閑話休題 Vol.85「薙刀」(5)
〇著名な薙刀
「岩融」(いわとおし)は、薙刀の名手「武蔵坊弁慶」の愛刀。
武蔵坊弁慶は源義経に仕え、「衣川の戦い」(ころもがわ)において、激戦の末に立ったまま絶命した僧。扱っていた岩融は、刃の部分だけで3尺5寸(約106cm)もある長大な大薙刀。その制作者は、「天下五剣」のひとつ「三日月宗近」を鍛えた「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)。平安時代の名工で狐の精霊と共に鍛えたと言われる「小狐丸」(こぎつねまる)を作刀した。
「権藤鎮教」(ごんどうしずのり)は、江戸幕府が編纂した名刀リスト「享保名物帳」に記載。福岡藩祖「黒田家」に伝来した名物三作のひとつ、制作者は豊後国高田の刀工「平鎮教」(たいらしずのり)。
〇薙刀直し
長槍や鉄砲の戦国時代から、薙刀の使用は減ったため、薙刀の刃を打刀として作り直した薙刀直しが生み出された。 刃渡りが短いので、短刀や小太刀に使われ、刃渡りが長い薙刀の刃は、そのまま太刀や打刀として使われた。 薙刀直しに使われたものには名品が多く、侍にも人気であった。 大名家に伝えられる名刀の中にも薙刀直しは数多くブランド化した。
薙刀の切っ先の張りを落として全体の反りを小さくし、茎を切り詰めて打刀としたもので、薙刀の刀身は刃渡りが比較的短いので、脇差や短刀に仕立てたものが多いが、大薙刀を薙刀直しとする例もあります。代表的なものに、九鬼嘉隆が所持していた打刀がある。
「薙刀直しに鈍刀なし(なまくらなし)」と、優れたものも多い。
豊臣秀吉が入手した「名物 骨喰藤四郎」、豊臣秀頼が差料にしていた脇差「名物 鯰尾藤四郎が有名、粟田口吉光の作。
〇薙刀直し造り
薙刀を造り直して刀としたものではなく、作刀時から薙刀直しであるかのような形状として造られた刀もあり、それらは「薙刀直し造り」と呼ばれる。
薙刀直し造りは、茎が最初から「刀の茎としての形」であるが、茎の形状も含めて“最初から薙刀であったかのように”作刀される例もある。また、直し造りではなくとも、冠落造りもしくは鵜首造りに薙刀樋もしくは腰樋とした、薙刀に刀身形状の似た短刀や脇差もある。
稀に、薙刀用の縁金具や筒金を用いて、薙刀の柄を切り縮めたかのように仕立てられている変わり拵があり、「薙刀造の拵」と呼ぶことがある。
〇現存する薙刀
薙刀は、戦場で使用されることが少なくなってからは、薙刀直しをされたり、鋳潰されて槍、ひいては鍬や鋤などの農具の素材とされたり、磨り上げ(短く縮めて仕立て直す)や切っ先の削ぎ落とし(峰側の張っている部分を削る)、後樋(後から樋を掻き入れる)など。
薙刀は、高名な刀匠によるものから無銘の「数打ち物」まで多数が現存しているが、江戸期以前のもので当初の姿のまま現存するものは少ないです。
残っているものは豪華な拵により文化財指定された江戸期の嫁入り道具や奉納のために作刀された大薙刀が中心です。
〇名のある薙刀
岩融
蝉丸
弁慶の薙刀(大三島美術館所蔵)
静御前の薙刀(三条派のもの、前田家所有など複数の謂れあり)
面の薙刀(備前、細川忠興所要)
小林薙刀(大内左京大夫義弘の薙刀ともいわれるが、複数の同名刀あり)
小屏風(佐竹氏所有)
備前長船景光(宇喜多秀家所有)
権藤鎮教(黒田家所有)
源真守(護良親王所有)
備中国住家次作の薙刀
無銘伝法城寺
大薙刀
日光東照宮 刃長65.9cm、反り3.0cm、茎長77.7cm日光東照宮宝物館。
但馬国法城寺派作 刃長80cm 千葉県立中央博物館大多喜城分館。
銘備州長船兼光一振 長さ4尺6寸、身幅1寸5分、厚さ4分半 法善寺 山梨県。
〇参考
ピクシブ百科事典 月刊秘伝2019.8 、日本刀/薙刀https://ja.wikipedia.org/wiki/薙刀/刀剣ワールド
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