閑話休題 Vol.82「薙刀」(2)
〇歴史
人が最初に手にした武器は石でした。石器を発明し、石刀、石鏃(セキゾク)を持つようになり、これを棒の先につけて石槍とします。さらに金属を用いた鉾、長刀と長い柄の武器が出てきます。
薙刀は、「菖蒲造」と呼ばれる形の刀身を、長い柄の先に付けたのがはじまりです。9世紀半ばから矛に代わって使われ始めました。
長い柄の先に刀身が組まれているので、離れた距離からの斬り付けられ、騎馬武者のように弓が扱えない下級武士や雑兵に薙刀は広く使われました。平安末期の源平合戦には僧兵が好んで用いました。
鎌倉時代 柄(つか)の長さ約4尺、刃の長さ約3尺で総長約7尺と、比較して短いのが特徴です。遠距離から馬上で弓を射る騎射で名乗りを上げて一騎討ちを行うには、手持ちの武器による接近戦(打物戦)が行われます。やがて、戦闘が、徒戦(かちいくさ)となると、薙刀は武士から足軽まで広く用いらます。
鎌倉時代頃から刀身の身幅を広げて、反りを強くした形状に変わりました。重量を増すため、棟(むね:刃先と反対側)側に山型の突起を付けた薙刀が制作されます。
一騎打ちが、戦闘方法として主流となっていたので、長いリーチを取って相手を攻撃できる薙刀が重用されたのです。
武蔵坊弁慶が義経と五条大橋で振って戦ったのが薙刀です。
♪京の五条の橋の上、大の男の弁慶が、長い薙刀振りかぶり、牛若めがけて斬り掛かる
南北朝時代 長大に発達しました。なかには、柄の長さ約5尺、刃の長さ6尺3寸で総長約1丈1尺3寸(約333cm)の大薙刀も制作さました。
小薙刀では、柄の長さ約3尺、刃の長さ2尺2寸という寸法の薙刀が制作され、歩兵の主要武器として使用されました。馬上の武器としては太刀、大太刀、槍、鉞なども使われたが、薙刀が一般的でした。
斬るだけではなく、刺突や石突を使用した打突、柄での打撃ができる薙刀は、騎射技術を失った南北朝時代や室町時代、武士の重要な武器でした。大薙刀では、敵の騎馬の足を薙ぎ払って落馬させました。
南北朝時代後半には、長巻、槍が、戦国時代には、火縄銃が出現して、薙刀は使われなくなっていきます。
応仁の乱の頃より、足軽による集団戦に変わりました。重量のある薙刀を振り回すと、誤って味方を討ってしまうことになりかねません。
槍は、薙刀と同様に長い間合いがある分、足軽なども容易に扱うことができ、甲冑の隙間から相手を突き刺しダメージを与えられます。
室町時代 柄の長さ9尺、刃の長さ2尺となり、柄の長さに比べて、刃が短くなります。
江戸時代 武士の間では、薙刀は嫁入り道具として定着、美術品としての需要が高まります。名工による刀身を用い、拵は金梨子地、蒔絵、螺鈿などの細工を施し、鞘も実用を外れた特異な形状や豪華な仕上げ。刀身のみならず拵や鞘も合わせて文化財指定された薙刀もあります。これら江戸期の鞘には、家紋が入れられています。女性が菩提寺に奉納することもありました。武道としての薙刀術が確立、各藩で様々な流派が生まれます。
薙刀や槍は、武の威力の象徴として大名行列の先頭に立てられました。
明治時代 刃の反り具合から、反りの大きい「巴形」、反りの小さい「静形」と分けられる。撃剣興行で人気。明治中期以降、女子武道として薙刀が重視されるようになり、多くの女学校で薙刀の授業が行われます。大日本武徳会は、昭和9年に薙刀術教員養成所を設立します。
大正時代 太平洋戦争後にかけて、女性のたしなむ武道。
昭和30年、山内幸子元公爵夫人を会長に全日本なぎなた連盟が発足します。ひらがなでの、なぎなた、に統一します。
現在 0地方の伝統芸能や古流武術としての薙刀を伝承する団体が現存。武道・競技としての「なぎなた」が学生の部活動など。
全日本なぎなた連盟によって現代武道として制定されています。天道流、直心影流、戸田派武甲流、楊心流などがあります。剣道などとの異種試合もあります。すね当てを着用します。
「リズムなぎなた」も人気。外国人の人気も高く、海外からの参加者も多いようです。
漫画「あさひなぐ」は、作者こざき亜衣が2011年よりビッグコミックスピリッツで連載されヒットしました。女子高生もの。後に映画、舞台化します。伊丹市でコラボし、なぎなたの街伊丹として地域振興に供しています。