「歌の裏ワザ」 Vol.15
○こぶしと節回し
こぶしとは小さな節回し(メロディの抑揚など)のことで、一音のなかで高低に少し揺らすということです。こぶしを回すといわれるように、その音を動かす感じです。
それに対して節回しというのは、もう少し軽く、リズミカルに音を移行させるところで、ちょうどスラーの短いもののような感じとなります。一、二音をすばやく、スムーズに移行させると、一音のように聴こえます。表現力が豊かに、大きなフレーズに聴こえます。演歌などにはよく出てきます。
○ハミングと「ん」
演歌ではよくナニヌネノの出てくるときに、さりげなく「ん」をつけて、鼻にかかった音を強調しています。(北島三郎、都はるみ、美川憲一など)つまり、「ん」は感情を入れる役割を果たしているのです。たしか、浪曲にはタンガタンガタンガといったうたいまわしがあります。「ん」は口を開けられないので、詰まった音になりやすいのですが、響かせることができれば、歌全体がやわらかくなります。鼻母音もうまく処理できるようになるでしょう。
「ガギグゲゴ」の前に「ん」をつけると、誰でも鼻濁音をきれいに出せます。「ナニヌネノ」の前に「ん」をつけると、日本人の感情に訴えかける表現となります。「ン泣く」「ン憎い」といった具合です。「ん」で音域のとれるところは、だいたい他の音でも問題なく発声できますので、自分の声域の基準にしてみるとよいでしょう。
○「ッ」(促音)を生かす
声楽などをやっている人がポピュラーを歌うときに、「ッ」と言えずに「ー」で伸ばしてしまうのです。それでもマイクを使うと「ッ」といえるのです。間をつくって、この音を飲み込んでしまうとよいのです。
「あーって」「もーって」と、外国人のように歌っている人も少なくありません。
どうしても歌いにくいときは「ああって」「もおって」と、間に母音を入れます。促音は舌を上の歯ぐきの裏側につけて、音をはじきます。
「キス」と言ったときに、「ス」の音は息になってしまいます。しかし、マイクを通すときちんと聴きとれます。これを「キイスゥ」と言う必要はないのです。
○演歌は、日本人の感情表現の宝庫
スピード感、切り返し、浮遊感、浮き(感情移入)を学びましょう。
北島三郎の「函館の女」
森進一「おふくろさん」、「影を慕いて」
細川たかし「北酒場」
三波春夫「大利根無情」「元禄名槍譜 俵星玄蕃」
藤圭子「新宿の女」
村田英雄「王将」
天童よしみ「珍島物語」
吉幾三「雪国」
美空ひばり「みだれ髪」
○日本の歌唱の変容
日常の生声からなかなか抜け出せないのが、J-POPのヴォーカルです。今の日本の歌は、同世代の代弁、共感を日常レベルに同化してまとめあげるので、声も歌唱もアーティスティックに昇華しないのです。
よくなる人は最初からよかった人、よくならない人はずっと変わりません。
外国人がみると、多くはまったくあっていない高すぎる声と、速すぎるテンポで歌っているのです。それゆえ、私はプロとしてやっている人は認めても、それを目指す人の声の見本にはとらせていません。
生来の声で世の中に受け入れられた人や、かなりくせのある使い方で歌う人を手本にしては、似ても似なくても通じるようにならないからです。でも、二番、三番煎じで通じるパターンも多いようです。今や、リヴァーブに頼る生声、くせ声と、高音、ファルセットが主流になりました。
○くせ声
今の限界を破るのがトレーニングですから、チャレンジするのは、大いにけっこうです。いろんなメニュを使ってください。しかし、誰かの歌を誰かのように歌おうとして獲得しても、あまり使えないでしょう。
今のJ-POP周辺では、高い声の出し方そのものがくせ声です。音響技術でカバーしているので、レコーディングに耐えるのです。とても安易なつくり方になりました。ファルセットの使い方も同じです。共に声やことばの表現としての成立と無関係のところです。
トレーナーも同じで、音響加工しないと使えないような代物を見本にしていては、人によっては合わない人、できていかない人の方が多くなるでしょう。
○シンプルにする
私は、声のコントロール力や扱える声の自由自在の魅力を第一に考えています。高い声を求め、誰もが同じように、付け焼刃で行なう方法には、目標そのものに疑問を持たざるをえません。正確にあてて、美しくひびく、日本の合唱団のような声を習得しても、その先にはいけないからです。
でも現実面、相手の状態をみないで与えるアドバイスは一般論にすぎず、すべて有効なのは各論(個人別のそれぞれの問題に対するそれぞれの対処法)です。やり方に対して、やり方を考えて、複雑にしていくのはおかしいと思ってください。何ごともシンプルにしていくためにトレーニングするのです。
○レッスンでのライブ
何事も固めていかない、固くしないのが原則です。ところがヴォイトレ自体、目標の固定、メニュ、練習方法などが固定されていることが多いのです。だからこそ、自由な時間をとることが大切です。
私はレッスンは、音のライブの場(トレーナーが厳しい客)の経験をつむところとも思っています。アカペラ、ライブ、ステージ経験として、ずっと厳しいところであるからです。
舞台で(ライブで)音声で表現する、この3つを問うレッスンが必要なのです。
そのためのトレーニングは、常に自分の心身状態に合わせて変えましょう。より多くを気づき、変えていくために行うのです。
○発声のテクニック
ファルセットというのは、かつてはかなり高音について特別な効果をもたらすために使っていたのですが、安易に多用されてきたために、まねのできない人の混乱する一因になっているようです。
トレーニングは基本に基づきます。基本というのは、できるだけいろんなものをシンプルなもので行い、チェック基準そのものをアップして、感覚を鋭くするのに狙いがあるのです。
ですから、ファルセットは応用の応用として、歌でそんな気になったらやってみて、よければ使えばというくらいの位置づけのものだったのです。
その類のものには、ビブラート、シャウト、スキャットなども含まれます。つまり、歌っているなかで、感覚やイメージでひらめき、声がそういう線に動きたくなったら、しぜんと出していくもので、頭で考えてやるものではないのです。
日本人は、海外のそういうのをみてかっこよいからまねる。そういうのをみている客が、(似てて)かっこいいと思って受け入れる。それはよいのですが、それだけでOKにするのではあまりに甘いでしょう。
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