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2023年9月

閑話休題 Vol.78「風呂敷」(2)

明治期以降は広く普及し、結納などハレの日の必需品となりました。また商品を運んだり、学校に教科書や道具を包んだり、日常生活になくてならないものでした。

大正から昭和の初期、化学染料が国産化され、人造絹糸(レーヨン)の製造やスクリーン捺染及びローラー捺染が普及しました。 今も続く店もあります。

それ以降、結納、宮参りなど格式ある場面や商売に、学校に通うランドセル替わりにと、なくてならない存在でした。

 

戦後は、染色技法も開発され、絹や木綿以外の化学繊維も使われるようになり、さまざまな風呂敷が作られるようになりました。終戦から昭和30年代にかけて、多くの風呂敷屋ができました。

それは、昭和30年代まで続きます。昭和40年代は、ナイロンの風呂敷が引き出物などを包むのに普及し、大量生産されます。

製造では、手織機から力織機へ、小幅から広幅織物へ、自家生産から工業生産へ、天然染料から化学染料へと移ります。西洋の技術での大量生産の技術革新が行われました。

 

昭和40年頃には、ナイロンの風呂敷(ボカシ染め)が引き出物などを包むのに大量生産されました。また、記念品としても使われました。昭和45年頃に生産はピークを迎えます。

その後、紙袋やレジ袋の普及、近代化する中で、古臭いとか面倒でなど、使われなくなってきました。ポリ袋、紙袋に押され、急速に生活の場面から消えていきます。

 

最近では、エコグッズとして見直されています。「もったいない」というキーワードで風呂敷が取り上げられました。日本文化を見直す風潮にも相まって、海外でも認知され始めています。

 

<製造と用途>

絹と木綿の素材加工方法によって、ちりめん、家紋などを入れた紬(つむぎ)、夏用の着物と同じ絽(ろ)などの風合いがあります。現代ではこれらに加えてレーヨン、ポリエステル、アセテートなどの化学繊維が加わります。

 

大きさは、古くから織物の一反(幅約35cm40cm、長さ約12m)を利用して無駄なく裁断し縫製し、若干の長短があって正方形ではありません。短辺約34cm、長辺約37cm鯨尺九寸のものを一幅。一反を五等分して縫製したものを一反風呂敷(六幅)といい、おおむね畳二枚分の大きさが最大。

現在では、一幅の倍となる約68cm×約71cmの二幅、その倍の四幅、六幅と呼ばれる、それぞれ約204cm×207cmの整数倍、中幅と呼ばれる約45cm四方のもの、二四幅と呼ばれる約90cm四方のものが主流です。

 

二幅や中幅は、結婚祝いやお中元などの慶弔用です。二四幅は買い物に、四幅は引越し・帰省。六幅は、江戸で布団の下に敷き、災害発生時に家財道具を入れ、そのまま包んで逃げるのに使ったものです。

現代では、二幅・中幅・二四幅が主流で、四幅はコタツ掛けに、六幅はテーブル掛けや壁飾りに使われています。基本となる結びは「一つ結び」と「固結び(真結び・かなむすび)」。

 

<文化>

正月に食するおせち、春には花見弁当、秋祭り等で料理を詰めた重箱などの包みや日本酒等の持ち運びに使います。結び方を組み合わせたりします。

 

「泥棒が盗品を風呂敷に包んで背負う姿」で描かれている「唐草模様」も元来、吉祥文様であって、めでたいものです。唐草は伸びて限りがなく延命長寿や子孫繁栄の印として縁起が良い物とされていました。

 

ことわざとしては、「大風呂敷を広げる」「風呂敷を畳む」

古典落語には「風呂敷」という演目があり、間男(まおとこ)の噺がでてきます。長屋噺「火焔太鼓」、人情噺「文七元結」(ぶんしちもっとい)などに、小道具として使われています。葛飾北斎など、江戸の浮世絵作家が描く絵にも出ています。

 

風呂敷に似たものは、アジアや南米、東アフリカにもあります。中国では「包袱」(パオフー)、韓国では「褓子器」(ポジャギ)、東アフリカでは「カンガ」などです。

 

 

参考文献:風呂敷いろいろ京都掛札/風呂敷の知識(宮井株式会社)/風呂敷の歴史(丸和商業)/Wikipediaなど

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.3

○トレーニングの位置づけ

 トレーニングというのは、意識的に部分的強化として行うことですから、必要悪かつ不自然なものです。急激な効果のあるものほど副作用が多いのは、どの世界も同じです。一時、バランスを崩したり、他のことがうまくいかなくなることもあります。そのズレを踏まえた上で、各トレーニングの位置づけを知っておくことが必要です。つまり、うまく歌えないために、わざわざトレーニングをする以上、それは歌うことそのものからはズレており、最終的には無意識に統一された感覚で歌えるように戻されていくべきだということです。

そのために、すべてのトレーニングは、何のためにどこまでやるのかという目的と優先すべき課題をできるだけ明確にしたいものです。

 ヴォイストレーニングをしたために、不自然にしか歌えなくなった人もたくさんいます。発声トレーニングそのままのような歌い方になっていく人もいます。声を痛めたり、壊してしまう人までいます。皆、目的や方向を絞り込む、そのためにやりたいことや自分のオリジナリティを見つめないからです。

 それが、さらなる目的の過程として許されるのか、方向違いなのかをしっかりと踏まえることです。(声に対するのに、力づくで雑に大雑把でやっているとしたら、これは大きな間違いです。感覚が鈍いと、声を力で持っていこうとして、のどを壊しかねません。)

 今まで歌っていて、その上で本格的にヴォイストレーニングをやりたいという人が、ヴォイストレーニングを受けるごとに毎回うまくなるというのは、あり得ないと思います。なぜなら、身体づくりや声の習得そのものは、すぐには実を結ばないものだからです。やるごとにうまくする歌唱アドバイスとは、目的や目指すレベルが違うのです。

○歌とヴォイストレーニング

 歌には、いろんな見せ方も必要です。虚のなかのリアリティの勝負です。100の力をいかに110120に見せるかという勝負です。声の使い方、切り取り方、イメージのつくり方、伝え方と、発声を応用したところでの勝負です。

 それに対して、これから述べるヴォイストレーニングは、自分のもつ身体のパワーアップを目指し、大きな器づくりを確実に目指すものです。100200300にしたいときに、いくら小手先で歌らしくしても、本当に心に通じるものにはなりません。

 ヴォイストレーニングによって、いつでも声が出せるようになり、しかも、最高の声で、いくら出しても壊れない、安定性のある声とする。声量、声域とも、その人としての最大限まで確実に使え、自然と声を歌に流し込める器にしていく。そのためにすべての人に通じるのは、身体のトレーニング(できたら感覚も、ですが)なのです。声をパワーアップさせることは、やった分だけ効果が出ます。

 歌うのにギリギリ必要なヴォイストレーニングなどはなく、歌うときに声などはまったく気にせず、声が出てしまうようになるためにヴォイストレーニングが必要なのです。

 ヴォイストレーニングとステージには、スポーツの基本技術習得のための練習とその応用の場(状況の中で瞬発的に使う)としての試合との違いのようなものがあります。

 表現を創造しつつ、一方で手段としての身体、声の楽器づくりをしていかなければいけないのです。

POINT

・トレーニングの目的と成果を捉えること

・歌とヴォイストレーニングは違うこと

・声を忘れるために、声の楽器づくりをすること

○才能と素質

 ポピュラーのヴォーカリストにとって、先天的な能力が必要かと問われたら、私は否定します。音楽に優れた業績を残すファミリーはいますが、必ずしも多くはありません。まして、時代とともにあるポピュラーですから、なおさら一代で勝負できるはずです。

もちろん、生まれつき、ヴォーカリストになる才をもって生まれたという人もいるでしょう。ルックスや、頭のよさなども、やはり、有利な条件であるのは確かです。しかし、何よりも必要なのは、素直に何事からも学べる力だと思います。

 あなた自身がこれからやっていくというなら、今の年齢やもって生まれた能力らしきものなどは、どうでもよいことです。これまでにない世界を切り拓けば、自分の世界となります。やるだけのことをやり、突き詰めていくだけです。決して何事も諦めるための逃げ口上にしないことです。やり遂げた人にのみ、自分の才能もわかるのです。そこまでやらなくては、わかりません。選び続けられることが最大の才能なのです。

 声の場合、年齢については、20代になって楽器(声帯=発声器官)が完成するという特殊な事情のため、音楽演奏者の中では、年齢に制限されないパートでしょう。

 スポーツ選手のように、年齢で限界がくることもありません。かなりの体力と精神力を必要としますが、努力によって維持できないものではないのです。

本当なら、いろんな経験がある人の方が学びやすいはずですが、やはり物事の考え方や取り組み方、人生での優先順位の方がハンディキャップになる人が多いようです。自分勝手な判断で、やるべきこともやらず、結果も出せないうちにすぐに辞めてしまうような人こそ、繰り返し読んでもらいたいものです。

○発声と歌は別

 誰にも、うまく歌える才能はあります。それを人前に出せるところまで、価値をつけられるかどうかは、トレーニング次第なのです。

 しかし、発声を習えば歌が歌えるというわけではありません。歌を歌うのに、発声が必要であっても、その上に音楽的な才能が発揮される土壌が必要なのです。そのために大切なのは、音楽を入れること、そのために学ぶ環境です。

 私も優れたアーティストにたくさん出会ってきました。彼らの多くは、恵まれた音楽的環境に身をおいてきた人たちです。それを自分にも課すことです。

単に音楽をたくさん聴けばよいということではありません。よいものを聴き、その価値をいかに発見してきたかという、その人の音楽経験の総和が問題なのです。それをどう受け止め、自分の表現のこやしにできたかというところで問われるのです。

 実際は、日本のヴォーカリスト志願者の多くは海外でのヴォーカリストどころか、向こうの一般の人々がおかれている音楽的レベルさえ満たしていません。多くの日本の20代後半のヴォーカリストよりも、向こうの10代の人の方が数倍、自分を語れ、音楽を語れ、個性的に歌えます。

日本人の場合は、身辺での学ぶ環境や習慣を整えていくことの大切さにさえ、気づいていないという点で、絶望的な状況といえます。どうか、ヴォイストレーニングとともに、それを学んでいってください。

POINT

・やり続けることが才能であるということ

・何歳から始めても遅くないこと

・環境を整えていくこと

○日本の歌の現状と声

 

 最近の日本人の歌は、音響技術抜きに語れなくなりました。ステージもまた、装飾的な演出が中心になり、その結果、声そのものに頼る比重が少なくなってきました。カラオケの普及で、誰にでも歌いやすい歌が求められるようになりました。大きな曲、つまりプロにしか歌えない曲が、なくなってきたのです。声がなくとも歌えるようになり、そのことが、声に対する問題の解決を逆に難しくしています。

 声量・声域も必要なく、詞も伝わらなくてよいのなら、声の技術は不問です。プロの歌を聴いて、違いがわからなければ、上達の目安になるものがないということになります。

 多くは、ルックス、スタイル、バンドの特色づくりや作詞作曲の能力に秀でている人で、いくら歌がヒットしていても歌とはまったく別の要素が要因だったりするわけです。

 

○若者の子供声

 

 それなら、タレントの事務所へ行く方が早いようです。かわいく見えるように話して歌うようなトレーニングは、人為的に業界受けする声(=つまりは若い人に受ける声)をつくっていくことなので、本当に歌を極めるのに耐えうる声は身につかなくなります。上辺の声だけを飾っていくのです。

向こう(海外)の人たちが子供のような声だとしている声を、わざわざつくっているのです。そもそも、まともなヴォイストレーニングであれば、年を重ねるにつれて、声が魅力的になってくるはずなのです。

 声を意図的につくっていると、つくられた声域、声量からいつまでも抜け出せないのです。不自然な声では、自然な歌になりません。自然の偉大さを、ヴォーカリストもまた発掘し、その力を利用すべきなのです。

 

○本当のあなたの声とは

 

 まず、あなたが今、使っている声をそのままトレーニングして使うのではなく、声帯を含めた身体(共鳴腔、筋肉、骨、すべてを含めて)から出せる最も理想的な声を探究していくことです。

 そうでない声で、いくら声域や歌い方を決めても、おのずと限度が出てきます。あなたのもっているベストの声が出せてから、すべてが始まるのです。一声でも通用する声が出たら、それをキープしてはじめて、声域や声量の問題に入っていけるのです。

 その上で、その声の使い方を学ぶのです。どこの国のヴォーカリストも、声の技術というものをもっています。それで歌を効果的に演出します。声で“聴かせて”くれるわけです。

日本人のヴォーカリストが、世界に通用しないのは、まさに、この声の技術を音楽レベルで持っていないところに原因があります。

 

「よい声になれるヴォイストレーニング~声の科学」 Vol.1

○声はトレーニングでよくなる

 

「いい声」というと、役者さんを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし彼らも最初からそんな声をしていたのではありません。「人々にしっかりと伝えるために、声を磨いた」のです。その結果、プロの声となったのです。

声は誰でももっているし、使えているので、よほど困らないとトレーニングなどしませんね。しかも、声帯は、誰一人同じ人はいませんから、よほどの効果が上がらなければ、わかりにくいものです。でも、声を鍛えてきた人には、ある程度、共通した方法があります。それが、ヴォイストレーニングといわれるものです。

声の正体をとらえ、「いい声」とのギャップを埋めようという意識を持つだけでも、声は魅力的になるものです。

ぜひ、人間に残された最後のそして最大の魅力開発「声のメイクアップ」をスタートし、仕事や生活で、ますます魅力的なあなたになってください。いつも「相手に働きかける声を意識すること」で、あなたのコミュニケーションカは大きく変わります。毎日少しずつ声を魅力的にしていきましょう。

 

○息と声帯

 

まず最初に、声はどのようにして出ているかについて、知っておきましょう。

声は、息を使って声帯を振動させることで発します。それを喉や鼻、口の中で響かせ、舌や唇を操って言葉や歌にしています。それぞれで、大きな個人差が生じているのです。

 

鼻腔と口腔は、口蓋垂(のどちんこ)で合わさります。その上下の管状の部分を咽頭といいます。途中で気管と食道に分岐していて、気管の入口近くに喉頭が、その内側に声帯があります。

声帯は唇のような形をしています。膜状の筋肉を周りの筋肉で吊ったような構造です。気管の内側に弁のように張り出していて、声帯がくっつくと息が止められます。

声帯そのものは直接、動かせません。黙って呼吸しているとき、声帯は開いています。声を出すときには、呼気で声帯を振動させます。声帯が1秒に何百回~何千回、開閉することで、声の元になる喉頭原音を生み出します。

吐く息が不安定だと、声帯の開閉も不安定になります。声帯は通常、象牙色ですが、酷使して炎症を起こすと赤く充血します。声も荒れます。

 

○共鳴と調音

 

声帯は声を発しますが、そのままでは言葉になりません。言葉を話すには、調音(構音)が必要です。

声がよく響くようにするのが、狭義のヴォイストレーニングです。アナウンサーやナレーターは、滑舌のトレーニングを中心にします。発音の方がトレーニングや矯正がしやすいし、効果も早くあがるからです。

声帯のコントロールで声に大小(強弱)や高低をつけられます。それは、共鳴腔(咽頭、鼻腔、口腔)で整えられます。共鳴腔は、管楽器の管(空洞)にあたり、そこで喉頭原音を共鳴させます。このとき、喉頭原音に含まれる高さ(周波数)の音の成分を強調したり、別の高さの成分を弱めたりすることで音色の違い、母音の区別が生じます。

 

日本語は5つの母音は、有声音です。その母音や息を歯茎、舌、唇などで妨げて出すのが子音です。

 

母音は、必ず声帯が振動します。のどぼとけに指をあてたら、その振動が伝わるのがわかります。声帯の振動を伴わない音は、無声音といいます。

力行、サ行、夕行、パ行などの子音は、無声音です。「p」は唇を閉じた状態から開くときに空気を破裂させ、「パッ」という音にします。「カッ」という音は、喉の奥で空気が通る音です。

b」(バッ)や「g」(ガッ)のように、声帯が振動する有声子音もあります。「f」や「v」のように、無声音だった発音が有声化したものもあります。

これらを明瞭に発音するために、発音のトレーニングが必要です。

 

○話し声と歌う声

 

歌声と話す声とでは、全く違うという人と、違わないという人といます。話す声はよくないのに、歌声はとてもよい人もいます。しかし、歌声が悪いのに、普段の声がよい人は、あまりいません。話す声というのは、たいていの人は意識もせずに発しているからでしょう。

 

○声の大きい人と小さい人の違い

 

声の大きさは、声帯の振動エネルギーと、共鳴の効率によって決まります。肺から空気を出すこと(声門加圧)と、2本の声帯がきちんと閉じられているという声門抵抗が生じます。それによって、声帯の振幅が大きくなれば、大きな声が出ます。同じ大きさでも、その高さによって聞こえやすさに違いがあります。人は約202万ヘルツくらいの周波数帯の音を聞くことができます。ヘルツというのは、音の周波数(高低)をあらわす単位です。この周波数によって聞こえやすさが違うのです。

最も聞こえやすい周波数はだいたい2500ヘルツ~といわれます。バイオリンの高音域です。

 

○声が高い人と低い人の違い

 

人の声帯が出す声(喉頭原音)は、64ヘルツから1024ヘルツくらい、これはピアノの真ん中のドの高低、それぞれ2オクタープの範囲にあたります。(周波数を表すヘルツというのは、100ヘルツなら1秒間に100回、声帯が振動することです。)

声帯から出る喉頭原音には多くの周波数成分が含まれています。一番下の周波数が声帯の振動数そのもので、基本周波数といいます。上の方の周波数成分は、基本周波数の倍音などで構成されています。この倍音成分の違いが音色の違いとなります。

話し声では、男性の基本周波数が110150ヘルツ、女性で220300ヘルツくらいです。弦なら長いほど低い音が出ます。男性は変声期に声帯が2倍近く長くなるので、女性より低いのです。

一般的に身長の高い人の声が低く、低い人の声が高くなります。これは、身長と声帯の長さが比例しているからなのです。(ファントの法則)

音楽では、だいたい505000ヘルツの範囲です。自然界では、私たちの耳に聞こえないほど高い音、低い音を使う生きものもいます。こうしてみると、私たちの声の出せる高低の範囲は実に狭いのです。とはいえ、これがわずか2センチの「声帯」という楽器でできるのだと考えるなら、驚異的なことでしょう。

 

低い声というのは、高い声に比べて、その人の声帯や体型など、個人的な資質が、より関係してきます。バイオリンでは、チェロの低く太い音は出せません。もちろん、人間の場合、使い方もあるので、簡単には言い切れません。  

高い声が好きだと思っていても、低い声の方が伝えやすいならば、まずはそちらを選ぶベきです。生まれもっての楽器としての限界もありますが、高音域ばかりで声を使っていると、低い声は出にくくなります。もちろん、低い声ばかり使うのでは高い声は出にくくなります。無理のかかる声域で、声の状態を悪くする人が多いので、一番よく声の出るところで、声の使い方を覚えていきましょう。

 

○共鳴と周波数についての解説

 

共鳴体では、音がそれぞれ固有の振動を起こすとき、ある周波数だけが共鳴体で共鳴を起こし、出口からはその強められた周波数のみが出てきます。ほかの周波数の音は弱められてしまい、出口では聞き取ることさえできなくなってしまうのです。

つまり、もともと周波数上は同じレベルのエネルギーを持っていたとしても、出てくるときには、弱められた周波数と強められた周波数というように変換がなされているのです。

それは共鳴体の形によって異なります。一般的には共鳴体が大きいほど低い音に共鳴し、小さいほど高い音に共鳴します。大きいものは低い音を出し、小さいものは高い音を出すのです。 

声の高さは、キー(音域)の高さのことですが、もうひとつ、日常的には高い低いで感知されない、周波数的に高い声というものが存在します。子音(破裂昔、摩擦音)などは、母音に比べて、高い周波数を含んでいます。

この周波数としての声の高さと、キーの高さというものは必ずしも一致しないのです。日本人の声は、キーとしては高い方ですが、周波数的には高いとはいえません。日本語は母音中心で、言語としては高周波を必要としていないからです。声の周波数に影響を与えるのは、言語体系による違いがもつとも大きいのです。

高周波の音を多分に使っている言語には、スウェーデン語などがあります。

「生きる意味」 No.385

人間にとっての最大の懲罰は、孤独といいます。

人と過ごす時間こそが、生きるということです。

人との関係では、苦しみや失敗も避けられません。

それゆえに、そこに学び、また、歩み始めることです。

うまくいかないことを恐れることはありません。

異なる人や異なるものに寛容になって、初めて、人は、幸せに生きることができるからです。

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