« 2026年5月 | トップページ

2026年6月

閑話休題 Vol.111「邦楽」(2)

〇 歌いものと語り

 

古謡の催馬楽(さいばら)、今様は、歌。

歌は芸能で賤民。

言語の多様性、方言に対し、大和朝廷は統一へ

<語り>

詠―ことばを引っ張る 朗詠

謡―ことばを揺らす 声明

<歌い>

民謡、お国ことば、ユリ、コブシ

 

ハーモニーがない。ハーモニーはプリミティブ、古代国家からはユニゾンになる。

古代には歌っていたのに、大げさな歌い方を嫌い、微妙なイントネーションを重視、語りを歌より上とみなしていた(大和時代)。

歌垣→掛け歌、盆踊り

野遊び(もうしあそび)―沖縄、歌い踊る

東南アジアでは、高い音と低い音の2

能のツヨ吟 ヨワ吟(メロディックで4度)

 

(江戸の三味線音楽)

歌いものは唄。長唄、端唄、小唄、地歌、うた沢。

語りものは節。義太夫、常磐津、浪花節←平曲(平家琵琶)、謡曲(能)。

声明、梵讃、漢讃から和讃へ。

和歌の披講(ひこう)、詠う、吟ずる、誦ず(ずうず)

朗詠は、詠うから歌うへ(現在、飛鳥井流、冷泉流など)

 

江戸では、「常磐津」「清元」が芝居(歌舞伎)の舞踊劇の伴奏「浄瑠璃」。

芝居でメロディ中心「長唄」叙景。

関西では「義太夫」 関西では義太夫と浄瑠璃が同義語「節」。関西の唄いものは「地唄」で家庭音楽。筝(琴)と合奏でき、関西は生田流、関東は山田流が主流。沖縄からの三味線の伝来は、戦国時代末期の永禄期。各地で歌われるはやり歌、アカペラから三味線を伴奏にする。そういう曲が「端唄」。江戸末期に大流行。『古今集』、『伊勢物語』からの「夕ぐれ」。

 

<三味線音楽>

歌い物:地歌、長唄など

地歌は「上方歌」、江戸時代初期から京阪地方で流行 盲人音楽家による家庭音楽 地歌は江戸に伝えられ、黒御簾にて芝居の伴奏、演者の心情描写。そこから「上方長唄」にアレンジ(長唄、三味線、囃子)が加わり「江戸長唄」へ。

 

語り物:義太夫・常磐津・清元など

琵琶を伴奏として語った「平曲」、能の「謡」が源流 「浄瑠璃姫物語」が一世を風靡して「浄瑠璃」が語り物の総称となる。三味線が渡来する前の「平曲」「謡曲」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」などは浄瑠璃と区別。「浪曲」も別ジャンルの語り物。

 

浄瑠璃「豊後節」上方から江戸へ:創始者、宮古(みやこ)()豊後掾(ぶんごじょう)は「心中道行物」(みちゆきもの)により人気となるも心中事件多発で、元文4年(1739年)、幕府により取り潰し。

江戸に残った門弟、常磐津(ときわず)文字(もじ)大夫(だゆう)は、延亭4年(1747年)独立し常磐津を興す。歌舞伎に進出。義太夫の曲調を取込み音楽に重厚さを加味、舞踏伴奏に拍子本位の部分を取り入れリズム感をフィーチャー。文化・文政年間(1803年~1830年)、「変化物舞踏」の全盛で長唄との交流も盛んとなる。「掛け合い物」(1曲の中で長唄と常磐津)など。

別の門弟、富士(ふじ)(まつ)薩摩(さつま)は新内節を興す。

寛延元年(1748年)小文字大夫は常磐津から脱退し「富本節」創設、門弟の清元(きよもと)延寿(えんじゅ)太夫(だゆう)が文化14年(1814年)「清元」創設。明るい曲調、いなせであだっぽい江戸文化を反映して人気。素浄瑠璃として独自に語る。

貞亭元年(1684年)、竹本(たけもと)義太夫(ぎだゆう)の竹本座で演じられる人形芝居の音楽が「義太夫節」となる。

 

「阿呆陀羅(あほだら)経」と「でろれん祭文」浪曲の前身として江戸時代の大道芸。

「阿呆陀羅経」は、お経のパロディ。男性が木魚を叩き女性が三味線演奏で意味のない言葉遊びから世相風刺的な内容を歌う。

「でろれん祭文」祭文を下層山伏修験者たちが言葉の合間にほら貝を口に当て『でろれんでれん』と合いの手を入れたのが始まり。

 

「浪曲」:関東で「浪花節」、関西で「浮かれ節」、昭和23年ごろから「浪曲」と総称。祭文から出た「歌祭文」と説教節から出た「門説教」が文政(約1825年ごろ)時代に合流し「説教祭文」となり野外大道芸の一つとして発達。

 

「雪音」大太鼓で連打 「風の音」「山おろし」

「音取」能管のヒュ~、大太鼓の“ドロドロドロ~”

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.36

〇 自分がつくったというだけではオリジナルではない

 

 最近では、私のところに皆さんが持ってくる曲のほとんどがオリジナル曲と称されるものです。高性能かつ安くなった楽器を利用して、手軽に皆さんが曲を作っています。今や、誰もが自分たちの“オリジナル”を追求し始めました。

 シンガーソングライターや、よい作曲家が生まれてきたのは、よいことです。

 しかし、立場を変えて聴くと、ヴォーカリストの力量と無関係に作っているのではないかと思いたくなるものばかりです。それと、すでに世に出てレコードをリリースしているヴォーカリストの亜流のような曲が多すぎます。きっと、憧れのヴォーカリストの曲の余韻ばかりしか、頭の中にはないのかもしれません。

 作詩作曲講座のコード進行表通りに、歯の浮くような歌詞をつけたものも少なくありません。特に、詞のセンスの悪いのは、何とかがんばって欲しいものです。

 要はオリジナルといっても形式だけで、内容がさっぱりないのです。ヴォーカルリストの世界観も見えないし、何をどのように歌っていこうとするのか、バンドの姿勢もわかりかねるものが多いのです。

 

〇 どこでもきらめく存在感がオリジナリティ

 

 オリジナルというなら、自分たちの音楽が何に根ざし、どういうところにあるのかをしっかりと捉えた上で、自分ならではの曲を作らなくてはならないはずです。そうでなくては、オリジナルとはいうものの、単に自分が作ったというだけのものでしかありません。

 本当にヴォーカリストやバンドの個性を生かす曲作りをすることです。

 ほんのひと握りのヴォーカリストだけが、どんな歌でも自分なりの味つけをし、自分をいかに表現したら一番伝えられるかを知っています。あなたが歌ったら、こんなに凄い曲になってしまうということを見せられなくてはなりません。

 人と同じ曲をやりながら、埋もれるどころかその人らしさが光る、というのが真のオリジナリティというものでしょう。

 何を歌っても、その人がそこに存在しているパワーが感じられなくてはなりません。聴いている人はその人が曲と一身一体になって出すパワーに打たれるのです。このパワーの源がオリジナリティなのです。

 オリジナルにこだわる人は、まず、世界のスタンダード・ナンバーをオリジナルに歌う練習から始めるとよいと思います。

 

〇 自分にしか歌えないということの素晴らしさ

 

 声が出るようになり、声をうまくコントロールできるようになると、そこにその人の表現したいものが現われてきます。それまでは、いくら思い入れたっぷりに歌っても、表面的にしか聴こえなかったものが、説得力をもって伝わってくるわけです。「聴けるヴォーカリスト」「聴きたいヴォーカリスト」となってくるわけです。ものまねやコピーではない、あなた自身のオリジナリティも発揮されます。あなたの中に眠っていたもの、あなたがはぐくみ育ててきたものが、出てくるわけです。

 そこで初めて、歌っているあなたと、あなたの声に凝縮された個性が、ステージ(音楽)の表現の上で一体化して大きなパワーとなって伝わってきます。あなたでなければ歌えない歌い方がスタイルとなり、あなたの存在感が出てくるわけです。

 他の人が歌った方がよいと思うなら、あなたのヴォーカリストとしての価値はないのです。同じ曲でも、「自分だったらこう歌う」「こう伝えたい」「こういう世界をこう表現したい」と自分なりのものをつかまえ、自分の力で表現するところに、醍醐味があります。

 好き嫌いは別にして、誰が聴いても何かを感じる、何か魅せられること、それが芸であり、最低限、必要な表現であると思います。

 

〇 自分の音楽に対してポリシーをもつこと

 

 あなたのファッションも髪のスタイルも持ち物も、あなたのポリシーによって選ばれているはずです。ヴォーカリストのポリシーは、自分の中にはぐくみ抱くものです。音楽性や人間性とも深く関わってきます。そして、ステージでの表現や歌詞の内容にも反映されます。

 自分のヴォーカリストとしての資質やオリジナリティがわかってきて、それを表現できるようになってくると、だんだんとこだわりがでてきます。バンド、ステージ、音、歌い方、振付、構成など、すべてに関して、自分の伝えたいものをよりよく伝えられるように、こだわりが堅固になってくるのです。プロとしての自覚が出てくるにしたがって、妥協が許されなくなってきます。

 一方で最高の自分とその演奏を見てもらおうと、観客に対するサービス精神も出てきます。わざわざ自分たちのために会場に来てくれた人たちに心から感謝し、そしてその気持ちをできる限りよい演奏で返そうとするわけです。

 「自分が他人に与えられるものは何か」ということを突き詰めていけば、そこには、自分にしかできないもの、そしてそれを最大限自分の努力で高め、その成果を見てもらうことという使命感が生まれます。

 ポリシーとは、その人が自分の音楽に対してもつこだわりです。自分たちのバンドの存在をかけ、観客にこびず、自分たちの音楽の姿勢をかたくなに貫こうという強固な意思です。これがなくては本当のバンド、本当のヴォーカリストにはなれません。

 ポリシーのあるバンドは、自分たちの追求したい音を知っています。だから誰にも左右されず、自分たちの音楽を作っていけるのです。世界的なスケールで活躍しているバンドは、皆、それぞれの強固なポリシーをもっているといってもよいでしょう。誰のために、何のために歌うのかが明確だからです。

 

〇 自分の生き方が歌を通じて世界に働きかける

 

 ポリシーとは、もう1つ大きな捉え方をすると、その人の生き方、そのバンドの歩み方そのものと言えるかもしれません。何をするにも、自らを自らで決めていく結果として、そのバンドの行動の軌跡が描かれます。ポリシーが具体的に現れたものが、そのヴォーカリストやバンドの音楽や行動といえましょう。

 世界に活躍しているバンドのチャリティ・コンサートや××エイドというのも、ポリシーを音楽を通じて表現しているといえるでしょう。画家が絵で、作家が小説で自分の見解を表わすように、アーティストは音楽を通じて行動しているのです。

 ですから、一流のアーティストは、ものごとに対する深い関心と見解を持っています。人間に関わりの深い職業ですから当然ですが、仮にその人が声や楽器を手にしていなかったら、他のものでも大成したであろうというだけの貫祿を充分に備えています。それゆえ、アーティストと呼ばれるようになるのです。

 そして何よりも、皆、実に素晴らしい顔をしています。

 

〇 知性あるバンドをめざせ

 

 毎年、グラミー賞の授賞式での向こうのヴォーカリストの機知に富んだ話しっぷりを聴くにつけ、日本はまだまだという思いがつのります。また、音楽を離れて、広い視野で政治、経済、社会などに関して話せる人は、日本にどのくらいいるのでしょうか。

 楽しくやるのが音楽だから難しく考えることはないなどと言う人もいます。しかし、私は、ポリシーと知性のないヴォーカリストは生き残れないと思っています。人間に関する深い考察が、歌の内容に真実をつけ加え、その真実が人の心を打つのです。

「最強トレーニング」 Vol.16

〇さまざまな音をつくる子音(4) マ行、ヤ行、ラ行、ワ行

 

□マ行の発音

EX.「いつまでもお変わりありませんね」 「いつもおしゃれでいらっしゃる」

 

〇 マ行音……マ[ma] ミ[mi] ム[mu] メ[me] モ[mo

 

 両唇を閉じ、軟口蓋を下げ、鼻に通し、鼻腔と口腔に共鳴するmを発します。そこから唇をあけ、母音につなげます(唇を閉じて出すため、両唇音といいます)。

 

〈マ行音とバ行音を区別する〉

 両唇を用いる点で、マ行はバ行音と近いため、混同しがちです。

 「さびしい」→「さみしい」 「寒い」→「さぶい」 「無防備」→「ムモービ」 などになりやすいのです。

1.マバマビマブマベマボ

2.バマバミバムバメバモ

 

□ヤ行の発音

EX.「ようこそおいでくださいました」 「よろこんでちょうだいいたします」

 

〇 ヤ行音……ヤ[ja] イ[i] ユ[ju] エ[e] ヨ[jo

 

 [j]の音は、[ӡ]の音と同じ口構えで、中舌を硬口蓋に近づけて出します。([ӡ]が無声音であるのに対して[j]は有声の摩擦音です。[j]は先に述べたように、半母音と呼びます。

 ヤ[ja]ユ[ju]ヨ[jo]は、イア、イウ、イオのようにイの口の形をして、ア、ウ、オを発音してみましょう。力が入ると、横浜がィヨコハマのように、ねばっこくなります。

 そのため、イ、ユ、ヨが混用されています。行く(ユク、イク)、よい(ヨイ、イイ)などです(どちらも認められています)。

 

□ラ行の発音

EX.「恐れ入りますが」 「いらっしゃいませ」

 

〇 ラ行音……ラ[ra] リ[ri] ル[ru] レ[re] ロ[ro

 

ラ行音は、日本人にとってはなかなか難しい音で、いくつかのパターンがあります。

1.「ホラッ!」というときに、はじくように聞こえる弾音。

軽く歯と歯ぐきの境目のあたりに舌をはじくようにつけます。弾くところは前から「ル」、「レ」、「ラ」、「ロ」、「リ」の順で、奥に。

(これは語中・語尾に、多くあらわれます。空、くり、晴れ、風呂など。)

2.ブルンブルンなどというときの強い震え音。巻き舌で話すときの音です。(この巻き舌のラ行は共通語では用いないのが普通です。)

3.英語の[l]のような発音で、前もって舌先が歯ぐきに触れていて跳ねる音です。語頭には、この音が多く用いられます。

ラジオ、ロボット、リズム、レモン、ルビーなど。「リ」は、口蓋化します。

ちなみに英語の「L」は、舌先を軟口蓋、口の奥で、「R」は、唇を丸め、舌先を上(口蓋)につけず、口先で発します。

 

〇 ラとRL

 

R」舌の先端を振動させ巻き舌にします。

L」舌の先端を軽く上の前歯の先方につけ、前にはずしながら発音します。

「ラ」 Lよりも少し縮まり後方につき、舌根がやや固くふくらみます。どちらかといえば「ダ」に近いようです。

LaLaLa」は「ラララ」と違って、あごは動きません。

 

□ワ行の発音

EX.「私は〇〇 と申します」「おわかりになりましたか」

 

〇 ワ行音……ワ[wa] イ[i] ウ[u] エ[e] ヲ[o]

 

 ワ行の[w]は、口構えをウ[u]に近い形にして発する両唇摩擦音です([w]は、英語の発音ほど、両唇を近づけません)。

 ワ行の「イ」「ウ」「エ」「ヲ」は現在ではア行音と同じ音になっています。ワ行音は[wa]だけが違う発音です。(つい最近まで、「イ」→「ヰ」、「エ」→「ヱ」、「オ」→「ヲ」のかなで表わしていました。昔は「ウィ」、「ウェ」、「ウォ」の音がありました。地域によってはそうした発音が残っています。共通語の場合、表記は「ヲ」でも、発音は「オ」と同じです。)

☆「わたし」と「あたし」を区別しましょう。

 

  • 〈マ行のトレーニング〉

(マ)前々から前歯が曲がっていた/まじめなママがますます迷う

(ミ)波のように満たしてみる/みみずくの店

(ム)息子は六日に婿入り/昔むかしの虫かご

(メ)女々しくて面目ない/目が覚めたら雨だった

(モ)身も心も燃え立つ/桃色の森を求めて

 

  • 〈ヤ行のトレーニング〉

(ヤ)奴らと野球をやる/約束を破って夜勤を辞めた

(ユ)優雅な百合の花/憂鬱な夢にゆらゆら

(ヨ)用心してヨットを寄せる/よそよそしさを装う

 

  • 〈ラ行のトレーニング〉

(ラ)皿を洗うのはつらい/桜は暗いときに開く

(リ)理想を力説するリーダー/リリカルな輪郭と彩り

(ル)留守に盗られるルビー/ベルがうるさく鳴る

(レ)レンガづくりの歴史的レストラン/レアチーズにレモンを入れる

(ロ)色鮮やかな摩天楼を見下ろす/路地をうろついていろ

 

  • 〈ワ行のトレーニング〉

(ワ)忘れられない脇役の笑い声/わしの若い鷲

 

 

〇さまざまな音をつくる子音(5) 促音、撥音、拗音

 

促音・・・・・・「ッ」

 

 促音は、マッタクなどと小さい「ッ」を使って表記しますが、音声的には、そのあとに続く音を発する口構えのまま一拍分息を急に止めることです。つまり、ガッカリは[k]の口構え、ヤッパリは[p]の口構えをつくることになります。したがって促音といえばどんなことばにも、いつも小さい[t]の発音が伴うというものではありません。

 促音が小さい「ッ」で表されるため、本来促音でないものが、促音のように間違って発音されるケースもあります。

(例) カムチャツカ×カムチャッカ

    かつて(カツテ)×カッテ

    トロツキー×トロッキー

    ラデツキー×ラデッキー

 

撥音……ン[m][n]

 

「ン」で表記される撥音は、両唇や舌などで口からの呼気の出口を閉じたうえで、鼻腔への通路をつくって発音する音です。五十音図ではンと一文字で表わしますが、そのときのことばによっていろいろな表われ方をします。

 次の音がどんな音かによって違いが出ます。

 ンのあとにp、b、mの両唇音がくる場合は[m]の音になる傾向があります。

 ンのあとにt、d、n、rなどの歯茎と舌先を使う音がくるときは、[n]の音になる傾向があります。

 上にある以外に、アナウンサー、恋愛(レンアイ)、陰うつ(インウツ)、温和(オンワ)、範囲(ハンイ)、繁栄(ハンエイ)、本式(ホンシキ)、三役(サンヤク)など、[s][a][o][u][w][i][e][∫][j]などの音の前にあるンは、はっきり聞き取れない中途半端な発音になることがありますから、意識してはっきり出すようにつとめましょう。

 

拗音・・・・・・「ャ、ュ、ョ」

 

 カ[ka]という音に対してキャという音があります。この場合、音韻論的には、キャはカ[ka]の中に半母音[j]がはさまって[kja]という拍(音節)になっているとも考えられます(国語学大辞典)。このように子音+母音の拍(これを直音といいます)に対して、半母音が入った拍を拗音とよびます。

共通語の拗音は次の十二種です。

 キャキュキョ[k] ギャギュギョ[g] キ゜ャキ゜ュキ゜ョ[ɳ] シャシュショ[∫]

 ジャジュジョ[dӡ] チャチュチョ[t∫] ニャニュニョ[n] ヒャヒュヒョ[ç

 ビャビュビョ[b] ピャピュピョ[p] ミャミュミョ[m] リャリュリョ[r]

 拗音は、音韻論的には、子音+半母音+母音からなっているといいましたが、音声学的に個々にみますと、[k][g][b][p][m][r]は、半母音[j]を経て母音[a][u][o]につながる音であり、その他は[∫][dg][t∫][h]に母音[a][u][o]がついたものです。また、拗音のはずのことばで、拗音でない発音を認める場合があります。

  千住(センジュ)→センジ

  手術(シュジュツ)→シュジツ

  新宿(シンジュク)→シンジク

 

  • 拗音のトレーニング

1.キャキュキョ  ギャギュギョ  キ゜ャキ゜ュキ゜ョ

2.シャシュショ  ジャジュジョ

3.チャチュチョ  ニャニュニョ

4.ヒャヒュヒョ  ビャビュビョ  ピャピュピョ

5.ミャミュミョ  リャリュリョ

 

  • 促音「っ」のトレーニング

1.「にっちもさっちもいかない」

2.「おっとびっくり、ずっこけた」

3.「キットキッズ 食った」

 

  • 撥音「ん」のトレーニング

1.「仙台の先輩はガンガン打った」

2.「先頭にいた連盟は散会した」

3.「宣伝した新聞で宣言する」

 

「時間をかけ、精査する」 No.418

武道やスポーツなら、プロの身体の動きとの違いは、誰でもわかるでしょう。でも実際に稽古をするときに、その違いは、わかっていてもできるのではありません。そうでなければ、稽古をする必要がありません。

 

 ヴォイストレーニングも同じです。

 力を抜いてと言われて、言われたとおりに歌ってみれば、きっと力が抜けて全然、声が出ていないと言われるでしょう。トレーナーと同じように、力が入るところは入れて、あとは解放というようにできるのであれば、そういう注意は、受けないでしょう。

 

 トレーナーの言うことが、いくら正しく、そうしようと思っても、そのときにできるわけがありません。仮にできたといわれても、できたつもりになっても、それは、本当の必要の何十分の一なのです。ただ、この必要というのが、そもそも、曖昧なのですが。スポーツなら、最高記録があるので、わかりやすいです。

 

 誰でも、力を入れて歌いたいわけでも、力を抜いて歌おうとも、思ってはいないでしょう。

自由に楽に気持ちよく、歌いたいわけです。

 

 でも、それができない。あるいは、そうやってしまうと、歌い流してカラオケみたいだとなってしまうでしょう。それが全部、できていたら、レッスンの必要もないのです。

 

 それができていないことを知って、常に原点に戻って、呼吸やフォームから、正していくことが、学ぶということです。

 

 トレーニングには、時間がかかります。時間をかけて、状態と条件を整えていくからです。そのプロセスをチェックして促すために、レッスンがあるのです。

 

 トレーニングは、時間をかけないと身につかないのです。

いや、身についていないものを身につけるためにこそ、トレーニングという時間があるのです。

 

 

補足

 

 私は今、体力と筋力の強化保持と柔軟のために、プールに通っています。

 そこで、他の人を眺めてみると、自己流で泳いできたか、どこかで習った選手だったかどうかは、ほぼ一目でわかります。たぶん、あなたが見ても、大体、わかるでしょう。

 

 きちんと習った人は、最小の力で最大の推進力を得るフォームを身につけているからです。速くなくとも美しく泳いでいるのです。それは無駄がなく疲れない泳ぎです。

 

 私は、中学でバスケ、高校で水泳、そして学生時代にクラブのプールで子供たちに教えた経験があります。いくら正しいフォームを教えても、身体がそれを使えるように、筋肉がつき、肩関節がまわり、感覚が変わるまで、できることはないのです。

 

 歌や声とスポーツは、同じものではありませんが、肉体芸術と捉えるなら、共通するところは多いものです。当時の私は、力でなく、感覚で精査する術を知りませんでした。一流選手のフォームをみて、自分のフォームをビデオでみて、チェックしていたら、もっと伸びたと思います。

 

 今、力づくで泳いでいる人たちも、もし録画して自分の泳ぎを見たら、ずいぶん無様だと思うでしょう。あの桜木花道が2万本フリースローの練習を課せられて、自分のシュートの録画を見たとき、そう思った、ようにです。

 バスケも、一年くらい基礎練習を続けると、手のスナップだけでフリースローができるようになります。膝でシュートという意味もわかるのです。ドリブルでボールが手に吸い付くようになります。誰でも正しい練習を積み重ねれば、素人の域は脱することができるのです。

 参考になれば、と思います。

« 2026年5月 | トップページ

ブレスヴォイストレーニング研究所ホームページ

ブレスヴォイストレーニング研究所 レッスン受講資料請求

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

発声と音声表現のQ&A

ヴォイトレレッスンの日々

2.ヴォイトレの論点