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2023年8月

閑話休題 Vol.77「風呂敷」(1)

<語源>

「風呂敷」が、モノを包むものとして用いられるようになったのは、江戸時代も18世紀に入ってからのことです。それまでは、包まれているものを冠して「けさづつみ」「ころもづつみ」「おおづつみ」などと呼んでいました。

古くは、収納のために平包(ひらつつみ)、または古路毛都々美、衣包み(ころもつつみ)と呼ばれ、舞楽装束を包んでいたとされています。それは、碧色の綾を継ぎ合わせて作ったもので、一般の人は手に入れることはできませんでした。

語源としては、室町時代、将軍の大湯殿に入った大名たちが衣服をまちがえないため、家紋をつけた帛紗(ふくさ)に、脱いだ着物を包み、湯上がりに帛紗の上に座って身づくろいをしたのが風呂敷の始まりといわれています。風呂の中で敷き、湯上がりにその上で身体や足を拭うものだったのです。風呂敷で着物も包み、湯具を包んで持ち帰ったといわれています。また、茶の湯で道具として用いられる風炉に由来する説などがあります。駿府徳川家形見分帳の記載が最初です。

正倉院宝物の中に舞楽の衣装包みとして用いられたものが残っています。中身を固定するための紐が取り付けられています。伎楽衣装を包む「伽楼羅(かるら)包(本来は果冠に下が衣)」、子どもの衣装を包む「師子児(ししじ)包(同じく元の字は果冠に衣)」という呼称で内容物が墨書されていました。

 

<歴史>

奈良時代、奈良の尼寺・法華寺に蒸し風呂があり、スノコの下から薬草などを燃やして煙を出し、祈祷や疫病対策をしていました。直に座ると熱いので、むしろを敷いたようです。

平安時代には、大きな包みをいただいて運んでいる女性が描かれたものが残っています。「平裹」・「平包」(ひらつつみ)と呼ばれ、庶民が衣類を包み頭にのせて運んでいる様子が描かれています(「裹」は「裏」(うら)とは別字)。古路毛都々美(ころもつつみ)という名称も「和名類聚抄」にうかがえます。

京都高山寺に伝わる絵巻物「鳥獣戯画」は平安から鎌倉時代のもので、そこには平包みのようなものを持った猿が描かれています。

 

武士が台頭するようになってからは、戦で取った敵の首を、布で包むのが礼儀とされました。「首包」です。

 

室町時代には、将軍足利義満が建てた湯屋に公家が入浴したとき、湯殿の下に敷いたり、衣類を間違えないように家紋を入れた風呂敷に包んだそうです。入浴することは心身を清めるのに白衣で入るのが作法で、そのため広げた布を「風呂敷」と呼んだようです。

蒸し風呂であったため、「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていました。濡れた風呂衣を風呂敷に包んで持ち帰ることなどで敷布としての役割から包んで運ぶようになったのです。

 

江戸時代、銭湯が普及し、脱いだ衣類を包んだり、その上で着替えるのに風呂敷が用いられました。この頃から風呂敷という名が定着してきたと考えられます。花見など物見遊山が大衆化したことでも使う機会が増えました。

 江戸時代初頭、銭湯が誕生し、元禄時代頃から江戸や上方の町で盛んになり、庶民も衣類や入浴用具を「平裹(平包)」に包み持って銭湯に出かけています。「平包み」は「風呂敷」よりも長い期間、使われていたようです。風呂に敷く布で包むことから、「平裹(平包)」に代わって「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになります。「風呂で敷く布」から、「包む布」として行商人たちによって全国に広められていきます。商人や旅人の振り分け荷物を包むのにも使われ、運搬用品となってきます。また、旅が一般化したこと、花見など物見遊山が大衆化したことで、外に出る機会が増え、風呂敷の使用機会が増えました。上方商人が江戸で商標の入った風呂敷で評判を呼び、成功を手にした話があります。

 

普及には、技術革新によるところがあります。木綿は、戦国時代の終わりまで輸入に頼っており、貴重品でした。江戸時代に栽培が行われるようになり、麻に代わる庶民の衣料として普及しました。

火事への備えとして、風呂敷は布団の下に敷かれるようになりました。夜でも鍋釜と布団をそのまま包んですぐ逃げられたからです。手近にある代用品として「早風呂敷」と名付けられました。

 

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.2

○声と歌の判断力をつける

 歌は、体を楽器として使っている以上、肉体芸術作品です。描いたイメージに対し、すべてが呼吸でコントロールされた声の動きで歌が表われ出るようになりたいものです。単に、声を出したり歌ったりするのではないのです。

 声で楽々と自由に、感情を思いのままに表現するのに、複雑なテクニックなどありません。高音や声量を出すのに、いかにもマニュアルやとっておきのノウハウがあるように勘違いしている人が多いのですが、そう思うと、それだけで終わります。発声や技術が聞こえてきたら、歌はおしまいです。

 野球でいうと、すべての球を打つためのマニュアルを欲しがっているようなものです。ストライクゾーンは、各人によって違うのです。高いボール球を打つことに躍起になっている人、自己流での力一杯の大振りを繰り返している人、これでは成果が出るわけがありません。

 何事にも基本のフォームがあり、フォームを確実に身につけるためのトレーニングがあります。それなくしては、マニュアルもノウハウもまったく無力なのです。ノウハウを獲得できるだけの感覚や体であれば、すでにノウハウは身についているのです。つまり、今までの自分にない感覚や体の条件を得ていかなくてはならないのです。

 無駄な間違いを極力防ぎ、発声の技術が少しでも効率よく身につくようにする、しかし、そのためには、フォームを整えたり、体力をつけたりしつつ、声と歌の判断力が必要です。これとて、本人の十二分の努力の上で、少しずつ盗めるというものに過ぎないのです。いくら時間をかけても、すべての人が必ずしも得られるものではありません。

○上達するために大切なこと

 トレーニングが身につくようにするために、それ以前の問題があまりに多いのです。イメージ、テンション、集中力、声の扱い方、説得力、構成力、それが克服できたら、歌はおのずとシンプルにまとまっていきます。実際のトレーニングに際しては、こういうことをよく考えながら量をこなしていくことです。

 上達を急ぎたいのはよくわかりますが、多くの人が最初に急いでしまったために、基本を飛ばし、その後、5年たっても10年たっても声がうまく出ず、歌がうまくなっていないという現実を知ってください。

ものごとにはすべて、基本を身につけるための大切な時期があります。その時期に基本を身につけなくてはならないのです。それを疎かにして先に進むと、やがて限界がきますし、素人芸で終わります。急がず、あわてず、くじけず、めげず、コツコツとやっていくしかないのです。

 確実に歌という財産を自分のものにするには、まずは、声そのものを安定させていくことです。

 繰り返しのみが、力となります。中学校や高校で、スポーツの試合に出たことのある人は、そのトレーニングの繰り返しの意味が何であったかを考えてみるとよいでしょう。

 たくさんの歌を器用に歌える人はたくさんいます。でも、たった1つのフレーズで、人に聞かせるだけの力をもつことこそ、優先すべきことなのです。

 

・すべてを呼吸でコントロールすること

・基本のフォームを身につけること

・正しくシンプルに量と質をこなすこと

○発声器官とそのしくみ

 声そのものがどのようにして出るのかを知っておきましょう。のどは商売道具、そのメカニズムを知るには、活字や写真では難しいものです。しかし、ヴォーカリストは生理学者ではありません。正しい理論やしくみをいくら知っても、正しい声は出ません。これは、スポーツ選手がボールを角度と速度を頭で計算して追っているのではないのと同じです。

 スポーツ選手なら、腕や足の筋肉を直接、鍛えるトレーニングができます。しかし、声帯は、それに関わる筋肉やメカニズムはわかっても、操作できないのです。スポーツのように直接に筋肉に働きかける強化トレーニングのプログラムは作れません。自ずと感覚本位になるのです。だから、感覚を磨くしかないのです。そこで、最初の1音を出すときのイメージをいかに形成できるかが、肝心であるといえましょう。

声帯

 声帯は2つの唇で成り立ち、前の方でくっつき、背の方で分岐しています。分岐した方の端は、披裂軟骨にくっつき、その骨が回ると、2つの唇がくっつきます。その時、唇はその端を支えるところを両方向に引っぱる輪状甲状筋で伸張するわけです。吐気はお腹の方から出て、閉じている声門を開け、その気流が声の元音となります。

○発声理論の誤用

 トレーナーの中には、理論に基づき、発声器官そのものをコントロールさせようとしている人もいます。口の中をあけて、あくびのようにさせたり、舌や口の形を固定させる、のど仏を下げるとか、舌の真ん中を盛り上げないとか、首筋をよくマッサージするといった具合です。これらは、部分的な対処ですが、必ずしもすべてに有効ではありません。発声理論においては、尚さらです。残念ですが、日本においてそれらが正しく使われている例を、私はほとんど知りません。

 そもそもヴォーカルは、本も読まずトレーナーにもつかずに、プロになった人が大半です。発声のしくみや理論に頼りすぎると、感覚本位で、実践すべきことの邪魔をしかねません。そのため、常識的なことさえ、わからなくなり、理論や方法に振り回されている人が少なくありません。

 発声器官そのもののコントロールについては、多くのトレーナーが、うわべの方法にとらわれ、あたかも、それで声が身につくように思っています(マニュアル化しやすく、その日に効果は出るので、教えるにはやりやすいからです)。

 そのため、日本の現状は、パクパクと口を動かし、つくったような声が響くだけで、まったくお腹から説得力のある声の出ていない人が多くなっているだけのように思います。これらは発声が身についた人の調整法であっても、初心者にすぐに使うべきものではないのです。

○発声らしい発声の害

 私は、多くの歌手ばかりでなく、多くのトレーナーもみてきました。すると、トレーナー自身が、その人の指導する方法で声を身につけたと思っているのも、きっと他のところに基本があったということも少なくないのです。自分がどうして声を身につけたかをきちんと知っている人は、ほとんどいません。これは、多くの人を長くみないとわからないことです。自分自身についての判断にも、思い込みが大部分入ってしまうのです。

 自分の思い込みに従うことが、トレーニングを間違って行なうことの最大の原因です。

 発声器官そのものをコントロールすることをヴォイストレーニングとしたところから、本来、まともな耳を持って、まともに歌える人を作ろうとするならば、生じなかったような間違いが起こってきたとさえ言えます。

 私が「どこかで習ってましたね」と言う人は、この部類です。歌がうまいからでなく、いかにも発声らしい発声しか出てこないから、すぐわかるのです。

 本当の発声とは、それだけで歌と同じくらい聞く人の心に入り込む魅力があるのです。発声を感じさせないために、発声があるのです。

 もちろん私は、さまざまなやり方を、すべて否定しているわけではありません。要所を押さえて使うことは、有効なこともあります。しかし、もっと本筋があるということを忘れないでほしいのです。それは声そのものをコントロールする感覚を身につけるということです。それによって、悪声も悪い発声でさえ、個性ある世界へ歌を導くこともあるのです。

世界中のいろんなヴォーカリストを聞いてください。習って身につけられないレベルのものだから、価値があるのでしょう。ですから、あらかじめたった一つの正解や方向を持って臨むトレーナーやマニュアル本には、賛成しかねます。歌も声も1人ひとり、持っているものも上達のプロセスも違うのです。歌ったら誰かと同じ、というのでは、とてもつまらないことではないでしょうか。

・発声器官そのもののコントロールをしないこと

・声そのものをコントロールする感覚を身につける

・たった1つの正解を求めないこと

○実践に学ぶこと

 私の講演会では、一番のノウハウは私の声そのものだと言っています。話の内容よりも、そこに違い、つまり価値があることに気付いてもらいたいからです。

 なるべくたくさんトレーニングに来て、声を聞くこと、そしてさらに、歌を音楽として学ぶために一流のヴォーカリストを聞くことを勧めています。歌から声を学ぶのは、最初は難しいのですが…。これに関しては、ポピュラーではゴスペル、ジャズ、さらに声楽もひと通り聞いてみるとよいでしょう。特に一流のヴォーカリストの生の声、ア・カペラ(無伴奏)での声をたくさん聞くことです。

 声が正しく出ないのは、正しく出ない状態に、発声の器官がおかれているからです。

 最初は、声そのものの判断力をつけていくことが大切です。自分のよくない声とよくない出し方にうっとりできるなら、発声は一生直りません。

 そこでは、声そのもののイメージ、これが狂っていることが多いのです。つまり、直そうとする行き先にイメージしている声が正しくないのです。しかし初心者にとって、今の自分の声ではない声を求めるのは、あまりに漠然としています。声のイメージを絞り込むのも、実践していく中で行うしかないのです。さらに、ポピュラーは、悪い声でも悪い発声でも、選び抜き、その組み合わせがオリジナリティの域に深まると、是とされることもあるので、なおさらわかりにくいのです。

 多くのヴォイストレーナーは、その人が将来持つであろう理想的な声とその可能性を見抜けないまま、ステレオタイプのよい声、よい発声に強引にそろえていこうとします。タレント・レベルのヴォーカリストなら、リズムと音程と発音を教えてもらったらそれで一丁上がりかもしれません。しかし、一流のヴォーカリストになりたいのなら、本当に今、トレーナーの要求するような声1つで自分の目指す歌の世界ができるのか、突き詰めて考えてください。

 本当にしっかり声を使っている人の声を参考にして、完成した自分の声をイメージしていくことが、唯一の方法です。そのイメージ(原理)に近づけようとするほど、発声器官の状態がよくなっていくというのが、望ましいコントロールの仕方なのです。ここでも、聞く力が問われます。本当の声はなかなか出ないけど、出た時には回りの人も自分でも、瞬時にわかるものなのです。

※残念なことに、ここでも日本人の多くは、(本人もトレーナーも)自分に理想とする声にまで、オリジナリティよりも、誰かのような声を欲してしまうのです。

・声そのものから学ぶこと

・一流のヴォーカリストを声で聞くこと

・将来、得るべき理想的な声のイメージを正しく持つこと

○独力の限界と本当の問題

 自分の最も理想的な声を発見し、それを発現する世界をめぐる旅が、私の思うに、ヴォイストレーニングです。行き方は、いろいろとあります。

 独力でもよいと思いますが、声に関してだけは、かなり難しいといえるでしょう。声を発見し、それを常に取り出せるようにして条件を整えていくには、かなりの判断力と先見力、経験が必要とされるからです。自信、集中力、熱意・意欲、信念などに加え、模倣、健康や加齢、歌やステージとの関係など、常に問題が山積みだからです。

 今までのあいまいな発声をすべて捨て、一声に執着する、そうなればこそ、本当の意味がわかり、踏み出せるでしょう。それは、発声を通して自分が歌うという意味まで、常に根本的に問われることです。

 楽しく歌うだけで、誰も魅了できない自己満足の歌でよいのなら、ヴォイストレーニングなど必要ありません。歌うということは、それ自体、快感なので、誤りやすいのです。まして、声は1人ひとり違うのです。自分の声で歌えば、自分の歌が出せたように思いがちです。

 そこでどのように歌を創造したか、演奏としての声の使い方などが、ほとんど問われないのが問題です。しかし、よほど精根を据えてやらなくては、この国ではそうなりかねないのです。

 「いつになればできるようになりますか」「早く上達したい」、こういう野心は、モチベートである反面、声にとっては危険なものでもあります。よい仕事、よい歌、よい声は、それなりの年月を経て可能になります。どの分野でも、一流になるには何年もかかるものでしょう。人前でわずか数分間で人を感動させることができるには、どの分野でも、どのくらいかかるか考えてみたことがありますか。

○声の可能性を大きくする

 限定された声では、歌を表現したくても、そのワクの中でしか声を使うことができません。声も楽器の性能と同じ、多様な選択ができるだけ、確かな品質、器と、それを奏でる技術が必要です。自分が自由に表現したいように歌えるために、ヴォイストレーニングがあるのです。

 つまり、歌というのは、自分の持つ声の器のなかで切り取り、まとめていくことですが、ヴォイストレーニングは、声の器そのものの可能性を最大限に、そして最も効率よく拡げていくために行うのです。

 歌でヴォイストレーニングで出せる声以上に、声が出ることはないし、その必要もありません。声にイメージをはじめ、多くの要素を加えて歌にするからです。しかし、その前に声だけでも聞かせられるまでの器を作り、声量、響き、声の魅力を十分に活用できるところまで突き詰めておくわけです。

 ヴォイストレーニングとは、声という捉えようのないものを自分なりにイメージして、そこに声の地図を作っていくことだと考えるとよいでしょう。マップに必要な方位を与え、目標と道筋を示すのがここでの狙いの1つです。

○深い声、伝わる声、使える声

 声について、あるレベルに到達するために、深い声を探します。あなたの本来の声が隠れているときには、さまざまな試みをして、その理想的な声に気付いていくことが必要です。少しでも理想に近い声が体験できるまでは、12音でよいから、それを出せるように体や息、そしてイメージといった条件の方を整えていきます。

 最初は12音でもうまくとり出せたらよい方です。体や息が鍛えられコントロールできるにつれ、徐々に使える声になってきます。使える声はシンプルかつ、わかりやすいものです。どれが正しい声かわからない人のほとんどは、どれも正しくない発声をしています。

 ある程度、声が出てきたら、そのなかで最もよい声を知り、それを完全にしていくとともに、その他の声(違う発音、高さ、強さ、長さの声など)をベストに近づけていきます。いくつもの声を持つのではなく、最も正しい声をすべての状況に対応させられるだけの大きな器としていくことです。

 まずは自分の出している声に耳をすまし、どのように出ているのかを深いレベルで知っていくことです。

 正しい声とは、ここでは後で自由に使える可能性がある声を指します。

・トレーニングに取り組む姿勢が大切

・声のマップづくり

・正しい声をつかみ、それを応用していくこと

「基礎教育のためのヴォイストレーニング」 Vol.12

○自信が欠けると声の魅力もなくなる

 

 「何か元気ないな」、「悪いことあったな」というのは、声でわかります。その人に不幸があると身体、表情、眼、姿勢、身振り、そして声に表われるのです。

 以前は羽振りのよかった人が逮捕などされると、別人のように暗い声になっています。報道で、そういうのを選んでいることもあるでしょうが、誰でもそうなるものでしょう。

 声でのコミュニケーション術、それは、言葉とともに、人間の獲得した最大の武器です。わずか2歳の子でも会話します。赤ちゃんは、言葉もなく、声だけで自分の意志をまわりに伝えます。

 子どもをみていると“今泣いたカラスがもう笑った”と、その表情の変化のスピードの速さや幅の大きさに驚かされます。声の表情が、心を表わします。

かつて、私たち誰もが子どもの頃はそうだったのです。成長するとともに、ストレートに心を表わすと、まずいことが多くなって、声も素直に出なくなってきたのです。社会的には、思っていることが、すぐ口から声に出たら、うまくやっていけないからです。

 でも、笑ったり笑い転げたり、泣いたり泣き腫らしたり、そのときの声は、心に反応していますね。

 

○声だけでも勝てる

 

 二人の人に電話して、一方はいつも明るくハキハキ、「待ってました」とのごとく、すぐに出る、もう一方は事務的な応対だとしたら、どう思うでしょう。

 友だちが落ち込んで弱気になったとき、あなたが声の優秀な使い手なら、千載一隅のチャンスです。あなたを頼ってきたときに、あなたから発される声が、その人を元気づけます。ところが、どんなに心を込めても、冷たい淡白な声に聞こえたら、落ち込ませるでしょう。

 皆に好かれない人の場合、こういうケースから少なからずあります。

 恵まれて育った人は、あまり声に感情を表わすことに慣れていないのです。深いつきあいでもなければ、声に何か込めるような必要もなかったから、そうなりやすいのです。

 また、私が思うに、ファッションモデル出身の女優さんは、声に苦労しているようです。モデルはしゃべり慣れていないこともありますが、背が高いので目立つのを抑え、声を大きくしないようにして、あまり使い慣れていない人が多いのです。

 

○職場の人間関係をよくする声

 

 人間関係をよくする声は、しっかりと相手を受けとめる声です。

 日本では、あまり音声の力に頼りすぎないことも大切です。声が大きすぎると、聞いている方も疲れます。声の大きさには充分に配慮しましょう。デリカシーが問われます。

 

 いろんなお店で働いている人の声を聞く機会はたくさんありますね。職場では、声の使い分けが、きちんとなされています。お客さん、上司、同僚に使う声は違います。それは言葉遣いでの違いです。お客さん、上司には、敬語、同僚、部下には、親しさに応じて、かなり違ってきますね。人間関係の違いが、声に表われているのです。人間関係は、その声で区別していけばよいということです。

 好き嫌いが声に表われるなら、声で好き嫌いを表わせます。職場では嫌いな人に嫌いとは表わせませんから、みな、好きな人に使う声にすればよいのです。そんなことで声は減りませんから、大丈夫です。

 とても好きな人に使う声を使ってみてください。すべてが、うまくいくようになります。相手を嫌えば嫌われるし、好きになれば好かれやすくなります。あなたの好き嫌いに関わらず、声でよい方へ演出するのです。

 そういえば、他の人の人間関係を見抜くのにも、声は大きなヒントです。上司や部下に対して、露骨に声を使い分けている人もいます。その人の好き嫌い、尊敬度、傾倒度、忠誠度なども見抜けます。

 

○夢のための声日記

 

 イメージを引き出すキィワードは、言葉です。声の感じで、その人のイメージや情報を引き出せます。

 「あの人どんな人だったか」と思い出すとき、何を言っていたかより、どんな声で言っていたかの方が残るからです。

 人が亡くなったとき、その人の生前の声、笑顔とともに笑い声を思い出して偲びます。亡くなったことは悲しくとも、そういう思い出を与えてくれたことに感謝です。そう考え、心の中では笑って送り出しましょう。

 

 いつか自分が送られる日まで、声の日記をつけてみましょう。

 あなたの夢が、確実にかなうためにです。

 

1.    年  月  日(  )天気(  )

2.目標

3.声のために行ったこと

4.声を使ったときのこと

5.どう声を使えばよかったのか

6.今日の声の調子と健康

7.明日の声の使い道

 

○声は意識したら耳に入ってくる

 

 自分の目標をしっかりとイメージしたら、自分に必要な情報は入ってきます。声も同じです。

 あなたの名が呼ばれたら、あなたにはとてもよく聞こえるはずです。以前、ジャマイカの空港で私は場内呼び出しを受けました。そのとき放送を何も聞いていなかったのに、自分の名前だけは聞こえました。

機上で映画をみて眠くなって目をつぶっていたのに、ストーリーは何となくわかります。そこに自分の知り合いの名前と同じ名前がでたら、耳に飛び込んできます。これも、カクテルパーティ効果※の一つでしょう。

 自分に関するもの、自分の好むもの、必要なものは、声を通じても入ってくるのです。

 あなたの好きな人の声や身内の声は、黙っていても聞こえてきます。心のなかに聞こえてくる、その声に従えばよいのです。

 

※カクテル効果

 パーティで、たくさんの人のなかから、聞きたい人の声や自分の課題だけを聞き取ることのできる能力が、人間の耳にあります。これを、カクテルパーティに、ちなんで、カクテル効果といいます。

 

○耳の力を養う

 

 もしあなたが耳の力が弱ければ、補いましょう。

 

 耳の弱い人(これは聴力が弱くて聞こえないということと違います)

・英語の発音が苦手だった

・歌詞、メロディがなかなか覚えられない

・ラジオが聞きづらい

・音楽があまり好きではない、音感やリズム感に自信がない

 

 耳の強い人

・ものまねがうまい

・カラオケが得意

・聞きとりに苦労しない

 

○アンテナを立てよう

 

 声を聞く能力は、個人差があります。学ぶにも、いろんな型があり、目でみる、耳できく、手を動かし書いてみる、口で言ってみる、それぞれに得手不得手があるものです。これにも、かなりの個人差があるようです。それでも、あなたも、友人の声すべてを聞き分けられるはずです。誰の声かを識別できる力があるのです。

 

 五感をもっとうまく利用するために、それぞれの感覚を組み合わせて活用するとよいでしょう。

 音読は、それを目と口の相乗作用で行うことになります。

 

○声で唱えると実現する

 

 口グセに気をつけようというのは、言葉を口に出していると、その通りになるからです。

かなり以前から、そうした分野は、自己暗示、成功哲学などといわれ、理論づけされてきました。大脳生理学などにより、言葉の力、声の力は、確かなものと認められてきました。

 

 自分自身に語りかけてみましょう。自分にやさしく語りかけると、やさしくなれます。植物やサボテンも、やさしい声に反応するそうですから。

 脳は、事実―現実に起きたことか、仮想イメージかを判断しません。潜在意識のなかでは、夢も現実も、バーチャルリアリティもリアルも、それが心身に起こす反応に違いはないのです。

 梅干しを思い浮かべるだけで、唾液が出ますね。

 映画や小説を読んで、感情移入できるのも、そのためです。

 スター(推し)のブロマイドをみていると幸せな気分になるのも、似ています。主人公に感情移入するのも同じ。小説やまんが、ゲームも人格形成に大きく関わっています。

 「ムカツク!」と口にしたら、ムカツクし、「しゃあねえ」とため息ついたら、力も抜けるのです。

だから、自分によい声でよい言葉を愛を込めて語ってください。

 

声が出るのは、とても複雑なメカニズムです。

声帯は、どんな楽器よりすぐれています。わずか2センチほどで、これだけの自在な音を扱えるものを、いつか人間はつくれるでしょうか。

「内省」 No.384 

自分の中の矛盾、葛藤と闘いながら、自分自身の精神状態をよりよく維持しようとする努力は欠かせません。

本分は、身体にきくことです。

ときに、自分の興味や関心を疑うことも必要です。

それは人間の興味、関心になりうるのか、何をやるか、なぜやるか、やっているのは、何なのかを問うてみるのです。

それは、何をやっていることになるのかという、この世界と人生の解釈を突き詰めていくことになります。

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