「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.3
○トレーニングの位置づけ
トレーニングというのは、意識的に部分的強化として行うことですから、必要悪かつ不自然なものです。急激な効果のあるものほど副作用が多いのは、どの世界も同じです。一時、バランスを崩したり、他のことがうまくいかなくなることもあります。そのズレを踏まえた上で、各トレーニングの位置づけを知っておくことが必要です。つまり、うまく歌えないために、わざわざトレーニングをする以上、それは歌うことそのものからはズレており、最終的には無意識に統一された感覚で歌えるように戻されていくべきだということです。
そのために、すべてのトレーニングは、何のためにどこまでやるのかという目的と優先すべき課題をできるだけ明確にしたいものです。
ヴォイストレーニングをしたために、不自然にしか歌えなくなった人もたくさんいます。発声トレーニングそのままのような歌い方になっていく人もいます。声を痛めたり、壊してしまう人までいます。皆、目的や方向を絞り込む、そのためにやりたいことや自分のオリジナリティを見つめないからです。
それが、さらなる目的の過程として許されるのか、方向違いなのかをしっかりと踏まえることです。(声に対するのに、力づくで雑に大雑把でやっているとしたら、これは大きな間違いです。感覚が鈍いと、声を力で持っていこうとして、のどを壊しかねません。)
今まで歌っていて、その上で本格的にヴォイストレーニングをやりたいという人が、ヴォイストレーニングを受けるごとに毎回うまくなるというのは、あり得ないと思います。なぜなら、身体づくりや声の習得そのものは、すぐには実を結ばないものだからです。やるごとにうまくする歌唱アドバイスとは、目的や目指すレベルが違うのです。
○歌とヴォイストレーニング
歌には、いろんな見せ方も必要です。虚のなかのリアリティの勝負です。100の力をいかに110や120に見せるかという勝負です。声の使い方、切り取り方、イメージのつくり方、伝え方と、発声を応用したところでの勝負です。
それに対して、これから述べるヴォイストレーニングは、自分のもつ身体のパワーアップを目指し、大きな器づくりを確実に目指すものです。100を200、300にしたいときに、いくら小手先で歌らしくしても、本当に心に通じるものにはなりません。
ヴォイストレーニングによって、いつでも声が出せるようになり、しかも、最高の声で、いくら出しても壊れない、安定性のある声とする。声量、声域とも、その人としての最大限まで確実に使え、自然と声を歌に流し込める器にしていく。そのためにすべての人に通じるのは、身体のトレーニング(できたら感覚も、ですが)なのです。声をパワーアップさせることは、やった分だけ効果が出ます。
歌うのにギリギリ必要なヴォイストレーニングなどはなく、歌うときに声などはまったく気にせず、声が出てしまうようになるためにヴォイストレーニングが必要なのです。
ヴォイストレーニングとステージには、スポーツの基本技術習得のための練習とその応用の場(状況の中で瞬発的に使う)としての試合との違いのようなものがあります。
表現を創造しつつ、一方で手段としての身体、声の楽器づくりをしていかなければいけないのです。
POINT
・トレーニングの目的と成果を捉えること
・歌とヴォイストレーニングは違うこと
・声を忘れるために、声の楽器づくりをすること
○才能と素質
ポピュラーのヴォーカリストにとって、先天的な能力が必要かと問われたら、私は否定します。音楽に優れた業績を残すファミリーはいますが、必ずしも多くはありません。まして、時代とともにあるポピュラーですから、なおさら一代で勝負できるはずです。
もちろん、生まれつき、ヴォーカリストになる才をもって生まれたという人もいるでしょう。ルックスや、頭のよさなども、やはり、有利な条件であるのは確かです。しかし、何よりも必要なのは、素直に何事からも学べる力だと思います。
あなた自身がこれからやっていくというなら、今の年齢やもって生まれた能力らしきものなどは、どうでもよいことです。これまでにない世界を切り拓けば、自分の世界となります。やるだけのことをやり、突き詰めていくだけです。決して何事も諦めるための逃げ口上にしないことです。やり遂げた人にのみ、自分の才能もわかるのです。そこまでやらなくては、わかりません。選び続けられることが最大の才能なのです。
声の場合、年齢については、20代になって楽器(声帯=発声器官)が完成するという特殊な事情のため、音楽演奏者の中では、年齢に制限されないパートでしょう。
スポーツ選手のように、年齢で限界がくることもありません。かなりの体力と精神力を必要としますが、努力によって維持できないものではないのです。
本当なら、いろんな経験がある人の方が学びやすいはずですが、やはり物事の考え方や取り組み方、人生での優先順位の方がハンディキャップになる人が多いようです。自分勝手な判断で、やるべきこともやらず、結果も出せないうちにすぐに辞めてしまうような人こそ、繰り返し読んでもらいたいものです。
○発声と歌は別
誰にも、うまく歌える才能はあります。それを人前に出せるところまで、価値をつけられるかどうかは、トレーニング次第なのです。
しかし、発声を習えば歌が歌えるというわけではありません。歌を歌うのに、発声が必要であっても、その上に音楽的な才能が発揮される土壌が必要なのです。そのために大切なのは、音楽を入れること、そのために学ぶ環境です。
私も優れたアーティストにたくさん出会ってきました。彼らの多くは、恵まれた音楽的環境に身をおいてきた人たちです。それを自分にも課すことです。
単に音楽をたくさん聴けばよいということではありません。よいものを聴き、その価値をいかに発見してきたかという、その人の音楽経験の総和が問題なのです。それをどう受け止め、自分の表現のこやしにできたかというところで問われるのです。
実際は、日本のヴォーカリスト志願者の多くは海外でのヴォーカリストどころか、向こうの一般の人々がおかれている音楽的レベルさえ満たしていません。多くの日本の20代後半のヴォーカリストよりも、向こうの10代の人の方が数倍、自分を語れ、音楽を語れ、個性的に歌えます。
日本人の場合は、身辺での学ぶ環境や習慣を整えていくことの大切さにさえ、気づいていないという点で、絶望的な状況といえます。どうか、ヴォイストレーニングとともに、それを学んでいってください。
POINT
・やり続けることが才能であるということ
・何歳から始めても遅くないこと
・環境を整えていくこと
○日本の歌の現状と声
最近の日本人の歌は、音響技術抜きに語れなくなりました。ステージもまた、装飾的な演出が中心になり、その結果、声そのものに頼る比重が少なくなってきました。カラオケの普及で、誰にでも歌いやすい歌が求められるようになりました。大きな曲、つまりプロにしか歌えない曲が、なくなってきたのです。声がなくとも歌えるようになり、そのことが、声に対する問題の解決を逆に難しくしています。
声量・声域も必要なく、詞も伝わらなくてよいのなら、声の技術は不問です。プロの歌を聴いて、違いがわからなければ、上達の目安になるものがないということになります。
多くは、ルックス、スタイル、バンドの特色づくりや作詞作曲の能力に秀でている人で、いくら歌がヒットしていても歌とはまったく別の要素が要因だったりするわけです。
○若者の子供声
それなら、タレントの事務所へ行く方が早いようです。かわいく見えるように話して歌うようなトレーニングは、人為的に業界受けする声(=つまりは若い人に受ける声)をつくっていくことなので、本当に歌を極めるのに耐えうる声は身につかなくなります。上辺の声だけを飾っていくのです。
向こう(海外)の人たちが子供のような声だとしている声を、わざわざつくっているのです。そもそも、まともなヴォイストレーニングであれば、年を重ねるにつれて、声が魅力的になってくるはずなのです。
声を意図的につくっていると、つくられた声域、声量からいつまでも抜け出せないのです。不自然な声では、自然な歌になりません。自然の偉大さを、ヴォーカリストもまた発掘し、その力を利用すべきなのです。
○本当のあなたの声とは
まず、あなたが今、使っている声をそのままトレーニングして使うのではなく、声帯を含めた身体(共鳴腔、筋肉、骨、すべてを含めて)から出せる最も理想的な声を探究していくことです。
そうでない声で、いくら声域や歌い方を決めても、おのずと限度が出てきます。あなたのもっているベストの声が出せてから、すべてが始まるのです。一声でも通用する声が出たら、それをキープしてはじめて、声域や声量の問題に入っていけるのです。
その上で、その声の使い方を学ぶのです。どこの国のヴォーカリストも、声の技術というものをもっています。それで歌を効果的に演出します。声で“聴かせて”くれるわけです。
日本人のヴォーカリストが、世界に通用しないのは、まさに、この声の技術を音楽レベルで持っていないところに原因があります。
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