切なのです。偏りは、大きく見ると無視できる範囲です。それよりもど真ん中の声、ど真ん中にくるであろう声をみることです。

 

○型と不条理

 型を守ることばかり教えられると、その型から出られなくなるものです。型とはいずれ、型から出るための型なのです。意味があるとするなら、崩れたときに戻れるところとしての型です。本来は「いつでも外せる」「脱げるように」と教わるとよいです。いえ、「いつか外す」いや「いつか外れる」です。

 名師匠は、抜けたくなるような窮屈な型を押しつけるのです。それが言動や生活にまで求められると不条理な抑圧ともなります。退路を断ち、一心に打ち込める覚悟を迫るのです。

 ゆえに、型は、ふしぜんを通り越して不条理なのです。理で求める人を拒むのです。「型破りはよいが、型なしはよくない」よく言われることばです。

 

○腹筋不要論について

 

「腹筋を固めるな」「腹直筋を鍛えると呼吸や発声によくない」と言われ出しました。そういう質問に、私は「世界一流レベルにでも近づいてから考えたらよい」と、にごしていました。考えるに値しないことだからです。言わないほうがうまくできるし、よいように働いていくものだからです。とはいえ、何回かは、具体的に答えてきました。

 インナーマッスルや体幹がブームになった頃から、外側の筋肉を固めると内側の筋肉がつかないという流れできたのでしょう。

 筋肉や体幹について、一般の人がよく知るようになったのは、悪いことではないのですが、それを理論として、頭で考えて体を働かそうとすると、伸びやかにトレーニングをする人よりも悪い結果となりかねません。

 言えるのは、ボディビルダーのように筋肉をつけたからといって、あるいは、腹筋が100回を200回できるようにしたからといって、発声と関係ないということくらいです。そういう苦行トレーニングの先に、よい発声や歌唱があるわけではないということです。

 今さら言うのもはばかられるのですが、舞台で声を出すのに、腹筋が普通の人並みにもいらないなどということはありません。ヴォイトレにおいて、そういうことばを受け売りして、頭でっかちになってはよくありません。

 本人が足らないと感じたら補えばよいのです。むしろ、足らない、補わなくてはいけないと具体的に感じられるほどの高い目標をセットすることを、レッスンで行うことでしょう。身につける必要性を与え、身につくようにしていくことです。

 

○理由を知りたい症候群

 

 「どうして、こうしなくてはいけないのですか」という問いは、以前はさほどありませんでした。今や何事についても、その理由や結果を前もって知ることを求める人、それを知らなくては行動に移せない人、続けられない人が増えました。

 研究所は、本の読者から関わる人が多かったので、理屈先行タイプが多いのは確かです。それでも、かつては「聞くのは失礼」とか「聞いて答えてもらったところで何にもならない」という思いや直観があったのでしょう。いい具合に、聞くべきときに聞かれたように思います。

 実際には、そう簡単には答えられないこともあります。答えようとすれば、教科書的な答えとして、です。私は、そういうとき、答えないことが多いです。何でも答えてしまうことは、よくないことです。今はよくても後ではよくないことと、今はよくなくても後でよくなることのどちらを取るかならば、私は、後者を取ります。そういう人が少なくなったのです。

 正直なところ、「こうしなくてもいけないことはないのですから、こうしなくてもよいですよ」「なら、好きなようにやりなさい」でもよいのです。でも、それではアドバイスされた人が困るでしょう。「その理由は、私もこうしてやって、できたからです」と言わなくてはいけないのなら、信頼関係もないでしょう。

 一つひとつを疑われては説明を要するなら、レッスンの多く時間が失われます。それによって、もっと得られるものがあればよいのですが、失われることが多いと思います。それが安心感になるというのなら、もっとよくないことでしょう。

 

○説明の限界

 

 「レッスンで説明を受け、納得できたら家で自分で練習します」という考えの人もいます。そのために、私は、誰よりも本や会報で、ことばにできるところを残してきたのです。ブログにもQ&Aを入れています。

 あなたを安心させるだけの説明なら、いつでも何でもできるのです。ただ、あなたのことを充分に知らないうちに、こちらの模範解答や正解を与えても、決してよい結果になりません。ただの知識欲で、自己満足になりかねません。それでは、レッスンの意味がないのです。知らないうちというのは、今のあなたの声でなく、将来の声や歌の可能性のことです。

 自分の考える正しさは、誰にも通じるものだという確信をもって、あるいは、自己暗示にかかってトレーニングを始めるトレーナーは少なくありません。あるやり方がレッスンの真骨頂だと思うトレーナーであって欲しいとも思いません。

 「こうしなくてはいけないのでなく、こうしたいからです。あとは自分で考えなさい」と。

 理由なしにはできないと思わないことです。そういう問いと答えをたてたら、大した成果をもたらさなくなります。私の指導の体験から言っておきます。この世界にいると、奇跡はけっこう起きるのです。説明がつかないから、魅力的なのです。

 

○メニュという型

 

 メニュとは、一つの型ですから、繰り返して、何かを身につけていくために使います。そこには元より説明できるものは、さほどありません。ノウハウとしてのメニュをたくさん集めても仕方ないでしょう。一つの型を材料としてどれだけ使えるか、そのために判断力を高める基準づくりに重点をおきましょう。

 多くの人が期待しているような、絶対に正しい方法や、魔法のような万能のメニュはないのです。あるとしたら、心身を目一杯使って元気に取り組むということでしょうか。

 自己表現の結実である歌でさえ、一つの型の表れにすぎないといえなくもありません。型に人は惹かれ、ファンは魅了されるのですが、その型を忘れさせるレベルを目指して欲しいものです。

 私の示す、わけのわからないものにどう対処するか、どう対処できる能力をつけていくのか、でしょう。その力を養うのが、実践に通用するレッスンです。そこでしぜんにこなせていれば、こなせるようになっていけばよいのです。

 そんな疑問ばかり出る人は、うまくいかないものです。出し尽くして忘れましょう。考えてはいけないのです。考えてしまうなら考えましょう。これは、そのためのアドバイスです。思うように歌えないことが多いのです。レッスンでは、疑うことよりもイメージを大きくすることです。

 誰にもできないのではありません。誰でもできるのがメニュです。しかし、できたようでいても、できる人からみたら、まだまだできていないのです。ふしぜんなままなのです。

 

○レッスンの目的

 「こんなことできない」とか「こんなことおかしい。やる必要ない」と思えば降りればよいのです。レッスンにきたからやらされるのです。嫌なら自分の思うように歌っていればよいでしょう。

 思うように歌えないのは、多くの場合、そこまでやっていないのです。やり続ければよいのです。そのうち、自分一人では思えなくなること、イメージが広がらなくなること、そこからがうまく対処できないから、レッスンの意味があるのです。イメージを決めて読み込んでいく、それも可能性を高める方向にイメージを持っていくのがレッスンなのです。

 世の中にはこんなことをやらずに、プロになった人もうまく歌える人も魅力的な人もいます。そういう人たちは、この型を与えられても、あなたよりもうまくこなすでしょう。あるいは、別の形をとって凌ぐでしょう。そのあたりを踏まえ、チェックをシンプルにできるように一つのメニュとして示しているのです。

 でも、なかには、型にまったく対応できないのに、すぐれたアーティストもいるでしょう。スポーツや楽器ではありえないことも、声、ことば、歌ではあるからおもしろいのです。これは、述べようもないということです。

 

○ことばは、イメージのため

 

 腹筋について、本来はトレーナーが「やれ」とか「やらなくてよい」とか「やってはいけない」とか言うものではないのです。あなた自身が、発声しているなかで不足を感じたらやればよいのです。それを100回とか200回とか、何分間とかを、絶対的に正しいかのように定めるのはおかしなことです。でも定まらないとやれない人が多いから目安として与えているのです。

 自分なりにやっていくなかで綿密に定めていきましょう。呼吸トレーニングなども同じです。

 あるトレーナーは、秒吸って12秒吐くのを勧めています。15秒で一回、1分で4回、根拠もないのですが、その人なりに続けやすいところからです。たとえば、覚えやすい秒数という理由でもよいでしょう。

 トレーナーの言語の力で、受け取る人のやり方や効果は大きく違います。

 私は、「吐いて吸う」というように言っていますが、「吸って吐く」というのを勧めるトレーナーもいます。経験でそうしている人もいます。多くは考えずに、教わるままにそうしているトレーナーもいます。言語の力はイメージを導くのにとても大切です。トレーナーのキャリアや実績は、こうした使い方一つでわかるものです。

 

○セットしてから

 

 いろんなメニュに大した根拠はありません。必要に応じて、その日の心身に応じて、セッティングするものです。このセッティングの能力を磨かなければいけないのです。学ぶことなのです。それを対面して、できるレッスンで学ぶのです。

 すぐれたトレーナーは、その日のその人の状態と理想、目的のギャップの間に即興的にメニュをセッティングします。その段階までいかないときは共通のメニュをくり返します。同じことのなかで、わからせていくことに時間をかけます。

 質問の多くは、何と答えても、やる方は頭でっかちになり、発声に役立ちそうもないです。トレーナーが熱心に真面目に応えると、そこから抜けられなくなるのです。

 あなたのことを思えば、最初から答えない方がよいことが多いのです。でも、「自分の体に聞いてください」と言われると困りますね。「それがわからないからトレーナーに聞くのです」と言われそうです。トレーナーにもわかりません。練習がそこまで達していないからです。不安なく取り組ませることが必要なときは、そうするのです。

しかし、本当はすべてわかっていると勘違いしているトレーナーの方が問題です。トレーナーが予定しているくらいの上達なら、今や、自主学習で充分できます。トレーナーが予知できないレベルで、その人から何が出てくるかを問えるようにセットするのが、本当に意味のあることです。

 お互いに研究のできていくようにレッスンをセットします。勝負はそこからです。そこまでは、淡々とトレーニングしていけばよいのです。

 

○プロセスに入る

 

 声が身についてくる道筋は、本当のところはわかりません。ここにはトレーナーが十数人いて、メニュやプロセスを説明もします。それは本人自身の経験とこれまでの関わった人との経験をもとにしているにすぎないのです。

 それが、あなたにもっとも合っているとは限りません。細かくみると、異なるのがほとんどでしょう。異なるのに同じにするのはトレーナーの都合、レッスンがやりやすいからです。それも大切です。合っていることがベストではないし、合っていないからといってよくないわけでもないのです。

 トレーナー十数人とやっていると、一人でトレーナーをするよりも比較が容易にできます。その人の個性もつかみやすいです。基準も、厳格かつ柔軟になってくるものです。

 自分の考えに近い人も遠い人もいるのがわかります。より多くのことを、早く気づいて学べるようになるはずです。近い人より遠い人から学ぶ方が大切です。自分だけでは学べないものだからです。そのような人には、トレーナーも生徒さんもこの研究所が向いています。

 

○結果で修正

 

 トレーナーや専門家の紹介もしていますが、あなたとトレーナーとの関係は、これからの月日をみていかないと、本当のところ、わかりません。大体は、縁のようなものですから、私の思ったままにいくのです。何割かは期待以上であったりするし、何割かはうまくいかないときもあります。この、うまくいかないケースを認めているようなスクールやトレーナーは、少ないでしょう。求めるレベルが高まらなければ、誰とでもうまくいくのです。

 やっていくなかで、プロセスをみて、あなたの声だけでなくプログラム自体を修正していくことが重要です。トレーナーとのやり取り、特に、レポートは大切です。私も目を通しています。

 わからないことをわかったことにしていくと、わからないことさえわからなくなるのです。そこをはっきりとさせています。とはいえ、あなたが何年後かのあなたをわからないように、私たちもわかりません。でも本人のあなたよりもわかることも多いのです。

 語学学習なら習得のプロセスに大体の予測がつきます。声は、これからどういう生活やトレーニング時間をとるのかによって、かなり違うものです。レッスンも毎日のトレーニングや過ごし方で大きく声に影響するからです。

 一人で悩むよりも、トレーナーにアドバイスを受けましょう。自分で悩まず、トレーナーを悩ませて、言われたようにやっていく方がよいのは確かです。具体的に結果が問えます。修正しつつ方向が定まるからです。

 

○同じものと新しい自分                                       

 

 私の本は、ほとんどが同じ内容を伝えているものですが、書くごとに表現が違っています。編集しただけにみえても、必ずトレーナーと私の現時点での持論が入っています。現在進行形です。

 それと同様、いつも、同じというのが型です。それを求めていらっしゃるのでよいのです。

毎回、本の内容やレッスンのやり方が変わっている方がどうかと思いませんか。メニュは同じでも、それをどう使うのかが肝心なのです。

 そこが、今、ここにきている人とのリアルでの橋渡しのところ、過去でも海外でもなく、あなたと、私やトレーナーの感覚や体から言語化されたものです。そこでは日々、変化します。そのなかからアップしているのです。

 

○くり返しだけではない

 

 レッスンのほとんどは、ことばになりません。言語化されないことがほとんどなのです。そのなかで、こうして同じことを繰り返し入れていくことと、ことばも型もできてくるのです。

 イメージや思考は、体の型と同じように大切です。なぜなら、ただのくり返しだけでは、身についたとしても、その先に行けないからです。やればやった分だけ誰でも身につくところまでは、時間と引き換えに得られます。その先に行くためにレッスンはあるのです。

 身についたもので対応するのと、それを壊して、新たに創造するのとは次元が違います。そこでは、自分のなかのものを出すだけはありません。自分のなかにあると思わなかったもの、すごいものが出てしまったというようになってこそ、価値があるのではないでしょうか。

 創造的なことのために、どういうレッスンが必要か、もっと考えてもよいのではないでしょうか。

 

○少しの違い

 

 「少しの差」からものごとは、決まっていくものです。音楽でのリピートでの快感の積み重なりは、まさにそうでしょう。同じことがくり返されるから、ちょっとした変化に敏感になり、感覚も高まるのです。興奮して感動できる状態がもたらされるのです。

 レッスンやトレーニングも同じです。同じことのくり返しから、ほんの少しの変化から快感になってくるのが理想です。そうなっていかなくとも、その「少しの差」がわかってくれば、まずはよいのです。

 同じことをやることで、慣れからくる安心感や、継承した感じだけで充実し、満足するのではありません。そこから出てくる、あるいは気づく「少しの差」に新しい自分の可能性を嗅ぎつけるところに本意があります。それは、心身の感覚センサーのなす術です。

 この働きを助けることがレッスンの第一義です。これを邪魔して、トレーナーが自らの指示に従わせることがレッスンの目的であってはいけません。それは、そのためのプロセスの一つだからです。

 未来への一歩、「何ができた?」「何ができる?」は、このわずかな差に気づくことにあります。それをくみ出すことが、芸です。だからこそ、同じメニュを真剣にくり返す必要もあるのです。

 

○目的とスタンス

 

 レッスンやトレーニングは、必ずしも本質的なところに落ちていないと思うこともあります。体もそのために鍛練し、テキストも、そのために学ぶものなのです。

 あなた自身は、私やトレーナーの考えと違っていてもよいのです。でも、同じことを行ってみないと本当の違いもわからないのです。先人の残したものを充分に使うことです。トップレベルで使えるようにしていくことです。

 「少しの違い」に敏感でない人は、すぐれたアーティストになれません。トレーナーとしても未熟です。

 他人に、自分とは異質なものを発見し、そこを拡大できるようにしていくことです。大半の日本人はそれが苦手です。同じことができるようにして、他人に合わせることをよしとするからです。特に、トレーナーには、トレーナーゆえにそういう体質に染まっている人が多いので要注意です。

「声の裏ワザ」Vol.6

〇ヴォイトレの目的~再現力と応用力

 

新しい試みは、大いにけっこうです。そのために一時、のどをその日だけなら疲れさせても、それをフィードバックして加減を知っていけばよい。痛くなっても、二度と同じことを同じレベルで起こさなければよいと思っています。つまり、何もかもトレーナーに言われて、一度ものどの限界を知らないというのも少々問題かと思うからです。

 

 トレーニングは繰り返し行うものですが、目的はオンすることです。繰り返しや長時間持続が目的ではありません。声の力をつけることと、コントロール力を完全にしていくのです。そのために声の状態が悪ければ、どんな練習もオンしません。翌日、よりよい状態でトレーニングできるようにキープすること、これを忘れなければ、おのずとメニュも声量も決まってくるでしょう。基本の力とは、再現力と応用力ということです。

 

なぜ、ゆっくりなのかというと、たくさんやることでなく、チェックすることと、1ステップ上にクリアすることがレッスンの目的だからです。

 すっきりしたいなら、発声練習でなく、カラオケに行けばよいのです。(そこでも上達したいなら、注意は同じです。のどは痛めない、食べない、のまない、間をあける・・・)厳しくチェックするのです。「それができないから第三者につきなさい」ということです。

 

 

〇心身の支え

 

 声が出にくいときは、その原因から考えましょう。

トレーニングの成果は、メニュや方法よりも本人の情熱や気力、生活に左右されます。どんなにトレーナーがよいレッスンをしても、何らかの不幸で心がボロボロになって、一週間ほとんど眠ってないなどというのなら、大した効果は出ないでしょう。反面、朝によいことがあれば、一日中、表情もイキイキ、声も歌もけっこう魅力的になります。

 

私は、アマチュアの心身での、のどのよい状態での声をベターの声として、プロの鍛えられたベストの声と分けてきました。ベターの声でも、切り替え能力とステージ力があれば、日本の中では充分に通用します。声からみたら、今やプロもポップスの大半のヴォイストレーナーも、素人と区別できない人がほとんどなのです。

 心身がそれを獲得したのをプロというのなら、身=体=声はもとより、心=感覚=イメージが、問われるということです。

 

 

〇ポジティブに考えること

 

ささいなことを不向きな条件だと思ってしまう考え方は問題です。現実や時代をみて、自分をみて、変わらないものは考えないことです。たとえ、これまで類のないことでも、自分がはじめて成し遂げる、不可能と思われることさえ挑戦するくらいの気概をもちましょう。

 

 

〇チェックとトレーニングの違い

 

 チェックは、確認に過ぎません。それができたからといって、声がよくなるのではありません。仮にできているなら、トレーニングにはなりません。OKなら、明日も同じ実力ということです。

メニュでも、チェックとトレーニングとは、よく混同されています。たとえば、「声を最長まで伸ばす」のは、測ってみればわかるからチェックしやすいでしょう。

声域や音程、リズムの質問が多いのも、チェックしやすいせいでしょう。しかし、これらは質問しても何にもならないことなのです。それゆえ、こうしたチェックはあまり意味がないことです。

声は15秒も伸ばせたら、大体の仕事上は充分です。40秒あれば余裕というのが、私の求める呼吸の条件ですが、そのために息の支えがぶれて、声の安定も悪くのどに負担がくる、くせがつくのなら、急にはやらないほうがよいでしょう。

 

 この問題は、発声の効率です。とりあえず息としては(S-無声音)で伸ばしてください。そして、次に声(ZU-有声音)にして、同じだけ伸ばします。大きな声でしか出せない人は、うまくいきません。

 

腹式呼吸で、腰に手をおいてチェックしながらトレーニングする人の中には、そこで肩が上がる人もいます。それがくせになるならよくありません。トレーニングは不自然なものですから、しぜんになるところと自分で区分けしておかなくてはならないのです。

 

 

〇ヴォイトレのベース

 

 ヴォイトレは、歌でなく、声そのものの鍛錬と、その使い方に中心をおくのです。そのためには、自由に自分の声の表現力が最大限にアピールできるセッティングにこだわることです。自分の中のもっとも高い基準をもたずして、それにあわせた声を使わなければ、声も歌もどんなものでも使えたらよいとなるからです。現実にそうなっているのです。

すると表現がもたなくなるから、器用な人ほど、技巧を使い、いろんな音色にしたり、装飾、アレンジの演出をします。

ちょっと待てよ、もっと声そのものの可能性を追求しろよ、といいたくなります。そのために行うのが、私の考えるヴォイトレなのです。そこには、時代を超えた声をたくさん入れておく、そしてあなたの内部の感覚を磨いて変えていくのです。

 

 

〇複雑化する声と歌の問題

 

一口に声といっても、生理学、物理学、音声学、心理学、言語学、医学(脳、聴覚、発声器官、呼吸器官)ほかにも多くのことが関わります。まして、せりふや歌になると、さらに複雑です。

人と同じく、方法やメニュも、合うもの、合わないものもあります。大掛かりな共同研究の望まれるゆえんです。

声の難しさは、一人ひとりが持って生まれた楽器が違うことに、他の楽器のように、誰もが技術という完全な指標をもとにしたレベルアップのプロセスをとりにくいのです。

一人ひとり違う“声”という個性そのものに加えて、“ことば”という音楽性を凌駕してしまう強力な武器も、その混乱に輪をかけます。さらにアイドル・タレントや、作詞作曲の能力(シンガーソングライター)という存在、音響技術によるサウンドの加工の進歩で、より複雑にならざるをえません。

 

 

  • 共同研究の場

 

ずっと書き続けて、ようやく書店や楽器店にヴォイトレの本が置かれ、棚ができてきました。日本では、ヴォイストレーニングということばで定着し、スクールやカルチャー教室でのレッスンも普及しました。

私は、日本で声の研究所を立ち上げ、これまで千回以上、声に関するレクチャーを行なってきました。そこで多くの方や、トレーナーともめぐり合いました。声の基礎づくりのための今だ、試行錯誤のなかで研究中です。

 

研究所は、本に書かれたメニュを試した人や、全国(欧米含む)のトレーナーの行なうレッスンを受けた人の集積場となっています。他のトレーナーについていた人も、私や他の先生の本を読んできた方もたくさんいらっしゃるからです。

 

おかげさまで、この分野の本や指導者も多くなりました。そのため、今度は多くの質問が、どういう方法がいいのか、どの先生がいいのか、どの本や教材がいいのかとなってきました。

研究所には、10名以上のトレーナーがいます。そこで起きる数多くの問題は、自分の教え方にあった生徒だけが残り、それをみているトレーナーにはうかがいしれないであろうことばかりです。(合わない人は、だまってやめていくからです。)

 

 

  • 養成所から研究所へ

 

思えば当初、私は、プロをどのようにうまく見せるかで、あらゆるワザを駆使していました。そして、その有効性とともに、限界についてもよくわかってきました。

一転して、自ら一からやろうと、養成所を起こしました。そこでは、確かに声、発声、体、呼吸の問題は、確かな手ごたえがありました。しかし、それ以外に、もっと表現者に必要な要素の欠如に気づかざるをえませんでした。

そこで再び、基礎を秀れたトレーナーたちに任せる一方で、私は、プロを中心にミリオンセラーのヴォーカル、劇団四季、宝塚歌劇団、吉本興業などに所属するベテラン、第一線で活躍中の声優などと、これまでの経験を体系化してきました。紅白出場歌手も二ケタの数でみました。(グループも)

医学や科学面からのアプローチも行いました。声の表現や舞台の第一人者とも会い、対談などもしてきました。これまで古今東西の多くの考えやメニュも取り入れ、私たちなりに実践し、取捨選択して、まとめてきました。プロやトレーナーにも使えるように、ご紹介しています。

 

そこで自分に合うものを取り入れて、判断の力を磨いてください。100個の項目から、100気づいたなら、百歩前進できます。この“はじめの百歩”は、あなたが初心者でも、プロでも、トレーナーでも、とても大切なことだと思うのです。

「表現活動への歩み」 No.370

絵を見てばかりいる人は、画家にならないでしょう。絵を見るよりも絵を描くのが好きな人に可能性があります。しかし、ただ、好きなだけではなく実際に描いている人の中から、画家になる人がでるのです。

歌手も作家も皆、そういうことです。

 

歌が聞くのが大好きと歌うのが大好きというのは違います。歌っているうちに、何かを感じて、他の人の歌を聞くようになり、それが自分の歌の勉強になっていきます。

そのときに何を聞くのか、が重要です。つまり自分の表現したいものに対して、自分の足らないものを直感的に見極め、それを与えてくれるものを選べることが問われるのです。

 

歌や声の表現の場合、それは自分の体に与えられた楽器で叶えるという自分の素質の延長上にあることが望ましいです。強い関心を、常に現在の自分とその周辺に持つのは、そのためです。しかし、それは自分の世界を狭くしがちなので、次の時代を広い世界で呼吸することに努めなくてはならないのです。

 

研究所は、その両方を用意しています。

目一杯、活用ください。

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