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「基礎教育のためのヴォイトレ」 Vol.2

〇声で相手とうまくいかなくなる

 

 たとえば、あなたが学校を休んで登校してきたとき、何が一番うれしいですか。先生や友だちが声をかけてくれること、これはとても元気づけられますね。

 でも、もしその声が暗くぼそぼそとしていて聞こえるかどうかくらいだったら、どうでしょう。何だかはぐらかされたような気がするでしょう。まして、いつも明るい声の先生や大声の友だちが、そうであったら、どうでしょう。

あなたは、「何があったのか?」「何か悪いことしたかなあ」「自分が何か誤解されているんじゃないか」と心配になりませんか。

 逆に、あなたが声をかけたとき、相手が返事をしなかったり、気のない返事をぼそっとしたら、どうでしょう。とてもさみしい思いをしませんか。だからといって、必ずしも相手に悪気や嫌味があるわけではないでしょう。でも、そういうところから、友だちづきあい、人間関係というのは、うまくいったり、まずくなったりするものなのです。

 

 あなたが何か別のことを考えていたり、とても疲れているとき、相手に対してそうしてしまったことはありませんか。めんどくさがったり、他のことに心奪われていると、誰でもそうなりますよね。

そのとき、相手はあなたのその声から、判断してしまうのです。「私のことをよく思っていないんだ」「何か、私と話したくないんだな」と。こうなったら、どうでしょう。次からはよそよそしくなってしまいませんか。

 

 

〇声であなたは判断される

 

 私は子供の頃、父親に映画を見に連れていってもらって「どうだった?」と聞かれて、ことばが思い浮ばず、ためらったすえ、「べつに」と答えて、怒られた覚えがあります。そのときは、「こんなことでなぜ」と思ったのですが、つかの間の休日にわざわざ送り迎えし、喜んでいる声を聞きたかった父には、やるせなかったのでしょう。

映画のよしあしよりも、発した問いに向き合って答えなかった私の声に表われた態度に、許しがたいものを感じたのでしょう。私の声の出し方が、その声で伝わったものが、父を不快にさせたのです。

 でも、もし怒られなかったら、私はそのことに気づかなかったでしょう。このとき、他の人なら、きっと何もいわずに、傲慢な、不躾な、無気力な、いい加減な人間だと私を判断したかもしれません。そして、黙って遠ざかっていたでしょう。

 正直いって、私には何が起こったかわかりませんでした。逆らったわけでも、悪いことを言ったわけでもなく、別に思い浮ぶことがなかったから思わず、そう口についただけだったのです。

 しかし、一度、口から出た声は、私の思いや意志を離れて働き出します。つまり、父が聞いたように聞こえるのです。わかりますか。私の思いや考えが伝えられなかった。その声を父は別の意味にとったのです。そして、現実は、その私の声、相手に聞こえた声で動いてしまったのです。

 もし、作文にして、「別に…」と書いたら、父はあきれたり、「頭がよくないなぁ」とか、「筆無精、苦手なのかな」と思っても怒ることはなかったでしょう。つまり、ことばの内容である「別に」ということばでなく、その声に込められたニュアンスが、相手の心に働いたのです。

 つまり、私はそのとき、声で損した、痛い目にあったのです。

 もし、私が、おどけてでも「別にね、映画は期待はずれ、大したことなかったけど、スッキリしたよ」とでも言ったら、がっかりさせたとしても、それで済んだように思います。

 

 

〇気持ちは、声に出る

 

映画やドラマでは、主人公と三枚目とが愛の告白などをするシーンなどがあります。

あなたは、その声の感じから、どちらが主人公なのかも、その告白に本当の気持ちが入っているかを、直感的に見抜くでしょう。ルックスやふるまい、表情やしぐさに加え、声も大きなヒントになります。

ラジオドラマでも、TVで画面をみなくとも、だいたいはわかるでしょう。声だけの力でも、大体の状況はわかるのです。

私たちは、つい、ことばでしか意味を伝えていないように思いますが、そんなことはありません。

 ことばでのコミュニケーションを、バーバルコミュニケーションといいます。それに対して、ことば以外でのコミュニケーションを、ノンバーバルコミュニケーションといいます。

 

 動物は、ことばをもっていませんが、最近、この説は否定されつつありますが、これはことばという定義をどうするかで、違ってきます。

コミュニケーションは、ことばよりも体や声を使って行なっています。ことばよりも、声の方がたくさんのことを伝えたり、残しているといわれています(「メラビアンの実験」)。

 あなたも、親や先生のことばを、ことば以外で判断しているでしょ。「だめでしょう」と言われたとき、その強さ、語感、声の高さ、鋭さなどから、どのくらいだめなのか、考えるでしょう。友人が、「絶対に―」と言ったとき、どのくらい絶対なのかは、ことばでなく、そこに込められた思いを声から判断するでしょう。本当の気持ちは、声に出るのです。

 

 

〇嘘は声でわかる

 

 あなたが小さい頃に嘘をついたら、周りの人に見破られませんでしたか。どうしてバレるのか、わかりましたか。

「うまくことばが使えなかった」「しゃべっているうちに矛盾してきた」「おかしなことを言ってしまった」など、ことばの力のないせいのように思っているかもしれません。

しかし、これも大半は、しゃべり方や声のトーン、テンポ、表情などでバレていたのです。いつも一緒にいる人なら、声の微妙な変化一つで、「あれ、おかしい」「いつもと違う」「何か隠しているぞ」とわかるのです。

 嘘はいけないことですが、大人になるというのは、必要な嘘がうまくつけるように学んでいくことでもあります。「嘘も方便」というでしょう。本音ばかりでは、人間、他の人とうまくやっていけません。あなたも、ことばで出さない嘘は、小さい頃からついているのです。

 

 友人が、あなたの嫌いな子を連れてきたら、どうでしょう。あなたが嘘を一切、使わないというなら、その人に「おまえ嫌いだから、来るなよ」と言うでしょう。でも友人の立場もあるし、そんなことを言って気まずくなるよりなら、今日は何とか仲よくやろうと考えませんか。これは許される嘘、他の人とうまく生きていくために必要な嘘です。

自分につらいことがあっても、母親は子どものまえで、つらいとは言いません。会社でどんなに嫌なことがあっても、父親は玄関で気をとり直し、入ってきます。あなたが楽しいことを伝えたら、一緒に喜んでくれるでしょう。こういうのは嘘でなく、気持ちの切り替えといいます。それぞれが社会生活を営むためのマナーでもあるのです。

 ケガして痛くてつらくても、あなたはもう大声でギャギャーいわないでしょう。声を出した方が楽になるのです。しかし、あなたはみっともない、弱虫と思われる、他の人に迷惑がかけられない、などと考えて我慢します。痛くないように演じるのです。入院して、さみしくても、元気な顔をみせようとします。そうして人と人との関係をうまくつなごうと努力するのです。

 

 

〇気持ちの切りかえ、声の切りかえ

 

一般的に気持ちが切りかわると、声も切りかわるものです。現実がどうであっても、明るい気持ちをもてば、声は明るくなります。暗い気持ちになると、声もくもります。ですから、多くの人は、声からその人の気持ちや気分、体調や、やる気なども判断することができるようになるのです。

あなたが、旅行や留学などで、親元から遠く離れたとき、親は電話で子どもの声を聞きます。言っていることよりも、その声の調子で、元気かうまくやっているのか、困っていないかなどを知るのです。あなたも、よほど困っているとき以外は、両親に心配をかけたくないと思って、少し明るく演じませんか。

 

 ところが、人によっては、あるいは時によって、この切りかえがうまくいかないケースがあります。つまり、自分の気持ちと違うことを声が伝えてしまうのです。それが、プラスに出る人はよいでしょう。声が明るいので「具合が悪いのに、皆、気づいてくれない」などという悩みになるかもしれませんが、問題なのは、逆のケースです。

 喜んでいるのに、つまらなそうに声が聞こえてしまう。相手の話を聞いて、心は一緒に悲しんでいるのに、大してそうでないように聞こえてしまう。そういう声では、困ってしまいますね。

面接や転職をするときに、自信一杯なのに自信なさそうに聞こえてしまう声では、入学試験や、就職試験も落ちてしまいます。人間関係もうまくいかないでしょう。まずは声の伝える力の大きさを知ることです。

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