1.ヴォイストレーナーの選び方

第19号 「呼吸から発声へ」

○吸う練習は不要

 

声は、息を吐くときに、出すものですから、声のコントロールは、吐く息の調節、維持によって行われます。そこでトレーニングは、自分の吐く息を思い通りにコントロールするために行ないます。吐く息の量や長さを自由にコントロールできるようになれば、息を吸うことも自然とできるようになってきます。

吸うことを意識して、吐くのと同じか、それ以上に時間をかけてがんばって息を吸っている人がいます。しかし、実際は、“吸う”というより“入る”といった感じがよいのです。

将来的には、息を吐いたあと、体全体がバネのように息を取り入れられる体をめざしてください。そこに「吸う」などという動作があってはいけないのです。「スゥーっ」と吸う音が、あまりに聞こえる人は、よくありません。

 

○息を長く伸ばす必要は少ない

 

重要なのは、息を吸う量や吐く量ではありません。腹式呼吸と発声に加えて、声たて効率(いかに効率よく息を声として使うか)が、問題です。

息や声を出して、どれくらい長く伸ばせるかといったチェックは、息の支えが崩れるので、トレーニングというよりは、チェックと確認のためにするのです。

ほとんどの人は、息を充分に吐けるだけの体になっていません。日本では、プロの活動をしている人でも、呼吸力の不足で歌がうまくまわらない人が少なくないのです。呼気を声に変える効率が悪く、息のロスが多いとさらにそうなります。根本的には、声と息が深くなり、結びつくのを待つしかありません。息をあまり吸いすぎないことです。

発声の必要度に対応できる呼吸を身につけることです。イメージとしては、喉でなく、呼吸でお腹から切りましょう。呼吸は常に吸うのでなく、吐いた分、入るようにと考えてください。そこで、いつでも瞬時にスッーと入り、すぐに使える体勢を整えられるために、余力をもつトレーニングが必要なのです。ちなみに、肺活量は、成人を過ぎると、少なくなっていきます。肺活量を増やすトレーニングをするのでは、ありません。

 

○腹筋運動の功罪

 

腹筋運動での筋肉の強化は、多くのスポーツの選手に必要ですが、声にとっては実際に腹式呼吸に使われる呼吸機能(内側の横隔膜に関わる筋肉や助間筋など)を鍛える方がストレートです。声は息によってコントロールされ、息は体でコントロールします。それに関わる筋肉は、一連の呼吸運動(息を吐くこと)によって鍛えます。

適度にお腹の筋肉を鍛えておくことも必要です。一般の人より、弱い人には、必修かもしれません。体力同様、筋力も、得ておくことです。あなたがアスリートなら、充分です。何事もその人の現在もっている条件で違うのです。 

前直筋は、鍛えることによって、あまり固めないようにという人もいます。力で歌うという誤解をとることです。

 

〇発声のメカニズム

 

 発声の仕組みを楽器のように考えてみましょう。

楽器の構造のように、私たちの体の発声に関する器官を四つに分けてみます。

 

1.呼吸(呼気)がエネルギー源(「息化」)(肺―気道)

人の体を楽器として、オーボエに見立ててみると、声帯は、そのリードにあたり、声の元を生じさせています。肺から出る息(呼気)がリードをふるわせて音を生じさせます。

声帯は筋肉ですが、直接、意識的に動かせません。呼気をコントロールすることによって、周辺の筋肉も含めた声のコントロールをしていくわけです。呼吸は肺を取り囲む筋肉の働きによって横隔膜を経てコントロールされています。そこで、声を高度にコントロールするのに、腹式呼吸のトレーニングが必要となります。

 

2.声帯で息を声にする(「音化」)

肺から吐き出された空気は、直径2cmぐらいの気管を通って上がってきます。咽頭は、食道、気道を分けるところにあります。唾を飲むと上下に動くのが、喉頭です。この喉頭のなかに、V字の尖った方を前方とする象牙色の唇のようなものがあります。これが声帯です。  声帯は、気管の中央まで張り出し、そこで左右のビラビラがくっつくと、呼気が瞬間せき止められます。次に呼気が通ると開くのです。これが一秒に何百回~何千回もの開閉が行われ、声の元の音を生じます。それは響きのない鈍い音で、喉頭原音といいます。

 

3.声の元の音を響かせる(「声化」)

声は、声帯の開閉の動きから空気がうねって生じます。これはドアの隙間のように、空気音なのです。いわば声帯という、二枚の扉の狭い隙間で生じた音のことです。

声を大きくしたり、音色をつくりだすのは、楽器では管(空洞)にあたる声道です。声は喉頭から口や鼻までの声道で、共鳴します。その共鳴腔は、口腔、咽頭、鼻腔などです。口内の響きを舌の位置で変えて、母音をつくります。

 

4.唇・舌・歯などで、声を言葉にする(「音声化」)

響いている声を、舌、歯、唇、歯茎などで妨げると音となります。それが子音です。(これを構音・調音ともいいます)

妨げるところを調音点、妨げ方を調音法といいます。

 

〇気づくこと

 

よい作品を勧め、個々に勉強方法を得られるようにしていきます。本人の歩みのペースから変えていきます。極端にやって、それが破れるリスクは、常に考えて、セーブしています。

期待しても、その期待通りの資質を本人がもっていても、やるだけやらない人には、何事もものになりません。

明らかにギャップがある場合、そのことに気付かないと、どのトレーナーが引きうけても駄目でしょう。そういうときは、レッスンを待つこともあります。

歌の場合は、それだけが目的ではありません。趣味としてもよいし、何らか接点が付けていく人生もあります。それもまた、本人に委ねられるものなのです。

第18号 「一人でできるヴォイストレーニング」

○フォームとしての姿勢づくり

 

よい姿勢とは、無理のない自然でリラックスをした姿勢です。しかし、プロの声はプロの体から出る以上、それを支えるものが必要です。結果として、次のようになっていることを確認してください。これを同時に、すぐにはやれません。発声と姿勢との両立は、感覚や体が伴わないと無理なのです。共に身につくには、時間がかかるものです。最近は、胸が開かない人が多いのも問題です。

演劇、ミュージカルやオペラでは、いろんな姿勢で声を使います。フォームができてきたら、何でも対応できます。基本が身につくということは、状況が変わってもそれに対応できる応用力がつくということです。

歌は声の応用、ステージは、歌の応用です。弾き語りでも、ギターと歌は、最初は別々に練習するでしょう。同時にやるのでなく、それぞれの目的を定めて、個別に対処するのがトレーニングです。この問題は、基本と応用との違い、習得するためにするトレーニングとそれを自由に応用するとの違いです。

 

○状態をよくする

 

できるだけ休みを途中に入れ、心身ともに柔軟にすることです。私は、ヴォイストレーニングとは、声を出すことでなく、声の出る状態を取り戻し、その条件を確実につくることであると思います。トレーニングの終わったあとに、声がよく出るようになるくらいが好ましいのです。

喉が痛くなったり、声が出にくくなるトレーニングは困りものです。必ずしも独習が悪いとはいえませんが、おすすめできません。

私の述べる、状態とは、今の体・感覚の中のベターな声の出せるもの、条件(づくり)とは、将来の鍛えられた体、磨かれた感覚で、ベストの声の出せるものです。

 

○体を柔軟にする

 

発声というのは、体全体で行う運動と捉えましょう。歌は、音楽のなかでも、スポーツや舞踊といった肉体をつかう芸術と類似しています。そこで体をつかう分野での考え方がうまくあてはまることが多いのです。そのうち、歌や声と呼吸、体との関係がつかめてくるでしょう。呼吸や発声のトレーニングは、それ自体が目的でなく、むしろ深い息で深い声を確実に扱えるように、結びつきを強化、調整することが目的なのです。

 

○体を鍛えることとスポーツ経験

 

声を出すことや歌うことも体を使うことなので共通する点はあります。体力や集中力、柔軟な体、勝負強さ、あがらない、リラックスができる、リズム感、基本の繰り返しの大切さを知っている、状況に応じた瞬間的な判断ができる、などです。ひとつのことを自分の身につける過程を訓練として体験してきたというなら、それも、有利な条件です。

性格的に明るく、人前に出たがり屋で、体を動かせる点で、スポーツ出身のタレント、ヴォーカリストは少なくありません。楽器はできなくともよいとはいえ、できた方が勉強になります。音楽性、芸術性に関しては、なんともいえません。視野が狭く、レール上を走ろうとする一途さが裏目に出る人もいます。

 

○腹式呼吸の習得は急がないこと

 

簡単にいうと、胸の周りに吸気を入れて、肩や胸が盛り上がると、よくありません。胸式呼吸といわれます。

手をウエストの両わきへあてるのは、チェックのためですから、いつもはやらない方がよいです。そのとき、肩、胸が上がったり、力が入ったりしてはいけません。そうなる人は、胸を心もち、あげておきましょう。お腹の周り全体が外側へふくらむのが感じられますか。

最初はわかりにくいので、上体を前方へ倒したり、座ったり、寝ころんだりして、息と体(お腹)との関係をつかむとよいでしょう。実際の呼吸は、腹式と胸式が組み合わされており、どちらかに切り替えるものではありません。

腹式呼吸だけでは声は出ません。腹式呼吸は出ている声を扱うための方法にすぎません。しかも、腹式呼吸は、誰でもすでに身についているのです。私たちはふだん、あるいは眠っているときに、無意識のうちに腹式呼吸を行っています。ですから、発声に伴って、腹式呼吸が無意識的にできるようになる必要があるということです。意識的にトレーニングするのです。

つまり、腹式呼吸は、それ自体がマスターとか、完成という段階があるのではなく、使うことへ対応できる程度問題なのです。役者や歌手でも必要度はそれぞれに違うのです。付言すると、あがってしまうなどというのも、この腹式呼吸でかなり改善されます。

第17号 「ビブラート、フレーズと共鳴」

○ビブラートについて

 

歌にならないからと、ビブラートもどきに語尾でゆらしてカバーしたらよいというものではありません。しかし、これを歌の“技術”として使えるトレーナーもいます。

ビブラートには、・深い息をしっかりとコントロールして、声を持続して出すことと、流れをイメージして、なめらかなフレージングにすることが欠かせません。歌に心地よいゆらぎを加えるところまででしょう。

感情を表現したい部分で、意識的にそれを声に拡げて強調することで、聴き手に気持ちが伝わるならよいでしょう。ただし、声のふるえ、自分の意識でコントロールできない声ゆれはよくありません。今はマイクに相当のエコーがかかるので、なおさら余計にかけてはなりません。

ビブラートは、発声の基本を極めていくと、自然に身についてきます。歌うとき、喉仏に指をあてると微妙に動きます。声は共鳴によって出るものだから、メリハリをきかせるためにフレージングに、共鳴の流れが声に表れるものだからです。

 

〇ビブラートの違い

 

トレーナーにも、歌にビブラートをつけた方がよいという人と、ビブラートを意図してかけてはいけないという人がいます。これはビブラートがどういう状態を示すのかが使っている人によって違うので、どちらがよいとも言えないのです。トレーナーの好みも反映されます。自分の好みでみないということは、歌い手にも、トレーナーにも、とても難しいことです。

私は無理な“ビブラートもどき”をかけないように注意します。ビブラートのためのトレーニングというのは行ないません。共鳴として考える方がよいです。

 

○フレーズの入り方(歌での声立て)

 

早めに出るのも、ためがあってからバーンと出る場合も、あらかじめ描かれた円の流れの中でなめらかに合流するような感じにします。決して突発的に声にしないことです。前のフレーズでの声の切り方に対して、もっともよいタイミング、声量、声質で次のフレーズに入るのは、簡単なことではありません。

日本人は、ゆったりと出だすことが多いようです。ずり上がりやずり下げは避けましょう。歌では鋭さが欠かせません。そこに音感、リズム感、声質が瞬時に出るのです。私のイメージでは、ためて息が出て声が導かれる感じで瞬時に入ります。

 

〇フレーズのキープ

 

直線的に、一本の棒のようにひっぱらないように注意します。統一した響きの線でライン(円)を描くようにします。やや強めていってもよいのですが、変に揺らさないことです。力でなく、呼吸でアクセルを緩める感じです。

 

〇フレーズの終止

 

フレーズの終止は、徐々に声を消し込んでいくのが基本です。そこで振るえたり、揺らいだりしてはいけません。息が足らないと、息の支えがなくなって声がふらつきます。中には、急に止める場合もあります。口先でなく、体で切ることです。流れの中で放す感じで、軽く響きも(胸中や鼻の線上に)残ります。

声は消え入っても、動きがバタと止まってはなりません。声の切れるところは、聴く人の耳に残る大切なところです。次のフレーズの入るところを踏まえて放します。

 

〇フレーズの連続性

 

私は、フレージングにタッチ、ニュアンスをおくとか、エッジをきかす、ピークや発色させるなど、独自のイメージで課題を与えています。もっと大切なのは、フレーズの終止から、次のフレーズに入るまでの流れの保ち方です。そこでのブレスによる流れの変え方、リズム・グルーヴ感なしには語れません。

付言するなら、たとえば4つのフレーズを歌うなら、4つの同じ山ではなく、一つの大きな流れで一貫させた上で、4つのフレーズをおかなくてはなりません。常に起承転結を意識してください。歌一曲、最後まで気持ちが切れてはならないのです。

 

○口を大きく開けない

 

口をパクパクと開けすぎるのは、発声の邪魔です。声が、まだ声の出にくい人は、表情でもフォローできるから、表情筋も別に鍛えるとよいでしょう。口の動きは発音に大切です。目的はそれぞれ、ただし、口を開けるのと口の中を開けるのと、喉を開けるのとは違います。

 

第16号 「声のパワー、ヴォリューム感」

○声量と余力

 

声量と歌の伝わり方は別問題です。声量は、人によって違います。歌を展開の中でもっともみせられるように声量は定まるのです。そのため、一定ということはなく、刻々と表現に応じて、音色も響きもトーンも変化します。高い声や声量を使ったところばかりでなく、低い声、声量を使わないところでのプロの表現をよく見習ってください。

声量はあった方がよいことは確かです。声を張りあげたくなければ、大きく使わなければよいのです。何ごともないよりあった方がよいのです。それは、聞く方に、次の表現の可能性への期待をもたせ、さらに  安定感、奥の深さを感じさせ、歌い手の余裕につながるからです。

魅力というのは、その人の力の底が見えてしまっては、もたなくなるのです。声量に余裕があるということは、使わないほど期待感が増し、要所に絞り込んで使われたときには、満足感をもたらします。

 

〇声の芯とイメージ

 

声に芯があり、歌に線があり、線に変化があって、その線の動きの変化を捉えてはじめて、聞く人はヴォリュームを感じます。徐々に大きくなっていくことで、感情が盛り上げられ、高揚します。歌というのは、だいたいそのようにつくられています。

他人の感覚やイマジネーションに働きかけるのは、歌い手の感覚やイメージなのです。声に焦点がなく、浅く広がっていては、歌えても歌を動かせないのです。芯のある声で音楽的なデッサンで歌の形をくっきりと描き出してこそ、演奏になるのです。つまり芯があり、響きの線のみえる声とそれを使って描く力が必要なのです。

 

〇声の大きさのデメリット

 

声の大きさは、自分の歌を相手に伝えるために、表現上で必要とされることの一つにすぎません。自分のメッセージが上手に伝えられるならば、歌はそれで充分です。むしろ、声量をもって、歌の効果を損ねるのはさけるべきです。声のよい人、声量のある人が、あまりよい歌い手にならないことが多いのは、声や声量や共鳴を聞かせたいと思うからです。どんな武器も、繊細に使えなくては、無意味です。

激しい気持ちを表現したいときでも、大きな声を出さずとも表現できるなら、その方がよいでしょう。実はそのほうがずっと難しいからです。つぶやくように小さな声で表現が保てるためには、そこで体を使えなくては通用しません。そういう歌い手は、歌にはさほど使わなくても、大きな声の出せる体と繊細な表現を構築できる神経を持っています。

つまり、器(ここでは、フォームといってもよい)というのは、大きくつくって小さくできますが、その逆はできないのです。自分の感情をよりストレートに伝えたくなってくると、それなりに大きな声も必要となってくるでしょう。ですから、声量の幅をもつことは、より豊かな表現ができる可能性をもつといえます。

 

〇パワーとインパクト

 

多くの人を感動させるのに、パワーはなくてはならないものなのです。ただパワーと感じられるものは、声量だけではないということです。むしろ、インパクトとしての鋭さ、変化、動きの方が問われます。

歌は声の大きさでなく、イメージの大きさで歌うのですが、感覚に体が伴わない、伝わりにくいです。

そこでトレーニングでは、結果として、その人にとって最大の声量の獲得を、そのためでなく、そのプロセスで得られるもののために、セットします。

ミニマムでマックスの効果が出てこそ芸です。トレーニングはマックスでマックスを極めることに挑みます。器を広げるためです。海外のヴォーカリストの響きがうるさくないのは、深い声で柔らかく扱っているからです。

大音量で聞いてもうるさくないヴォーカリストがすぐれているのです。響かせ方でなく、声まとまり、声の焦点をイメージしてください。つまり、どんな声量のある声もそこに一本の線がみえ、その動きがみえ、それが働きかけなければ、歌は伝わらないのです。

 

○歌の発声と歯切れのよさ

 

声を伸ばすことは、その必要性を疑う、考えることからです。歌の中で、声を伸ばす必要があるところを探してみましょう。案外と少ないことに気づくはずです。

私がプロとアマチュアの大きな差と思うことのひとつに、歯切れのよさがあります。プロは歯切れよくことばを切って歌っています。その中で、要所だけ計算して、効果的に声を伸ばしています。アマチュアはどこもかしこも伸ばすために、歌にしまりがないのです。特に日本の歌は、語尾の一音をやたらと伸ばし、“歌らしく”します。惰性になりかねません。

本当はもっとフレーズの前半部で、勝負(追い込み、強調)して解放し、自由度を与えておくことが必要なのです。ですから、最初は、声を伸ばすことよりも、リズミカルに(グルーヴ、のりで)ことばで言い切って歌うことです。その上で歌いあげ、伸ばしたら効果のあがるところを厳選するのです。

プロの歌っている通りには、歌わず、自分が生かせるようにアレンジしてみましょう。声を伸ばすことは最優先課題ではないということを理解したうえでトレーニングしてください。多くの人には、声の状態、声の使い方(発声)、イメージやフレージングが課題です。歌では、それを知った上で悪くなるところまで決してみせないことです。

第15号 「声域と裏声、ミックスヴォイス」

○声域を拡げる

 

声域は、ある程度の範囲内において、生まれつき決まっていますが、トレーニングによって変わることもあります。声域の広さや高音、低音の限界は、持って生まれた声帯を中心に、さまざまな条件で違います。

また、単に声が届けばよいのと使えるのとは違います。どのレベルで使えるのを声域とするかというのでも、大きく判断が違ってくるでしょう。

普通の人の声域は、話し声では、3度から半オクターブ(欧米人は1オクターブほど)歌では1オクターブからあと半オクターブくらいといわれています。これにはかなりの個人差がありますが、歌うのには充分です。それよりも、自分の扱える声域内でどのくらいきめ細やかに歌えるかということが大切です。

声域を伸ばすことばかり考えている人が多いのですが、自分の持っている声域の声を、より豊かに表現に使えるようにすることを優先しましょう。(一般的には、低い方へ広げるのは難しいといわれています。)

変声期を過ぎると、女性は年齢とともに、声質は太く、低くなってくるものです。この微妙な声質の変化は、その人の声の味わいを増すともいえます。

 

〇豊かな表現力を優先する

 

声域を伸ばすことだけを目的としたトレーニングは、歌という最終目的からずれてしまうだけでなく、他のもっと優先すべき課題をなおざりにしたり、喉の状態を悪くしたままにする危険を伴います。本番では出るか出ないかわからない声は使いものにならないのです。

基本的なトレーニングを積み重ねて、声そのものの質、調整能力をつけることです。とはいえ、オペラはもちろん、原調でキーを下げない日本のミュージカル・合唱、ゴスペル、カバーコピーなど、声域を優先されることが多いのが現実です。こういう場合、声楽を一通り(23)学ぶことを勧めています。

 

○声区

 

音声学では、声区という考えがあり、低声区、中声区、高声区などと分けます。低声区を胸声区、高声区を頭声区と二つに分けている場合もあります。さらに、仮声区=ファルセットというつくり声を、その上におきます。ファルセットとは、falsettoで、これはfalse、嘘の、間違った、偽の、といった意味です。ヨーデルとかハワイアンでおなじみの声です。

 

〇地声(modal register)と裏声(falsetto register

 

声帯はその開閉によって振動して、声を生じます。話しているところが、地声です。高くなると、その開閉のスピードが高まります。その限度を超えたとき、完全に閉じずに開くことで、振動を速くするのが裏声です。つまり、ギアの切り替えだと思えばよいでしょう。ここでは裏声に対しての地声(表声)とします。それに対し、頭声は、高音域の正しい発声によってもたらされる声の出し方とその音質のことをいいます。その上にある男性の裏声を、ファルセットといいます。

裏声は、声量がなく、音色も違うので、地声からうつるときに変わり目がはっきりとわかってしまいます。これをなるべく目立たせず、うまく切りかえることが、歌の流れをこわさないために必要です。声量と音色の変化を最小限に抑えて出す声でつなぎます。

 

〇ミックスヴォイス

 

ミックスヴォイスとは、その地声と裏声の切り替えのところの声質の差を、目立たせない声のようにいわれることがあります。これを学びたいという要望が最近は強くなりました。地声も裏声も安定せず、体や呼吸も使えていない状況で、この声域を固めてトレーニングしても、大して完成度として期待できません。(という前に、その声域も定まっているわけではないし、まだまだ有利に変えられるかもしれないのです。)

高音、ハイトーンと同じく、本来の理想とは異なるところで早めに固めて(くせをつけて)その後の可能性を著しく狭めてしまう危険性があります。

ところが、多くの人が急ぐあまり、そういうやり方を教えてくれるトレーナーを好み、程度の低いレベルで仕上げてほうるのです。そのために中低音域の深い声や完全な再現性が犠牲になります。ただ中途半端な分、あまり過度に使わなければ、のどを痛めにくいのがメリットでしょう。高音については、高音で筋肉を鍛えるようなやり方は、かなり恵まれた人しかとれず、大半の人は、声をしっかりと扱うことから始めていくべきなのです。そうしないと、声質と声量が犠牲になります。

 

○声区は、ヴォイスレジスター

 

声区は、響きをあてるところの違いでなく、トーン(声質)でみてください。トレーニングでは、さまざまな方法もあり、言い方があります。

私は、ことばより実際に出た声からの感覚を優先させていますから、「声区」や共鳴腔に「当てる」「響かせる」という使い方は、さけています。出た声がどう音楽を奏でているかでチェックすることと思います。

声帯の使い方などの理論抜きに、声質をキープするため、浅く、広がらず、頭上から胸中のたての線上に声をとらえるようにして、あとは、歌唱時のフレージングで判断すればよいと思うのです。

高音発声も声量もシンプルに考えるようにすると、高いから弱く、細くなるのでなく、高低関わらず、太くしっかりした声の中でとります。同音や半音違いでも、音色を変えられるし、1オクターブ離れても同じ音色で歌えるのが理想です。

 

〇定義と逸脱

 

定義によるというのは、原語の意味と使用している実際の例が違う場合が少なくないからです。声区はヴォイスレジスターの訳語ですが、必ずしもそう使われていません。Keyもキィと調は別ですし、音程もインターバル、つまり、二音の隔たりなのに、音高(ピッチ)として使われていることが多いです。(音程を高くとか、音程が下がるとは、本来はいえない。)

トレーナーがそれを知った上で、違う用途で使うのは、やぶさかではありません。現場、効果が優先されるからです。

 

〇海外のオーディションの番組

 

「○○さんは、アメリカにいったら、どこまでいけますか」とよく聞かれます。「無理でしょう」と。いってもわからないから、向こうのオーディション番組の録画を渡して、「ここの予選で勝てると思いますか」と伝えます。そういうのをみると、案外とすんなり、納得します。

しかし海外である程度、評判を得たりやれている人がもし日本人としていたとして、日本に来たときに成功するかというと、これも違うと思います。

 

〇日本の閉鎖性

 

日本というのは、今や特殊なステージの作り方をしなければもたなくなりました。私がライブハウスやプロデュースに本腰で関わるのを辞めてしまった理由の一つです。

客の立場から見ていかなければいけないのは、やむをえないことですが、そこで本質が失われてしまう。本来はおかしなことです。

ヴォイストレーニングというのに、正解があるという前提で考えるのであれば、徹底して、誰よりもすごい声、誰よりもすごい歌のベースと考えればいいです。それがプロになる必要条件と関連しにくいのが今の日本です。

プロになるということと、ベーシックなことをやるということも、ダブルスタンダードで変えておかなければいけない。世界に通用する歌い手になるために、やるという思いは、よいのですが、そのことと現実的に日本でやっていく活動というのはなかなか一致しません。

 

〇才能とその変質

 

年に300人も入れ替わり立ち代りがあるステージで、年3千~5千曲、全部の歌を、私は15年ほど毎月聞いていました。その中には才能のある人も、向こうでも通じるのに近いという人もいました。

向こうに行けば、基準ははっきりします。日本にいたら、そこをいろいろと複雑に考えていかなくてはいけません。

わかりやすい例でいうと、向こうで歌っていた歌い手が日本に来ます。するとステージが変っていきます。声の力では聞かせなくなってきます。そういうやり方をしないと、日本ではファンがつきにくいからです。

 

〇ステージから動かす

 

本来、歌というのは、それだけで完結された作品です。レベルが高ければ、それに対してお客さんは感動するし、評価します。ショービジネスです。エンターテイナーとしての実力も、音声での表現力を中心とします。音声で完結されたものとして、一方的に発信され価値を生ずるものです。

日本のプロデューサーには、「インターラクティブ、お客さんを盛り上げてこそ、いいステージができる」といいます。しかし、それは結果です。

一体感も共感もステージから動かしていくものです。客によってとなると、そうでないお客にはどうする、ということにもなります。客にあわせたステージを目的にするから、分野別の肩書きのついた歌手になるのでしょう。

 

〇声の衰弱化

 

日本の場合は、共感の方が優先されています。

年齢と共に声を使わなくなってきます。20代くらいでハードに歌ってきた人でも、3040代で声が出ない、いや、ステージの要求としてそうでないもので感動させたり、聞かせるようになってきます。やらないのはよいが、やれなくなるのはよくありません。その辺がヴォイストレーニングをやる立場としてはややこしいところです。

こういう話は一般論ではなく、皆さんがヴォイストレーニングをやるのに、レッスンに来たときに、レッスンの位置付けとして、どう考えるかということです。自分がどう接点をつけるかが一番大切なことです。将来と合わせて考えてみるのです。

第14号「もっともよい声域を知る」

○高い声の発声の問題

 

原因の多くは、ヴォーカリストが高い音をしっかりと捉えて、歌えていないからです。表現から考えて、もっとも伝わる域で歌うようにキィがよいと思います。声域や声量での問題というのは、体という楽器をしっかりとつくっておくと、なんとかなるものです。そうなると、感情を表現できる声の出し方でことばと響きのバランスをとりつつ、音楽的にも成り立つところは、おのずと限られてくるからです。

きちんとやっていない人が、高音を出すと、それまでに片づけなくてはいけなかった問題が同時に複雑に生じます。喉を締め、首を締め、力で無理にあてます。音域が広がっては、また狭くなるという、繰り返し。そこから脱したときには、本人は習得したつもりでも、くせのついた発声になるか、あとに喉を痛めてしまう結果となります。ヴォーカルとして体が充分に使いこなせるだけの楽器になっていないと、どうしようもないのです。

 

〇低めのフレーズを使う

 

根本的に解決するには、自分が楽に出せる一番高い音から、二、三音(あるいは半オクターブ)下げたところを何度もトレーニングすることで少しずつ器を広げていきます。できないところをできるようにするには、できないところでなく、できるところでトレーニングすることです。トレーニングは、できないところでは、成立しないのです。

たまに、高音からトレーニングした方がよい人もいます。その方が声が丁寧に扱えるタイプもいるのです。高音であごが上がる人が多いのですが、あごをひいて、お腹に意識をおくことです。音が高くなるほど、意識は体の下の方へもっていってください。

高音の発声のメカニズムは、「声帯の振動での周波数…」といった解明がなされていますが、知識では、現実には無力です。歌は応用、応用されたものがよくなるように基礎を学ぶことです。

少なくとも、私はテノールの発声をまねして、それで歌いなさいとはいえません。テノールにも、発声しか聞こえない人がいます。声を聞かせることを歌と考える人もいます。

人が聞きたいのは演奏です。発声を歌に持ち込むのでなく、歌となるように発声を伴わせると考えてみてください。方法をやり方やノウハウとして単独で考えるのでなく、発声がそのまま歌唱・フレーズと思うと、チェックもしやすく、間違いも犯しにくいはずです。

 

○ハイトーンの声への挑戦

 

歌の勉強やヴォイストレーニングをしたいという人の大半は、まず、高い声を出すことを目指しているようです。演歌、ニューミュージック、欧米のロックなどの曲のつくりも、相当高い声まで使っているために、高い声が出せることが歌をうまく歌うための絶対条件と考えている人が少なくありません。何よりも届くかどうかは、チェックが簡単だから、挑戦しやすいのでしょう。トレーナーのサービス精神がそれに拍車をかけているように思います。

単に高い声を出すだけでしたら、さほど難しいことはありません。高い声で続けて練習していると、出るところまで出ていきます。しかし、それは歌うときに大して使えないことが多いのです。実際は1オクターブも聞くに堪えない声の人ばかりだからです。それどころか、喉を痛める原因をつくってしまいかねません。本当に聞かせたいならば、うまく出せていない高い音にとらわれすぎないことです。

 

〇自分に合わせる

 

個性を主張するのには、自分が最も歌いやすい域で歌うことでしょう。歌に自分を合わせるのではなく、自分に歌を合わせるのです。何年、何十年やっても、声の変わらない人には、高音を絶対視している人が少なからずいます。

日本人のプロには、中高生あたりのときから、高い声が出た(もって生まれた声が高めであって、こなすのに勘がよかった)いう人が少なくありません。トレーナーにはさらにそのタイプが多いのです。

トレーニングせずにできた人を、トレーニングの方法では越えられないし、努力して、いつも苦労して出すというのではかなわないでしょう。日本人は高い声について、歌唱力もなく、高く出るだけでも、認めてしまう傾向があります。

海外でもハイトーンヴォーカルは天性の人がメインです。努力で叶うものも叶わないものもあります。日本では、誰でも何オクターブも出せるようになるとか、高い声の出し方を売り物にしている人もいます。さまざまな方法も使われています。相手の資質、キャリアなどのわからない状況に、誤解、誤用になる高音発声法については、リスキーな応用か、あまり使えるようにならない応用になりかねません。

第13号「誤解の生じる理由」

○学び方のレベルでの限界

 

本を読んだ人の多くもミスを犯します。レベルが違うのならまだよいのですが、明らかな方向違いも多いです。つまり、そこで受け手の才能ともいえる学び手におけるレベル(これは、キャリアでなく、才能、勘のようなもの)が問われてしまうのです(独学の限界)。

たとえば、舌の使い方について。舌が長くて柔らかい人と、舌の短くて固い人なら、発声時に比較的のどの奥が自然とあく人と、逆に狭くなる人では、アドバイスもまったく変わってきます。

それを文字からつかむことで間違う、基準において勘違いしてしまうのです。その結果は、何年か後でないと言えないのですが。それでさえ、どこまで効率よく、最短で最高の効果に対し、できたかは比べる術がありません(ヴォイストレーニングの効果測定の限界)。

 

教え方のレベルでの限界

 

トレーナーから言われると、疑いもせず信じ込むのはいかがなことでしょう。この積み重ね、師→弟子→弟子の実体を伴わない、ことばだけの口移しの伝達が、真実の成果を損ねていきます(トレーナーの指導法でのことばの限界)。

右によりすぎたのを左に戻そうと、あるトレーナーが試みているなら、そこを、他のトレーナーがみたら、左にいきすぎているから右へ戻しなさいとなるでしょう(バランス優先か、個別課題優先かという問題)。また、ステージ(歌唱)をいつにセットするかによっても、大きく異なります(一通り仕上げる時期の問題)。

目標とともに完成した声のイメージも、それぞれのトレーナーで違います。さらに同じ完成のイメージの声であってさえも、それに至らせるプロセスや優先順位や方法は、トレーナーによって違います。それゆえ、どのトレーナーも、他のトレーナーの指導を受けた人や、レッスンを併行している人を好みません。

しかし、私などは、この少し考えたらわかりきったことに、トレーナーが甘えていることの自覚がないことの問題の方が大きいと思うのです。トレーナーの好みでヴォーカリストがつくられるのではないということです。

トレーナーは、第一に、最高の耳とともに、声に対して指摘できることばをもった最良の客であるべきだからです。そのトレーナーを離れたら、何一つやれない。認められないのでは、いったい何を得たといえるのでしょうか。 日本では、プロデューサーや演出家の耳の方がまだ表現を知っているだけ、トレーナーとして的確といえるようです。他のところで応用できないなら、基本の力がついたとはいえません。

 

○本当に大切な問題をどのように考えるか

 

ことばと実際にできている状態がどこまで対応しているかということになると、ことばでのやりとりは、およそ無効です。たとえば、この場合、二つの発声をきちんと高度なレベルで区分けして、できているなら、使い分けたらよいだけのことです。どう活かせばよいのかがわからないなら、自分の歌のイメージの不足なのです。

問題にすることが問題とは、こういう意味です。どちらが響いていようと、そんなことは歌という作品には関係ありません。

ほとんどのことは、対処マニュアルやメニュなどで正せばよいのでなく、本質的にはあなたの歌唱のイメージの問題、つまり、ここで述べた最初の段階(第一段階)の問題になるということがおわかりいただけたでしょうか。

「発声や響きから歌うのではない」のです。問われることは、人の心を揺さぶる表現がどう生じているかということです。たぶん、どちらもそうなっていないから、あまり意味がないのです。

 

〇真の声は迷わない

 

私は「迷わない声でも間違っていることが多いのに、本人が迷うくらいなら、すべて違うと思った方がよい」、それは「間違っているのでなく、深められていない」と思えばよいと述べてきました。すぐにできて、そのため深められなくなるのが、間違いであるのに、トレーナーにすぐできること、あたかも声にエコーをかけるようなことを望み、親切なトレーナーは、それに対応しているのです(トレーナーに即効性を求める誤り)。そうしないと、生徒の要求に応じられないから、彼らの立場もわかります。

ここで述べたことは、声楽家やヴォイストレーナーのやり方を否定しているのではありません。レッスンもトレーニングも、必要悪であるという私の観点から、誰にでも通じるように思われるマニュアルやノウハウの限界について述べたものです。発声やヴォイストレーニングは補強にすぎないことを忘れずに、それ自体に正解を求めぬようにと願いたいのです。あなたの夢は、声を共鳴させることではないでしょう。

 

〇トレーニングの目標

 

かつては、ここに演歌の人も多かったのです。当時は、レッスンのトレーナーは作曲家の人か、クラシックの人しかいませんでした。大体、作曲家が教えていました。音楽を分かっている人があまりいないので、作曲家が自分で曲を作って歌い手に教え、デビューさせていました。演歌のほとんどがそうでしたが、その流れはなくなってきました。ジャズがそういう形で生き残っています。

ますます、いったいどこに対して、ヴォイストレーニングをするのかという目標が、取りにくくなってきています。

 

〇教えることは伝承ではない

 

ヴォイストレーナーも多くなり、いろんなトレーナーもきます。

声は、相手にもいろんな問題があって、一人の専門家だけでは対処できないものです。私も医者や声紋分析、語学音声学の学者も含めて、情報交換しています。それでさえ、どうしても分からないことがたくさん出てきます。

およそ多くのトレーナーは、自分がやってきたことをやればいい、自分がやれたから、他の人もできるだろうと考えます。

しかし、十年くらいやっていれば、実際にはそうではないということはわかるでしょう。10年、20年見ていると、結果が出てくるからです。

プロになりたい人にとっては、歌がうまくなるとか、声がよくなることでなく、結果ということであれば、プロになれたかどうかに帰結するのです。

少なくても自分レベルで基本ができている人が、千人くらい出てきたら、1ステップ上にノミネートされるというレベルで私はやっていました。

試行錯誤で体制を改めつつ、いつも変えていきます。

個人レッスンでやっていますが、歌のヴォイストレーニングの割合が半分、役者さんや声優さん、あるいは一般の人のほうが声に関して厳しく求めるようになってきたのを感じます。

 

〇トレーナーとの接点をつける

 

あなたがヴォーカルであるなら、めざすヴォーカルとして必要なものをはっきりさせていかないと、ヴォイストレーニングとの接点がつきにくいです。トレーナーと、接点をどうつけるかです。

どんなトレーナーでも、接点のつけ方を変えていけば、学べることはいろいろとあります。最初は合わないようでも続けていることで、大きな効果を出している人もいます。

相性の問題や好き嫌いの問題が、障害になっていることが少なくありません。ここは10数名のトレーナー体制でやっていますから、よくわかります。トレーナーが合わないことで変えることもあるのですが、合わないといわれてしまうトレーナーの方が、何人も高レベルに育てている場合も多いのです。

結果として、判断していく、それは本人にはわかりにくいことです。

第12号「高音域にとらわれないこと」

○声の高さから考えない

 

最初は、あまり声の高さということを考えない方がよいでしょう。何かを相手に強く訴えたいと思ったら、声は高くも強くもなります。そして本当に説得しようとしたら、低くなるわけです。それは結果として決まってくるのです。そういうことを方法論だけから考えるのは無理があります。

トレーナーに習うと、多くの場合、その方法論からのメニュを一方的に与えられます。自分が本当によい声と思っていなくても、それをやることで制限してしまうのです。そうして、おかしくなった人をたくさんみてきました。

たとえばテノールの発声でロックを歌う人は、いないでしょう。テノールの発声の勉強をする必要があるかどうかも、考えるべきことですが、やってみる分にはよいでしょう。

 

○高音発声法での誤解

 

高い音が苦労しないで出る人には、ちょっとしたコツで浅く口先だけで響かせて歌っている人が多いのです。そのため、出ている響きが拡散して、まとまりに欠けます。あるいは、やわらかく抜いて高い音に届かせています。どちらも、体の支え、胸での声のないのが特徴です。実際には、胸部の共鳴はしていなくてもよいのですが、多くのトレーナーの教えているのが、この浅い高音です。

そのメリットは、すぐに高い声にあてられるようになることです。カラオケのようにエコーの中で高音に届けばよい人には、効果的です。

そこからパワーを出すには、どうするかを考えてください。響きをより集約させることと、深い声を探求してみてください。

何でもやってみるのは悪いことではありません。やりやすい方法でやってみるのもよいでしょう。きっかけを得たり、あとで効いてくるかもしれません。応用してみるうちに柔軟性が高まったり、気づいたりすることもあるからです。人によって、よしあしは違います。

高音を学びに高音のヴォーカリストの元に、多くの人がいっていますが、結局、生来、高音のヴォーカリストに、根本のノウハウはありません。生来もっている声がそこになければ、さしたる効果をあげないのです。

最近のトレーナーの本には、高い声を出すことについてのしくみやその鍛え方が丁寧に書いてあります。これにも多くの勘違いがあります。メニュをみても、その高い声を出してトレーニングすることができるなら、最初から出せているのです。それは少なくても高い声を出せるようになるトレーニングとは違います。すべての人の声区やチェンジのポイントを一つの音高にしている乱暴な教え方もあります。人それぞれによって全く違うし、曲や歌い方によって異なるケースも少なくないのです。

 

○声をそろえる

 

苦手な母音は、どうしても響かない声になってしまうものです。こういう場合、弱点をなくすより、できているところをより厳しくチェックして、完成させていく方がよいでしょう。他の条件が宿るまで放っておくのも、一つの方法です。もっとも出やすい音(発音、音高)で、トレーニングしてみてください。

ほとんどの場合は、根本的な問題として、体からの深い息づくり、深い声づくりができていないからです。これには、ブレスのヴォイストレーニングから徹底してやりましょう。共鳴を頭部、胸部と分けるのでなく、そこに一本の線があって、喉にかけずに自由にバランスを変化できるようにイメージしてみてください。

 

○響き、共鳴をつけるということ

 

歌うときに、胸の真ん中と軟口蓋を意識して響かせるのか、それとも眉間に響かせて意識して歌うのか。この問題は、歌唱発声について、簡潔にしか答えなかった私の真意を説明するため、意図的に詳しく解説してみます。

教科書的に答えるなら、低い声は胸声、高い声は頭声で眉間や頬骨などを意識してくださいということです。でも現実面、相手の状態をみないで与えるアドバイスは一般論にすぎず、すべて有効なのは各論(個人別のそれぞれの問題に対するそれぞれの対処法)でしかありません。やり方に対して、やり方を考えて、複雑にしていくのはおかしいのです。

まず第一段階として、体(発声原理)に基づいた回答でよいのか、どうかです。ポップスのヴォーカルや役者にとってのめざす声のイメージは、このような質問のベースとなっているクラシックと異なるものであることが多いのです。クラシックでも、全く異なる見地の人もいます。つまり、その人の目標として、何をめざす声なのかから、切り離せないのです。ところが、本によるメニュやそれを使った独学のヴォイストレーニングのレッスンによって、多くの勘違いが生じています。

軟口蓋、眉間に響かすなどということばは、たぶん、声楽家やトレーナー、もしくはその類の本から得た受け売りでしょう。それに従って学ぶこと自体が、目標においては、正しくないこともあります。つまり、こういうステレオタイプから、一流のポップス歌手は生まれ得ないということです。

次に、主としてトレーナーの述べるこういうことばがどのくらい妥当性があるかということです。まずは、どこかに響くという感覚を、どう認知したかということです。同じ発声でも、個人によって認知の仕方は違います。同じ状態を頭のてっぺんと思う人も眉間と思う人もいます。それをトレーナーの指摘することばで覚えるからです。

そのように、多くは同じことばが使われながら、行われていることが全く違うケースは、少なくありません(認知の問題)。まれに、ことばが実体を伴わず、明らかに誤用されても、マンツーマンで指導が理想的になされている例もあります(二者間伝達におけることばの実体の意味のなさの問題)。

第11号「オリジナルの発掘」

○才能と勘

 

何ごとも、才能がいります。誰でもなんらかの才能はあり、それを生かせる人生は輝きます。才能をものにするにも認めさせるのにも、それなりの努力も必要です。

しかし、それをとことん試すための試練も与えられずに、楽しくやっているうちに歳月が過ぎ、才能がなかったと本人が諦めていくケースは少なくありません。それをトレーナーが引導してはならないでしょう。

才能は、楽しいレッスンで輝くほど甘くはありません。それは必ずしも、歌の世界だけとは限りません。当人のために、あえて、レッスンを引き受けないという選択もあるべきです。

私は、自らの才能を音楽を聴き、判断し、声にみて導くことに見出せました。歌い手には私よりも才能があり、そういうことが大好きな人に委ねます。私の知人にはプロ歌手として、二番手に売れっ子だったのにやめ、プロデューサーとして大成した人もいます。

プロ歌手として成功するかどうかなどというのが目的なら、1000人のうち999人が挫折します。無理だったとか夢だった、運がなかった、向いてなかったということになります。そんなことでトレーニング期間が費やされているのは、もったいないと思います。その期間の充実が、そこに賭けたエネルギーが、あなたの人生で次に活きるようになっていくのです。もちろん、それはあなたのとりくみ次第です。

歌や声は、それでやれるとか、やれないとかいうものではありません。声は、人生で命を失う日まで使います。もし、ヴォイストレーニングをして、人生が好転しないなら、何の力がついたというのでしょう。私はそういう声の大きな力を、信じています。いくら声の知識、発声がうまくなっても何にもならないとしたら、ヴォイトレのせいでなく、ヴォイトレにとらわれ、使えていないのです。自分を知らずにはうまくいかないということです。

 

○話す声と歌う声の違い

 

話す声と歌う声が違うのかという問いは、何で分けるかという基準と定義で変わるだけのことです。歌は音域やリズムを生かすように、話す域よりは高めにとります。

発声は、声がきれいに響けばよいと考えます。すると、歌っていて何を言っているかわからない、歌(響き)に流されてしまうことになるのです。これが合唱団、音楽スクールで発声トレーニングをした人、トレーナーなどに多いのは皮肉なことです。発声トレーニングを習ってきた人ほど、歌い方にトレーニング臭さが出ます。

私は、トレーニングの立場からは、話と歌の声を同じに考えています。自分の声は同じように使っているつもりです。美しい声や共鳴より、パワフルでタフな声をトレーニングの成果とするのは、素質より、鍛錬の力にトレーニングが負うからです。

 

○体格や外国人とのギャップ

 

演劇の日本語は、欧米からみて音楽的なものではないために、日本語とまったく違う発声をしなくてはいけないと考えている人もいます。これは、おかしなことです。

歌での外国人との違いの何よりも大きな原因は、日本人の今の音楽が、欧米の言語にベースをおいたものだからです。外国人は、話しているときの声とリズムのまま歌に入っていけるのです。

トレーニングとしては、日本語と違っても、もっとも有利な発声をして、あとは何でもできて、使うときに自由に選べばよい、そうなれば、おのずと応用力のあるものが選ばれてくると思っています。その有利な発声を深いポジションでの外国語(特にイタリア語)に求めるところは、声楽と同じ考え方です。

 

最近は、体格、骨格や背の高さなども外国人と変わらないようになりました。きちんとした発声を身につけることができれば、同じように声が出せるはずです。ただ、声を引き出すのは、必要性ですから、文化、環境の問題の方が大きいのです。邦楽では、80歳でも朗々とした声を出す人もいます。

 

○自分の「オリジナルの声」とは

 

プロの鍛えられた声というのは、すぐにわかるでしょう。かつて、声は歌唱や演技の重要な要素として、喉を鍛えたのです。その結果、プロの声となったのです。

声帯や体というのは、誰一人同じ人はいません。それぞれにめざす声も、声の使い方も上達のプロセスも異なるといえます。そこでは、一つのトレーニング方法が万能というわけにはいかないのです。その人によって、時期によって、目的によって、優先順位によって、すべて変わるのです。

しかし、多くの先達の方法や、私自身の経験、100100様に対して、対処してきた中から、ある程度、共通したものはあります。

「オリジナルの声」というのは、ヴォイストレーニングに関して、私が使っている意味でいうのなら、その人の体(声)の原理から導き出されたものです。楽器なら、もっとも共鳴する音、何も邪魔しないで共鳴する音、そういうところが働いて鳴っている音をオリジナルといっています。

自分で考えて勝手に作ったような声ではありません。演奏効果として歪(ひず)ませたような独自の音、色、タッチであったとしても、ここでは除外します。自然な声というと、そのままの素の声と思われるので、造語しました。 

他に「ベターな声」(今のもっともよい状態の声)、「ベストの声」(将来の鍛えられたプロの声)とも言っています。もちろん、一般的にオリジナリティというのは、音色や演奏方法も含めて言います。

第10号「一人よがりにならないために」

○うまいのに伝わらない

 

私は、うまいのに何となく腑に落ちない、伝わらない歌をたくさん聞いてきました。多くは本人も知らないまま、真似が抜けていないからでした。もちろん、真似ていなくても(CDなど聞いたことがなくても)そっくりになってしまうこともあります。音楽をすぐれたレベルで奏でると、共通するところがあるからです。

 

しかし、誰にも地に足がついている、まわりがどうであろうと、時代や世の中が何であろうと、それを超えて輝くオリジナリティは潜在的にあるのです。それが、自分(声、体、性格、ルーツ、信条、生き方)を核にした、こだわり、深く練られた作品となっていくようにしているかどうかなのです。もちろん、同時代で誰一人認めないものとなると、絵画などではともかく、歌では成り立たないでしょう。

 

○感動するための3つの要素

 

私は、才能とは「入っているもの以上によいものが出てくること」と思っています。よいものとは、「新しいもの」「おもしろいもの」「変なもの」、そして「すごいもの」です。音楽の中でことばが使え、人間の声で表現する歌は、絶対的に強いのです。しかし、ことばと声の二つが、日本の中で「ミュージシャンとしてのヴォーカリストの実力」を曖昧にしてしまった要因のように思います。(そんなことでみる必要は日本ではないゆえ、日本では歌は厳しくない、ということになるのですが。)

 

○うまいのに感動しない理由から考える

 

「新鮮で、おもしろく」となるためには、その人個人の魅力や持ち味があること、さらに、「すごいもの」となるには、高い音楽性が必要です。歌い手が伝えるのは、声や歌でなく、それにのっている思いであり、音楽として作品に値するイメージや感覚です。

 

○自分の歌う声の適性と好きな声が違うとき

 

ヴォイストレーニングは、自分のベストの声を出すための探究と鍛錬です。嫌な声は発声の理や使い方からそれていたり、磨かれていないことが原因です。それをトレーニングしていく。それでも好みに合わなければ、私はやはり持って生まれたものを最大限生かす、つまり、オリジナリティを選びたいものです。

しかし、日本人はやはり横並び、自分にないもの、あこがれた人のものを求める場合が多いようです。これも最終的には、本人が決めていくことですが、ただ、よい声が出せるというだけの人なら、けっこういるのです。

 

○間違えないトレーニングをするには

 

人生、二度と同時期を試せません。よく、「ずっと間違ったトレーニングをしたが、やり方を変えたらうまくいった」という人がいます。私にも、そう感謝してくれる人もいます。しかし私自身、誰よりもいろんなことを試し、続けてきてわかったことは、誰もが同じ条件で、同じ方法をやっているはずがない以上、質のかけあわせと、あとは目的のヴィジョンとイメージ力と意志の強さだと思うにいたりました。

私自身は、よい方法でやったからこうなれたのではない。また、私の発見した方法がよかったから、すべての人がこうなれたるのではない。こうなるのがよいとも限りません。

トレーナーには、自分一人の効果をもって、論じる人が多くて困りますが、いろんなことを声で試し、しかも長く生きてきた心身は、すでに初心者のもつ条件と違うのです。何ごとにも、こうはいえます。私ほどにやったら、どんな方法であれ、私以上にはなれる。そこまでするかの勝負なのです。

自分がやった方法がもっとも効果があったと思い込むから、トレーナーをしたがる人もいるのです。それは、もっともよさそうに思えて、困ったことです。

安易に自分のレベルを目標のようにして、楽に効率より早く間違えないでそこまで効果があがるようにうたうのも、生活のため、背に腹は変えられなくなっていく。でも、「方法を教える」のは、すでに違うのです。

 

○ギャップを明確にする

 

私がベテランのヴォーカリストとレッスンするときは、ギャップを明確にするそのために、わざとテンポダウンやフレーズを伸ばしたり、大きくしてもらったりします。すると、本人の限界がみえてくるので、そこを強化し器を大きくします。

たとえば、フレーズ間を0.5秒で歌わなくてはいけないところを、プロなら口先でたやすくカバーしてこなします。私は、その人の呼吸の流れとしてもたせられるまで、2秒かかるなら、ずっとそこでやります。やがて1.5秒、1.0秒と感覚と体が伴ってきて、0.5秒にまでなるのを待ちます。

トレーニングにおいては、何よりもそのプロセスを大切にします。そこで、どれだけ手間をかけ厳しくやるのかが、結果に表れてくるのです。表現として成り立っていることが、曲よりも優先すべきだと思うからです。そこにイメージと体(息)が足りないため、声のコントロールが欠如しているという事実がつきつけていたらよいのです。これこそが、よりすぐれている人との差であり、間違いということではないのです。むしろ、バランスがとれていてうまいと評されるから、分かりにくいのです。

 

○トレーニングで声は変わる

 

トレーニングをすれば声も歌もよくなることを私自身、結果として、出してきました。しかし、それを世の中の人が必ずしも求めているのではありません。

あなたの声も歌も身内以外、誰も求めていない。人々は、自分にもっともパワーを与えてくれる人の声を求めています。

声や歌がよくても、何らそれを使えなかった人もいます。才能でしかやれない世界を甘くみて、長くやったことで満足する、まわりにほめられ、すぐに慢心するからです。やったら、やっていない人よりやれるのは当然です。

一方で、声が無く、歌がうまくなくても、多くの場で仕事をもらい活動している人もいます。仕事がきてプロといいます。力がつくとか、やれるとかいっても、誰もが声が出せ、歌も歌える世の中です。現実に客がいるか、ヒット曲があるかで問われます。

トレーナーがやることは、うまくなることでなく(そのくらい自分でやりましょう)、声をプロにすることだと思っています。そうでないと、ますますトレーニングの目的があいまいになります。それが歌や芝居でなくても、もちろんかまいません。

立川談志師匠が「仕事がくるのが偉い」、「CDも何でもあるんだから、師匠は教えることはない」と言っていました。彼の弟子がもっとも多く第一線で活躍しています。

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