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2022年7月

「戯画」(1) Vol.64

<古代・中世> 6207

奈良時代:法隆寺金堂・天井板のらくがき、正倉院古文書の中の人物戯画 

白鳳・天平では、戯曲として工人や写経生のいたずらがき

平安時代:絵巻様式が流行するにいたって戯画を生む 庶民の喜怒哀楽の姿

六道世界の閻魔や鬼(「地獄草紙」) ユーモアや怪奇など戯画的場面(「陽物くらべ」「放屁合戦」など)

「信貴山縁起」は「源氏物語絵巻」と並んで現存する最古の絵巻物、修行僧命(みょう)蓮(れん)にまつわる三つの物語で「飛倉(とびくら)巻」が有名。

「鳥獣(人物)戯画」高山寺。全4巻で白描(墨画)、甲巻は猿・兎・蛙などを戯画化し、遊戯の様。蛙が僧侶、兎が貴族を表し、当時の社会を諷刺 兎も蛙も同じ大きさ 丙・丁巻 は鎌倉時代で別の絵師。

「病の草紙」、「東北院職人歌合絵巻」 

鳴呼(おこ)(え)(叡山無勒(むろく)寺の僧、阿闍梨など「今昔物語」)おそくずの絵、勝(かち)絵(え)など、エロチックな戯画。

肉筆戯画・肉筆戯画絵巻は、公家・大名・豪商など上流階級の人々が絵師に描かせる。

 

<近世>

近世に人ると木版画技術が発達し、少部数での複製戯画制作。浮世絵のような多色刷木版画も登場し、庶民が比較的安価に戯画を入手できる。戯画版本、戯画挿絵入り版本も多数登場。

江戸時代:俵屋宗達、英一蝶、葛飾北斎、渡辺崋山ら画家が戯画

山東京伝「奇妙図彙(ずい)」(1803年)、『小紋雅話』『新梓戯作・絵兄弟』などの遊び絵物

歌川広景「江戸名所(めいしょ)道戯尽(どうけづくし)」シリーズ(18591861年)

京都・大坂を中心とする長谷川光信、松屋耳(に)鳥(ちょう)斎(さい)などの鳥羽絵の出版活動、大阪で出版された鳥羽本『鳥羽絵欠(あく)び留(どめ)』『鳥羽絵三国志』『鳥羽絵扇の的』『軽筆鳥羽車』手長・足長・目が点のキャラクター 

浮世絵派の鍬形蕙(けい)斎(さい)(北尾政美)、歌川国芳、大石真(ま)虎(とら)。

京都大津附近で売られた魔よけの大津絵、仏画や戯画「鬼の念仏」 東海道を旅する人たちの土産物 初期の大津絵は仏画で、徳川幕府のキリシタン弾圧政策によって広まる。

町人の力 「朝妻船」の絵で将軍綱吉の淫迭(いんいつ)な生活を風刺した英一蝶、歌川国芳の「妖怪図」は、老中水野忠邦による天保の改革を風刺。また「浮世又平名画奇特」で筆禍を受ける。「婚怪草紙」で和宮の徳川降嫁を諷した浮田一蕙(いっけい)。

瓦版「北斎漫画」(全15編)は1814年に初編 陶器の輸出時にパッキングとして使用され、ヨーロッパにも知られる。

 

江戸時代の戯画は、江戸中心の浮世絵派系統と京阪中心の円山・四条派系統に大別

(江戸)英一蝶から、戯画家は北尾政美、葛飾北斎、歌川国芳、渓斎英泉、河鍋暁斎。

文人画系統で渡辺崋山、司馬江漢

(上方)円山応挙門から山口素(そ)絢(けん)、八田古秀(こしゅう)、西村楠亭。松村呉春門から張月礁(げつしょう)岸(がん)駒(く)の門から河村文鳳、吉田偃(えん)武(ぶ)。岡本豊彦門から田村東渓、別所東渓。

(大阪)大岡春ト、長谷川光信、竹原春朝斎、松屋耳鳥斎などの鳥羽絵が商人の港らしい俗気を反映。

(名古屋)張月礁、大石真虎、牧墨僊(ぼくせん) 

江戸末期:禅僧の白隠、円通や筑前の仙(せん)崖(がい)和尚

「歌の裏ワザ」Vol.7

〇歌がうまくいかないなら、方法を変える

 

歌が苦手、へたな人に共通するのは、第一に大して時間をかけていないことです。これまでの年月もそうですが、毎日についても、それが得意でうまい人の何分の一しか、音楽や歌に接していません。その違いや差がそれだけ見えていないことが要因です。

さらに加えると、その結果、うまい人が一回聞いてわかることを10回聞いてもわからない。それでは、量を10倍にしても、追いつけないということです。

 歌は、10歳の天才児も、50年、習っているのに音痴に近い人もいます。それだけ自己判断が難しいのです。

そこを私は、「アンテナの立て方」といって、そこから伝えるようにしています。

 聴覚と反射神経の世界であるだけに、たとえ学校の秀才であっても、この評価は別なのです。

 

 声の限界を破ろうと器を大きくするのが、私の考えるヴォイトレです。しかし、器とは無限に大きくなるものではないし、その必要もないのです。

ピアノが人間の両手の幅しかないのも、人間の話声域中心に音が並べられているからです。人間の声の世界中心に音楽は奏でられるのです。

人には聞こえない超音波の出し方など学んでもどうなるのでしょう。(何事も学ぶのはよいことですが、私は役立つことに絞っています。)

ですから、自分の限界を早く知るためのヴォイトレであってよいのです。

 むしろ、自分の器の限界からまとまってくるからこそ、表現というのは、一つの究極に練り込まれた、作品としての形をとっていくのです。そこで3分間くらいに切り取られた声の集約した表現形態が、歌と呼ばれるものなのです。

 

 

〇運は開ける

 

私は、運も自らが巻き込むものだと思っています。自分のしたことは、すべて自分にはねかえってきます。

どんなときも、レッスンをし、トレーニングをしてきました。話し続け、書き続け、問いかけ続けてきました。

多くの人は、最初はがんばっていたかもしれませんが、十年、二十年のうちに、続けなくなってしまったのです。

私はとても運がよいし、ずっと運のよい人たちと一緒にいます。ですから、人に対して、あまり負の感情をもちません。でも、関わった人には、いろいろと思われているでしょう。関わっていない人でさえ、いろいろと思っていることでしょう。よかれあしかれ、短い渡世を表現し、表現する人をサポートするなかで歩んでいるのですから。

他人のことより自分のことを語りましょう。その方が自分のためになります。

「世の中に歌で出て行けるのが、ヴォーカルの運」という人もいます。それならば、才能論と同じ、そんなことを誰が決めるのでしょう。自分自身でしかありません。

 

 いろんなことを考えているよりも、一流といわれるものを何でもインプットしましょう。(歌以外にも、音楽以外にも、ずっと音の世界よりもわかりやすいものがたくさんあるのです。)

それには行動することです。何でも読み、何でも聞き、いろんなことをより大きく感じ、味わいましょう。

刺激的な毎日を送る努力をしましょう。そこからもっとも自分の心を動かしたものこそが、あなたの活動の源泉となるのです。モティベーションの維持が大事です。

 

 

〇最高のメンバーにアクセスしよう

 

音楽仲間と楽しむのは、アマチュアの特権です。ただ、仲間がいるから、皆で力を合わせたら大きなことができるということには、必ずしも通じません。

音楽では、いつも「平和、皆で一体で」と、ボランタリーにあふれているようにみえます。しかし、それは必ずしも、音楽の得意分野とはなりません。日本の現状でみれば、以前ほど、歌は歓迎されなくなりました。業界も安易なヒットしか考えず、歌の大きな可能性を充分に使い切れていません。

 個の自立とすぐれた才能の開花の上にコラボレーションが可能なのは、他の世界と変わりません。自分の力をつけること、それを示すこと。それで初めてまわりもお客も、ハッピーになれるのです。

 

音楽や歌に現実逃避して、依存するのもかまいません。私も何度ともなくそうなり、その都度、多くのアーティストやその作品に助けられました。ただ、仲間と群れて、慰めあうのとは違うのです。孤として、作品に迫る機を逃してはならないのです。勇気をもって、大切な時期をムダにしないでください。

何がやりたいか、どうありたいかは、それをサポートしてくれるメンバーとの出会いにも左右されます。キーボード、坂本龍一、ドラム、高橋幸宏、ベース、細野晴臣と、それに代わる自分にとって次代の最高のメンバーを選びましょう。

会えない、協力してくれないって、いや、あなたに彼らが一緒にやりたいというものがあれば、いつでも協力してくれるでしょう。それが何か、それこそあなたがこれから求め示していくものではありませんか。

 

 

〇何事も遅いということはない

 

 年齢不詳の世界です。性別も出身も肌の色も関係ない。ただ、ルーツとして、そこにオリジナリティを見出すことは、大切ですが。

トレーニングでは、ある程度、年齢を考慮します。精神年齢と考え方というのは、その人の表現の世界に関わってきます。何であれ、生きてきたキャリアは、プラスです。

私は、生涯通じて20年、30年やっているのがプロと思いますから(プロを超えるアマチュアもいますが)、デビューしたからプロとは思っていません。

 プロということばを多用するのは、トレーニングとして考えるときに目安となるからです。

アマチュアは自己満足のために好きにする特権があります。プロは客を、アーティストは作品を満足させ、価値あるものにしなくてはなりません。スタンスの違いと思ってください。

 年齢から考えるから、できなくなるのなら、考えなければよい。本当にやりたい人はいくつになっても始めるし、続けています。他人の思惑など気にしないこと、まずは、その自由な精神を持ち続けることです。

 

 

〇勢いとパワーで全開で突っ走ろう

 

 若さだけでも勢いだけでも、それでいけたらGO!、そこはダメ元でよいでしょう。

場合によっては、学ぶ時期と出す時期を分けてもよいでしょう。やったことがないなら、やってしまいましょう。

何よりも、気づき続けられる環境をつくりましょう。

できるだけキャリアのある人や完成度の高いところなどで経験をつみましょう。すぐれた人といること、異なる体験をすることです。

秘訣は、居心地の悪い、厳しいところでいることです。そういう場を得ると、力になります。

私は、最初、そういうところを見つけられない人のために、みつかるまでレッスンする場をオープンにしたのです。ヴォイトレオンリーに浸りつつも、アウトプットに近いところに身をおくことです。

実際に活動することで、ヴォイトレを受けるときにも、より多くを学べ、気づくチャンスを得られます。

「声の裏ワザ」Vol.7

〇持続的な練習をしよう

 

日々つなぐべきものは、、体と呼吸の感覚、それと声を出すことです。これは、楽器の手入れのようなものです。そのためのトレーニングなのです。

歌については、ステージとの関係で決まるので、必ずしも毎日、必要ありません。しかし、それまであまり音楽に触れていなかった人は、休むとリズムや音感が振り出しに戻るかもしれません。

何事も2年毎にワンステップ、特に最初の2年まではできるだけ集中して打ち込み、体に覚えさせる時間をキープしたいものです。

その後も、体と声の調整は怠りなく。オフには、いつもよりたくさん歩きましょう。人には明るく声をかけましょう。

 発声の練習というのは、1日の量よりも、何日続けたのかの方が問われます。1週間なら、初日に8時間やって6日休むよりも、1日30分でも毎日続けたいものです。1日トレーニング1晩寝て1回、とカウントしてください。

トレーニングは、次の日、将来のために行うものです。喉については、明日もまたベストでできるところでやめておくことも大切です。

 

 

〇ペースをおとす

 

私の本で自主トレを行っていた人の多くに、あとで出会って聞いてみると、私の意図よりもほとんどがハイペースです。

たとえば、「ハイ」と続けていう。それを5秒に5回くらいで行うのですが、5秒に1回でもよいと思っています。1分間12回なら、その後、2、3分休む。(その人によってかなり違います。セッティングをするのがトレーナーです。私も昔は量から入らせました。喉が弱い人が多くなったので、今はより質が重要です。)

喉そのものを鍛えるのか、今の喉で使い方をよくするのかによっても違います。

 

 

〇量と質

 

 「毎日カラオケで3時間以上、歌っている」という中学生がいました。バッティングセンターに毎日通っていた幼き日のイチローのようで頼もしくもありますが、同じ時間をもう少しうまく使えるように、アドバイスしました。

確かに、量は大切です。スポーツ選手出身の人などには根性で、とにかく大声で大音量(声量)で汗びっしょり行う人も珍しくありません。

私は、芸事は一生ものと思うので、そのような時期があってよいと否定はしません。尋ねられたら、相手の状態と目的と時機によってかなり答え方は違ってきます。

 スポーツの場合は、速く、遠く、高くなど、物理的に計測できる目標に対して、有効に鍛えられる筋肉に負荷をかけていきます。そのため、共通のプログラムか種目(やポジション)ごとに組みやすいのです。無理をすれば、疲労で働かなくなるので、おのずと体を壊すことは避けられます。スパルタ指導が効くゆえんです(どちらかというと精神面にですが)。

楽器の人(プレイヤー)は、かなりの量のトレーニングが毎日、必要です。これは、人の身体と別の楽器にまで神経を通わせて、自分の手足のように使えなくてはいけないからです。1日8時間のトレーニングも珍しくありません。しかし、声は違います。

 

 

〇喉はとても神経質

 

ヴォイトレに集中したあとは、気持ちを解放しましょう。

気分一つで声も歌も変わります。

 ときには、教本を閉じて、スタジオやレッスン室を出て、外で深呼吸をして、柔軟をして、気分転換しましょう。

 喉は疲れてくると、それが雪だるま式にたまってきます。出ないから無理して出す、出なくてさらに喉が疲れる、状態が悪くなる、気分がめげる、さらに声が出ない、気が滅入るといった悪循環に陥りがちです。そうならないように、それを断ち切るのです。

声ほど、体調、気分といった心身に直接リンクしている楽器はありません。その分、心身の管理に人一倍、気を遣わなくてはなりません。

 

 

〇リスクをさける

 

 最近は、あまりその人自身にとって意味のないようなトレーニングに時間をとっている人が増えてきたように感じます。

野球でいうと、高すぎるボールの悪球打ちといった類でしょうか。

試合ではときたま、ファインプレーとなることがありますが、まともな選手は、それを練習にはしません(プロは長いキャリアの中でいろんな試みをして、いくつもの応用練習しているのでしょうが)。そういうことを知りたがるのは、プロにあこがれるアマチュアです。

 プロにとっては、それができなくても評価は下がらないし、リスクばかりのことをやっていては、マイナスになりかねないからです。

同じように、無理な声量や声域での練習は、決して無理してはよくないのです。それが誰でも可能、できるようになるという方法は、裏技としてあるかもしれませんが、表技なくして、裏技は効きません。

ときに私は、できたという人(トレーナーも含めて)のレベルの低さに驚きます。表現まで考えずにマニアックに追求するのは、目的を異とします。

 

 

〇しぜんと技量

 

日本では、幼児に戻れば声が自由に出るなどと、幼児の絵を天才とみるようなワークショップがあるようです。しかし、自ら厳しく判断し、どれをも一定以上のレベルに仕上げる力は、幼児にはありません。

私は、ヴォイトレこそ、最高のものを目指してやらないと、最悪になりかねないとも思っています。

声を出していると、それなりに上達している気になりやすいからです。やった気になるだけでは、へたするとトレーニング中毒になりかねません。

自分一人では決して起きないことを味わうためにレッスンがあると思っています。

 

 

〇部分強化とバランスと器

 

 トレーニングというのは、何かを部分的に強化するためやまだ未熟なところを意識的に使うために行ないます。

ですから、歌やステージに応用するときには、そのままでなく、全体的に調整して無意識に統一(包合)して自然にしなくてはいけません。

つまり、一度、戻さなくてはいけないのです。

しかし、そのことを忘れたままの人(トレーナーも含めて)が少なくないのです。

トレーニングでの心身の余計な力(固まり)を抜くことです。バランスをとるには、一時、浅く薄めることになります。それも仕方がないのです。なのにそれをテクニックと思い、できたと思う人が少なくありません。トレーナーがそのように教えるからです。

 どちらにしても、自分の器を大きくして包合していかないと、歌は右、ヴォイトレは左と対立したままになります。

器を大きくするには、本当に時間がかかるのです。この器というのは、呼吸も、声の芯も、体の支えも、感覚も伴わなくてはなりません。

 

「背中の重荷☆」 No.371

動物は、敵がいると気配を消します。息を殺し、体を隠します。絶対に声などは出しません。体を縮こませて、目立たないようにします。

人間の社会でいうと、大きな失敗などをして、そういう態度をとらなくては肩身が狭いような状況です。

それが続くと、まわりとうまくやっていけなくなります。

失恋などの胸の痛みに対して、これは背中の方から感じる痛みです。社会的なものを背負ったところからの痛みといえましょう。でも、心臓などのある胸よりは、強いし、強くなっていくように思います。全身で支えられるからです。

家康公、曰く「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と。

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ご案内

私は10数名のヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーナーにも指導しているため、内外のヴォイストレーナーのアドバイザーやヴォイトレをしている人のセカンドオピニオンもたくさんやってきました。ヴォイストレーナー、指導者、専門家以外にも「ヴォイストレーナーの選び方」などに関する質問が多くなりました。以下を参考にしてください。

 

「ヴォイストレーナーの選び方要項」 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

 

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