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2026年7月

「邦楽」(3)

〇日本の音楽と欧化

 

1549年 フランシスコ・ザビエル グレゴリウス聖歌や器楽合奏

1853年 ペリー 軍楽隊→1869年 イギリス軍楽隊長、フェソトンが薩摩藩軍楽伝習隊を結成→1971年に兵部省を新設、軍楽隊を発足

1974年 宮内省式部寮伶人に洋楽

 

「日本の美術工芸は素晴らしいが、音楽はダメだ。

明治の初めに来日した外国人はそう観察した。同じころ、音楽家は社会全体の奴隷だと、その地位の低さが指摘されている」

(「荒城の月」 1901年 『中学唱歌』 土井晩翠 「宴」「エ」にシャープ記号 大正の末に山田耕作が改めてヒット)

ペリー提督が来日した時、通訳のウイリアムズは日本人の歌を聞いて、これが音楽かと驚いた。1854年、アメリカの艦隊サスケハナ号へ招待された武士が、船を離れる時に歌ったのを聞いた感想。1867年、日本通のイギリス外交官アーネスト・サトウは、日本人の歌声を調子はずれと断じた。

 

1879年の東京・新富座、王立イギリス歌劇団と名乗るヴァーノン一座を雇った。「漂流奇談西洋劇(かぶき)」 観客は、「洋犬(かめ)が吠えるのと同じだ」 

1875年、イタリアのスカラ座で活躍したソプラノ歌手パルミエリが来日 延遼館(えんりょうかん) イギリス人ワーグマンの絵では出席者はわずか3名で居眠りしている。

1905年、ドイツ人ベルツが柴田環(のちの三浦環)を絶賛。環は1912年、帝劇の女優たちに声楽を教えるも女優たちは豚の鳴き声だと嘲って授業をボイコット。神戸絢子もスルーされる。 

方言が唱歌普及に障り 日本人の濁った声や歯並びの悪さ(1950年、“青空楽団”まで、調子はずれ続く)

 

1928年、マイクロフォン「電気吹込み」

伊庭孝 日本は低俗下劣 “流行歌論争”。「鄭声(ていせい)を放て(悪歌追放)」 

雑誌『キング』を発行する講談社は“流行歌浄化”を旗印にキングレコード発足 

NHK「独立守備隊の歌」。時局レコード 愛国歌謡 

昭和32年、朝日新聞が「肉弾三勇士の歌」を懸賞募集 与謝野寛(鉄幹) 

1933年、読売新聞は流行小唄の懸賞募集 門田ゆたかの「東京祭」

流行歌は漫才や落語に比べると処分件数ははるかに少ない 劣情を刺激するような歌い方を検閲

 

1936年、「国民歌謡」1回目「日本よい国」奥田良三 

1937年、「愛国行進曲」に懸賞募集

放送、レコード、映画 歌の広がり 官庁の力 

電波統制下 “敵性音楽の排除” 鼻声で歌ってはならぬ、裏声や弱々しい細い声もダメ 歌い方にも注文 マイクの使用が禁じられる 

1943年、国民皆(かい)(しょう)運動 戦意高揚 “歌える国民”に近づいた

「ラジオ歌謡」 明朗、清純な歌 

「山小舎の灯」 1947年、連続放送劇「鐘の鳴る丘」 「とんがり帽子」 

「リンゴの唄」 「悲しき口笛」 

「のど自慢素人音楽会」 “マイクの解放” 「のど自慢」1回目放送1946119日 「紅白歌合戦」

1951年、第1回放送、1953年からは大みそかに定着 “国民的行事” 

民間放送の発足1951年 CMソング 「レコード大賞」1959年 「夏祭りにっぽんの歌」 

 

進駐軍向けの放送FEN「ジャズ・アワー」 一ツ橋の共立講堂と読売講堂が演奏会場 ジーン・クルーパ、チャーリー・ヴェンチューラ、テッディ・ナポレオンの三人が「荒城の月」「証城寺の狸ばやし」吹込み

マンボ・ブーム 531月、ザヴィア・クガート楽団。11月、「JATP」(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック) フランキー堺、ナンシー梅木 

1953年3月、東京六大学の出演「音楽リーグ戦」

ロカビリー 日劇 「ウエスタン・カーニバル」195828日 

1965年、ザ・ベンチャーズ、ザ・アストロノウツ来日 

グループ・サウンズ(GS) ザ・ビートルズ来日

「りんご追分」「悲しい酒」「川の流れのように」「愛燦々」

 

<邦楽のことば>

「〆る」:だんだん遅くの意味(rit)次第にゆったりして終わる感覚ではなく、ギュ、ギュッ、ッッギュッと徐々に締め上げていく感覚。

「見計らい」:自由に演奏すること。他人の演奏。踊りに添って臨機応変に演奏すること。

「付き直し」:曲の頭に戻ること

「減()る」「上()る」:「上る」は音程が高い、「減る」は低いの意。尺八の用語、「吊ってる」とは吊り上がって音程が高め。

「ニュー消し」:だんだん弱く小さくなっていくこと。

「調べ」:チューニングのこと、調子を整える。

「おやす」:だんだん強く。反意語―「かすめる」

「どんちゃんさわぎ」:大太鼓の“どん”、三味線の“チャン”など大騒ぎの様。

「ちゃんぽん」:中国の銅鑼“チャーン”、鼓の“ポン”、中国と日本の楽器フュージョンから文化の交わりを指す。

「あしらい」:能や歌舞伎で囃子方の演奏方法のひとつ。比較的自由に見計らいで演奏すること。日常語でもとりあわせの意で使う。

「陰音階」:半音を含んだ音階、陰施法。

 

参考:「落語に花咲く仏教」釈徹宗(朝日新聞出版)/「邦楽おもしろ辞典」西川浩平(ヤマハミュージックメディア)

 

参考:「音楽の不思議」(69-#533)/「近代歌謡の軌跡」倉田喜弘(山川出版社)

「ヴォーカルトレーニングの全て」 Vol.37

〇感性やセンスを磨くこと

 

 歌のコンサートのみならず、幅広い分野のアートにふれて声、音楽、表現について学ぶとともに、感性を磨いていきましょう。何でも広く見聞きして、感動する機会を多く持つことです。読んだり、書いたり、発表することも貪欲にやっていくとよいでしょう。

 自分が何者であるか、自分には何ができるのか、自分のキャラクターは何であるかを知り、それに根ざした表現を作っていくことです。それがわからないうちは、人真似から入っても構いません。多くのものに触れ、自分にいろいろな役割を課すことによって、本当にやりたいものや、好きなことが絞られてきます。

 貧乏、金なし、暇なしでもよいのです。そういう条件であっても力強く芽を出してくるものが、本物になる可能性があるのです。

 力を伸ばしていける条件とは、自分に対しての欲をどこまでもてるかということでもあります。うまくなりたいということで誰もが始めるわけですが、力を伸ばすためには、同時に高いレベルから客観的な評価のできる力を伸ばしていかなくてはなりません。そのためには、ヴォーカリストに関して深く学ぶのはもちろん、音楽やその他の世界にも、強いていうなら人間に関わるすべてのことを学んでいかなければなりません。

 マンネリを感じてきたら、次の言葉を思い出してください。「相手が自分と同じくらいの腕だと思ったら、自分より数倍上だと思え。へただと思ったら、自分と同じだと思え」。これは戒めではなく、本当のことです。

 

〇感受性が強いと思っていても

 

 最近は世の中、自分は感受性が人一倍強いと思っている人ばかりです。人より感じやすいとか、傷つきやすいなどと軽々しく口にするというのは、他の人間を本当に理解していない証拠でしょう。口に出すだけでも無粋のような気がします。自分だけがそうだと思っている人ほど自分の壁に閉じこもって、外に対して真剣に勝負を挑んでないのではないでしょうか。

 ヴォーカリストに必要なのは、感じたことを表現できる能力としての感受性です。それは、他人の気持ちを感受し自分も影響をこうむるだけというような受動的なものではなく、曲や歌の中にどういう世界があるのかを感受し、そこからひとつの世界を創造して具体的に現わすという積極的なものです。同じ曲、同じ歌詞のわずか3分間の時間に永遠の生命の息吹きを与えるために感じ、表現する意志の強さなのです。

 言い換えるならば、リズム・メロディ・言葉のそれぞれについて、何をどう感じ、どう1つの曲として構成し、表現に生かしていくかというギリギリの勝負を挑む感性なのです。

 

〇声そのものの持つ内なるメッセージを聞く

 

 アーティストは、しばしば、神の下僕や神の仲介役を果たすことがあるようです。彫刻家が彫り始めない木の中に完成させるべき像を観たり、画家が白いキャンバスの中に完成させるべき絵を観たりするように、ミュージシャンも神の啓示によって、その名のもとに作品を世の中に具現させる役割を担うわけです。宇宙飛行士が地球を離れて神を感じるように、声楽家も自らの声の中に神の存在を疑うことができないと言います。

 わずか2センチの声帯が、2オクターブ以上の素晴らしい声をひびかせます。それを体得すると、自分の努力のみで、そういう天の声のようなものが出せたとは思えなくなります。謙虚な気持ちになり、何者が自分をして、こうあらしめるのかという哲学的自問をし始めるようです。

 そういう面ではアーティストは、信心深い宗教家に近いかもしれません。プロテスタント・ソングなどを歌って、現実の行為を通じて世の中に働きかけている人たちもいます。もともと、昔は、司祭が政り事として政治も宗教も取り仕切っていたのですから、ロック・アーティストが、このような面からカリスマ性をもち、大衆に働きかけるのは当然と言えましょう。追っかけやファンは、その××教(××バンド)の信仰者なのです。

 

〇なぜコンサートで感動するのか

 

 このカリスマ性をもったアーティストが、皆に働きかけるときに使うのが音楽です。ヴォーカリストの場合は、声といえます。トランペットでもピアノでも、音は私たちを感動させます。直接私たちの情緒に働きかけるからです。

 昔から、祭りなどの冠婚葬祭のときには音楽が欠かせませんでした。戦さのときにも行軍ラッパがなり、ドラを叩きました。これも戦士の士気を高めるためです。嬉しいとき悲しいとき、人間の情緒を高めたり代弁したりする役を、音楽は務めてきたのです。これらの場合においては、音は言葉よりもっと直接的に、私たちの身体に作用します。このようなことに、大昔から音楽は利用されていたのです。

 現在では音楽の持つ生体に働きかける力が科学的に証明されつつあります。音楽を医療やストレス解消に利用するようになりました。ロック・コンサートに行くと身体の芯からスッキリするのは、皆さんも実際に体験しているでしょう。

 

〇意味のわからない歌でも涙する声の威力

 

 声もまた音声といわれるように、音の一種です。歌は言葉とメロディとリズムで構成されています。その中で私は常に言葉の重要性を強調しています。言葉がわからなくては歌ではないと言っています。これは、歌う側に立って最低限の資格を述べたものです。

 しかし、聞く側から述べると、聞く方は言葉の意味がわからなくても一向にさし支えないのです。お経のように、言葉の意味がわからないからこそありがたいこともあるのです。音楽は言葉としてよりも、音として私たちに働きかける割合が大きいからです。

 世界各国から耳に入ってくる歌も、私たちは言葉がわからないなりに、心で受け入れています。音楽に国境も言葉の壁もありません。来日アーティストのコンサートで、静かに語っている歌の言葉に、その意味がわからないのに涙を浮かべてしまうこともあります。これは声の持つ、音としてのメッセージの力のためです。声の魅力やパワー、そこに表現された感情に、私たちは理屈抜きに感動するのです。

 テノール歌手をたたえる言葉に、「トランペットのような声」というのがあります。トランペットの輝かしくももの悲しげな音色に感動するのと同じように、強く情緒をゆさぶられるような魅力がヴォーカリストの声そのものにあるのです。ですから、ヴォーカリストにとって声の修行はなによりも大切なのです。

 

〇声そのもののもつ魅力やパワーを使え

 

 歌う立場であるあなたは、もっと自分の声のもつ声そのものの魅力やパワーに心をとぎすまさなくてはなりません。たとえ、「ラララ…」であろうと「ン…ン…ン…」とハミングであろうと、それが声のメッセージとして届き、心に伝わる歌となっていなければならないはずです。歌からの出だしで、聞く人を魅きつける声を出さなくてはいけません。練習のときでも同じです。

 11音が、歌であり、メッセージなのです。心をこめた、感情を表現する声であり、言葉を自由に操りメロディに酔わす声でなくてはならないはずです。

 自分でやっていても白々しい「アーアーアーアーアー」式の長時間にわたる発声練習などを飽きもせずにできるのは、声に鈍感な証拠とは言えないでしょうか。ていねいに心をこめて、言葉を読む。その感情を「ラ」の言葉のみを使って表現する。そんな練習の方がよほど大切です。

「最強トレーニング」 Vol.17

〇くせのない自然な声の使い方を学ぼう

 

  • 基本トレーニング

1.「ただいま」

2.「こんにちは」

3.「さようなら」

4.「どうもありがとう」

5.「すみません」

 

□チェックポイント

A.姿勢、身体 呼吸、フレーズ

身体を動かしてリラックスしましょう。

B.顔の表情

顔の表情をやわらかくします。

C.発声、高低、強弱、トーン

もっとも使いやすい声でよいです。

D.発音

あまり気にしないでください。

E.声の表現法

さいごまで、なごやかな気持ちをキープします。

 

〇日本人にとっての、自然な声のイメージとは

 

日本人の日本語の音声には、いろんな弱点があるといえます。自然というと、力を抜きすぎ、弱くなりすぎることもあります。

 というのも、日本人の場合、どうしても、強く声をぶつけあい主張し合うような風潮がなかったため、声に強く吐く息や大きなメリハリなどが必要とされなかったのです。自分たちの主張が通らなかった場合、激しく訴えるような、強力な音声力をもつ国の人々とは違います。ですから、ことばのトレーニングのときは、気は強くもち、声は少していねいに、という感じで心がけてみましょう。

この音声そのものへの認識力の弱さと、その効果的な使用法への無頓着さは、「あ、うん」の間で心が通じ合うという、日本の文化、風土の影響のせいでもあります。それを自覚して、しっかりとトレーニングすれば、優れることはさして難しいことではありません。ぜひ、本書で音声力に差をつけましょう。

 

〇声のくせとは、何か

 

声のくせは、その人の声の特徴であり、個性です。声を聞いて、あなただとわかるのは、声にあなた独自の音色が表われているからです。しかし、あまりに発声のよい状態からそれていると、喉の障害に結びつくことがあります。持って生まれた声を充分に生かしきっていないのを、くせというのです。

若さがない老け声やいっていることが聞きづらいというのも、一つのくせです。声がうまく共鳴していないからです。多くの場合、生まれつきということではありません。

ガサついている声、マイクに入りにくい声は、必要以上に大きな声を出している人にみられます。声帯に力が入っていたり、喉や口内が詰まったりしているのが主な原因です。

普段はよい声でも、いざというときに、極端に不自然な発声に切り替わって、喉をしめつけている人もいます。

小さな声しか出さない人も、うまく響かないと、硬く頼りなく聞こえます。

 

〇くせと個性

 

くせというのは、個性とよく混同されます。くせのないというのは、この場合、声として何もひっかかりのないということです。他の人とあなたとを区別する何かのことです。声の場合は、声の大きさ、話すスピード、方言など、いろいろあります。特に主なのは、音色です。楽器の区別は、目をつぶってもできます。ピアノとバイオリンとトランペットは間違えませんね。その違いは、音色です。くせというのは、きっと中学生が始めてそういう楽器を扱ったときに出す、ノイズのようなものと思えばよいでしょう。うまく本来の機能を扱えていないために生じるイヤな感じと思うとよいでしょう。

 声には、呼吸や発声だけでなく、意志や意図も入ってくるので、やっかいです。発声に関しては、本書のトレーニングで直せます。できるだけ、明るく、気分よく、笑顔で話しましょう。そしたら、少々くせがあっても、魅力的な個声となって聞こえるのですから。

 

〇声のくせをとるには

 

発声について、無自覚のうちに間違ったイメージや思い込みがある場合、他人の声やその使い方の影響による場合、自分に合っていない声を出そうとすると、無理が生じます。

 発声上の問題だけでなく、発音の問題もあります。

大きな声を出しすぎている人は、トーンダウンしてみましょう。低音でゆっくりと出してください。リラックスして、強い息を使わずに声を出します。かすれたり、喉にひっかかるのはよくありません。

 身体や息のトレーニングで、少しでもお腹から息が流れるようにしていきましょう。喉から上ではなく、お腹全体に意識をもって出すことです。

 

〇「自然な声」にするには

 

「自然な声」というものがあるのではありません。「自然な声を出す」とは、あなたの声を、ごく自然に出しているように聞こえる声にしていくということです。メイクアップはするが、飾りすぎない声(無理に演じているようでない声)にするということです。伝わることを、声で邪魔しないといった方がよいでしょうか。

人それぞれに違う魅力的な声があります。そういう感覚で、自分の自然な声をみつけていきましょう。

一般的には心身がリラックスしているときに出した声は、話し声でも歌声でも、自然な声として聞こえます。楽しいことがあって、思わず笑みを浮かべているときの声が理想です。

反対に不自然な姿勢や緊張した状態で発声をすると、どこかに力が入り、声も不自然になるものです。心身のどちらかでも硬ければ、声まで硬い感じになってしまいます。

声は、その人の姿勢や意志、感情にも大きく左右されます。

後ろめたいとき、うそをついているときなどは、物腰だけでなく、声も不自然になるでしょう。つまり体調から精神的なものまで、全てが声に現れてしまうのです。

 

  • 自然な声にするためのトレーニング

・息と声をミックスさせるトレーニング

 身体から深い息を出したあと、そこにうまく声を合わせるようなつもりで声を出してください。

1.「ハーアー」  2.「ハーエー」  3.「ハーオー」  4.「ハーウー」

・声で伸ばすトレーニング

1.「アーー」  2.「ハアー」 3.「フゥー」 4.「へエー」 (各2030秒) 

 

・自然な声で読むトレーニング

情景を思い浮かべて、ゆっくりと読んでください。

1.「今日は気持ちのよい朝ですね。」

2.「すっかり晴れましたね。」

3.「どうも雲行きがよろしくないようですね。」

 

■応用例文トレーニング 

1.「ただ今戻りました」

2.「お先に失礼します」

3.「お疲れさまでした」

4.「失礼いたします」

5.「恐れ入ります」

6.「お先にいただきます」

7.「ご馳走さまでした」

8.「ちょうだいいたします」

9.「そろそろおいとまいたしますので」

 

「お笑い芸人、俳優、歌手のタレント化での政治的沈黙」 No.419

日本の芸能界は、かつてない静けさに包まれています。戦争があろうと政治変革があろうと、オピニオンリーダーたる主役たちは、本音を語りません。マスメディアでのMCやコメンテーターのことばは、空虚なまま、その時間枠を埋めて終わります。

 

 AIが炎上リスクを監視し、SNSが真意を切り刻む現代。かつては、個性と思考と表現の象徴だった言葉が、牙を抜かれてしまいました。

 CM契約を吹き飛ばすリスクとならないように、タレント化して、自らを無色透明な空っぽに、肝心なことは沈黙に葬ることで、生き残りを図っています。体制と同化し、既得権益の保守層と成り果てました。

 ファンが推しに求めるのも、また現実の政治を忘れさせてくれる安らぎです。そんな期待に応えようとする彼らの沈黙は、ビジネスとしては正解ですが、表現者としてはあまりに哀しく虚しくみえます。

 本来、芸人や歌手は独自の表現を持つ存在です。それにもかかわらず、発言を控える空気に飲み込まれていく現状には、忸怩たる寂しさが残ります。俳優、声優は、役になり切るのですが、タレントや歌手、芸人は、まさに独自の表現が、売りもののはずです。

 なのに、皆、私たちも含めて、同じように、この動きに飲み込まれていくようでは、日本に未来はないでしょう。日本の美徳、和の世界では、こうして空気が動かすどころか、空気さえなくなっていくのでしょうか。

 

 

#『日本の芸能界、政治的発言が沈黙の理由』音楽に関する希望論は、『日本のポップ・ミュージックと政治』(ともに『副・真のヴォイストレーニング』はてなブログに詳細)

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