「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.2
○声と歌の判断力をつける
歌は、体を楽器として使っている以上、肉体芸術作品です。描いたイメージに対し、すべてが呼吸でコントロールされた声の動きで歌が表われ出るようになりたいものです。単に、声を出したり歌ったりするのではないのです。
声で楽々と自由に、感情を思いのままに表現するのに、複雑なテクニックなどありません。高音や声量を出すのに、いかにもマニュアルやとっておきのノウハウがあるように勘違いしている人が多いのですが、そう思うと、それだけで終わります。発声や技術が聞こえてきたら、歌はおしまいです。
野球でいうと、すべての球を打つためのマニュアルを欲しがっているようなものです。ストライクゾーンは、各人によって違うのです。高いボール球を打つことに躍起になっている人、自己流での力一杯の大振りを繰り返している人、これでは成果が出るわけがありません。
何事にも基本のフォームがあり、フォームを確実に身につけるためのトレーニングがあります。それなくしては、マニュアルもノウハウもまったく無力なのです。ノウハウを獲得できるだけの感覚や体であれば、すでにノウハウは身についているのです。つまり、今までの自分にない感覚や体の条件を得ていかなくてはならないのです。
無駄な間違いを極力防ぎ、発声の技術が少しでも効率よく身につくようにする、しかし、そのためには、フォームを整えたり、体力をつけたりしつつ、声と歌の判断力が必要です。これとて、本人の十二分の努力の上で、少しずつ盗めるというものに過ぎないのです。いくら時間をかけても、すべての人が必ずしも得られるものではありません。
○上達するために大切なこと
トレーニングが身につくようにするために、それ以前の問題があまりに多いのです。イメージ、テンション、集中力、声の扱い方、説得力、構成力、それが克服できたら、歌はおのずとシンプルにまとまっていきます。実際のトレーニングに際しては、こういうことをよく考えながら量をこなしていくことです。
上達を急ぎたいのはよくわかりますが、多くの人が最初に急いでしまったために、基本を飛ばし、その後、5年たっても10年たっても声がうまく出ず、歌がうまくなっていないという現実を知ってください。
ものごとにはすべて、基本を身につけるための大切な時期があります。その時期に基本を身につけなくてはならないのです。それを疎かにして先に進むと、やがて限界がきますし、素人芸で終わります。急がず、あわてず、くじけず、めげず、コツコツとやっていくしかないのです。
確実に歌という財産を自分のものにするには、まずは、声そのものを安定させていくことです。
繰り返しのみが、力となります。中学校や高校で、スポーツの試合に出たことのある人は、そのトレーニングの繰り返しの意味が何であったかを考えてみるとよいでしょう。
たくさんの歌を器用に歌える人はたくさんいます。でも、たった1つのフレーズで、人に聞かせるだけの力をもつことこそ、優先すべきことなのです。
・すべてを呼吸でコントロールすること
・基本のフォームを身につけること
・正しくシンプルに量と質をこなすこと
○発声器官とそのしくみ
声そのものがどのようにして出るのかを知っておきましょう。のどは商売道具、そのメカニズムを知るには、活字や写真では難しいものです。しかし、ヴォーカリストは生理学者ではありません。正しい理論やしくみをいくら知っても、正しい声は出ません。これは、スポーツ選手がボールを角度と速度を頭で計算して追っているのではないのと同じです。
スポーツ選手なら、腕や足の筋肉を直接、鍛えるトレーニングができます。しかし、声帯は、それに関わる筋肉やメカニズムはわかっても、操作できないのです。スポーツのように直接に筋肉に働きかける強化トレーニングのプログラムは作れません。自ずと感覚本位になるのです。だから、感覚を磨くしかないのです。そこで、最初の1音を出すときのイメージをいかに形成できるかが、肝心であるといえましょう。
声帯
声帯は2つの唇で成り立ち、前の方でくっつき、背の方で分岐しています。分岐した方の端は、披裂軟骨にくっつき、その骨が回ると、2つの唇がくっつきます。その時、唇はその端を支えるところを両方向に引っぱる輪状甲状筋で伸張するわけです。吐気はお腹の方から出て、閉じている声門を開け、その気流が声の元音となります。
○発声理論の誤用
トレーナーの中には、理論に基づき、発声器官そのものをコントロールさせようとしている人もいます。口の中をあけて、あくびのようにさせたり、舌や口の形を固定させる、のど仏を下げるとか、舌の真ん中を盛り上げないとか、首筋をよくマッサージするといった具合です。これらは、部分的な対処ですが、必ずしもすべてに有効ではありません。発声理論においては、尚さらです。残念ですが、日本においてそれらが正しく使われている例を、私はほとんど知りません。
そもそもヴォーカルは、本も読まずトレーナーにもつかずに、プロになった人が大半です。発声のしくみや理論に頼りすぎると、感覚本位で、実践すべきことの邪魔をしかねません。そのため、常識的なことさえ、わからなくなり、理論や方法に振り回されている人が少なくありません。
発声器官そのもののコントロールについては、多くのトレーナーが、うわべの方法にとらわれ、あたかも、それで声が身につくように思っています(マニュアル化しやすく、その日に効果は出るので、教えるにはやりやすいからです)。
そのため、日本の現状は、パクパクと口を動かし、つくったような声が響くだけで、まったくお腹から説得力のある声の出ていない人が多くなっているだけのように思います。これらは発声が身についた人の調整法であっても、初心者にすぐに使うべきものではないのです。
○発声らしい発声の害
私は、多くの歌手ばかりでなく、多くのトレーナーもみてきました。すると、トレーナー自身が、その人の指導する方法で声を身につけたと思っているのも、きっと他のところに基本があったということも少なくないのです。自分がどうして声を身につけたかをきちんと知っている人は、ほとんどいません。これは、多くの人を長くみないとわからないことです。自分自身についての判断にも、思い込みが大部分入ってしまうのです。
自分の思い込みに従うことが、トレーニングを間違って行なうことの最大の原因です。
発声器官そのものをコントロールすることをヴォイストレーニングとしたところから、本来、まともな耳を持って、まともに歌える人を作ろうとするならば、生じなかったような間違いが起こってきたとさえ言えます。
私が「どこかで習ってましたね」と言う人は、この部類です。歌がうまいからでなく、いかにも発声らしい発声しか出てこないから、すぐわかるのです。
本当の発声とは、それだけで歌と同じくらい聞く人の心に入り込む魅力があるのです。発声を感じさせないために、発声があるのです。
もちろん私は、さまざまなやり方を、すべて否定しているわけではありません。要所を押さえて使うことは、有効なこともあります。しかし、もっと本筋があるということを忘れないでほしいのです。それは声そのものをコントロールする感覚を身につけるということです。それによって、悪声も悪い発声でさえ、個性ある世界へ歌を導くこともあるのです。
世界中のいろんなヴォーカリストを聞いてください。習って身につけられないレベルのものだから、価値があるのでしょう。ですから、あらかじめたった一つの正解や方向を持って臨むトレーナーやマニュアル本には、賛成しかねます。歌も声も1人ひとり、持っているものも上達のプロセスも違うのです。歌ったら誰かと同じ、というのでは、とてもつまらないことではないでしょうか。
・発声器官そのもののコントロールをしないこと
・声そのものをコントロールする感覚を身につける
・たった1つの正解を求めないこと
○実践に学ぶこと
私の講演会では、一番のノウハウは私の声そのものだと言っています。話の内容よりも、そこに違い、つまり価値があることに気付いてもらいたいからです。
なるべくたくさんトレーニングに来て、声を聞くこと、そしてさらに、歌を音楽として学ぶために一流のヴォーカリストを聞くことを勧めています。歌から声を学ぶのは、最初は難しいのですが…。これに関しては、ポピュラーではゴスペル、ジャズ、さらに声楽もひと通り聞いてみるとよいでしょう。特に一流のヴォーカリストの生の声、ア・カペラ(無伴奏)での声をたくさん聞くことです。
声が正しく出ないのは、正しく出ない状態に、発声の器官がおかれているからです。
最初は、声そのものの判断力をつけていくことが大切です。自分のよくない声とよくない出し方にうっとりできるなら、発声は一生直りません。
そこでは、声そのもののイメージ、これが狂っていることが多いのです。つまり、直そうとする行き先にイメージしている声が正しくないのです。しかし初心者にとって、今の自分の声ではない声を求めるのは、あまりに漠然としています。声のイメージを絞り込むのも、実践していく中で行うしかないのです。さらに、ポピュラーは、悪い声でも悪い発声でも、選び抜き、その組み合わせがオリジナリティの域に深まると、是とされることもあるので、なおさらわかりにくいのです。
多くのヴォイストレーナーは、その人が将来持つであろう理想的な声とその可能性を見抜けないまま、ステレオタイプのよい声、よい発声に強引にそろえていこうとします。タレント・レベルのヴォーカリストなら、リズムと音程と発音を教えてもらったらそれで一丁上がりかもしれません。しかし、一流のヴォーカリストになりたいのなら、本当に今、トレーナーの要求するような声1つで自分の目指す歌の世界ができるのか、突き詰めて考えてください。
本当にしっかり声を使っている人の声を参考にして、完成した自分の声をイメージしていくことが、唯一の方法です。そのイメージ(原理)に近づけようとするほど、発声器官の状態がよくなっていくというのが、望ましいコントロールの仕方なのです。ここでも、聞く力が問われます。本当の声はなかなか出ないけど、出た時には回りの人も自分でも、瞬時にわかるものなのです。
※残念なことに、ここでも日本人の多くは、(本人もトレーナーも)自分に理想とする声にまで、オリジナリティよりも、誰かのような声を欲してしまうのです。
・声そのものから学ぶこと
・一流のヴォーカリストを声で聞くこと
・将来、得るべき理想的な声のイメージを正しく持つこと
○独力の限界と本当の問題
自分の最も理想的な声を発見し、それを発現する世界をめぐる旅が、私の思うに、ヴォイストレーニングです。行き方は、いろいろとあります。
独力でもよいと思いますが、声に関してだけは、かなり難しいといえるでしょう。声を発見し、それを常に取り出せるようにして条件を整えていくには、かなりの判断力と先見力、経験が必要とされるからです。自信、集中力、熱意・意欲、信念などに加え、模倣、健康や加齢、歌やステージとの関係など、常に問題が山積みだからです。
今までのあいまいな発声をすべて捨て、一声に執着する、そうなればこそ、本当の意味がわかり、踏み出せるでしょう。それは、発声を通して自分が歌うという意味まで、常に根本的に問われることです。
楽しく歌うだけで、誰も魅了できない自己満足の歌でよいのなら、ヴォイストレーニングなど必要ありません。歌うということは、それ自体、快感なので、誤りやすいのです。まして、声は1人ひとり違うのです。自分の声で歌えば、自分の歌が出せたように思いがちです。
そこでどのように歌を創造したか、演奏としての声の使い方などが、ほとんど問われないのが問題です。しかし、よほど精根を据えてやらなくては、この国ではそうなりかねないのです。
「いつになればできるようになりますか」「早く上達したい」、こういう野心は、モチベートである反面、声にとっては危険なものでもあります。よい仕事、よい歌、よい声は、それなりの年月を経て可能になります。どの分野でも、一流になるには何年もかかるものでしょう。人前でわずか数分間で人を感動させることができるには、どの分野でも、どのくらいかかるか考えてみたことがありますか。
○声の可能性を大きくする
限定された声では、歌を表現したくても、そのワクの中でしか声を使うことができません。声も楽器の性能と同じ、多様な選択ができるだけ、確かな品質、器と、それを奏でる技術が必要です。自分が自由に表現したいように歌えるために、ヴォイストレーニングがあるのです。
つまり、歌というのは、自分の持つ声の器のなかで切り取り、まとめていくことですが、ヴォイストレーニングは、声の器そのものの可能性を最大限に、そして最も効率よく拡げていくために行うのです。
歌でヴォイストレーニングで出せる声以上に、声が出ることはないし、その必要もありません。声にイメージをはじめ、多くの要素を加えて歌にするからです。しかし、その前に声だけでも聞かせられるまでの器を作り、声量、響き、声の魅力を十分に活用できるところまで突き詰めておくわけです。
ヴォイストレーニングとは、声という捉えようのないものを自分なりにイメージして、そこに声の地図を作っていくことだと考えるとよいでしょう。マップに必要な方位を与え、目標と道筋を示すのがここでの狙いの1つです。
○深い声、伝わる声、使える声
声について、あるレベルに到達するために、深い声を探します。あなたの本来の声が隠れているときには、さまざまな試みをして、その理想的な声に気付いていくことが必要です。少しでも理想に近い声が体験できるまでは、1、2音でよいから、それを出せるように体や息、そしてイメージといった条件の方を整えていきます。
最初は1、2音でもうまくとり出せたらよい方です。体や息が鍛えられコントロールできるにつれ、徐々に使える声になってきます。使える声はシンプルかつ、わかりやすいものです。どれが正しい声かわからない人のほとんどは、どれも正しくない発声をしています。
ある程度、声が出てきたら、そのなかで最もよい声を知り、それを完全にしていくとともに、その他の声(違う発音、高さ、強さ、長さの声など)をベストに近づけていきます。いくつもの声を持つのではなく、最も正しい声をすべての状況に対応させられるだけの大きな器としていくことです。
まずは自分の出している声に耳をすまし、どのように出ているのかを深いレベルで知っていくことです。
正しい声とは、ここでは後で自由に使える可能性がある声を指します。
・トレーニングに取り組む姿勢が大切
・声のマップづくり
・正しい声をつかみ、それを応用していくこと
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