「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.30
〇メロディをフレーズにするトレーニング
「あいの」(ドレミ)
声を出すことによって、その反動を身体で受けとめて身体を鍛えるとともに、その声をずっとにぎっていることです。日本人の歌の場合は、すぐ、ひびきの方へ離してしまいます。「あい」のところが息を吐いただけ声になっていればよいのですが、吐ききれないからです。息を吐ききる練習をすればよいと思います。どんなに弱く出すときも1つのフレーズとして捉えることです。
- 「あいのゆめは すでに」(ソラソファソラ ミファミ)
言葉で言うと、アクセントは「あ」の方になります。「い」の高いところをのみこむために「あ」の方をより強くしておくのです。強さで高さをのみこむパワーが必要です。それが「あーいーのー」と3つになってはなりません。「愛の」と聞こえるようにします。
イメージは、「あ」といったときに「あ」の中に「い」があることです。どうしても、「イ」や「ウ」は浅くなりやすいです。「ハイ」と同じように捉えることです。
ここに自分のフレーズをつけて「すでに」で先を予感させるように終わってみてください。リズムも音声イメージで動かしてみてください。声の技術をもって発すると何か出てくるのですが、口先でいっても伝わりません。フレーズを自分なりに動かすことです。
「の」と「に」で力を抜いてしまいがちです。ディミヌエンドにするのと、力をぬくことは違います。力をぬくとすぐに喉声になってしまいます。このフレーズの中で、おさめていかないとダメです。乱れるとしまりがなくなります。雑にしないようにしてください。大きなフレーズになると緻密さがはっきりしてくるからです。
ひびきとポジションの確保がポイントです。あまりメロディックな歌い方にせず、言葉で言いきったことを、そのまま大きなフレーズに拡大します。身体を酷使してみることです。「あいの」といっただけで、それが伝わるというレベルでの表現を技術として持つことです。それに音楽がついたときに、言葉でじゃまをしないようにすればよいのです。
- 「そんな きがして きょうも おもっている」(ドドレ ミミミミ ドドレ ミミミミミ)
優しく発声しないで、きちんと表現することです。身体の感覚で判断していく方がよいと思います。要は表現できていればよいのです。これが完全に4等分されていては、流れが出てこないでしょう。音符に現われてこない微妙なイメージの構築が大切です。本当にいいたいことを伝えようとしたら、もっとうまく表現がまとまってくるはずです。そうすると身体が必要になります。身体がなければメロディに足をとられてしまいます。それで身体はつけなければいけないということです。そのために、なるだけ息を吐いていくことです。フレーズをまとめる前に、もっと動かして1つの流れをつくりましょう。
原則としては「そんな きがして」と伸ばした分、「おもっている」で引かないと歌にはなりません。半分は聞き手を驚かせる部分を作りながら、あとは気持ちよくさせます。その構成を聞き手と逆にとるという試みをするのもよいと思います。逆にすると、ちぐはぐになるかうまく歌えるかのどちらかです。そういう実験も必要だと思います。
とこかを伸ばすとそれにつられて全部伸ばしてしまい、流されてしまいがちです。そういうときは自分の感覚で切り換えて、自分の中でフィードバックしなくてはいけません。
- 「ふたりのあいのゆめはすでにだれひとりしらないまま」(ソラシド ドレド シドシラシラ
ララシ♭ラ ソラソ・ファソファファ)
注意点は「すでに」の「に」のところでポジションを確認しておくことです。多くの人が「に」で逃げてしまうのです。ここでもう一度、フレーズを作ることです。身体できちんとにぎっていないと、イ行は離れやすいからです。「すでに」までやれたら、あとは大体もつものです。「あいの」でも「すでに」でもよいから、そこまでで勝負を終わらせることです。あとは落ちていくだけですから、歌う必要もありません。芯をつかんだままで勝負できるところで勝負することです。にぎっておいて、大きく放すことです。
自分が言いたいことを伝えるために構成していくことです。イメージをつかむことです。どんなにかすれていようが、ひびいていようが統一した声で、たたみかけられるところを持っていることです。組み立ては自分の経験で積んでいくしかないと思います。いいにくい言葉は自分の言葉で置きかえてみて、自分のフレーズが見つかるところまでやることです。
〇呼吸を感じさせよ
レッスンにあたっては集中して、ギリギリの線上で、毎日、何ができるのかを自分自身で判断し、把握してください。
自分で把握すること、たとえば声を正しく出すことであれば(これを端的に声のポジションをつかむなどと私は言っていますが)、最初の1~2年にかけては、声をしっかり統一して出せることに専念してください。そこから、その声に感情を伴っていき、表現に命が感じられるようになることが大切です。技術や歌い方などはそのあとの問題です。(が考えなくてよいということではありません)
音程とひびき重視の教え方がはびこっていますが、基本的に私は(中音域までについては)、声量中心に声域をのみ込んでいくようなやり方をしています。最終的に表現のタッチに至らないトレーニングは無意味だと思うからです。
日本人の場合、どうしても高声域や音程をとることに気をとられ、そのための声を作ってしまいます。すると声を出すことが複雑になってくるから(口先、つまり部分的になるということです)、パワーや声量、魅力的な声がいつまでも出せません。結局、そんなことをやっているくらいなら(たった一声)プロとして通用する声を作ってそれを展開する方がよいと思います。そのことがよいのではなく、問題点やギャップが明確になるからです。
どうして確かなものを得るまで待って、そこから膨らませていけないのでしょうか。歌い込んでいくと、自然に声はできていってあたりまえなのに、それが、なぜできないのでしょう。それはいつまでも、中途半端な声を使っているからです。例えばサビのワン・フレーズを100パーセント近い完成度で、出せるようになったら、他の部分も少しずつ正しく処理できてきます。1つのフレーズで心も身体も目一杯使い切るようなトレーニングをして、すべてを歌い切ってしまうことを、飽くことなく繰り返すなら、間違えません。どんなアーティストも、発声でなく、そこから入ったはずです。その基準を自分で持ち、常に厳しくチェックすることが大切です。
最初は、声が出ていて、喉に負担がこなければよいでしょう。しかし、身体を使うことを惜しまないことです。最終的に声を超えた表現ができなければ、誰も聞いてくれないでしょう。
フレーズをつかもうとしたら、思いきって大きく出してみなくてはわかりません。しかも、自分で感じながら、表現しなくてはいけません。音のイメージも大切です。それは、身体を使って出ている声を、どう展開させてゆくかを、計算ではなく自分のイメージと呼吸で展開させてゆくことです。
一瞬ならできるが、ワン・フレーズなら難しいから、ワン・フレーズならできるが、3分間になるとできないというレベルを知り、ギリギリの練習をやっていくことです。その構成も、やはり“呼吸”がもとになります。どう呼吸を使ってタッチ(表情)を出すかです。
呼吸が見えない歌い方というのは、後で伸びていきません。少々、声がかすれようが音程がはずれようが、リズムがとれなかろうが、まず声に息を通してやることが基本です。それが息吹になると、ソウルがそこに現われてきます。
大切なのは、伝えたいイメージ、表現となっていく統合したイメージです。身体を使い切って、それを聞かせられる言葉に変えてゆくために、フレーズをとり入れていくのです。詞とメロディを自分の身体に宿し、パワーアップして送り出します。歌っていないように聞こえても、表現が通用すればよいわけです。
意識的に声の芯(ポジション)が身体の中心にあると考えてみましょう。腹式呼吸がわからなければ、これを腹話術のように思ってやってみればよいでしょう。身体と声が1つになって、そこに歌のきっかけが表われます。
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