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「基礎教育のためのヴォイトレ」 Vol.3

〇国際社会では弱い音声力の日本人

 

 海外に行くと、状況はさらに厳しくなります。ことばで意志を伝えるのに、外国語ペラペラでなければ、大して役に立ちません。だからといって、通じないわけではありません。私たちは、不慣れな言語では、ことばよりも声の表情やボディランゲージにヒントを得ることになります。

 私はフランスの美術館で、あるところに立ち入るなり後ろから、“A―――”といわれ、パッと身を引きました。声の調子から、いけないという禁止の意味だとわかったのです。小さな子ども、動物にでも、声の力は使えるのです。

 私たち日本人にとって、音声というのは、やっかいなものです。日本人が英語をしゃべれないのは、勉強をしていないからではありません。どちらかというと、耳と声とをしっかりと磨いていないせいです。

あなたは、国語の時間にどのくらい、声の使い方を学びましたか。小学校に入るときには、あいうえおの50音のひらがなもカタカナと音とのきまりは知っていたでしょう。そう、日本語は、読みがわかったら、言えるのです。漢字は、ふりがなをふれば読めます。なにしろ、漢字が膨大な量ですから、国語ではその読み書きの練習ばかり、たくさんしましたね。常用漢字だけで2千余字です。

一方で、アルファベットは26文字、そのかわり、音の数は何十倍にもなります。ちょうど、私たちが多くの漢字に四苦八苦しているときに、外国人は多くの発音を正しく発することを学んでいるのです。

 

 

〇話の説得も声で決まる

 

 さて、話をしても、それが相手にうまく伝わる人と伝わらない人がいますね。話のうまいへたは、何で決まるのでしょう。言うまでもなく、まず、内容、これは大切ですね。

 でも同じことを言っても、うまく伝わらない人もいます。大したことがない内容なのに、よい内容をもつ人よりもうまく伝わる人もいます。

 内容というのはメモしたもので、伝えるというのは、それを渡すこととなります。内容がメモでなく頭に入っていたら、声でとり出して伝えるということになります。

 そのときに、内容のよしあしと伝えるよしあしというのは、別だということを知っておいてください。

 「メラビアンの実験」では、話の説得力は内容より声で決まるともいえるのです。

 お笑いでも、おもしろいネタもつまらなくしゃべったら、笑いはとれません。つまらないネタでもおもしろくしゃべると、笑ってもらえます。あなたの身の回りにもそんな友だちや知り合いはいるでしょう。

 人を笑わせる人は、人気者です。人を楽しくすることができるからです。

同じ話、同じ声なのに、声の使い方一つで人を楽しませることもできる。人を笑わせることでプロにもなれる。つまり、それを仕事に、食べていくことさえできるのです。

 仕事や人間関係も同じです。声の使い方一つで、うまくもいくし、失敗もするのです。

 

 

〇声は健康のバロメーター

 

 あなたの知人や友人の具合の悪いときは、何でわかりますか。顔色でわかりますね。でも声でもわかりませんか。

風邪をひいたら、風邪声になります。鼻声ですね。なぜ鼻声になるかというと、鼻がつまるからです。

 私たちの声は、口と鼻から出ています。ところが、風邪をひくと、口だけから出て、鼻の中にはひびくからです。鼻をつまんで声を出してみたら、わかります。

喉が痛いときは、うまく声帯が合わず、かすれ声になります。カラオケなどで歌いすぎた状態と同じです。このとき息が声にならず、もれてしまいます。

 声帯が腫れたり、できもの(ポリープ)ができたときもそのようになります。お腹の調子が悪いと、どうでしょうか。息を深く吐けませんね。すると、声は弱々しくなります。

 息は、生きるの生き、です。深い息が浅くなり、吐けなくなると、人間は死んでしまいます。

 あなたが無意識に行なっている呼吸も、体が弱ったら大変な労力のいることなのです。

 ついでに、あがり症の人に、アドバイスをしておきます。いつもあがりそうなときには、深呼吸を心がけてください。体がくつろぐと、神経も安らぎます。

 声は呼吸のうち、吐く息でコントロールして使います。吐く息をコントロールできなければ、うまく声が出ません。

 だから、声がひびく人、大きく出る人は、だいたい健康です。

 健康というのは、体だけでなく、心のことも含めてです。気落ちしていると、声にも元気が出ません。声は肺からの空気をエネルギー源とするのですが、気の力が満ちていてはじめて伝わります。やる気、気力、元気と、気はみえませんが、声によって明らかに伝わるのです。

 私は、声は、健康のバロメーター、やる気のバロメーターといっています。

 

 

〇日本語では、読み書き中心

 

 あなたが耳でよく発音を聞いて、口で発する練習をしたのは、日本語でなくて、たぶん英語でしょう。母語は、しぜんとしゃべれて、外国語だから発音から学ぶという考えは、日本くらいでしか通じません。自分の国のことばでも、発音を正すのは、案外と難しいのです。

 日本語の音の数はいくつあると思いますか。五十音、いいえ、50余りしか音がないのではなく、もっとたくさんあります。実際は「ん」でも5通りくらいあるのです。しかし日本人は、それを認識せずに使っているので、存在しないみたいなものものです。たとえば、ホンとボンのンは違います。

 国語というと、他人のことばを聞いて、自分のことばを話すことが基本なのです。読み書き中心の国語学習は、明治維新以後、西欧文明に追いつけと日本人ががんばったためです。

 言語というと、文字に書けるものと思っていませんか。日本語は、そうです。しかし、世界の言語で文字をもつのは、言語の全体からいうと少ないのです。

 日本でも方言は文字にできないといえなくもありません。ひらがなの音で書けますが、特別な場合をのぞき、方言は文字にしないのです。

 

 欧米でも、ことばは音声で扱われてきました。ことばは聖書では、人間が動物と区別されるための大切なものでした。ことばがない赤ん坊は、動物と同じ、だからこそ、音声教育は重要視されたのです。

それは発音に限らず、スピーチ、ディベート、ディスカッションなど、音声コミュニケーションの技術として身につけるものとなりました。詩や小説も朗読されるものでした。声の使い方、間のあけ方など学びます。

 日本では、文盲率は少なく、ほとんどの人が文字を読めます。これは、とても特別なことです。その代わり、人前で発表したり、スピーチするのは苦手な人が少なくありません。

 他国が音声の基礎教育として学んでいることは、日本ではアナウンサーや役者の基礎訓練を受ける機会でもなければ、経験しません。

 義務教育で音声技術を習得した人と、そうでない人が出会えば、どうなるでしょう。

 これは、英語という国際共通語でも、遅れをとっている日本にもう一つ、音声の大きな壁が立ちはだかっているといえます。

 日本という島国の村社会では、以心伝心で察してきました。音声ことばにして、言う必要もなく、対話や論議もたいしてせずに、生活が営めました。そのことが音声コミュニケーション力においては、裏目に出ているのです。

 しかし、ますますグローバル化する社会では、常に異言語、異民族国家の人とまみえることになります。もはや、日本という、村社会の「話さずとも相手が意をくんでくれる」という常識は、通用しないのです。

 

 

〇日本人の音声力のなさ

 

 日本人の住まいは、木と紙の家でしたから、壁に耳あり障子に目あり、大きな声はタブーでした。一方、欧米のように石やレンガの家なら、壁に耳をつけても、何も聞こえません。しかも、天上が高く、広い家では大きな声をひびかせなくては伝わりません。

 そんなことで、私たち日本人は、あまり声を使わなくてすんだのです。

 気候も日本はジメジメしています。からっと乾燥したところでは、声は遠くまでひびきます。

 畳の生活で猫背ですから、押した声となります。体も小さかったし、狩りなどと違い、農耕民族に大声は必要ありません。声を張り上げなくてはいけない必要も少ないからです。

体格だけでなく、頭蓋骨、あごの形も違います。食べものは、肉食でなく草食、声を出す体も、決してパワフルではなかったのです。

 そこから「口は災い」、「沈黙は金」、「おしゃべりするな」、「歯をみせて笑うな」と、たくさんしゃべる人、大声でしゃべる人、口のうまい人は、日本では、評価が低かったのです。いつも落ち着いて腹がすわっていて、無言実行、死んでも口を割らないような人が、尊敬されたのです。

 

 

〇声は、相手に左右される

 

 自分の言いたいことをしっかりと相手に伝えるのに、声の力がこれからますます問われてくるでしょう。

 情報化社会では、バーチャルな世界、目でみえる世界をどんどん広げています。もちろん、音で伝えることも便利になりました。

五感のうち触覚、臭覚、味覚は、その場にいないと捉えられません。しかし、映画やTV、パソコンの発達で、目の世界は伝送できるようになりました。レコード、ラジオ、電話の発明は、耳の世界を伝送しています。

しかし、目で得る情報量の多さに、耳の感覚はややおされ気味です。

 わかりやすくいうと、目をつぶった世界が視覚以外の感覚、主に耳の世界です。人間の臭覚は、かなり劣ってしまいました。生きることに必要ないと、感覚は衰えるのです。触覚も、キーは速く打てますが、鉛筆をナイフで削った頃よりは、鈍っているでしょう。

声は、発した時点で、相手のものとなると思ってください。自分の体から出るのですが、独り言でない限り、それは相手を想定しているわけです。相手にしっかりと伝わって成り立つのです。

 多くの人は、声を出すことばかり考えています。しかし、話というのは、相手に左右されるのです。相手が受けとめて、なんぼです。その話は声にのります。

 どんなによいことを言っても「聞き取れませんでした」では、結果ゼロなのです。

 さらに、聞き手の態度にもよります。熱心に聞いてくれると、伝わることも、他のことばかり気になって考えていたら全く伝わらなくなります。つまり、話し手のレベルでなく、聞き手で決まるのです。これは、声で気持ちが伝わらない例でも説明しました。

 

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