「歌の裏ワザ」Vol.6
〇自分自身の判断力を養う
歌に関しては、まわりはあまりに無責任な発言ばかりするものです。ですから、他人の言うことは、うんうん肯いて聞くだけにして、気にしないことです。
私もよく間に入り、次のようなことをわかってもらうように努めました。でも、本人がわかっているのかと思うこともたびたびです。
1.ヴォーカルがもっとも力を発揮できるようにセッティングしないのなら、全体の実力はあがりません。(それなら、ヴォーカルは入れない方がよい。ヴォーカルをMC係とか、パフォーマンス担当と割り切るなら別です)バンドでのサウンドも大切ですが、ヴォーカル中心の音作りに協力してもらいましょう。
2.ヴォーカルは短期でうまくならないし、声にも限界があります。個人差も大きく、練習にも無理はできない。その多くは、プレイヤーほど、確実なキャリアを積んでいません。うまい、器用というだけでは、その先はないこと。誰かのようにでなく、他の誰でもないようになるまでの時間を待ってあげてください。
バンドのプレイヤーは、コピーレベルの高さも実力ですが、ヴォーカルがあらゆるヴォーカルをコピーできても、ステージはよくはなりません。(ものまねショーなら別ですが)
もちろんバンドのプレイヤーの意見は無視できませんが。自分で自信をもって続けていくと、よい方向にいきます。
〇心地よく歌えないとき
歌のうまいサラリーマンやOLさんがヴォイトレをすると、一時、メキメキうまくなります。しかしすぐに、そのうまさには限界がきます。
トレーニングの基本に戻ると、今度はいろんなことを考えて、心身が不自由になります。
レッスンでトレーナーのやり方を学ぶと、そのやり方が合うまでにはギクシャクし、一時へたになることも珍しくありません。(これは、悪いことではないのです。でも、ずっと合わないこともあります。)
ということで、しばらくの間は、それまでの調子のよいときに、自信をもって心地よく歌っていた自分の歌を超えられません。好きな歌を好きなように歌っていて、調子のよいときは、けっこうあこがれのプロに似てる、だから気持ちよくうまく歌えるものです。
そんな快感は、プロとしてハイレベルな人ほど、めったに味わえないのです。一流の何たるかを知っていると、自らへの評価が厳しくなるからです。
そこは、シェフと主婦の違いのようなものです。レベルが高くなるほど、それについていけない不満を、世界一流の天才ヴォーカル以外は皆、感じていることでしょう。だからこそ、新たな目標となり、向上するのです。
○エアヴォーカルのお勧め
エアギターの例を引きましょう。音は出ないのに、パクリで、そこにアレンジを加えて、ギターをも奏でているかのようにみせる、その表情はまさに音に陶酔しきったギターリストそのものです。
世界一となった「ダイノジ」の大地さんは、ギターを弾けないそうです。でも、その瞬間、彼はなりきり、かっこよく輝き、満場の拍手がくるのです。それはまた、他人になり切り演じる、芸人の真骨頂といえるものです。
彼が本当の音でそのレベルをするには、20年専念しても難しかったでしょう。わずかな期間で世界一にのぼりつめたことは、エアーというなかれ、誰もができることではありません。客は大いにその創造性に楽しみ、興奮し、感動までしたのです。
その奇抜な発想力とイマジネーション、大胆な表現行為にお客を楽しませ、魅了するための数々のテクニックがあるのです。巷の多くのギターリストの演奏以上に、そのショーを楽しんだのです。
ここからの教訓はたくさんあります。まず、プロのヴォーカリストのような表情と身振りが出せるか。なり切るところにステップアップの秘訣もあるのです。
〇音楽的才能でなく、イメージ力
音楽的才能というのは、確かにありそうです。私は生まれつきの天才とまでは断じられなくても、生まれてからの環境習慣のよさに恵まれ、10代からトップレベルで歌っている人や、20代から始め、いきなりスターダムにのしあがった人とも、レッスンをしてきました。
同じ年齢でも、才能のあると思える人、あまりないと思われる人、さまざまです。しかし、そんなものがあろうとなかろうと、あなたにとってはどうでもよいこと、考えても仕方がないことです。
あなたは、あなたで、行動するだけです。一人でできない、才能がないと思うなら、才能のある他人を使えばよいのです。自分よりもすぐれた才能を使って、才能のある仕事をすることこそが、プロの才能です。決め手は、どうありたいかということの確固たるイメージ力です。
○自分を発見する
自分に足らないと思えば、学べます。足りていると思って学ばない人は、大して才能がないのです。天才の才よりも学ぶ才能、人を使える才能を大切にしてください。続けなくては、才能があろうとなかろうと、開花しないのですから。
誰にでもその人にしかできないことがあります。自分の好きなことをするのも人生ですが、それに気づいたら、世の中のため、自分を生かす使命を全うするのも、意義のあることに思います。
私が人のまねや売れているもののコピー、高音の発声などに否定的なのは、それも可能であろうけれど、苦手なものを克服しても、売りにはならない。それを得意として勝負している人には、才能=アートの世界では勝てないからです。
というより、もっと足元に大きく能力の使えるものが誰にでもあると信じているからです。
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