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「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.1

〇ヴォーカリストの悩み

 ヴォーカリストをめざして学ぼうとしている人は、たいていは、どのようにすれば、そうなるのかに悩んでいます。とりあえずは練習を始めたものの、どうすれば上達できるのかに苦慮しています。独習であれ、誰かに教えてもらうにしろ、実際に多くの人がやっているトレーニングは、“でたらめ”といってもよいもので、それをやったとしても、さほど上達しようもないものがほとんどです。

つまり、努力してもうまくならないどころか、努力さえもできないケースが多いのです。これは、日本の音楽界にとっても、大きな損失です。

 一方でヴォーカリストになるための努力を自然と、しかも確実に自分の身につけることができた本当にごく少数の人がいるのも事実です。

 とはいえ、芸ごとで伝わるとしたら、そんなに楽なことはありません。最も肝心なことが、伝わりようもないから、芸なのです。

 しかし、私は、努力している人なら、最も大切なことに気づいてもらうことはできると思っています。そこで、その気づきの契機を与えるためのアプローチの方法を述べていきたいと思います。

〇声を自由にする

 

私自身、日本人、外国人問わず、多くのヴォーカリストに接して、確信したことが3つありました。

 1つめは、声が自由に出るようになれば、飛躍的にヴォーカル力は伸びるということです。一流といわれるヴォーカリストには声を出す身体と技術があります。彼らと同じ発声のできる身体になることを基本のトレーニングの目的とします。

そのためには、今の声(多くの日本人の出している声)をおいて、基本から徹底します。つまり、1オクターブ声が完全に使えていたら、1フレーズぐらい彼らと同じように歌えるのに、歌えないということは、声に問題があるということです。

しかしこれは、新しい声を作るということではありません。声の出し方を正して、あなた自身の最も理想的な声を発見し、歌に使えるところまで鍛えていくことなのです。

この点で巷で行なわれている多くのヴォイストレーニングやヴォーカリストの指導は、今の声を前提に伸ばそうとしています。今の声とは、日本人の一般的な発声の状態です。本当はもっと楽によい声の出るはずなのに、そのようにできていない発声を指します。

 その声は、録音してみて、聞いてみればわかります。その声の多くは、決してプロの声でも音楽的に聴こえる声でもないはずです。自分でも嫌な声だと思ってしまう声でしょう。これを原点に戻さず、部分的な処置をしていると、何年たっても後で伸びないのです。本人はトレーニングで伸びたと思っているかもしれませんが、徹底して鍛えれば、10の声を20にできたのに、1112で満足しているわけです。これは、声を判断する耳ができていないからです。

〇センスと感性

 2つめは、表現すべき音(音楽)のイメージ、いわばセンスや感性とよばれるものです。感じるだけでなく、感じたことを声の表現で伝えるところに、ヴォーカリストの才能が問われます。この才能にも開花させるトレーニングが必要です。

これは、向こうのアーティストのように、1つめの条件が満たされていると、声と同時に完成していく場合が多いのですが、日本人の場合は、1つめの条件を持たぬため、器用にまねて歌えるだけのヴォーカリストになりがちです。そういう人は、まわりからうまいと評価されるために、結局、歌や声の本質がわからず、声も歌も表現も限界がきます。

しかし、この状態でも、ほとんどの人がヴォーカリストとしてのプロ活動ができてしまっている国が日本です。歌は自分の思うところまで、うまくなればよいし、総合力ですから、別の面での才能が秀でている人は、それでも構わないわけです。ただ、トレーニングで効果をあげていきたい人は、基準のトレーニングをする必要性を知っておくべきでしょう。

 ところで、1番目の条件を満たしている人は声量や身体だけでもっていけるから、勢いだけで歌って、生じ通じてしまうので、2番目の条件を疎かにしがちです。今の時代、この2つの条件を共にそなえた人がほとんどいないのは、残念なことです。

〇ヴォイストレーニングのスタンス

 3つめは、トレーニングへの取り組み方と考え方です。レッスンそのもの以上に、今の若い人には、ものの考え方、もう少し具体的にいうと、アーティストの精神やポリシーといった部分が必要に感じます。

昔、芸人は師匠の家に住み込んで、全く教えられないところで芸を盗んだといいます。「本当のことを身につけるには“場”が大切」と私は常にいっています。よい“場”には、雰囲気があり、気が満ちているからです。できるかぎり、その“場”の雰囲気を、“気”とともにあなたにおくりたいです。

 私の研究所では毎月、会報を出しています。ちょっとした休憩中や、合宿、研修などで私が話をするようなことが、精神的な支えになっているからです。いわば、マニュアルにできない、最も大切なものです。それも伝えられたらよいと思っています。

あなたが、自らにどのようなヴォーカリストになりたいかを問いかけ、その方法を自分自身に最も似つかわしい方法で決め、自信をもって日夜、トレーニングに励めるようにすることが目的です。

○やり方ではなく、あり方

 ヴォイストレーニングで、どういう方法が正しいのかというと、これこそが、難題です。私自身は、今は、方法、やり方ではなく、そのあり方、つまりどのレベルの深さでやれているかの問題と考えています(私の方法とやらもまた浅いレベルに誤用され、時に成果と逆行している例を少なからず知ったからです)。

 比較的、目的や基準のはっきりしている声楽の中でさえ、本当に正しいトレーニングができている人は少数です。それは、次のような言葉からも察せられます。

「今日の歌手たちは、発声について間違って考えるように教え込まれたために、自分たちに与えられた才能や能力を発揮できないばかりでなく、声そのものを壊してしまって、歌手としての生涯を全うできないという事態に直面させられています」(コーネリウス・L・リード「ベルカント唱法」音楽之友社)

○トレーナーの選び方

トレーナーの選び方は、トレーニング方法を正しく行うのと同じくらい難しいのです。特にポピュラーの世界では、あたかも基準がないかのようなので、尚さら大変です。

声においては、すぐれた歌唱を行うプロ歌手が、必ずしも、あなたにとってよいトレーナーであるとは限りません。むしろ、こういう人は、ヴォーカルアドバイザーというべきでしょう。ましてや、トレーナーが勉強不足、育てる経験不足だと、日々、伸びているような錯覚をしたまま、いつになっても、本当の意味では上達しないというような指導を受けて終わってしまうことがほとんどです。

 まずは、声で判断することです。ヴォイストレーナーが悪声や頼りない声であれば、これは失格でしょう。

 次に、声の技術を見ます。いくらトレーナーがよい声であっても、あなたはその声をまねるのではなく、自分自身の声を磨き、歌に使うために習得するのです。根本の声づくりとその使い方を見るしかありません。

 その人の声そのものをまねるのはよくありません。手本は、あくまで声の感覚と使い方を得るためにあります。多くの人が、教えた人の悪いくせばかりを受け継いでいます。1人ひとりの声は違うのです。

トレーナーの耳がよいこと、判断力が高いことは、さらに大切な条件です。

 育てたプロの名を挙げて宣伝文句にする人がいますが、これも実績というよりは、何度かそこを訪れただけという程度のことが多いのです。第一に、そういう人が育てたという人の声や歌を聞いて、感動しましたか。単に有名だというのと、声の力、歌う力とは、あまり関係ないのです。だいたいは、すでに選ばれた人の歌声の調整をするのと、多くの皆さんが必要とするように、ゼロから声をつくっていくのとは、全く違うのです。日本の音楽スクールやトレーナーは、私がみるに、そこに対応できていないのです。

 理論や方法は、誰でも持てます。トレーナーは、誰を育てたかで決まります。習う側は、それを見抜く眼と耳を持つことが大切です。

・正しい方法ではなく正しく行う

・自分の目的をはっきりさせる

・経験や実績の豊かなヴォイストレーナーにつく

○メニュやノウハウは、やればよいものではない

 少なくとも、ポピュラー音楽全般、特に歌唱に共通する正しいトレーニング・メニューというものはないでしょう。私もたくさんの本にメニュを公開してきましたが、メニュは手段であり、正しく使わないといけないのです。それは各人ごとに、目的ごとに異なります。極端な話、その日の状態によって違うこともあれば、いつ本番をするのかによっても変わるでしょう。トレーニングの期間についても、同じことが言えます。結局、正しい方法となるノウハウは各人各様です。それを自分で決めていくことができるようになるということです。決めるためにどうするかを学んでください。

 いろいろな方法での可能性を模索する自由度を失わないことです。自由にやるほど、逆に類型のパターンが出てきて、どういう時に、どのメニュを処方すればよいのか、経験的にわかってくるはずです。声の問題が、心や身体にあることなどに気づくこともあるでしょう。

 ヴォイストレーナーは、長期的かつ総合的視野を踏まえた漢方医のようでなくてはいけないと思います。ところがその場しのぎで対処する人がとても多いのです。これは、当の習いたい人が付け焼き刃的指導を求められることが多いためです。求められることに何とか対応さぜるをえないトレーナーには、親切な指導ほど弊害になることとなってしまいがちなのです。

○自らメニュを創造する

 ですから、あなたは自分自身のトレーニングのためのメニュを自分で考えて、どんどん試みていけばよいのです。しかし、それが悪い方向に向かわないためには、優れた歌や音楽を入れておき、それで正すようにするしかありません。トレーニングは試行錯誤の連続です。壁にあたるのを恐れず、続けることです。そしてある時、そのレベルでベストのことができたら、わかってきます。その繰り返しで、レベルを深めていきます。できたということを身体で覚えるには、このようにして、やるべきことをやって待つしかないのです。

 ですから、それに気づく材料を適切に処方するのが大切です。

○基礎を深める

 最初のレベル(これをレベル1としましょう)で、たまたまベストのことができたとしたら、そのレベル1でのベストを確実に出せるようにしていかなくてはなりません。そして、レベル1でのベストが出せるようになると、それは当たり前のことになります。さらに、1つ高いレベル(レベル2としましょう)におけるベストを目指すのです。

 この繰り返しで、レベルを深めていくのが、基本トレーニングです。つまり、メニュが123と進むのでなく、同じメニュにおいてこなせるレベルが123と深まるのです。

 それにつれ、多くのメニュに対応できる力がついてきます。応用力をつけるために、いろんなメニュを利用していくのです。

 何よりも大切なのは、どのメニュも少しでもより深いレベルでこなしていくように努めることです。この時に得たレベルの深さが基礎の力となるのです。目的は、柔軟に繊細に自由に応用のきく声を得ることです。

 それとともに、舞台を踏み、自分の声、身体などの状態を把握できるようにしていきましょう。心のみならず、身体で声を聞くことができるようになります。このことが、さらに高いレベルをこなすための判断基準を作っていく上に、なくてはならないことなのです。

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