閑話休題 Vol.107「日本画」
日本画
広義には大和(やまと)絵(倭絵)、唐絵(からえ)、水墨画、南画、洋風画をはじめ、浮世絵などの風俗画、狭義には、大和絵と唐絵の交流で生まれた狩野派や、江戸時代中期以降に発展した円山(まるやま)派、明治以降流行した大和絵風な平面的で装飾的な絵画をさす。
平安時代に中国から伝わった唐絵は、線の引き方、色の配合などに日本人の感覚を生かした繊細優美な画法。冊子(さっし)や絵巻物で大和絵という。
鎌倉・室町時代に大陸からの水墨画は、桃山時代に障屏(しょうへい)画の大作として発展。これに大和絵の手法を取り入れて、金箔(きんぱく)や金泥(きんでい)を使った濃絵(だみえ)の手法で、寺院、書院造のふすまを飾った。
狩野永徳らの桃山の金碧(きんぺき)障屏画。
大和絵は、細密描写や風俗表現などの装飾性を発揮。
江戸中期になると円山応挙がこれを融合させて新しい様式となり今日の京都画壇へ伝わる。
〇狩野派
約4世紀にわたる画家集団である狩野派。代表的な絵師としては、室町幕府8代将軍足利義政に仕えた初代狩野正信とその嫡男・狩野元信、元信の孫で安土城や大坂城の障壁画を制作した狩野永徳、永徳の孫で京都から江戸に本拠を移し、江戸城、二条城などの障壁画制作を指揮した狩野探幽、京都にとどまって「京狩野」と称された一派を代表する狩野山楽などが挙げられる。
幕府の御用絵師として、内裏、城郭などの障壁画の大量注文をこなす狩野家の当主は、一門の絵師たちを率いて集団で制作する。
1.狩野正信:足利市の長林寺に残る墨画の『観瀑図』 東山殿(銀閣寺の前身)の造営、正信がその障壁画を担当。土佐光信の伝統的な大和絵風に対し、水墨を基調とし、中国宋・元の画法を元にした「漢画」
2.狩野元信:妙心寺霊雲院障壁画 絵画における「真体、行体、草体」という画体の概念を確立
3.[安土桃山時代]道名の狩野松栄の名で知られる三男の直信 大徳寺に残る巨大な『涅槃図』
4.松栄の嫡男・狩野永徳 聚光院方丈障壁画 「花鳥図」 旧御物の『唐獅子図屏風』、上杉家伝来の『洛中洛外図屏風』 東京国立博物館の『檜図屏風』 永徳は細画(さいが)と大画(たいが)のいずれをも得意
5.[江戸時代前期]永徳の長男・狩野光信と次男・狩野孝信。光信は、永徳と対照的な大和絵図の繊細な画風。
孝信には守信(探幽)、尚信、安信の3人の男子があり、守信はのちに江戸に本拠を移し江戸幕府の御用絵師となる。名古屋城上洛殿の障壁画(水墨)。二条城二の丸御殿や大徳寺方丈の障壁画。
6.[江戸時代中期以降]もっとも格式のたかい「奥絵師」、4家を筆頭に、次いで格式の高い「表絵師」、一般町人の需要に応える「町狩野」。奥絵師の4家とは探幽(狩野孝信の長男)の系統の鍛冶橋家、尚信(孝信の次男)の系統の木挽町家(当初は「竹川町家」)、安信(孝信の三男)の系統の中橋家、それに狩野岑信の系統の浜町家。
7.京都に残って活動を続けた「京狩野」、狩野永徳の弟子であった山楽 山楽の娘婿で養子の山雪の妙心寺天球院障壁画 山雪の残した画論を、子の永納がまとめた『本朝画史』
8.木挽町家からは、江戸時代後期に栄川院典信(えいせんいんみちのぶ)、養川院惟信(ようせんいんこれのぶ)、伊川院栄信(いせんいんながのぶ)、晴川院養信(せいせんいんおさのぶ)
9.明治初期の日本画壇の重鎮となった狩野芳崖、橋本雅邦(近代日本画の指南的存在)
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