1.ヴォイストレーナーの選び方

第7号「知識や理論に振り回されないこと」

○中途半端な知識、理論が邪魔する

 

 昔、私の講演にきた、ある専門家が、「ピアノの真ん中の音は、なぜ人間の話す声の高さと同じなのですか。」と聞くので、「私は人間がつくったから」と、答えました。

なぜピアノが両手で届く幅しかなく、20オクターブものピアノを作られないのかは、わかりますよね。勉強熱心な人は、このように、ものごとの正誤だけを求めて、本質を見失いがちです。これについては、「バカの壁」(養老孟司著)でも読んでください。そこには、個性は、頭でなく、イチローや松井秀喜、中田英寿選手のように、体に宿ることを説いています。

 

 なまじ知識や理論は、実践という見えないものをみる力、聞こえないものを聞く力が問われる現場では、邪魔にさえなります。人間が人間に伝えるために、長い人間の歴史の中ですぐれた表現者は、常に科学で捉えられぬことをやってきたのです。

どうして、頭で一秒に何千回も開閉、振動する声帯をコントロールできますか。

理屈でなく現実の人間の声で、世界中ですばらしい作品を生み続けてきたのです。

 本気で相手に伝えようとしたとき、人間の心から体、息、声、ことば、音色は、もっとも効果的に働きます。つまり、人間が本当に伝えたいときに伝えてきたものを、大切に受け止めてきたDNAに反応したもの、それが結果として目指すべき表現なのです。

 

〇分析は何も生み出さない

 

 よいものの要素分析はできますが、分析からよいものは生まれません。

この例は、正しい発声法をいくらそのしくみから解明しても、万人に効果のあるトレーニングにならないことに、顕著に現われています。間違いを防ぐために使われる科学的な理論などは、正しさを求めるところですでに土俵を間違えています。時代とともにある声は、未来の先取りしたアートと現実の社会の聴衆とともにあるからです。

 

 私はレクチャーで時に実例を見せます。こういう発声、ひびき、歌は、一見もっともらしいけど、嘘っぱちですと。なぜなら、私が伝えたい思いを持たずにやったからです。その結果、テンションは落ち、部分的にしか体が働かず、心が死んでいるからです。この声をとてもよいと思われる人がいるかもしれません。とても大きいかもしれません。でも、大きさとか声質しか伝わらないでしょう。皆さんは、これを技術とかキャリアと思ったかもしれません。しかし、伝わりましたか、感動しましたかと。

 

 ヴォイストレーニングを長くやれば、このくらいは数年で何割程度の人はできるようになります。だからって、これだけでは何にもなりません。

目的や方向を今一度、考えてもらうためです。声楽に学ぶのは有意義ですが、声楽家もどき声を目的にしないことです。イメージすべきことは、一流のプロの演奏レベルの声と歌唱力をもったとき、あなたはどういう世界を作るのか、ということです。

 

 お金があっても、使えない人にはお金は無価値で、お金を得ることを考えるのも、意味がありません。行動したら、お金は動きます。今のお金を最大限に使える人は、また大きく使えるだけのお金も得られるのです。この、お金のところを声に置き換えて考えてみてください。

 ただし、その上で何もわからない場合、数年かけて、声量や声質だけでも他の人に認められるキャリア、技術を先に得るのはムダなことではありません。それこそ、ヴォイトレの基礎なのですから。

 

〇すぐれたアートとハードトレーニング

 

 本当に人の心に働く声は、あなたの内面からしか変わりません。外面から変えるマニュアルや方法は、ただのきっかけか、一時しのぎにすぎません。もちろん、それも使いようによっては有効です。技術やスキルともなります。

 すぐれたアートが出てくるには、あなたの中にすぐれたアートが宿ること、あなたにアーティストがくれたものが、あなた自身とのコラボレーションによって、次代のアートがあなたに引き出されてくる、そこにしか真の可能性はないのです。

 

 昔から、私が述べてきたことがあります。「ヴォイストレーニングだけを考えると、おかしくなる。ハードにやるとのどを壊す。しかし、ハードにやらなくては身につかない。壊れないためには、音楽を入れておき、ギリギリでリスクを回避できるようにしておくこと。」

 これはトレーニングだからです。できたら、10年以上時間をかけて、ハードにやらずに身につけば、もっとよいのです。

声はやるべきことの10分の1に過ぎない。しかし、確かな10分の1は大きい力となる。ということで、

今も同じことを伝えているつもりです。

 

 科学(音響学)、医学(生理学)的な分析や客観的事実の限界は、そのことが真理であっても、人間が感じられたり、心を動かすものにならないということです。たとえば、声の強さは、声量(と人が感じるもの)と違います。

ピアノのダイナミックな表現も、腕力の強さや音の大きさでなく、タッチのメリハリ、速さ、鋭さ、ドライブ感から人の心に訴えかけるのです。

 

 案外と、声のヒントは、現実社会の人間の間に落ちているのです。

正しい発声法で歌えば、人に伝わるのではありません。テノール、ソプラノ、あるいはアナウンサーの発声が正しい発声の見本でしょうか。

 発声は、きっかけに過ぎないのです。心の表現が、発声を高度なところまで、そして完成を求めるのです。そこにヴォイストレーニングが必要なのです。そして、この入り口には、出口が必要なのです。

 

第6号「理論と実際の現場での違い」

○価値あることの演出と鏡のトレーナー

 

 トレーニングの考え方や方法に対し、科学や医学、身体学などの進歩は、マニュアルの誤りや誤解、誤用を解くヒントを与えてくれます。

私は、当初からプロとやってきましたから、自分のできることが必ずしも相手ができるわけではない、相手のできることが、必ずしも自分ができることではないということを痛感してきました。そのために、相手が価値あることができることが、最重要であるということを基本の考えとしてきました。自分と違う相手、違う目的の相手にどう対するかということです。自分と異なる時代や場に出ていく相手に対して、どう把握するのかを考えるわけです。

 

 多くのトレーナーの、自分にできたことを相手に、いかに早く簡単にできるように伝えるかでは、本人の本当の力を引き出すことはできません。少々うまいといわれるところまでもっていけても、そこまでです。第一線の現場に通用しないし、そういうプロを支えることはできません。

 

私自身はもっとも厳しく声で伝わるものを聞く“鏡としての役割”に徹してきました。自らも客観性を求めるため、専門家と声の分析も行なっています。

 とはいえ、いつになっても、私はデータ(仮に真理だとしても)を、自分の感覚よりも信じることはないでしょう。専門家と共同研究を続けながら、私は自分の耳を、これからも世界中をまわり、音や声でもっともっと鍛え続けていくつもりです。

 なぜなら、現場で私に問われることの目的は、声を正しく出すことでなく、結果的に、声で人々に感動を与えることだからです。それを自分の耳で聞き分け、誰よりも厳密に判断し、アドバイスすることだからです。

 

〇指導者の生む誤り

 

 私は単に呼吸法や発声法でなく、音楽や表現として、どう声を捉え、導くかを主にやっています。この分野は、まだまだ未開で人材も乏しいと思います。

 これまでの科学的な説(仮説を含む)や声楽家やトレーナーの指導書、方法論こそが、多くの誤りを生む原因にもなってきました。これもイメージを介しての指導であれば、端から記述されたことで正誤を判断すればよいというものではありません。

 

 声や歌は個人差(民族、言語や文化の違いも含めた上に)体や声帯の差、日常の言語や歌唱で得たものでの差、目的の違いが大きいからです。

さらに、声の発信体としての研究だけでなく、声の受信体(客の反応)としての研究も必要です。(音楽心理学や大脳生理学、音声知覚など)とはいえ、次のようなことが前提として、あるといえます。

 

1.スポーツのように、目的が一定でなく、個別の設定によるため、真似から正しく入りにくいこと。

2.目に見えない音であるため、耳にすぐれた人でないと、難しいこと。

3.指導上の感覚・イメージ言語の誤解、継承、解釈、使用の誤りが必ず起きること。

4.現場と研究との乖離、日常と芸術、舞台との距離があること。

5.音響や舞台装置など応用技術効果の導入で、表現の到達レベル、基準があいまいになったこと。

6.舞台、ショースタイル、客の趣向で大きく左右されること。

7.本人の生き方・考え方・パーソナリティが優先されること。

8. 才能より好みが優先してしまうこと)が優先されがちである。

 

〇常に表現、ことば遣いの修正の必要性

 

 私は、引用していた図表や理論、他書や他の方に教わった方法・用語を新しいものへと、差し替えてきました。私自身が直感的に述べてきたところは、今のところ、大きく変更する必要にせまられていません。それでも、思いがけなく、誤解を与えかねないところをみつけては、表現上の修正を常に重ねています。

 

 私の根本での考えは、同じですが、伝え方は日々変じています。相手により、時代により、違ってくるのです。

 現場と理論では、現場での効果が優先です。アーティスト相手の仕事である以上そうなります。トレーニングにどう対するかは、ケースによってまったく異なります。同じケースで全く逆の対応をすることもふつうにあります。

 

〇早くうまくなることのリスク

 

 たとえば、一時悪くなるけど、あとで効いてくるものと、一時、効果は出るが、大してあとも変わっていかないものがあります。これに関しては、トレーニングとして、前者をとるべきですが、なかにはそれを一時でみて、間違ったとか、下手になったと見切ってしまう人もいます。また、現場では後者をとらざるをえないことがほとんどです。そのため、いつも二段構えで臨みます。トレーナーが、この区別ができているのかがもっとも重要な点となります。

 

 スポーツのように、コーチに言われたようにやったら新記録とか勝ったというように、結果にすぐには還元されないし、試合もないから明らかな結果というのも難しいのです。結果がよければすべてよしという結果が公の場でなく、個人の感覚や好みで判断されるからです。レベルの低い日本では、長期的な成果は、促成栽培的な効果のまえに否定されがちです。結局、声も歌も、所詮、本人が選び、本人が決めるのです。

しかし、アートですから、教えるのでなく、刺激すること、気づかせること、自分の声の可能性を認識させることが、トレーナー本来の仕事だと思うのです。

 

 本人の要望に答えることと、それ以上の深い真理へいざなうことを、矛盾させないためには、神(この場合、一流のアーティスト)の手を借りるしかありません。

そのことのわかるアーティストとのトレーニングを行なってきた実績をもって、私は確信をもって述べているのです。プロは、投資分を必ず回収する力を持つ人です。力のある人はいわずともわかるのですが、それを一般の人にどう持っていくかは、難問です。本当に効果的な方法は、単独にあるのでなく、トレーナーと一体なのです。

 

〇科学的説明の限界

 

 たとえば、いかに高音が周波数で決まるから、そのように声帯の振動をどうこうでしょうといっても、人間が反応する高音は、音響技術のようにはいきません。

私たちは、現実には次のように声を使っています。表現として強めたいとき、息は強く吐かれ、声も強くなり、高くなり、それが強く伝わる、何よりも受け手は、それに反応してきた現実の生活と歴史、つまりDNAがあるのです。

 

 声の高さは、まだ比較的確かなものですが、そこでさえ、声帯の周波数ほか、いろんな要素で決まり、そのしくみも厳密には解明されているわけではありません。

周波数(音高)とピッチ(これは受け手の感覚値)も違うわけです。

倍音や音色などの要素が入ってくるので、複雑です。

 

 しかし、現実に、聴衆は声の高さや大きさ、長さを聞きたいわけでも、それに感動するわけでもないのです。現実の声の効果を聞きたいのです。

それゆえ、声の問題は、総合的に捉えざるを得ません。これをいくら基本的な理論や知識で理解しても仕方がないのです。つまり、声を高く出すため、などという問いは、歌を形(1オクターブ近く、高く出し、メロディと歌詞で歌うもの)と決めたところからきているのです。「高音コンクール」などがあるなら別ですが、それを目的にすることで、すでに本当の目的を飛ばしているのです。

第5号「力をつけるための基礎の徹底」

○効果を出し、力をつけるトレーニング

 

 養成所が与えられるものというのは、本番以上に厳しい場とそこで耐えうる習慣だと思います。伝わる、伝わっていないというのは、否応無しにわかってくるところでなくてはなりません。とことん音声に敏感になれたら、ということです。そうやって、ようやく自分の基準ができていきます。

 

 私のいいたいことは、読むことと実行できることは違います。そのことばの意味することがどういうことなのかということを、レッスンの場から気づいてこそ、効果につながるのです。

 トレーニングをやって何の意味があるのかと考えるような人もいますが、力をつけることで意味が見出せてくるのです。

習いに行かなくとも、それ以上のことをやっていて、それなりのものを作っている人はいくらでもいます。それを前提に考えなくてはいけません。今うまくできないとか、まだやれていないということは、気にすることはありません。

 

○あなた自身の声、そして歌に気づくこと

 

 自分のものがいつ出てくるかというのは、誰にもわからないのです。

続けていくには、手間ひまをじっくりとかけることです。そのことを最優先して生きることです。作品そのものからインスピレーションを得て、トレーニングの方法を自分で発見し、それを実践して、常にレッスンの中で問うていくことです。

 

 レッスンであっても、「その歌」を歌うのではありません。もし「その歌」から学べるものを全て学んだら、「その歌」にはなりません。「あなたの歌」になり、「あなたの声」に「あなた」が現れて、はじめて伝わります。

 

○徹底した基本のマスターを

 

 発声なども、1曲を繰り返し徹底してマスターすれば、ほとんどの問題は解決するはずです。もちろん、何事も発声法だけで解決するものではありません。

複合的なものを入れては出して、繰り返すのです。いつかそれを忘れたときに歌が出てくるのです。だから、発声と音楽たるものの基礎を徹底して、自分に入れておくことです。

 

 曲を本当に聞くことができているなら、一曲の中でリズムトレーニングも、音感トレーニングもできるのです。それが聞けない時期は、トレーナーについて、別の方法で音感、リズム感などを磨いていくこともあってもよいでしょう。そうして自分なりに、自分の方法論をつくってください。

 

○トレーニングで本当にやることとは

 

 トレーニングでやることは

1.長期的に身になること、今すぐ役立つものではないこと

2.やがて過酷な状況でも、のどが耐えられるようにしていく(鍛えてタフに、使い方を知ること)

 そのために、レッスンでは一人では、できないことを気づき、自ら、やりにいくのです。

 

 このように、あとで効いてくることをやることがトレーニングなのです。

 参考までに、中川牧三氏の言葉を引用させていただきます。

聞き手は心理学のオーソリティ、河合隼雄氏です。(「101歳の人生をきく」中川牧三・河合隼雄著 より)

 

河合:合唱団なんかも、ちょっと特別なものと違いますか。一糸乱れぬようにパーッとやって喜んだり、むずかしい曲を必死に練習したりして。

だけど、自分の身体からほんとうに声が出てきて楽しいという感じじゃなくなっているのが多いみたいに思うんですけどね。

 

中川:悪口のようになるから言うのはいやなんですけど、いまのみなさんの勉強のしかたには多くの問題があるように思います。世に蔓延する偽者(技法)に騙されてはいけません。それに近道を望んでもいけません。

レコードを、エンリコ・カルーソーのにしても、レナータ・テバルディのにしても、ほんとうに偉い人の歌をよく聴いてみてください。けっしてみなさんがやっているような声で歌っているわけではない。それがすぐわかるんです。

 

この歌をカルーソーはどう歌うのか。ここまでポジションをもちあげて、その次にここをゆるめて、この場所に入れる。それから曲芸を見せて、ウーッと・・・。真の芸当ができるのは真の力のある人だけです。

それに、この正当なベルカントの発声法は、ただ練習を熱心にしたからというだけでできるわけではないんです。

 

河合:それはしかし、音楽だけじゃなくてすべてに通じることですね。

いまはやっぱりみんな慌てるから。本当の先生は時間がかかるんですね。

 

中川:時間はかかります。

 

河合:パッパーッと真似して、「ここまで」とか「これで」と言うんやったら、これは方法があるんです。そこまで到達するなら、わりと簡単な方法があるんですよ。

それにいまの人たちは、歌だけじゃないですよ。あらゆる世界で、みんなマニュアル方式で「ここまで行きましょう」と。

それでちょっと才能のある人は、それにプラスして勝手にミックスしてやっている。

そういうふうな格好がものすごい多いかもしれませんね。

 

中川:そのとおりです。

 

河合:それをもういっぺん、ほんとうの先生から、人間から人間に、と。これは歌の世界で言っておられるけど、あらゆるところに通じることじゃないですかね。

現代の大問題。それは機械でパッとわかるということと同じで、要するに、要領のよい方法であれば、ここまで行きましょうというのは、ものすごく発達してきているわけです。

 

中川:あらゆる分野で。

 

河合:また、若い人はすぐ、「先生、どうしたらそうなりますか」と訊くんです。

 

中川:よく訊かれますねえ。

 

河合:その問題がすごく大きいことかもしれませんね。で、生の、生きている人と生きている人の関係というのが少なくなってきて・・・。

 

中川:イタリアでも発声レッスンの場合、習うほうにしてみればもの足りないんです。

それらを積み重ねて紙一重の違いを見極めていく忍耐がいるんですが、でもいまの人は、じれったいんでしょう。それから、曲をちっともやらしてくれないから、おもしろくない。それより、一つの曲を二回歌って、克明に直してもらう「曲づくり」のほうを喜ぶ。それでは何にもならないんだけど。

第4号「まねすることとトレーナー」

○トレーナーの声や歌手の声をお手本にすることについて

 

 コピーできるのは、あなたが素人なら、素人でもとれるところ、つまり、真似てはいけないところの方が多いのです。感覚と体がプロのレベルでないと、見えないところ、聞こえないところ、つまり肝心なところは盗れないのです。盗れるなら、同じように発声もでき、歌もすぐ歌えるはずでしょう。

 

 トレーナーの声の見本は、声帯や体が違うのですから、参考にとどめることです。もちろん、声楽や邦楽では、徹底的に時間をかけて見本となる人を写しとります。その後、同じようにコピーしても、完全にはとれないところに、個性をみつけていくという方法もあります。

しかし、トップスターのコピー方式は、二代目、三代目と器を小粒にしてしまいます。トレーナーの声を真似るまえに、一流ヴォーカリストの、声の使い方に直接学ぶべきでしょう。

 

〇一声と三つのくみたて

 

 独自の個性で売れているプロのヴォーカリストに声を学んでどうなりますか。ファンは嫌がります。ファン以外はもっと聞かないでしょう。

一アーティスト、一声なのです。真似は、使いようによっては、最短の方法ともいえますが、場合によって、かなりリスキーなやり方といえます。似ている声の歌手やトレーナーほど、真似やすいため、上達したかのように勘違いしやすいのも、問題が大きいです。

 

 プロ歌手は持っている声、発声(声の使い方)、声での音楽の組み立て、少なくとも、この三つで成り立っているのです。歌は応用だから、やり方では教えられないのです。

 すぐれたアーティストがレコードから学んだように、CDからどう学ぶか、耳の力をつけさせることに専念してきました。聞き方が変わって、はじめて声も内から変わるからです。

 

○声域や声量をまねない

 

 特に高音や大きな声の見本をトレーナーがやると、それをマスターできればと思う人が多いのですが、問題です。一般の人がプロらしく聞くような声は、いわゆる、それっぽい声です。伝えたいという気持ちや集中力なしに、体の部分的なところで、片手間で真似られるくらい声が通じるはずはないのに、日本人には、そういうものを声の大きさ、高さだけをみて技術と思う人が少なくありません。(困ったことに、プロやトレーナーにもいます。)

 

 カラオケ上達法としては、高音の歌手を真似るのはてっとり早い方法です。多くの人がやっています。しかし、それでうまくできた人も、プロになれるとは思わないでしょう。できなかった人は、トレーナーに細かく教えてもらっても、さして効果が出ているとは思えません。もって生まれた楽器に性能の個人差と限界があるからです。

 

○トレーナーに似せない、真似ない

 

 私はたくさんのトレーナーとともにやってきました。すると、トレーナーと発声や歌がそっくりに似てくる人がいます。表向きだけ、そうならないように、気をつけています。真似たら、悪いところだけ真似てしまうため、歌が嘘くさくなるのです。あとで伸び悩むタイプは、この傾向が強いのです。これは、ポップスでは、もっとも気をつけなくてはいけないことです。

 

〇自分の見方

 

 集団指導のメリットの一つとして、他の生徒を見て、まねを見抜く目をつけられることがあります。ただし、厳しい環境下で同じメンバーと45年は続ける環境がいります。自分の声に対する判断が、このように難しいことを知れば、トレーナーは必要欠かすべかざる存在です。

 すぐれたトレーナーの判断力を学ぶことで、自分についてもかなりの精度で客観視できるようになります。その判断力を求めにいくのが、レッスンなのです。

もちろん、初心者は、トレーナーの発声がヒントになるし、真似から入るのはやむをえないと思います。実践的で実感できるレッスンを求めているうちは、本質がみえないからです。

 

 一人のトレーナーの見方が全ての基準ではありません。それは一つの見方として見ておけばよいのです。多くの人は一つの見方さえもっていません。自分自身の見方をつくるために、あるトレーナーの判断を一つの叩き台にすればよいのです。トレーナーをもっとも厳しい客として想定するのです。つまり、そのトレーナーに認められたら、世界に通じるくらいの厳しい基準を共有していくことが大切なのです。

 

〇捨ててから創る

 

 選曲なども、今まで自分が歌ってきた曲を全部捨てたときに、自分から何が出てくるのか、何が歌い出すのかということを見ていくことです。自分にしかできないところで勝負するには、どういうメロディ、どういうことばの方がよいのかを追求しましょう。

そういうことを見つけるために、私は、ノートに50音や練習のフレーズなどをつくらせています。それは、滑舌や早口をやるためではありません。自分のことばで声をものにするためです。

体と心が一致してきてはじめて、ことばや音楽も自然に処理できるからです。

 

〇音の感覚と語り

 

 音楽を入れて、そこで歌うのではありません。心から語ってください。これは、プロセスでなく、高度の目標なのです。語るということは高度なことです。ただのおしゃべりではありません。ただ、音楽が入っていないのにしゃべっても、歌にはなりません。

歌をやっていくのであれば、音の感覚の中から勉強していくことです。いったいどういうふうに聞こえるのか、他の人が読んでいるものをもっとていねいに読めるようになることからです。

 

○自ら創る努力を優先にする☆

 

 トレーナーが見本をみせて、「その通りにやりなさい」というのは簡単そうで、実のところ、できることではありません。そこでできていないのに、できているかのように思わせて、ほめていくのが、日本によくあるヴォイストレーニングです☆。

これでは、メンタルトレーニングでしかないのです。

似ていくように思えるのは、基準が甘いからであって、初心者にしか通じません。いえ、完全に似たところで先はないのです。その結果、あなたの本来の活きる力、創造性、アイデアや内容を殺してしまうことになりかねないからです。

 

〇不足と補強

 

外国のトレーナーなら、そういうことはやらせないことを、私は実に多く現場で見聞し、体験してきました。(外国人トレーナーのすべてがそうでありませんし、日本人向きのトレーナーは、ほぼ違ってしまいますが。)

 たとえば、スキャットやアドリブができないということは、それだけ入っていないのだから、入れては出す努力をさせ、待ちます。何でもよいから創る楽しみをもって、たくさん入れて出させます。そのあとに、人々に伝わるものを選びなさいとなるのです。

よくないということではないのです。いつも足りないということです。しかし、この自由度を本当に使えるのに、プロ並の力や思想、感覚がいるともいえます。

 

〇つくる

 

 最初はたくさんつくらなくてはいけません。その中から自分自身で選んで質を高めていくことができるようになることです。その辺の手間ひまを惜しまずじっくりとかけていくようにしてください。

 そこで腰を据えてやっていくのです。そうでないものをつくってみても、その先はやれません。たぶんトレーナーの10分の1の力もつかないでしょう。

 最近は、そういうことがわからない人が多いのが、気になってきています。つくれないからこそ、自らに深くとり、入れる必要性が出てくるのです☆。その必要性に基づいて声も入ってくるのです。

 

〇トレーナーを複数にし、一人は長期的につく★

 

 研究所の中にたくさんトレーナーがいます。また、ここだけで考えているのではありません。ここにいるとか外にいるというように区別した考えではやっていません。というのも、役者や声優などにはWスクールの人が多いからです。

 

 実際にここは続ける人が多く、業界でも在籍年数はトップだと思います。ここを出てからも、会報を5年、10年と購読している方がずいぶんといらっしゃいます。

それは勉強とともに、表現ということへのモチベーションということで続けられていると思います。

研究所の内外ということはあまり考えていないせいか、業界でやっていく人はここを切らないで、何らかと結びつきをとっています。いろんな生き方があり、その選択があると思います。

 

 誰とやるか、何人のトレーナーとやるか、実際には自ら試してよいと思います。ある時期は、このトレーナーでやって、半年か1年で見直すなど、いろんなパターンがあります。半年、1年とやったときに、何が得られた、何が足らなかった、では次の1年で何をやろうというように、見直していくのがよいと思います。

 私のところでは、二人をつけて、そのうち一人は長期的に担当させるようにしています。誰かが継続してみていることを交代や調整を両立させる、もっともよい方法と思います。

第3号「判断力そのもののアップとサポート体制」

〇ヴォイストレーナーやそのやり方での混乱

 

 ヴォイストレーニングの位置づけは、人によってまったく違います。

それぞれの人の求める目的も違います。ヴォイトレをする人の要求レベル、得たいもの、方向性、それに対して今のレベル、今の声、体や声帯などに、かなりの個人差があります。

 

 さらにヴォイストレーナーも、出身畑、経歴やキャリア、得意分野もそれぞれに違います。方法だけでなく、声の見方、判断の基準、めざす方向も違います。まして歌となると、千差万別です。

誰にでもあてはまる唯一のメニュなどないというのは、一流のアーティストのトレーニングプロセスからも明らかです。現実に、私のところでも一アーティストごとに違うし、それぞれいくつもの方法を持っているのです。

 

〇ヴォイトレの発声のテクニックは捨てる

 

 自分の表現のイメージを描き、体や呼吸を鍛え、音楽を叩き込み、内面から変わるのを待つのです。ヴォイトレのすべてはそのためのきっかけにすぎません。

方法やメニュというなら、私は千も一万ももっています。どれがよいというものではありません。相手を知らずに、これは絶対に誰でも通用するよい方法などといえるものはないのです。

 

 できないことができるようになるためには、そのギャップについて、考え、自分でメニュをつくるとよいでしょう。もっとよいのは、他の一つ上のことをやっているうちに、自然とできてくるのを待つことです。そういうトレーナーを求めましょう。そして自分の心のなかに音楽を宿し熟成させることを見つめることも大切なことです。

 

 入っていないものは出てこないのです。気づかないものに気づく、足らないものは補う、入っていないものは入れる、すぐにできる方がおかしいでしょう。発声のテクニックなどは捨てましょう。

それは大体は無理にやって、できたと基準を甘くしているだけです。

できたのでなく、ごまかしてこなしたのです。解決したのでなく、問題に気づく機会を見逃したのです。だから、トレーナーが必要なのです。

 

〇ステージとヴォイストレーニングとは分ける

 

 トレーニングとステージとは、分けてください。トレーニングは、結果として表現に反映されてくればよいのです。この場合、“表現”というのをどう定義するかです。私は、立場上、音声表現は声の応用形の一つとしています。応用(歌やせりふ)は、何も考えず思い切って行い、基本(トレーニング)でチェックするべきだと考えています。

 

 ステージでは、「ヴォイストレーニング?そんなものはないと思え」、ということです。

トレーニングは、そのときの課題と克服を目的として、ある期間、「意識的に、不自然に、部分的に、強化、調整する」ために行います。歌は、「無意識、全体的に統一され、自然」になるようにします。

私は、歌と声を816小節(半オクターブほど5秒~15秒くらい)で徹底してチェックすることで、そこをフレーズとして、歌とヴォイストレーニングを結びつけています。これをオリジナルフレーズでのデッサン練習といっています。

 

〇声や歌の判断力をつけてから放すこと

 

 トレーニングをすれば、上達するのはあたりまえです。常にどのレベルをめざすのか考えてください。それは必ずしも歌のうまさや声のよさを条件にするとは限らないのです。歌のうまさや声のよさと、世の中に出ていけることとは違います。まして、高い声が出る、声域が広がることは、歌がうまくなることと違いますし、声がよくなることとも違います。

 

 歌というのは、まずは自分がもっているもののとおりにしか出てきません。そこは、あなたが自分で判断するしかないのです。その力をトレーニング(レッスン)でつけるのです。

他人の判断に一方的に依っていくと、あなたの歌ではなくなってしまいます。しかし、自分の判断もあるところからは保留にして天任せにするようにしましょう。何かが降りてこられるように我を消し、器だけにするのです。☆

 

〇正しいのは、間違え以前が多い

 

 日本人は、正しい方法で正しい発声での指導を望みます。この場合、正しいというのは、誰か(プロ)のようにというレベルを目的にしがちです。

現実には、誰もアーティストを正しい発声や正しい歌ということでは評価しません。

トレーナーを利用するなら、正しい判断してもらうのではなく、そこで自分の判断基準を学ぶことです。判断などされてしまうくらいのスケール、テンションでは、世の中を切り拓けないでしょう。

 

〇気づいて変える

 

 今のあなたが、思い通りにいっていないなら、その下にあるものを変えなくてはずっと同じです。でも、変えられる人は、とても少ないのです。その気づきや問いを与えてくれるのが、レッスンです。

「自分自身が選んだ」と思ったときでさえ、多くの人のその決断は定まっていません。むしろ、よりすぐれた師や世の中から、自分自身のめざす世界から見限られていることが大半です。まだ、決めるには早ということです。準備がいるのです。

 

 自分で早々に決めるのは悪いことではありません。自分の器以上に望むことは、想像以上の苦労を強いられるからです。やがて多くの人は、そこまでしてそれを成し遂げようとはしなくなります。

それをノウハウや他人のせいにする人も多いのです。そうしないのなら、まだ何とかなるかもしれません。いつも、そこが大きな人生の分かれ目です。それは、才能、努力でなく、決断です。

自分の判断の力、決断、選択の力をアップするために学ぶようにしているのです。

 

〇お勧めできない

 

 世の中には、正解が一つと思う人が多いのには、閉口させられます。正しいやり方、正しい声、正しい歌、正しい人、そんなものの考え方、見方ほど、アーティックなものと反するものはないのです。

 プロとして、世の中でやっていくのには、世の中に出ていない人、何らやり遂げていない人は、私の経験上では、あまり参考になりません。

一つのやり方のみ、正しいという人、誰にも同じようにやらせる人(レベルによっては可ですが)もあまりお勧めできません。

 そういうトレーナーが多いので、私も地方などをよく紹介を頼まれますが、ヴォイストレーナーに関しては、大いに人材不足です。トレーナーが、自分を見本にさせて、相手の本来出てくる力を下げてしまいかねないのです。

 

〇自己実現のための声

 

 私のところには、お笑い芸人だけでなく、若い映画監督や演出家などがいます。ヴォーカルとして声のまねごとの追求する人よりは、求めるレベルが高いのです。やるべきことがあって、それをやるのに声のコントロール力が必要だということに、気づいたのでしょう。

そういう人には、きっと自分の世界を創るのに、声が大きな武器となることでしょう。

「今の人生は自分の選択、判断の結果、正誤を追うな!問いをつくれ!」ということです。

 

〇ヴォイストレーニングで人生好転へ

 

 私は、その人が音楽や舞台を続けようとやめようと、楽器を習う以上に、声のトレーニングは確実に豊かな人生づくりに役立つことを確信しています。

その人が本当に声を磨き、鍛えてきたというヴォイストレーニングであれば、人生が好転しないはずはありません。

 ところが、ヴォイストレーニング、あるいは声や歌の術中にはまりこんでか、うまく世の中に活かしていない人の多いのが残念でなりません。声もよく、歌もうまいのに、それゆえ、プライドにしばられて不幸なままの人も少なくありません。

 

 声は一生使うものです。仕事でも、生活でも、多くの人にとって、声のない人生は考えられません。(声を失った人でも、声を発します。声を伝えるというのが、ただの音ではなく、意志、心という意味で使われているのが、その証拠です。)

 ですから、ヴォイストレーニングに深く親しみ、何よりもそれを活かし、あなたの人生を豊かで実りあるものにしてください。これが多くの方々の声に助けられ、これまで生きてこられた私の真の願いです。

 

〇トレーナーの相性

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしています。

 

 最初は意見があっても、合わなくなることやらの繰り返しもありましょう。トレーナーとは、とても合ってうまくできたといっても、ただ、くせで固めただけのことも多いのです。だから、学んでいることでの問題点をきちっと見ていかなければいけないのです。

 

 問題は、プロセスと結果を第三者をおいて検証していないことです。私が十数名のトレーナーと共に行っているのは、そのためです。養成所などでは、残った人だけができたとなり、やめてしまった人の理由というのは、当のトレーナー本人にも、わからないわけです。それを解消したかったのです。

 

 一人で指導しているトレーナーやカリスマトレーナーのいわれるままに分担しているトレーナーのところでは、伸びない人は文句など言わずやめていきます。その文句は、次に訪れたトレーナーのところで出るわけです。すると、前のトレーナーはうまく教えてない、とみなされるわけですが、実際はそこで伸びていた人もいるから、トレーナーを続けられているのです。どちらの立場もみられるスタンスが必要なのです。私は、複数トレーナーでの個人レッスンプラス、第三者のチェックという体制にしているわけです。

第2号 「ヴォイトレの目的」

2号 「ヴォイトレの目的」

 

○声の先天的と後天的なところ

 

 声には、先天的なところと後天的なところがあります。厳密には、指紋と同じで、一人ひとり“声帯”も喉も違うのです。他人と同じにはなれません。

声帯や発声器官での限界もあります。声や歌は、けっこう加工できるので、それをわかりにくくしてしまいます。特にうまくなろうと思い、早くうまくするという指導をされると、限界が早くきてしまうのです。それで満足できるなら、これも悪くはありません。しかし、その先、深められません。

 

声帯を中心とした発声器官自体もトレーニングで変えられます。変えなくても、声の出し方で変えることもできます。いろんな可能性があるのですが、私は、前者の可能性から考えるようにしています。

 

○目標をはっきりさせよう

 

ここで知ってほしいのは、すぐれた成果をあげたいなら、「自分が持って生まれた楽器をきちんと使いこなすことに目標を絞る」ことです。声はもって生まれたものだけに「可能性があるとともに、制限もある」のです。

でも、心配することはありません。心配することが、発声を一番悪くするのです。

 あなたの目標が、実際に身につけることなら、大切なことは、それを今日から生かすことです。すぐに生かせなければ、どういう形なら生かしていけるかを考えることです。考えられなければ実践すること、です。

迷ったら、行動してください。迷えるのですから、勇気を出して、思うようにやってみてください。

アドバイスはトレーニングで行きづまったら、また読んでください。

 

○わからないことを恐れない

 

 私は、少なくとも、声に関しては、学び始めたころの数百倍もわからないことが増えています。しかし、トレーニングによって自らの声は鍛えられ、このような仕事ができるようになっています。

 大切なのは、「声を、現実にどう生かすのか」ということです。声がわかってもわからなくてもどうでもよいことです。わかるとは、どういうことでしょうか。

あなた自身の問いをつくることです。あなたが、あなたの夢を現実にかなえていく、あなたの答えを追及していくのです。

 

 「ヴォーカリストになりたい」「役者になりたい」「声をよくしたい」

本を読むのも、スクールにいくのもよいでしょう。しかし、わからないことがわかっても、疑問が解けても、何にもなりません。

実は、わからなくても、最高のステージができていったらよいのです。人生でやりたいことが実現できていったらよいのです。

 

○問題にする必要のないこと

 

 よく尋ねられる質問の中には、高音の出し方、声区のチェンジ、ファルセットのかけ方、ビブラートのやり方、ミックスヴォイス、マスケラ、ベルカント、デックング、ジラーレなど、たくさんあります。

 

 ここでは、複数のトレーナーに答えてもらい参考にしています。(「発声と音声表現のQ&Aブログ」の共通Q&A参照)

それ以前に、問題にすることにおいて問題になるものは、問題ではないと思うのです。あまりによく聞かれるので、触れました。

 あなたが、ヴォイストレーナーか弟子をもつ声楽家なら、世界の最先端の研究や言葉の意味、由来を知ること、そういう専門家との知識のやりとりも必要でしょう。

でも、これからヴォイトレをするのなら、まず自分自身に向きあうことです。自分を知るのは、将来の他人を知ることより難しいともいえるからです。

 

○トレーナーのノウハウの大半は不要

 

 アーティスト、ヴォーカリストを目指すなら、現場では、「ベルカント唱法をやっていた」とか、「○○先生のもとに通った」とかはいりません。偉い先生のもとにいたからって、あなたが偉いわけでも、できたわけでもないのです。

 

 こういった技術が習得できた、だからといっても、大して使いません。使うところもありません。

使うというのは、技術とみえなくなるまで、習得しなくては使いようもないからです。ある技術を習得したらプロになれるというのは、日本人らしい真面目さからくる誤解です。

 

 あなたの声が何を表現するかがすべて、です。

問われるのは、あなたの(作品としての)価値がどこにあり、何を補うべきか、そのための手段として、ヴォイストレーニングがどう有効に活かせるのか、ということです。

相手の肩書きや経歴にこだわらないことです。声がみえなくなります。

 

○マニュアルを超えること

 

 私の答えは、いつもとてもシンプルです。複雑で、難しくなるとしたら、おかしいと疑いましょう。それは、歌や表現を声の中でなんとかしようなどと考えるからです。

あなたの表現へのこだわりを徹底して深め、声に込めるのに努めましょう。できたら、詩や音楽の神様の導きの元に・・・。

心と体、呼吸と声は、大きく結びついてきます。そのために学ぶのです。

 

マニュアルは所詮、マニュアルです。トレーナーに教えられたり、直されたりしてしまうような歌や声が、世の中に通用するわけがありません。誰もトレーナーやプロデューサーの出した答えを、あなたに再提出してもらいたいのではない。そんな安易な方法(論)やマニュアルや技術で得たようなものは、それが前面に出てしまうだけ、よくないのです。トレーニングのプロセスとしてのみ是とされることもあるのです。

それは、“声らしいもの”“歌らしいもの”ではあっても、決して真の“声”“歌”ではありません。

 

 あなたは、あなたの答えを出さなくてはいけません。他人のように歌うのでなく、あなたの歌を歌う、いいえ、あなた自身を歌ってください。「発声からでなく、声の使い道から考えること」です。つまり、目的から考えることです。ヴォイストレーニングは、その補強に最低限、必要であると位置づけるべきなのです。

創刊号「ヴォイトレと研究所」

○ヴォイトレのレクチャーにいらっしゃる人々

 

 最近、私のレクチャーには、歌手、俳優志願の人、ベテランの役者、お笑い芸人、プロデューサー、インストラクター、ときどき、ビジネスリーダー、指導者、演出家、映画監督の方などがいらっしゃいます。

一般の人で、人前で話す人、声に関心のある人も増えています。高齢者から、中高校生まで、声に悩んでいる人も増えました。ここにも、最近は何人ものトレーナーが学びにいらっしゃっています。 

そういう人を念頭において、ヴォイストレーニングに関心のある人、全般のために述べていこうと思います。また研究所へ寄せられる多くの質問のうち、トレーナーとトレーニングに関係することを主に取り上げていきます。

 

○ヴォイトレの混乱

 

 いらっしゃる人のなかで、「ヴォイストレーニングがよくわからない」「わからなくなった」といわれることが少なくありません。多くの本やセミナーがあるのに関わらず、逆にそのことが混迷を深めているように思われます。

事実、ワークショップやヴォイストレーナーの研修や、劇団などに話をしにいくと、そこでは多くの人が自らの声についてもですが、他人に声を教えることについて、悩んでいるのです。

どうも声のトレーニングについて、何か根本的に勘違いしているのでは、もしくは声そのものや声に求められるものが変わり、客の好む声も声の役割も変わってきたのではないかということからの疑問も少なくないようです。

 

○体験からの指導での問題

 

 ヴォイストレーニングはカルチャーセンターでも人気講座の一つとなり、ヴォイストレーナーやヴォイスティーチャーを肩書きにする人も増えました。それはうれしいことなのですが、現場で混乱をきたすようになっているのは、なぜでしょうか。もちろん、多くの場では、事なく行われて、効果や実感を得て満足している人が、7割以上と思います。それは、それでよいとして、ここはそうではないケースで相談にいらしたところについて述べています。

 第一には、短期にあいまいな目的を遂げようと急ぐことです。それに対応するかのように安易に自分の体験だけをもとにしたヴォイトレや人のマニュアルが多くなりました。とんでもない誤解や誤用まで引き起こしています。

一言でいうなら、トレーナーが自分一人で指導をやっているために、あまりにも客観的な検証に欠けているのではないかということです。自分を元に考えるのは当然ですが、あまりにも相手の一人ひとりの個人差に無理解のまま、自分と相性のあった人にのみ、あてはまるやり方でやっているためと思います。

それは、私の本を指導に使っていただいていることにおいても懸念していることです。この分野で出版してきた私も、少なからず責任を感じています。是非、直接質問をしにいらしてください。

 

○本やマニュアルの使い方

 

本やブログは、相手(読者)を知らずして、トレーニングを述べることです。そこで、ことばでの限界を知って対処し、誰でも何でもできるようには、私は書いてこなかったつもりです。それでも現実には、誤解、誤用を、まぬがれません。そのため私は510年ごとに改訂版、あるいは新版にて表現を改め続けてきました。    

さらに、こうしてブログなどでも最新に更新しつづけています。新旧両方を比べて読んでいただくと、よい勉強になると思います。

 

○課題を明らかにする

 

 新しい時代に、いろんなトレーニングメニュが公にされるのも、よいことです。何事であれ、いろんな材料はあった方がよいと思うからです。そして、現場での経験を基に、どんどんと本当の力をつけていただきたいと思っています。私自身も安心して、本来の研究や活動を深められるようになるとしたらありがたいことです。

 とにかくも長年にわたり、多くのことを、多くの人と試みてきた私の経験や見解を述べることは、必要とする人にはお役に立つと思います。

 これまで受講を望む人の層が思いの外、広がっていったため、いつも新たに未経験の相手に試行錯誤でやってきました。そのため、いつまでも、課題は尽きないのですが、その課題も明らかにします。

この分野に欠けているのは、声という幅広く深い分野に対して、多くの専門家との協力体制に他ならないと思うのです。

 

○ヴォイトレする人は、ヴォイストレーナー

 

 私は、ヴォイストレーニングをする人は、自らが自分のヴォイストレーナーであるべきと思っています。ですから、私がヴォイストレーナーとして、私のヴォイストレーニングを語るのではありません。

 私にとっては、ヴォイストレーニングとは何ぞやと、ヴォイストレーナーとは何ぞやということは、そう簡単に述べられないものです。

 この分野を私が代表できるものではありません。私自身も一人よがりを防ぐため、医者と音声学者など多くの専門家にアドバイスなどの協力をお願いしています。

 自分についてもっともよく知る自分こそが自分の最良のトレーナーです。一方で自分の声について、完全には知ることのできない自分を補うために参考としてください。

 

○ヴォイトレの体系化としての出版

 

 私は、これまでたくさんのヴォイストレーニングに関する本を出してきました。

今から二十年前に、ギターやピアノの本の棚があるのに、声に関する本はほとんどなかったのです。あっても声楽の本がほとんどで、あとはスピーチ、話し方の本、吃音矯正の本、のどの病気の本などでした。

当時は、発声練習やヴォイストレーニングといわれていました。

 そこで私は、ヴォーカルやヴォイストレーニングという棚ができるところまでは、入り口をつくろうと思いました。幸い、多くの方の賛同を得てヒットを重ね、その後、いろんな出版社がこぞって出すようになりました。

他のトレーナーが職として自立しやすくなったくらいの礎にはなったつもりです。

私の一連の本によって、多くのトレーナーの受講者も増えたとの嬉しい知らせもいただいています。また、私のところのトレーナーなども、ほとんどが10代の頃、私の本の愛読者であったとのことで、並々ならぬ責任を感じています。

 

○量から質への指導とトレーナーとの連携

 

 私は、ヴォイストレーニングの本をもっとも多く書き、世界中を飛びまわり、声やトレーニング法をサンプリングする一方で、日本で最も多くのレッスン生を抱えたヴォイストレーニング専門の研究所を主宰しています。

そこではポップスから声楽家まで、複数のトレーナーを一人の生徒につける方法で、2年から長い人で10年以上みてきました。在籍人数、平均300400名で20年以上ですから、本当に多くの人の声と接してきたわけです。

 

研究誌としての会報(月に1冊、本1冊分)は300冊以上、講演会は150回以上、レッスンは何千回? そこで答えてきた質問は、何千か何万か数えきれません。

そこから、現場での実践のプロセスをふまえ、できるかぎり本質を落とさず、ヴォイストレーニングに対して、何冊もの本をまとめてきました。

 

 一方で、これまでずっと、各専門家と声を科学、医学、身体の面から声というものにアプローチしてきました。現在は他のトレーナーやスタッフとともに、一人に複数トレーナーをつける個人レッスン体制を確立しています。

日本でのトップレベルの演劇、放送、ミュージカル、お笑い、歌手、俳優、声優、芸能歴30年以上のベテランや、ミリオンセラー歌手まで、初心者からいくつかの学校のヴォイストレーナーの指導まで行なっています。一般の方やビジネスマンやVIPのためのヴォイスティーチャーもしています。

 

○ヴォイストレーナーの仕事、私の実例

 

 私はようやく多くをトレーナーやスタッフに任せられるようになりました。そこで、自分でしかできない仕事を中心になってきています。私自身のやってきたことを自問してみました。よくトレーナーの仕事の内訳を聞かれます。その答えにもなっていると思います。

 

1.声のレクチャーで質疑に応答

2.トレーナーの質問に答える

3.ホームページ、ブログ内容への質問に答える(参考:「発声と音声表現のQ&Aブログ」)

4.ヴォイストレーニングのメルマガを発行(7誌を配信、現在1誌、まぐまぐで購読可能)

5.専門学校や大学、カルチャー教室、劇団ワークショップでの講座

6.ヴォイストレーニング専門の研究所を運営。そこでトレーナー陣と多くの人を引き受ける

7.研究所と他のスクールでのトレーナーの選考、管理、レッスン受講生のレポートとトレーナーの報告書のチェック

8.国内外の専門書収集。研究所に声のライブラリーをつくる

9.医者、科学者、言語学者などの専門家、研究生と国内外の声の分析

10.芸人から声優、役者のデビュー前から、プロのベテラン歌手まで指導

11.多くのヴォイストレーナー、指導者の悩みに答える

12.ヴォーカルや役者の養成所を設立協力、トレーナーの講習

13.トレーナーになる人の、それ以前とそれ以後をみる

14.プロとなる人の、それ以前とそれ以後をみる

15.通信教育制作と指導

16.教材制作と指導

17.マスコミ取材(参考:ホームページ「マスコミ掲載記事」)

18.会報やマニュアルの発行

19.トレーナー、プロデューサー(海外含む)にトレーナーに指導を受けたり、プロデュースする

20.さまざまな提言を業界や企業、教育機関などにする

 

○私の音声教育との関わり

 

 私が声とその周辺のことに人生の多くを費やしていることがわかると思います。会報を300号以上、出し続けているので、それを読むと歩みがわかってもらえると思います。(年鑑も刊行予定)

 

 私がこのようなものを書くときには、同じことを何十回、聞かれたくないからということも少なくありません。しかし、それだけ多くの人が同じ問いを発しているのだから、早く伝えたいと思うのです。

 

 もう一つは、今の時代において、ヴォイストレーニングがどういう意味をもつか、というところからヴォイストレーニングを考えてみたいということです。ヴォイストレーニングをしたい人や、ヴォイストレーニングをしている人、特に最近多くなったヴォイストレーナーも念頭において、述べています。

 私も、多くの先達の、方法、考え方も参考にしています。これについては、いずれ、機を改めてまとめたいと思っています。

 

〇自戒をこめて

 

 国際的に、あるいは日本では高いレベルのプロと長年にわたってやってきた私の経験が、ヴォイストレーニングをやっている人やこれからのヴォイストレーナーにも、参考になれば嬉しく思います。

学校の先生向け教育雑誌の連載で、幅広く声の教育に携わる方々と対談できたことも、大きなプラスに

なりました。

これらが結果として、多くの人材を育てられる一助となりましたら、望外の喜びです。

いつもながら、皆さんの忌憚のないご意見、ご批判をお待ちしております。

 

 私自身のやってきたトレーニング、そしてまたトレーナーたちと試行中のレッスンスタイルの変遷を明らかにしていきます。三十年以上、十数名の有能なトレーナーを有しておきながら、未だグラミー賞やアカデミー賞の受賞者すら、出せていない私の痛恨の歩みです。是非、これを叩き台にバージョンアップしてお役立てください。

 

○内容について

 

 内容の中心は、ヴォイストレーニングのチェックや、レッスン指導での注意点です。目的やレベルの違いによるレッスン、トレーニングのそれぞれの是非を述べていきます。

これまでのヴォイストレーニングの功罪にまで踏み込んでみます。ヴォイストレーナーとともに、ヴォイストレーニングを受けたい人、受けている人の注意することや盲点についても触れます。

 

 大きくは、4つの内容を入れていくつもりです。

1.ヴォイストレーニングには何が本当に必要か。

2.ヴォイストレーニングの本質とは、何か。

3.ヴォイストレーニングの目的は何か。

4.ヴォイストレーナーをどう選び、どう使うのか。

 

○ブレスヴォイストレーニング研究の背景

 

 初期の私の本には、私自身は「ヴォイストレーナーでない」と明記していました。

私自身が、声楽家や役者、欧米のヴォイストレーナーと行なってきたメニュを中心にしつつ、しだいにポップス向けに変容してきた方法を、ブレスヴォイストレーニングとして、理論立てて打ち立てたのは、三十年以上、前のことです。

その頃は、ヴォイストレーニングという定義もなく、漠然としていました。そのため、そのことばを経験の未熟な私がストレートに使うのは、ためらわれたのです。

 

 知っておいていただきたいのは、いかなる方法も、その時代の必要とともにあるということです。(その頃は、頭声ばかりが発声レッスンの主流でした)

それに対し、私は言語音声力の強化にベースを置いたのです。

つまり、歌唱発声のそのまえのところです。ですから、役者や声優や一般の人も早くからいらしていたのです。

 

○前提以前の問題

 

 世界的な名オペラ歌手などが発声法などを明らかにしているのに対し、そんな身分でない私には、発声といっても私なりに捉えたものでしか、ありえないとの思いがありました。

もともと生まれ持っている楽器に恵まれている人の多い歌手やトレーナーが、そうではない多くの人を教えていました。ヴォイトレにいらっしゃるのは、発声に困っている人、つまり持っている楽器や状態にも問題があることも少なくないのに、声の使い方だけ指導している人ばかりだったのです。

 

 前提が崩れていては、いかにすぐれた方法でも、役に立たないのです。

私はプロを多くみてから、一般の人と接したので、また今もプロともやっているので、とてもよくその差がわかります。正直にいうと、楽器のよしあしや状態のまえに条件が整っていないということです。

 

○方法の命名の理由

 

 声楽を別にして、一般の人向けや、ポピュラーや役者に対するヴォイトレでは十人十色に全く違うやり方で行なわれています。

これは昔から大して変わりません。そのなかで、私自身が責任をもてるのは、私のやり方にすぎないから、あえてブレスヴォイストレーニングという別名をつけたのです。

 それでも私の願いは、スポーツのように、この方法もある程度一般化されることです。

今のところ、多くのトレーニングマニュアルは、そのトレーナーの名をとって、○○流としか、なっていないように思います。

 私が自分の方法に、自分の名をつけなかったのは、私自身が創案しても、その後、よりすぐれた人が加工、改良して、完成度を高めてもらいたかったからです。すると、いつかはきっとよりすぐれた人が行なっている

トレーニングと同じところに行きつくと信じています。事実、そういう方向になってきたと思うのです。

 

○レッスン形態の変遷と可能性の追求

 

 トレーニングの目的に対して個々に異なる楽器(体や声帯)、感受性、創造性をもって生まれた一人ひとりの人間をいかにうまくセッティングするかということを忘れられてはなりません。そして、そのためにも目的そのものの絞り込みをしていく必要があります。つまり、できることとできないこと、可能性と制限をみていくということです。

 最初、私は、プロの個人レッスンだけでしたが、しだいにより深く声と表現を追求したくなり、一般の方のグループレッスン(全日制養成所―ライブハウス式スタジオ)にしました。(15年ほど)そして、またプロの個人レッスン中心(研究所では、一般の方も個人レッスンに)と、移しました。

 

○私と研究所のヴォイストレーニング

 

 それでは、ここで私と研究所のトレーナーが分担して行っているレッスンの内容を一部お伝えしましょう。

(歌い手の場合)

1. 発声と共鳴のこと(発声ポジション)

2. 表現、歌としてのアドバイス

  自分の作詞作曲の歌

  ヒット曲

  課題曲(カンツォーネ、イタリア歌曲、日本歌曲)

3. デッサン、フレージング

  1)課題曲のフレーズ

  2)音楽を入れ込む(月に1520曲)

  3)フレーズを選ぶ

  4)メロディ、ことばを耳でコピー(外国語も耳で聞いたままとる)(人によっては楽譜を渡す)

  5)テンポ、キー、フレーズでの切りとり、セッティングする

  6)自分のオリジナルデッサンを2本(8本)くらい選び、実践する

  7)評価する

  構成、展開をノートを考えて、整理し、編集する

  レッスン当日に備えます

  メールで、Q&A、レポート提出をします

声楽、発声、ヴォイストレーニング一般、歌唱は、トレーナーが主に担当し、時間を充分に長くとっています。

その他、必要なことは本人との相談の上、最適な材料を与えるようにしています。

 

○レッスンでの実証

 

 私のレッスンは、いつも変化と進化してきました。かつての放任主義的指導の頃の人が一番力をつけたとも思いますが、それでは残れない人の多い現在では、やり方も年々変えています。

共通のこと、人と違うこと、などを私自身、実の経験で何十人もの人を10年以上みることができ、判断できるようになったのは、大きな力となりました。そこで得てきたこと、今も得ていることを受講されている方に差しさわりのない範囲で、公開しています。それによって学べる人も少なくないと思うからです。

 どこにも、絶対的な方法はありえません。だからこそ、自らの目的と自らの資質を知りつくすことが、何よりも大切だと思います。時代を学ぶことも大切です。日本人にとって、大きな弱点である言語音声力をつけることを忘れてはなりません。

 

○ヴォイストレーニングのあり方

 

 一流のアーティストで、ヴォイストレーニングだけでそうなれたなどという人は、いません。

役者は養成所で体験したりしますが、現場で必要に迫られて、声もその使い方がよくなることも多いのです。

 

 今、巷の多くのヴォイストレーニングをみると、調整やケアが主です。のどを守る力になっていても、力をつけるためにはなっていません。そこには声の出る体というのを想定して、体を鍛えてプロの楽器に変えるという発想がないのです。

 

 アーティストは、過酷なスケジュールに耐え、安定した実力でのライブができるように、将来的なことに備えて、ヴォイストレーニングをする必要があります。

ヴォーカルに必要とされる基準と、日本人のヴォーカルへの評価(というより、評価なき対応という)のレベルの低さにあります。役者についても同様、音声表現力において世界の壁はまだまだ破れていないのです。

日本では、デビュー時より格段によくなった人はごく少数です。郷ひろみさんなどは、海外のヴォイトレに行っていました。(海外に著名なトレーナーはいますが、すでに一流の力をもった有名人を扱うので、その力をゼロからつけたとはいいがたいです。そういうプロに信用される力と人柄、プロデュース力など、何の力かはそれぞれです。)

 

○ヴォイストレーニングの錯覚

 

 イチロー選手が、「俺のように打てば4割打てるよ」と子供に教えても無理でしょう。本当に自分が努力して得たことを安易に他人はすぐできるようになるような勘違いを善意であったとしてもさせてしまうのは、よくありません。スポーツのように結果がはっきりしないだけに、始末が悪いともいえるのです。

 

 たとえば、一流のプロのレベルでは、スランプになっても、心身をリラックスして、元の状態に戻せば、通用するわけです。でもそれは、そこまで何年もかかって、体と感覚(筋肉も勘もイメージ)を全部作ってきたからです。

そういう条件が伴っていなければ誰もできません。

 

 その条件(主として感覚と心身のコントロール)のない人が、トレーニングをやれば、すぐにうまくなり、プロの世界で通用するというのは大きな間違いです。

しかし、ヴォイストレーニングのレッスンでは、そういう錯覚があたりまえのように行なわれているようにも思われるのです。

 

〇状態づくりと条件づくりは違う

 

 先生が歌ったり、声を出したり、自分のコンサートによんだりというような時間が中心になっても、その人と共に過ごすことで力がついているような気になる人も多くなりました。ゴスペルや合唱ブームにのって歌を始めた人などが、レクチャーにもよくいらっしゃいます。しかし、そこで先生のやっていることは、その先生個人の実力で実績なのです。そこにいても、ほとんどの場合、不思議なほど声の力がつくこととは関係ありません。

要は、そういう人についているのに、トレーニングが本当の意味で全くなされていないのです。

プロとしての一声、一フレーズ、そして個人の作品のできがどうかという肝心のことが深まっていないのです。場数をふんでリラックスして声が出せるようになること、音程リズムと発音でよくなることと、声が出るように鍛えて条件を変えることは、全く違うのです。

 

○ヴォイストレーニングの定義

 

 「ヴォイストレーニングとは何か」・・・

この質問には定義をしなくては答えられないのです。

そして、定義によってだけでなく、相手によって変わるものなのです。

 

多くの人には、

1.呼吸のトレーニング

2.アエイオウという母音での共鳴練習(ヴォーカリーズ、レガートの発声練習)

3.高低の音階練習(スケール練習、ドレミレドの発声練習)

といった発声練習(声楽)のイメージが強いと思います。

 

 しかし、役者や声優、アナウンサー出身のトレーナーなら、異なってきます。

のどの障害に対する音声医のヴォイストレーニングもあります。

「ヴォイストレーニングとは何か」という問いには、あなたにとって必要なことを知って、自分で定義をしてください。ヴォイストレーニングは何のためにするのかを、決めるのは、あなたです。

 

○ヴォイストレーニングの目的を考える

 

 一般的には声量や高音発声、広い声域づくり、声区のスムーズな切り方(最近はミックスヴォイスという人もいます)を目的にしているトレーニングが多いようです。ちなみに私は、それは目的でなく、副次的に得られるものと思っています。ヴォイストレーニングは「いかにイメージに対して、繊細にていねいに声を扱うかを習得するためのすべて」と考えています。

結果として、声の自由度、柔軟性を得る、声の表現への可能性を広げるためにするものと思っています。

 

 「トレーニングは、常にそれが何のためにやるのかを考えること」です。それを何に使うのかは、それぞれの人の自由です。

ストレス解消、ボケ防止などに使うのも大変に結構です。

「効果が出るのか」に「はい」と答えるのは簡単です。しかし、やってみなくては、何事もわかりません。

これは、まさに「英語を勉強すると外国人と話せるようになりますか」というのと同じような質問です。

その目的も含めて、あなたの状態をみて、対処していくのが、私とここのトレーナーです。

0号

「トレーナーの選び方」を発行して、10年以上、経ちました。時代とともにニーズも変わります。ここにくる人も研究所も私も変わります。私は著書でも出したままには終わらせず、新たに出したり、ブログや会報で補正してきました。完全なマニュアルなどありえない以上、その後の状況に応じて、修正しつづけることが必要です。また、こちらの学びや経験で、言い足りなかったこと、誤解されたこと、注意が必要なこと、もっと伝わりやすいことばなど、加えた方がよいことがでてくるからです。学んでいる人やこれから学ぶ人には、それを知らせなくてはならないと思うのです。(著書については再刊や、続刊で間に合わないので、キンドルなどで、増補改訂しつつ、リニューアルしていくつもりです。)

この「アーカイブ版」は、「ヴォイストレーナーの選び方」のリニューアル版ですが、新しく、どこからも読めるように、カテゴリーもつけました。ご利用ください。

 

 世界にクールジャパンとして、あらゆるものが日本から発信され高く評価されている中で、日本の音声文化は、唯一に近いくらいに、なおざりにされている分野です。

欧米に追いつこうと合わせようとしていた時代、日本でも独自のものが息づき、欧米に並ぶどころか新たに打ちたてようと試みられていたときもありました。歌謡曲はもう一歩、日本のオペラもポップスも土台は固まりつつあったのです。(現に、その延長上にクラシック、ジャズ、邦楽のプレイヤーは、世界の第一線で脚光をあびて活躍しています。)

しかし、この30年、不毛とまでいいませんが、そういうことさえみえなくなりました。ヴォイトレは、普及し、誰もが知るものとなりましたが、一方で、その成果は、ガラパゴス化しています。プロという名に値するプロは、他の分野へ移ったのでしょうか。皮肉なものです。

 この歩みのなかで新たに書き起こすことで、第一に、私のスタンスの変わったところ、第二に、読んでいただく人の関心や問題の変わっていくことも考慮して時代と状況を、第三に、研究所の体制の変化やレッスンの内容、実際に行われていることをオープンにします。

あなた自身が、ヴォイトレ、声、せりふ、歌、音声全般、表現などについて自らの問いを具体的に立てられるように、多くのヒントを与えられるようにしたいと思います。

 

 なお、本やブログ、「発声と音声表現のQ&A」ブログを併行して読んでいただくと、さらに理解しやすくなると思います。(質問も受けつけています)

 

参考リンク先 

トレーナーの選び方要項 http://www.bvt.co.jp/new/voicetrainer/

「発声と音声表現のQ&A」ブログ 

お勧めアーティスト・作品[アーティスト論] 

 

 

 

「自己鍛錬と場」

〇一体化する

 

一つとして見る、一本としてみる、頭のてっぺんから足の先まで突き抜けているところでみると、世界観、身体観が変わるものです。それは、空間的なのですが、時間としての連続性もあります。何かが始まり、終わるのです。

 

○先を観る力、創る力☆

 

音楽は、聞く前にすでに始まっています。聴いた後に終わっているのでなく、また始まるのです。つまり、1コーラス、2コーラスとあって、2番から3番で曲は終わっても、歌詞は終わっていても、3456、…と続くのです。

音楽のもつリピート効果について、度々指摘してきました。元よりリズムなのですから、音楽の始まる前も、私たちの鼓動は、リズムを刻み、終わった後も刻み続けているのです。

 先を予測する能力、これは直観力の中の一つですが、音楽のなかでは、本来は創る側に促されて、聞く側が順化させられるものです。

いかにこれまで、そうでない作品、つまり聞く側として、トレーナーとして、私は、こちらが先に行って待っていなくてはいけない作品を聞いてきたのでしょうか。それは、作品、作られた品として駄作です。でも、そこで、それを一瞬でも永遠に引き延ばす作品にする可能性をみるのが、トレーナーの役割です。

もしそれが作品として成立しているなら、私は、純粋に客として、その対価を支払い、トレーナーを抜けられるのです。そこを目標にしていたら、基準は揺らぎません。

 

〇変じるために、対応、察知、感応力、共感力

 

先見力は、リスクマネジメントからくることが多いことを、昔、教わりました。生命の危機のとき、火事場のバカ力よろしく、最大に発揮されるのです。

その場を与えるのがレッスンであったと思うのです。裸の肌感覚です。

こうしたリズムと鼓動の関係は、そっくり、呼吸の問題と通じるのです。

一心同体、自分と同体になることも難しいものです。同体であるのに、意識できません。怪我をするとそこを意識することで、体がわかりますが、離れているから把握できるのです。それは、異質なものとして現れ、治ると消滅するのです。

 

反対のもの、嫌い、苦手をぶつける

多様性をキープする

運動性、柔軟性を高めておく

緊張せずリラックス状態にする

固定せず、流動化、気体化する

音楽は動いています。止まったら終わりです。

 

○集団を個とする

 

ときに、一人で完結するより、二人でやりとりする方が可能性が高まることがあります。

スポーツには、記録を目指すのと、勝負とがあります。ボーリングは一人でハイスコアを目指せますが、やはり対戦形式をとります。他の球技のほとんどは、相手との対決です。攻めては守らなければなりません。

敵をライバルとして認めることで、お互いに成長するのは、確かです。戦いがスポーツに変わった理由かもしれません。相手を殺したら、その先、自分も成長できません。

 一人で演ずるよりも、何人かで演ずる方がパフォーマンスとして伝わりやすい、これを私はディズニーランドのショーのようなものとして批判してきました。日本人の、数を頼み、個としての実力をつけないものの象徴として、です。ゴスペル合唱などについてもです。

しかし、使いようによっては、その方が実力は向上するのです。ただし、個としての実力をつける努力を、それぞれが怠らなければ、です。そこがなくなるのが、個としての、自立心としての弱さです。

 日本では、名選手がその組織の理事長になる。マネジメントの専門家を使いません。それもまた、私は批判してきました。が、一理あるのです。戦いに強い人は、人心を読む力もある、といえます。

 

〇自由と型☆☆☆

 

 未来の取り込み方は、予測しておくのですが、それだけでは、その通りに得られないので、状況に応じて変化させていくことが必要です。レッスンもトレーニングも、未来を取り込むものでありつつ、現時点での最大のパフォーマンスを求めます。

開かれていない心身では手間どります。そこで、そのままトレーナーの価値観、トレーナーの方針やメニュでやってしまいがちなのですが、本当は、そこで待たなくてはなりません。しかし、待つことの重要性が、そういう人に限ってわからないのです。そして、自分だけの考えで、トレーナーやメニュを選択する、というよりも選り好みします。

プロのスタイリストの前で自分の考えだけで服を選ぶというのなら、単に販売員がいればよいのです。そのようなもったいないことをしていることに、どう気づかせたらよいのかと思うのです。

 

○序破急

 

これは、雅楽や舞楽からのことばですが、芸道論でよく使われます。世阿弥で有名です。能、浄瑠璃、歌舞伎では、序でゆっくり、破で拍子、急で加速します。

序が徐行の徐でないのは、ピークにもっていく前の準備としての意味合いでしょうか。となると、ゆっくりでなく抑えてというようなこと、あるいは、前触れ、伏線、イントロと訳するのがよいのかもしれません。次にくるものを予感させるという段階です。水戸のご隠居が印籠を出すまで、という感じですね。歌では、Aメロです。bその後B、メロ、サビとなります。

 

〇セッティングと終わり

 

 何事も準備することは大切です。今日の状態をみて、もっともよい状態にもっていき、切り上げることがベストです。明後日以降のことも考えて、もっともよい状態で終わらせることが重要です。今日もっともよいのでなく、将来に、もっともよいということです。

そこまでわからないうちは、明日、よりよい状態に入れるように、早くよく、よりは、よりよい、に重点をおくのです。

 

〇これくらいとこれ以上

 

 これくらいのことを、これ以上に行っている人の技、顔、体、ことば、なんでもよいのですが、それは人を惹きつけ元気を与えるのです。ジャンル分野を超えると、まさに神っている人たちのことです。

 

〇ピュアと耐性

 

 スピリチュアルに接していくと、心身の異変が次々と起きるものです。

私の知人には、そこに行くと治ると言いつつ、10年も20年もそこへ通っている人がいます。治るがまた悪くなる、新しく悪いところができる、そして治しにいく、それがずっと、次々と続くので、私には、ちっとも治っていないようにみえます。その人にとって、マイナスを解消することがプラスになっていると思うしかありません。

シンクロナイズされた共生空間は、心地よいと思うし、嫌いではないのです。が、私自身は、安住できないのです。マイナスが解消してもゼロ、そこはスタートですから、プラスにしていくことが必要だと思うのです。

 

〇鏡でのチェック

 

 自分の全身は、鏡かカメラからのモニタリングでしかみられません。ミラーニューロンでのまねが学びになることで様々なことを学んでいくのは、確かです。

多くの人は、憧れのアーティストに同化し切って、そのコピーをすることから歌を始めます。習字でも同じで、最初はスキャン、そこで問われるのはトレース能力です。

 トレーナーは、歌い手がどう歌うかをスキャンします。プロデューサーは、観客がどう聞くのかをスキャンします。ここが欠けているトレーナーも少なくありません。

好きなものしか聞かないなら比較ができない。下手なものしか聞かないなら、その先を読めない。下手がよくなっていくプロセスを聞くことが、もっとも重要です。

多くは、うまいだけを聞いているトレーナーと、下手だけを聞いているトレーナーだからです。

 

〇学べない理由

 

 他の人や親などから強いられたものには、反発できるものです。しかし、「自分自身が選んだ」と信じているものからは、なかなか抜けられないものです。ですから、人との出会いというのが大切なのです。

 誰にでも、同一のメニュを使うトレーナーは、相手の個性に合わせる能力がないとみられる時代になりました。 しかし、同一のメニュの繰り返しをすることは、大切です。一律に当てはめてこそ、厳しい基準をもって比較できるのです。データがたまり見識が深くなるからです。 受け止める方も、同じことを繰り返すことで深まるのです。ところが、最近は、同じことのくり返しだから他のトレーナーに変えたいという人が出てきました。よくよく考えてみることでしょう。

一方、人によって違うメニュを与えるトレーナーは、その段階を長年、多数の人と踏んだ人以外は、ただの気まぐれになりがちです。受ける人も、本人の思い通りにやるというのなら一人でやればよいのです。一人でやれないから、トレーナーがいてくれたらやるというのは、程度の低い家庭教師です。一人でやれないことを、トレーナーに求めるのでは、トレーナーは、机につかせるための役割です。一人でやれることは一人でやっていなくてはいけないのです。

 

〇目的を高める目的

 

自分がこうしたい、目的は何かというのは、私は必ず聞きます。しかし、それにそのまま答えるのがよいのかは、また別問題です。

ビジネスライクにみたら、丁寧にお客さんの要望に答えるのがよいのでしょう。でも、芸としてなら師匠は、答えないでしょう。

トレーナーと生徒というのが、クローズの関係にならないように、他のトレーナーや私が関与するのは、第三の眼としてです。その二者で同一化を俯瞰するためです。

二者間でうまくいくのはよいのですが、うまくいきすぎて二者間でクローズするくらいなら破たんした方がよいと思います。それは序でとどまるからです。しかし、多くの人はそれを望むので、その先を開示すべきかは別問題です。

私は、この点では、選べるところの力までつけることを第一目的としています。技量でいうと、自分が歌いたいように歌うよりも、有名な劇団のオーディションに通る、選ばれる力をつけておく、それが基礎というものです。

 

○答えから問う★

 

何を聞けばよいのかわからない、最初はそうならないために、そして、その後はそうなるために、膨大なQ&A集とストックして、できる限りの質問に答えているのです。とはいえ、その答え自体には大した意味がないのです。

 「聞いたことに答えていない」と言う人が、たまにいます。聞かれたことの大半には、すでに私はどこかで何回も答えています。それは今の時代、調べたら簡単にみつかるのです。

それより大切なことを答えています。なぜ聞いたことにそういう答えが返ってきたのかを考えて欲しいのです。 答えよりも問い、ステップアップした問いを返しているのですから、そこを考えて欲しいのです。

 

○深めるということ

 

 何かを求めるのは、それがその人のアイディンティティであり、不安です。何を求めているか不安だから練習するのですから、それを動機として使えばよいのです。 すると不安は、そのときに途切れます。うまく途切れさせなくては、心身を傷めるか、鈍感になってしまいます。

同じことを繰り返すと、変化に気づくことができます。そして、早くそれに対処できます。儀式、ローテーションというものです。

 わからないからやらない、みえないから存在しないとみなすのは、よくありません。わからないからこそ、やるのです。みえないから、感じられるようになるのです。

 

○教えるということ

 

教えるというのは、教えられたことから一歩、それをさらに教えることです。その間に立つことになります。

トレーナーが教え、生徒が教わる、というのはわかりやすい関係です。その生徒に教えられることがあるというのは、できたトレーナーです。

しかし、トレーナーが生徒に教わるのは、教えなくてはいけないことを教わってくるように教わるべきです。

トレーナーも生徒として、どこかから教わるわけです。そのうち、自分が教わっていないことも工夫して教えるようになるのです。

私も自分の工夫などよりも、すでにある教えを、そのまま伝える必要を感じてきます。つまり、自分が下手に加工しないこと、生徒のためにわかりやすくするほど内容が薄くなることに気づくからです。

 

○シンプル、基本ほど難しい。

 

 「アー」と声を出します。それをどうみるかからです。どう直すかでなく、いろんな出方のあることを捉えることからです。それぞれの声の発声の原理、可能性、今のよいもの(ましなもの)、条件次第でよくなるもの、伸ばすべきもの、伸びる可能性の大きなものを見抜いていくのです。

たとえば、長く伸ばせる、大きくひびかせられる、疲れない、変わらない、これは、声としては発音が明瞭とか、高く出せるとかいうよりもすぐれています。効率がよいのです。

多くのケースで10秒も保てませんから、それを15秒、20秒、保てるだけでも課題となります。シンプルすぎてわかりにくいから、少し複雑なメニュ、スケールやヴォーカリーズは、使ってみるとよいというようなものです。

 

〇理に通う

 

 少しの動きで大きく結果が出るパフォーマンス、そして、レスポンスのよさを目指しましょう。観客も演奏者もハイレベルであってこそ、よいものができます。レッスンも同じです。

レスポンスの悪い相手とは、レスポンスの改善からしなくては、先がないでしょう。レスポンスの回数を多くするのは、精度を高めるためです。最初は急がないことが必要です。少しずつ、質に転換していくことです。

 

Q.どれほどうまいのですか、うまくなれるのですか。★

A.私が言えるのは、私の周りにうまい人、うまくなる人がいるということです。うまいということ、うまくなるということを、大した価値と思っていません。もちろん、周りはどう思ってもよいと思います。

「何曲歌えるのですか」とか、「何曲知っているのですか」と聞いて、答えてもらって、それが多かったらすごいとも、少なかったらだめとも思いません。

人生とどうリンクしているのか、うまくともうまくなくとも、人に頼まれようと頼まれまいと、進んできた道を作っているかどうかだと思うのです。

 

Q.どのくらいの量、時間がいりますか。

A.どこかで集中してすべてを投じてみたらよいと言っています。そういうことができるのは限られた人とも思いますが、そう聞かれるなら、それに没頭した経験から、そう答えるしかないのです。

 

Q.うまくなって、プロのアーティストになりたいと思います。

A.うまくなることとプロのアーティストになることは、必ずしも一つにまとめられません。どれか一つから目指していくとよいと思います。

 

Q.たくさんの人のいるところに行って、磨かれたいです。★

A.それも正しい方法でしょう。私もそうしていましたし、ここも、そういう場にしていました。しかし、そこから人のいないところで、人のやらないことをやってみることにしました。その他大勢というのは、あまり心地よくなかったからです。こうして何もないところから何かを紡ぎ出していく、それが私の考えるレッスンです。

 

Q.周りの世界とのつながりがもてません。

A.つながりがもてないと思っていても、生きているのですから、いろいろとつながっているのです。何かを食べて生きているのですから、そのことだけでもそこに多くの人との関わりがあるのです。海で自分で魚を取って、それで生きているようなら別でしょうけど、それをみようとしていないだけでしょう。つながっていないようにみえる世界でつながりをみるのか、別のつながりをつけていくのか、自らが動かないと、わかりません。動かないと、つながりでがんじがらめにされてしまうのではないでしょうか。

 

Q.集まりがつまらなくて、面倒で嫌です。

A.集まりは、祭であり、他の人とともに生きることで生命を活性化させる手段です。どこに座し、誰と語り、一時を過ごすかは成り行きです。それゆえ、即興的なレスポンス能力という生きるために必要な力が磨かれていくと思うのです。人としての修行です。

 

Q.かつて、アーティストは、TV出演を拒んでいた、と聞きました。

A.その後、テレビで歌が全盛となって、そこから50年もたたないうちにTVでは、歌はあまり流されなくなりました。

歌はもっと鋭く、強く、恐ろしいものです。そうであったのに、あまりに当たり前になってしまったと思うのです。歌うものにも、聞くものにも畏れがなくなったのです。新しい世界、より新しいものをみせてくれていたものだったのに、です。

 

Q.グレードをつけて欲しいです。★

A.昔、グレードを、まさにグレードという名で、私はつけていました。それをセットしたときに、本当は、自分について、ゼロにしたかったのですが、初心者も少なかったので、真ん中くらいの格付にせざるをえなかったのです。

日本では、格付けは年功序列になりがちです。年齢とか続けている年月でグレードが左右されることが多いので気をつけていました。結局、学習意欲向上のツールと堕してしまったので中止としました。

点数の付くような歌は歌でない、演技も同じです。そんな小さなスケールを与えては伸びるものも伸びなくなってくるからです。

 

Q.よくわからないからと、何もしなくてよいですか。

A.そうは思いません。わかっているものは誰かが説明してくれるのですから、せめて、わからないものくらいは自分でアプローチしようと思ってほしいのです。

 

Q.欠点をなくしたいのですが。

A.なくしてしまうのも一手ですが、なくなると取り返しのつかない気がします。それが、あって欲しいと思う、そこが存在理由でもよいと思うのです。

 

Q.声のトレーナーとは、何に役立つ人ですか。

A.歌と同じく、声にも声の道という筋があります。それを自分勝手に扱ってもうまくいかないので、一度無心になって、声そのものの動きを知ってみるとよいです。そのためにトレーナーがいるのです。

 

Q.トレーナーが率先して判断を与えてほしいです。

A.他人が、ああだ、こうだと言うのは、声によくないでしょう。わかるようにわかっていくから、本人が声を妨げないように、またトレーナーにも、そう願っているのです。

 

Q.発声法で間違って声を壊す人はいませんか。

A.発声というのが法となり、声そのものとかけ離れてしまうことがよくあり、よくみます。そんなに簡単に呼吸や発声を扱ってよいのかというのが気になって仕方がありません。しかし、身につけたいとなるとノウハウ、マニュアル化され言語化される、このように言語でのやりとりとなり、すなわち、法となるのです。実体が伴わない、伴うまでやらないからなので、それを間違いなどと言うのもよくありません。

 

Q.機能性発声障害は、ヴォイトレで直すのですか。

A.機能性発声障害では、正常な機能を回復させることが必要です。そこばかりみると医療となり、トレーニングとは目的を異にします。リハビリは回復することですが、トレーニングは、その基礎から力をつけることで機能を向上させます。

 

Q.ヴォイストレーニングは、声を直すのですか。

A.トレーニングは、普通以上の向上を目指します。向上に、メモリはありません。いわば、できたとかできないなど言えるものは、浅いからであって、本当は、その深さを問うのです。

 

Q.心身は緻密に組み立てられ、それに合わせて動きを学んできているのではないでしょうか。

A.はい、ゼロから始めるよりも、半分、または9割は合っています。あとを詰めていくと考えることがあってもよいと思うのです。そして、あるときは全て合っていないと思うこともあってよいでしょう。

演技と歌は、特にそういうものでしょう。日常にあるのですから。すでにあるもの、そして学んだものを、結果からよりよくくみ上げて引き出してみると、よいものが出てくると思うのです。

 

Q.よいものが出てこないときは、すでにあるものや学んだものが劣っているのですか。

A.多くは足りないのですから、入れていくことです。すると自動的に調整されていくのでしょう。そのときに、入れ方にいろんな工夫があります。大量にいろんなものを一気に入れるとよいケース、それでは入っているものと同じものしか選ばれないので、わざと、相反するものを入れるケース、入っているものと入っていないもの、好きなものと嫌いなものをワンセット入れるとよいケース、など。真逆なものを共存させようとするほど、大きな能力となるのではないでしょうか。

 

Q.出口を見て学ぶとは、どういうことですか。

A.ある程度、発声をこなしたらステージで試すというのは、そういうことです。そこに飛躍があればこそ、超えられるのです。延長でなく飛躍したところに本当の着地点があると思うのです。☆

 

Q.トレーニングは、どう役立ちましたが。

A.目的への手段として、地道に学ぶことが役立ちます。誰もが目指すこと、それをはっきりと決めつけがちですが、もっと重要なことがあります。起死回生、土壇場での判断を結果として最良の選択をできる力を養うということです。

たとえ、目指した職につけずとも、人生を歌い演じて生き延びる力をつけることです。勉強やスポーツなども、本来はそういうもののためにあったのでしょう

 

Q.人生のテーマとは、何でしょうか。★

A.夢や好きなこととは、興味、関心をもったことです。それもずっと持ち続けられていることなら、それが人生のテーマでしょう。私は、歌手とか役者とかでなく、声に興味を持っていたことに人生半ばになって気づいたのです。いちいち人前に出ていくようなことを、さして楽しいと思わず、週1回ならよいが、毎日、人とまみえるのはいやだ、というなら歌手や役者に向いていないのです。

 

Q.天職とは、何でしょうか。

A.多くの専門家に会ってきましたが、その人が、なぜそれを専門として人生を賭けるようになったかというのは、興味深いことでした。最初は食うために仕方なくであっても、人は、全く興味のもてないことは選びません。  まして、食えないのに続けているのなら、しかるべき理由、いや魅力があるのでしょう。

 

Q.本質的なことに、いつ気づいたのですか。★

A.人が集まらなくなりつつあったときに、私は、これは、深いことをやっている、つまり、すぐに成果や力になることをやっていないと思ったものです。

その深いことを伝えるには、こちらがさらに身を削らなくては、人は集まらないし、続かないと思いました。そこで、対人効果のみえやすい個人レッスン形式で、教え方のうまい先生、やさしい先生にも加わってもらうようにしたのです。

 

Q.知恵とは、何ですか。

A.力がなくてもできる、学んでなくても知っている、それが知恵です。即興的に今、あるもので対応し、対処してしまう能力です。インスピレーションとか、アイディアとかギフトといわれるもの、才能、それも一つかもしれませんが、それによって、それなりのことができていくのです。

 

Q.社会人となるべきですか。

A.人は、他人が思っているように社会的に存在していて、それが社会的な価値です。そこはそこで認めて、よりよく振る舞うことは、社会人としての、大人としての役割だと思うのです。

 

Q.他人の批判は、するべきではないですか。

A.他人の批判をしたところで自分が向上するわけでないし、それで向上が妨げられることの方が多いのですから、やめた方がよいです。

 

Q.いろんな人がいる場が苦手です。

A.自分のことが好きか嫌いかはわからないとして、自分のような人ばかりが周りにいて心地よいとは、多くの人は思わないでしょう。逆に、いろんな人が自分のなかにいると思うのなら、自分を好きか嫌いかで二分することもできなくなるのです。いろんな人がいてよいでしょう。皆、正しく真面目で努力家ばかりなら息詰まるでしょう。その反対も困るでしょう。

 

Q.トレーナーとは、何ですか。

A.自分を適正に評価してくれる人です。それをみつける能力をもつことが必要でしょう。合うトレーナーを求めるもの大切ですが、トレーナーに合わせる能力をもつことです。

 

Q.科学と情報との関係は何ですか。

A.情報は、元より、刺激として入ってくるものを受容する感覚器の得たものです。次にそれを自ら探りにいくように働きかけるセンサー機能を伴います。それで発展させたのが科学のようにも思うのです。

 

Q.なんとなく始めてもよいのですか。

A.なんとなく続き、なんとなく誰よりも長く向上する人もいます。理由がわからなくても、始めて続けているのは、何か理由があります。それがわからなくとも説明しなくとも、続けていればいろいろと得られるものは大きいのではないでしょうか。

 

Q.自分が好きでなくても続けるべきですか。

A.好きであって周りが向いてくれないとか反対するとか、そういうものほど、その人にとって、大きな力を与えてくれるものはありません。まして、好きでないものなら、さらに力になります。元より足りていないものゆえに、大きく得られるのです。

 

Q.ヴォイトレでのメリットは、何ですか。

A.本当のメリットは、説明できないほど大きいと思うのです。それに興味を感じていたら続く、やめられなくなるところに、もっともよいことが潜在していると思うのです。

 

Q.気配りできないのは、よくないですか。

A.できないなら、あなたは使い物にはなりません。生きる業に役立っているのでなければ無意味と思うのです。役立てようなどと色気を出してはいけませんが、一心不乱に取り組んでそれで役立たないことはないのです。

 

Q.運がよいとは、どういうことですか。

A.不運なことを除ける力があるということです。他人をまとめ、動かす、共にうまく生きる力を養うことを伴っているのです。

 

Q.想像力とは、なんですか。

A.具体的に細部まで浮き上がらせる力でしょう。

 

Q.直らないと言われて、直らなくなった気がします。

A.口にするとそうなるのですから、イメージというのは恐ろしいのです。直らないもの、いわば、欠点はアイディンティティになるのですから、直らない、を見つめ続けてください。それを個性と言おうが、くせと言おうが、どうでもよいと思うのです。

 

Q.人は、加齢で老化するのですか、成熟するのですか。

A.人には歴史があります。年齢とともに多様化できるのです。そこに立ち返ってみることのできる記憶、出来事、人をもっていることが、長く生きるとよいことと言えるのかもしれません。私んはまだ早すぎる質問です。

 

Q.近頃、言ったことばがあれば教えてください。★

A.私は、先日、講師先の学校の卒業生に、駅から校舎までの道を毎日、歩いて同じ門をくぐったことを忘れないように、何かあれば、その道をまた歩き、門をくぐり、できたら先生とも会う、会えなければ道を歩くだけでもよいと言いました。同じ人々と毎日過ごす日々というのは、これから、それほどあるものではないと思ったからです。

 

Q.わからないものを、わかろうとする努力は必要ですか。

A.わからないから惹きつけられてきたものや、人や国、遺物など、わからないから近づき、旅し、観たり、聴いたり、味わったりしてきました。無理に理解しようと急ぐことは不要です。

 

Q.耳と音について、何か教えてください。☆☆☆

A.聞こえないものを聞く耳をもつことです。

聞き終えたあとに流れ出す音、思い出すたびに聞こえる音、聞いていないのに予め聞こえてくる音、など。

次の音を予期する、それは、前の音と今の音の流れから、先を音で予知して待ちかまえ、当たったら心地よく、外れたら新鮮に聞くものです。

今、生きているなかで、過去と未来を同時に感じているのです。

それは、時間を聞こえるようにした音楽でわかるのです。

ある意味で、超えるのです。それを神と呼んでも、霊性と呼んでもかまいません。

 

Q.トレーナーの見本の見せ方についての注意をしてください。☆☆☆

A.それを感知する能力を磨くことに尽きます。第一に変化に気づくこと、気づかないなら、その変化を大きくしてみせることが、トレーナーの仕事です。まねるのは、必ずよいところを小さくして、悪いところを大きくしてしまうので、そこがよくないとわかるのです。

 

Q.感受性に鋭くなることがよいのですか。

A.この能力は、諸刃の剣です。微細な徴候まで受け止められるほど感受する能力が高まると自らを傷つけてしまうのです。繊細ゆえの神経質、センシティブであるほど、すでに傷を負った心身としてあるのです。それも身体性です。

傷つかないと傷ついた人のことはわからないのです。しかし、一から十は知ることができる、いや、できる人もいるし、努力でそうもなれます。切り替え力が重要です。

「イメージで変える発声法~レッスンでの誤解を正す」

〇イメージの大切さ

 

トレーニングの最大の効果は、みえないところを、どれだけ具体的にありありとイメージできるかにかかっています。イメージすることで脳の中の書き換えを起こし、声を変えていくのです。感覚を調整し、体や神経、筋肉での反映をしていくのです。

 

〇全身呼吸のイメージ

 

しぜんなせりふに通う呼吸のように、身体からの息を声にします。声を全身で使えるように強化します。

そこでのイメージとして、下腹、丹田、おへその意識と、横隔膜で腹式呼吸など、呼吸がおなか中心という考えは、一時、害になることもあります。その点で、最初は、横隔膜呼吸とイメージするより、「腹から声を」と大ざっぱに捉える方がよいと思います。

自分で吸うのでなく、空気が入ってくるようにする、そういう体づくりを目指しましょう。

まず、腰回りが膨らむようにイメージします。呼吸には、風船、ふいご、ポンプ、アコーディオンなどのイメージが、よく使われます。これも人によります。そのイメージでうまく動いていれば、よしとすべきです。

トレーニングのプロセスでは、お腹を膨らましたり、へこませたりすることもよいのですが、実際は、しぜんに同時に行われるものです。

しばらくは、後背面の広がりが支えとなります。横隔膜の後ろの引っ張りと、それを保持する力を養うことが必要です。

 

〇鼻呼吸と口呼吸を分けない

 

鼻も口も開口しています。

鼻呼吸では、歌やせりふなどのなかで、急に充分に吸気しなくてはいけないときに間に合わないことがあります。

吸う音はたてないようにします。鼻から吸う音がいつも消えないなら、それはトレーニングの悪い影響です。

とはいえ、意識することで生じる無理は、必要悪です。それがどんどん重なって固まっていき、不具合が生じるところまでいくとよくありません。

できるだけ、その場で解決しておくように、それが難しければ、時間をかけるか、部分的な目的が達成されたのをみて元に戻します。

深呼吸やハミングでクールダウンをしましょう。

 

〇力みの脱力

 

新たな試みというのは、何をやっても、最初は意識するし、余分な力が入るものです。そこから余分を抜いていくのも、トレーニングです。そこで抜けたのに、より働くのが真の型です。

首や肩の力みに注意しましょう。いつも脱力しましょう。ゆるみ、たるみをもった体、凛としているけど丸い体になりましょう。猫背になってはよくないです。

長く続けるにつれて固まってくるので、それを放ちましょう。忘れてみることも大切です。これまでの感じを捨ててみる、休みを入れてみるなど、少し別の角度でアプローチするのです。妊娠中の姿勢で声がわかったという人もいます。

空手の「オス」は、両手を腰で握ります。これは、手でなく腰に力がたまるのです。

とはいえ、急に縮めようとしないことです。内から動くように、緩めておきます。外から筋肉の力で強制しないように気をつけましょう。

 

〇赤ん坊の発声と共鳴

 

いまだに赤ん坊の声が理想的発声で見本などと言われます。実のところ、発声としてはよいわけではありません。ただ、体と息が声になっているところで一体となり、一つの大きな動きができていること、しぜん、かつ大声でひびくことに学ぶべきものがあるのです。つまり、共鳴がよいのです。

しかし、そのひびき方は、歌唱の共鳴とは異なります。歌唱は、集約された共鳴で、そこに芯があるというイメージです。

 

○声づくりに必要なイメージとジラーレ

 

声づくりには、体、呼吸、声のイメージづくりが大切です。ジラーレという、息が回る、螺旋形に回るバネのように声がのっていくイメージです。これは、声楽の特殊な技法用語として声区融合などに使われていますが、どの声域の発声も息でまわしていくように捉えておくとよいでしょう。

 

○発声を支える体のイメージ

 

息を出すのは、背の筋肉で支えるイメージです。

骨は、体を支えます。腰で支えます。人の体を支えている背骨は、逆S字です。

腰は、立つ、歩くという支点の要です。

体を左右、前後(厚み)、上下の3軸で、発声と共鳴を捉えてみてはいかがでしょう。

 

〇抵抗とテコの原理

 

声も息も重さを感じるようになるとよいでしょう。手ごたえです。それが動かせる力がつくと軽くなります。まさにテコの原理です。

しっかりと重心を捉えます。これが声の芯、次にそこを中心に動かします。それはフォームづくりです。

声は結果です。トレーニングは、結果でなくプロセスです。

 

〇発声とレガート

 

出だしを構えて、ぶつけないことです。そのために、きちんと吸気して空気を体内に保っておく準備がいるのです。それを構えということで準備が必要です。イメージから無意識にできるようにしていきましょう。

声の出だしでは、息から声への完全な効率変換を目指します。息=声のキープ、配分、コントロールです。特に、発声の後半の支えは大切です。

そして終止です。共鳴したままでフェイドアウトします。

 

〇レガート 

 

レガートが基本です。一つにつながっているからレガートといいます。点が線と「アアアア」でもよいのですが、「アーー」と線としてとらえます。そこは呼吸法のイメージと同じです。すべては柔らかく、ゆったり、しなやかに、滑らかにイメージします。息や声を丁寧に吸うのが基本としての感覚です。私は子音をつけて起声をチェックすることをお勧めします。

発声では、踊り子の舞いや習字の筆の動き、円をイメージするとよいでしょう。止まらずに道に沿って動く車の運転やレースの感覚に似ています。ある程度のパワー、スピードがないと、最初はかえってやりにくいものです。

 

〇ヴォーカリーズに子音をつける

 

母音だけ発声するよりも子音を付ける方が深く踏み込みやすいことが多いようです。

私は、ガ行をよく使います。gegagogaのよい方から入ります。少し安定してきたらgogegiで、いきなり難しいgiでイに挑み、はっきりと縦の線、深い共鳴を意識させます。

 

〇深いイのひびき

 

日本の歌手から、この深いiを聴くことができなくなってきました。マイクに頼るにつれ、鼻腔処理中心だけに集中して、体からの大きな共鳴のイを失ってきているのです。そのため、とてもイメージづくりに苦労します。 理想的な共鳴は、日本語のイではないのです。声楽家、ミュージカル俳優、演歌歌手が、使っている共鳴するイです。

以前は、この音のひびきが若いアイドルタレントとプロ歌手を分ける目安でした。イの心地よいひびき、ビブラートでも明らかに差がつくのです。

 

〇口の開閉

 

口は縦に開けるイメージにしましょう。口内(cavita)は、軟口蓋と舌の間で縦に広くとります。軟口蓋がもちあがった状態、そこから鼻の付け根を意識します。縦の線、鼻の三角と腰をつなげましょう。

口を開けるのでなく、口の奥を開けます。口角を横、イ、エで引っ張ると、浅く薄くなります。

「口を開ける」とか、「口を開けないように」という注意は、ひびきを落とさないためです。しかし、多くのケースでは、ひびきが落ちるからでなく、その前に、ひびきが上がっていないことが問題です。歌うと、いきなり口元が狭く、息も少なくなりがちなので、気をつけましょう。

脱力した首、喉、声帯、背中を広げていく、体全体を柔らかく、丸くイメージします。丸く、は猫背にするのではありません。

声帯は、小さくとも筋肉なので、筋トレが必要です。それは、声を出すことです。

 

〇トレーナーの指摘ミス

 

発声のマニュアルやトレーナーの注意が、一つ先のことを伝えていて、空回りしていることがよくあります。本人がそのステップをしぜんとクリアしていて、少し高いレベルで注意されたことを、初心者にそのまま受け売りして教えると、よくこういうことが起こります。レベル差をふまえない教え方といえます。先取りした指摘ならよいのですが、多くは、先走った教えたがりのミスなのです。

 

〇メニュのよし悪し

 

 メニュのよし悪しの判断が難しいのは、どれか一つを変えると全体のバランスも変わるからです。さらに、変わることで、一時、どこかに無理が生じるのは、仕方ないこともあります。

そのあと、それが解決し、よりよくなるかが大切なのです。ここで、何をもって、よりよくというのか、一時というなら、それはどのくらいの間かが問われます。つまり、待つのです。

 

○トレーナーの見切りと待つ幅

 

 よりよくなるとは限らないと思ったときに、どこで限界や見切りをつけるのかも難しい問題です。場合によっては戻すのか、それは単に無駄になるのか、ただのマイナスになるのか、どこかでプラスにならないのかと、考えます。

その幅を、トレーナーはどのくらいでみるかということになります。

理想は、デメリットを少なく、メリットを大きく、同じ事なら早くできるようにということです。あるメリットのために、大きなデメリットや長い期間をやむなくとることもあります。何手も先を読みつつ詰めていくのです。それも試行錯誤の中でしか、わからないこともあります。

一方、本人との価値観のすり合わせを忘れてはなりません。芸、芸術ゆえ、そこでの相違こそが、最大の難所です。☆

 

〇歌と表現

 

歌うのが「歌わされている」「歌ってしまっている」ということがあります。それは、一本調子で平たく薄く伸ばしただけだからです。

表現としては、立体的、メリハリ、リアルな感触が問われます。これがないと、生命をもって働きかけないのです。

体の調律とは、声のひびきと息、息と声、それらのバランスをとり、コントロールすることです。音程、リズム(メロディ)と声の関係をつかみましょう。

 

〇日常とメンタル

 

イメージでは、抑えないで、開放する方向にもっていきましょう。

メンタル面でストレスをかけないよう注意します。

リラックスした生活、食事、便通などに注意します。

やわらかい神経、頭、心、そして声が大切です。

個人主義を旨としても、周りと仲良く協調しましょう。

 

〇発声と聴く力

 

なぜ、歌に、声に、音楽に感動するのでしょう。風や虫の声に耳を傾けるのでしょう。

日本は言霊の国です。祭り、謡と踊り、神、その理念が人、実体として現れたとみます。

人は、考える頭と声(行動)をもって世界を切り拓いてきました。

 

〇成功している人は、声がよい

 

声がよいから成功している芸人を例に、音や声が人の心理に与える影響をひもといています。そこで、もう一つ大切なことは、聴覚、聞くことの重要性です。日本では、音声は、諸外国ほど重視されてきませんでした。察する国として、聴く耳が問われてきたのです。これも、声を知ることからつながるのです。

 

〇呼吸について

 

Q.息の使い方を知りたいです。

A.全身での呼吸を目指します。背中を拡げる、開けるなど、まず動きにくい背面への意識づけをします。柔軟でしなやかな体を思い浮かべて、そういう体づくりのイメージをもちましょう。

 

Q.強い息で声を出すのですか。☆

A.呼気が強く出ているイメージだけで行うのでは、雑すぎます。一方で、声は鋭いひびきのときもあるわけです。確実に声を捉えているときは増幅してみましょう。弓を解き放つイメージなども使うとよいでしょう。

 

Q.声が高くなると、息を少なくした方がよいのではないですか。★☆☆☆

A.私は、意図的に、トレーニングとして、ことばの強弱、特に強く言い切る、吐き出す感覚と、声が高くなることを同列に捉えるようにしています。そこは、ことばから歌にしていくプロセスと同じように、ということです。トレーニングでは、声量と声質の統一を優先します。 ハイトーン域ではなく、話声域でのことです。声域は、どちらかというと、バランス、調整、コントロールです。もちろん、基礎としては、トレーニングが必要で、その結果ですが。

 

Q.呼吸で声を飛ばすのですか。

A.息の声をのせる、声にことばをおく、そういうイメージの方がよいと思います。

 

Q.呼吸のとき、リラックスと集中が両立しません。☆

A.海では、人は体の力を抜けば浮かび、力を入れると沈みます。

心を重心におきます。すると、眉間の真ん中にも集中するものです。第三の眼があります。天帝と呼ばれるところです。丹田に力を入れるのでなく、気を鎮めるのです。

力が抜けた状態と、力を抜いた状態は違うのです。「落ち着くところに落ち着く」というように考えるとよいでしょう。重心を下におきます。わからなければ何か重いものをもてばよいでしょう、そして、そのイメージでできるようになればよいでしょう。

 

〇共鳴について

 

Q.声を前に出せと言われます。☆

A.声は、まっすぐ前へ出るのでも、引っ込んだり集まったりして出るのでもありません。ただし、こもる、掘る、下に押し付けるイメージは、特別なケースを除いてよくありません。

縦のイメージをもちます。鼻の付け根に眉間の少し下くらいに三角点を描いて、口内は縦に広くイメージしてみましょう。そこで声を回します。息を吸う、香りを嗅ぐという感じです。どこかハイレベルに厳かにイメージしてください。

 

Q.声は、体や頭にひびかせて出すのですか。

A.体内でひびく声でも耳にうるさいのは、遠くに通らないことが多いです。声が拡散するのでなく、芯や線というのを伴っている、集約されているイメージをもつとよいと思います。 がんばって拡散するように出してはよくないのです。

 

Q.喉仏を下げるように言われます。☆

A.口の開け方で「指2本縦に」とか、「スプーンを入れて」など言われたのは、口先より口内の高さ、縦の距離を保つためです。高いほど下に引っ張る感じです。最近は、そういうことばも使われなくなってきたのでしょうか。

今では、「喉仏、喉頭が上がらないように」などというのは、生理学、物理学的なアドバイスです。このアドバイスが間違っているとは言いません。必要なときもあります。しかし、指でチェックしたり、無理に下に引っ張って保ったりするとなると行き過ぎです。鏡で充分です。必ずしも高音で喉頭を下げたらよいというものではありません。安易に動くのを戒めるだけで、高音で上がるのが悪いわけではありません。現実にそうなりやすいし、それで歌っている人もたくさんいます。すっかり小手先の指導法が定着してきたことが心配です。

 

Q.発声では、尻の穴を締めるのですか。そのトレーニングがあるのですか。☆☆☆

A.ちゃんと生きているなら、そこは締まっているのです。それをトレーニングするのはおかしなことです。結果としてそうなっているのです。この場合は、尻の穴が締まっているのと、さらにそれを締めるというのは、むしろ、反すること、力が入りすぎると思います。つまり、どこかに力や意識を向けて喉を脱する、それなら肛門に限る必要はありません。精神的なことが入っていると思います。

形として、チェックとして、そこから入ることはあってもよいと思います。しかし、それは目的でなく、一つのプロセスです。いつまでもそれに囚われてはいけません。

 

Q.レガートのスケールがうまくいきません。

A.息を集中して、ロスしないこと、息もれを起こさないこと、押したりぶつけないことです。ビブラートを感じ、そこにのせていくようにします。音が上がるときより、下がるときの方が、支えに注意することです。

 

Q.顎を落とさず、口も開けない方がよいですか。☆

A.そういう教え方が一般的ですが、これは、声の共鳴が落ちるのを避けるためです。しかし、初心者では、そうなっているとは限りません。顎を引くこと、口を開けすぎないことが大切なのです。その注意と混同されて使われていることの方が多いようです。

 

Q.重い声なのか、飛びません。

A.声を飛ばすのは、声が浮いたり、声を浮かすのとは違います。軽い声、声の軽さは、別のものです。芯、支えがあってこその軽さであるべきです。そこでは、重たい声やこもった声がよいのではありません。

無駄な力をなくしていくことで、重い声ほどひびいて飛ぶとも言われています。イメージは、よい方に捉えましょう。

 

Q.発声を強化したいです。

A.粒の揃った声で、母音をイメージしましょう。

そこでは、目の力は抜いて、リラックスしてみてください。100パーセントの共鳴を感じて、部屋の隅々まで届いていくようにします。

 

〇発音について

 

Q.破裂音で鍛えられますか。

A.発音をクリアにするのは、口や舌の動き、そして発声です。

Pa行、Ba行でやってみましょう。そのあとRLとラ、Mと、Nとハミング、Fなどを使ってみます。うまく息を入れましょう。

口腔を拡げるつもりで、口や舌の動きをよくするとよいでしょう。

 

Q.口の開き方について知りたいです。☆

A.口の開きは、前歯が少しみえるくらいと言われます。唇が出っ張りすぎるのも、おちょぼな口も、歯がみえすぎるのもよくないと言われますが、個人差があります。唇、歯の形態もいろいろで、発声にも違いがあるので、自分に合ったようにすることです。

 

Q.口の周りの筋肉も鍛えるべきですか。

A.結果として、それは、固くするのでなく、柔らかく保つためにするのです。このことだけでも一つの論文になるほど、いろんな問題を含んでいます。筋肉の動きや脱力も、必ずしも表面からみえるものではないから、なおさら難しいのです。

 

Q.深い声で発音をしたいのですが。

A.日本語のアイウエオをAIUEOにするのは、浅い喉声を深い共鳴を伴ったものにするためです。ア→A、イ→Iのように異なるものにするとか、ずらすのではありません。狭いアを広いアにして、そこでの最良を選べるようにしていくということです。

 「横への拡散を縦にして集約する」イメージをもつように言っています。そこは、発音でなく、発声で深く響くようにして、最終的に発音もクリアにブラッシュアップすると捉える方がよいと思います。

つまり、アイウエオでなく、もっと広く、あらゆる母音の発声のなかでもっともよいポジションを得ることが目的なのです。

 

Q.発音と発声のトレーニングのときのイメージは。

A.日本人の場合は、シンプルに「深い」のイメージでよいと思います。より芯のある発声を得ることからです。日本人は引きがちなので、「大きく」「強く」「太く」などのイメージをあえて加えることもあります。

今の5音の母音のなかで選ぶのでなく、それをヒントに新たに得る、発見するのでもなく、つくり出すものと思っておくほうが確かともいえます。

特に、日本人の日本語の場合、アは浅く、ウ、イも平べったくて、使い物にくいことが多いです。エやオに比較的よいのをもつ人もいます。

 

〇その他の質問

 

Q.私のトレーナーは、他の人のやり方の批判ばかりしています。☆☆

A.多くの指導者が、他の指導者のやり方を否定します。自分が正しいメソッドをもち、実現できていると信じているからです。ある程度、そう信じなくては他人に教えられるものではありませんから、仕方ないと思います。しかし、全てにおいて自分のが正しいと、何をもって言えるのでしょうか。

トレーナーとしては、ここまでは確信をもって教えられるが、このあたりは試行錯誤、これはわからないなど、トレーナーとしては、その区別くらいのつく人であって欲しいものです。同じことも相手や目的によって、かなり違ってくるのです。

トレーナーも、お山の大将タイプが多いのです。すぐれたトレーナーといわれても、あるタイプに強いというケースでの実績にすぎないことが多いのです。こういうことをふまえて自分よりもほかのトレーナーが、あるタイプには相応しいとわかって任せようとするトレーナー、自分には向いていないと断れるトレーナーは、あまりいないと思います。

 

Q.トレーナーが真意を伝えてくれていない気がします。☆☆

A.すべてを伝えるかどうかは、指導においては別問題です。特によくないところは正直に言うのがよいとは限らないです。あなたにも、その真意を読みとる力があった方がよいともいえませんが。

イメージとなると、正しい、間違っているもないのです。大半は事実に反しているので正しくはありません。 正しく伝えるとは、事実を伝えることとは限りません。 私は、これを研究と指導として完全に分けています。トレーナーは、どちらかに偏りがちです。この区分けができないことから生じる問題も少なくありません。

 

Q.「他の人の教えているのはベルカントでない」という指導者をどう思いますか。☆

A.声楽のマニュアル批判で多いのは、ドイツ式、イタリア式と分けての批判、あるいは、「本当のベルカント」でないという批判です。しかし、本当のベルカントとは?

そうした多くの指導者が、誰でも教えられる前は、しぜんでよい発声であったのに、教えられて、つまり、間違ったメソッド、間違った教え方で、よくない、伸びない、本心ではひどくなったと思っています。

さらにポップスは、自己流で間違った発声が多いとも言われます。

声楽は、最初から誰かに教えられることが多いので、その教え方や教わり方自体が否定されてしまうのでしょう。

赤ちゃんや子供の声が理想と、そこまで持ち出して、勉強中の生徒の発声を否定する人もいます。自分の生徒以外を、です。お互いに、それをやり合っていて100年以上経つのも笑止千万ですが、その渦中にいると気づかないのです。気づかなくなってしまうのです。

流派、派閥みたいのも、多数を好む日本人らしい考えです。

○○先生門下となり、さらに海外の権威に弱い日本人は、そこに世界で名の通った歌手や指導者、一流の○○を育てた○○に教わった、ゆえに、私のは本物だという論理を持ち出すのです。これはずっと変わっていないどころか、ひどくなっているようです。

 イメージや勘を磨く、心身を使って自ら知ることです。そして、実際の声での判断を鋭くできるように高めていくことです。

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