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「基礎教育のためのヴォイストレーニング」 Vol.11

〇自分の首をしめる声

 

“借金で首が回らない”といいますが、本当に首の筋肉がこわばり、首が回らなくなるらしいです。すると声も、出なくなります。押し殺された声になります。

 元気なさそうに暗い声を使う、スネたふりをする、子どもっぽい声を出す、すべては、あなたの首をしめることになります。

 私は仮病を使ったことがあります。ほとんど治りかけていたのを、まだ具合の悪い振りをしていたのです。そして、声を力なく出していたら、本当に気分が滅入って具合が悪くなってきました。

 病気に逃げると、病気に慕われて、本当に病気になってしまうのです。

 人間の心身は、とてもきわどいバランスをとって成り立っています。気を抜き、息を抜き、声を抜くと、しぼんだ風船のようになってしまうのです。そのときには、身体は、まわりの病原菌のえじきになってしまいます。恐いことですね。

 逆に、あなたが、気を入れ、息を入れ、声を出したら、風船のようにパンパンに膨らみ、何ごとをも跳ね返します。気合いを入れ、「イエイ」と叫んでみてください。

 暗い声を使いたくなったら、ニコッと笑い、その気分を吹きとばしてください。

 

 自分に否定的な言葉やネガティブな声を使うのをやめましょう。言葉のクセは、なかなかとれません。まず声だけでも、明るくしましょう。

 カラオケで悲しい歌を悲しく歌うのは、悪くありません。少し救われます。他の人に、あなたの悲しさが伝わります。

プロの歌手は、悲しい表情で歌い切ったら、ニコッと笑います。あなたの心の悲しさを少しもちあげて、何かを気づかせ、そっと解消させてくれます。それが芸です。

 人は、救いを求めるのです。悲しいことを喜んで言ってはなりませんが、声をあまり暗くする必要はありません。陰気にしていると、幸福も逃げてしまうからです。

 

〇ストレスで声が出なくなる

 

 マイナスイメージのいきつくところ、発声の機能に何ら損傷がみられないのに、声が出なくなってしまうことがあります。

 ストレスによって、心身にはいろんな変化が生じます。そのなかでも、声は比較的、大きな影響を受けます。

ヒステリーで声を張り上げる人もいます。

 落ち込んだときの声は、暗くこもってしまいます。心を閉じたことも、声はまわりに伝えてしまいます。

 「一人にしてくれ」というときには、声は出しません。声からその人の状態がわかります。

 でも、こういうことも笑いとばすことで解決できるのです。

 

 ストレスは、生きていくための刺激です。それをプラスに受けとめるかマイナスに受けとめるかは、あなたしだいです。受け身になるほどに、つらく、攻め手になる方が楽になるのです。すると、楽しくなり、生活のリズムを取り戻します。人の心身は、そのようにつくられています。

 あなたはジェットコースターやバイクは好きですか。それに動物を乗せたらどうでしょう。状況がわからないままに乗せられたらパニクって、恐怖で大嫌いになるでしょう。あなたも嫌いなら、絶対に乗りたくないでしょう。好きでも具合が悪いときは、無理でしょう。自ら選んでストレスを受けるのは快感ですが、強いられて受けるのは不快です。ジェットコースターで手を上げ、声を出して楽しむ人は、そのストレスを心身と声で大きく解放しているのです。

おもしろいですね。ためたら暗くつらくなるばかりの声が、発散させたら、明るく楽しくなるのです。スポーツや、コンサートなど、声を思い切り出せるところをキープしておきましょう。

 

〇ダイエットは声に悪い

 

 ダイエットは、声によくないのですが、スタイルと声と、どちらをとるかといわれたら、多くの人はスタイルをとるのかもしれません。過度のダイエットは、健康のためによくありません。声のためにもマイナスです。

 かつて声のよいのは、太った歌手と決まっていました。太れば声がよくなるのではありません。しかし、身体が楽器ということでは、体格は関係します。大太鼓と小太鼓では、迫力が違いますね。

 声も迫力だけで勝負するわけではありません。太く深い音色では、チェロにかなわないバイオリンにも、オーケストラの重要なポジションにあるのです。

 そういうことが求められるのは、強さを求められた時代の男性です。かつては身体が大きく強い男たちの時代でした。多産の時代は、女性も太っていて健康というのが求められたものです。しかし、日本では少子化で、遠い時代となりました。

 魅力的な声は、健康が売りもの、健康な身体がベースです。声によい食べものについては、諸説ありますが、栄養価の高いものなら、構いません。

 

〇はっきり言えないとややこしくなる

 

 何ごとも、常に主導権は、自分にあると思いましょう。明らかな嫌がらせを受けても、無理してがまんしようと、心を閉ざしてしまうのではありません。気にせず放っておくか、どうして嫌がらせに合うのかを考えることです。

 自分のどこが悪いかと反省するためではありません。まずは、事実を客観視するためです。

もしかすると、嫌がらせだと、自分が一方的に思い込んでしまったのかもしれません。何ごとも頭で決めつけないことです。“君子危うきに近寄らず”、は、君子になってから考えたらよいでしょう。

 ニュースなどの情報だけで判断して行動するのは、あなたの人生を狭く平凡なものにします。あなたの声、言葉一つで、どんな人とも、良好な関係を築くことも可能です。大きな成功を手にした人は、こういう小さなことを一つずつ、自分のプラスになる人間関係に転じていったのです。

 

 世の中に出て、何年かは、いろんな人に振り回されてみるのも、とても大きな勉強です。人間の嫌なところ、くだらなさも体験し、実感してください。その時期が過ぎて、一生、振り回されていては、先はありません。

 でも、あなたから縁を切る必要はありません。すべての人にうまく関わっていこうと考えなくすればよいのです。それでも、あなたは、たいして不自由なく、生きていけるでしょう。

 はっきりと自分に言ってみましょう。声のトーンを変えて「私には必要ない」と。

 

〇声は一人ひとり違う

 

 私は、ぶりっ子やカラオケ声といった、ものまね声をあまり評価しません。よく思わないのは、声は生まれつき、それぞれの身体に備わった楽器の出すものだからです。自分に合った使い方があるからです。磨いたり鍛えたりしていく可能性もあり、また、限界もあるのです。

 「どんな声にもなれる」という人もいます。音響加工を加えると、ずいぶんと脚色も、演出もできるし、発声もある程度、変えられます。ものまね声も、そっくりにできます。しかし、そうするほど、声は本来のパワー、その人自身の魅力を発揮しないのです。

 声にも指紋と同じく、一声でその人をほぼ特定できるだけの個人差があるそうです。証拠能力も高いそうです。犯罪捜査や本人認証などにも、それは使われています。一人として同じ声はないからです。

 ところで、私はフランスのオペラ座のヴォイストレーナーから、「なぜ日本人の声は二通りしかないのですか」と言われたことがあります。彼女に言わせると、「日本人は男の声、女の声、その二つ」。

耳のよくない人なら、そんなものかもしれませんが、トレーナーとして最高の耳をもつ彼女が、そんなことを言うわけがありません。「フランス人は、一人ひとり違っている、一人でいくつもの声をもっている」と。

日本在留の長かった彼女の言うことで、私はこれを「人に好かれる声になる」という拙書の推薦文カバーに、日本人へのメッセージとして入れました。

最近は、声への関心は高まり、嬉しく思います。しかし、まだまだ、実効果は出ていません。あなたがその先駆けを切ってください。

 そこまで、多くの人は、自分の声に関心がないのです。たとえば、ある国にいったら、全員が同じ色の口紅を塗っていた、そんな感じと思ってください。私たち日本人は、声に対して口紅さえ塗っていないくらいにみえたかもしれません。

 

〇日本人には、日本人の声

 

 日本人が金髪にしたり、パーマにしたりする、これはもったいないことでしょう。日本人は、羽織はかま着物が似合い、洋服は合わないとまでは言いません。“ざんぎり頭を叩けば……”から150年を過ぎ、体格もよくなり、スーツの着こなしも板についてきました。しかし、背広などは、肩幅のある向こうの人に合っているのです。日本人の体型や、歩き方などには、着流しが一番です。

 グローバル化の時代、身体に洋服、口に英語でもよいでしょう。しかし、それを国際化と思ってはいけません。日本というのは、舶来主義で、向こうのものばかりに目を向けてきました。そんな時代があったからこそ、追いつけ追い越せたのですが、今は自国を、足元をみつめるときです。

 今ほど日本が文化やスポーツで世界の注目を浴びている時代、日本人が尊敬されている時代はありません。海外に学びに行く。それはよいとして、そこで日本の芸能や歴史、風土、食べもの作法など、尋ねられて答えられますか。彼らは、遠い国にいて、日本を学んでいるのに、日本人が日本について語れないとしたら。

 日本人の女性は、今も世界の人気者、長い黒髪に象徴される美しさには、オリエンタル、エキゾチックを越えて、憧れともなっています。着物を着ると、向こうの美女さえかすんでしまう。なのになぜ、向こうのまねをして、向こうのものを身につけるのでしょう。ブランド品のよさはあるとしても。

 日本人の男性も、評価をあげてきています。昔より、支配階級の民族は、被支配階級の女性と結ばれました。女性が自分よりも下とみる国の男性を選ぶことはなかったのです。日本の男性も国際的に進出して、大きな評価を得ています。もう日本一でなく、世界一でないと、というご時勢なのです。

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