8.閑話休題

閑話休題 Vol.89「忍者」(1)

〇イメージと文化関連

 

忍者の呼び名の定着は、昭和30年代になってから。

 

世代別

20代、天誅シリーズ、コンピュータゲームの忍者、忍術

30代、NARUTO―ナルト― 漫画やテレビアニメ、映画

40代 忍者ハットリくん、 

50代  仮面の忍者赤影1969年 

60代 サスケ、カムイ伝、  

70代 忍びの者

 

「忍者ハットリくん」伊賀流の少年忍者ハットリカンゾウ、好敵手甲賀流のケムマキケムゾウ「あずみ」「カムイ伝」「バジリスク~甲賀忍法帖~」「くノ一ツバキの胸の内」

 

テレビドラマ『NHK大河ドラマ 真田丸』  NHK番組「伊賀忍者の森」

 

小笠原昨雲による軍学書「軍法侍用集」(1618年)巻六「忍びの巻上」

 

甲賀と伊賀

大正時代に流行した立川文庫 映画「忍術御前試合」(1957年)豊臣方で甲賀流忍術の大名人である戸沢白雲斎の子・虎若丸と徳川方で伊賀流忍術の大家である百地三太夫とその弟子・石川五右衛門とが大阪城で忍術対決。

 

〇海外での人気、イメージ

 

海外、特に欧米では、過酷な修行を積み重ねたスーパーマン

格闘技術、武器を駆使する暗殺者、特殊部隊

闇に紛れて人を殺すアサシンとかスーパーヒーロー

漫画『NARUTO -ナルト-』の影響

 

エンターテイメントに影響

研究対象として関心

実際に忍術を修行し経験する人も。

 

1967年に映画化『007は二度死ぬ』(小説は1964年)で、現代版忍者の海外での最初のイメージを作った。タイガー田中が率いる忍者たち。

 

1970年には、欧文による最初の英語の忍者解説書『見えない暗殺者』が出版。

 

1980年代には米国製ニンジャ映画の大ヒットでアメリカにニンジャブーム、ショー・コスギは100万ドルハリウッドスター。

 

アメコミからアニメ化された『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』やゲーム『ウィザードリィ』シリーズなど。

 

「ブレイド」(1998)、「Ninja(2009)、「ニンジャ・アサシン」(2009)

 

映画「ジョン・ウィック:パラベラム」で、キアヌ・リーヴスに忍者の印。

 

〇定義

 

忍者とは体系的かつ組織的な技術を有し、その術を持って城や他家に潜入して目的を遂げる可能性を秘めた間諜を言う。その技術には、天の利、地の利、人の利を読み取り、かつそれらの利を誘導、創作できる能力も含まれる。

 

忍びは非武士の忍者で、忍士(しのびざむらい)は、武士の忍者である。忍者は、忍び、または忍士を言う。(「忍者を科学する」)

 

サムライに並ぶ国際語、日本文化の1つ。

 

戦うのが忍者なのではなく、いかに戦わないようにするかが忍者

 

忍びには、堪える、秘密にする、隠れる、の他に、窃盗の意味。

 

日の丸のような赤い丸の中に、忍を書いて、忍びの本精神を表す、太陽とともに、純粋無垢、混じり気のない心根の意味合いがある。

 

忍耐に加え、残忍の忍も含む。いざとなれば、ひと刺し。ある。

閑話休題 Vol.88「槍」(3)

〇槍のいろいろ

 

直槍:日本の一般的な槍。海外の槍とは違って製造に特殊技能が必要であるが刀剣などで切断されにくく海外のと比較して頑丈である。戦国時代後半に普及し、中でも柄の長いものは長柄槍と呼ばれ、穂先の長いものは大身槍と呼ばれる。日本刀と共通の反り以外の鎬・目釘の要素を持っている。

 

ローチン:琉球(沖縄)に伝わる古武術「ティンペー術」にて使用する手槍。海亀の甲羅から作った盾「ティンペー」とセットで用いて使用する。「るろうに剣心」の登場人物・魚沼宇水で有名。

 

:漁に用いられる。タレント・濱口優でお馴染み。

 

神話では、北欧神話にてオーディンが使用した伝説の槍「グングニル(グングニール)」、

キリスト教にてイエス・キリストの脇腹を貫いた槍「ロンギヌスの槍」が有名。

ケルト神話で太陽神ルーが使用した槍「ブリューナク」、

インド神話にて破壊の神シヴァが携えている槍「トリシューラ」など。

 

 

麻雀では、他家がカンを宣言した時にそれが自分の上がり牌であった場合、ロンを宣言できる「槍槓(チャンカン)」というルール及び上がり役が存在する。

「ゼロの使い魔」では、ハルケギニアに召喚されたタイガー戦車を「ガンダールヴの槍」。

 

漫画「BLEACH」では脅威の射程距離を誇る斬魄刀「神鎗」が登場する。鎗となっているが脇差しサイズの日本刀。卍解は「神殺鎗」。

市丸ギンの始解の神鎗(しんそう)では、門の内側から長く伸ばした刀身で一護を攻撃しています。驚くことに、卍解の神殺鎗(かみしにのやり)では、なんと13kmも刀身が伸びるとギンは言います。この時の「13kmや」というセリフが衝撃的だったので、ジャンプ連載時ではネット上で「13kmや」がネタに。さらに、伸縮速度は音速の500倍、一護も驚きを隠せませんでした。しかし、神殺鎗は、実際は13kmも刀身は伸びず、伸縮速度も音速の500倍ほど速くはありません。真の能力は、伸縮する際に一瞬だけ刀身を塵とし、一部だけを塵に変えないで、相手の体内に刃の内側に仕込んだ猛毒を残すのです。

 

Fate」にも『ゲイ・ボルグ』という槍が出てくる。元ネタはケルト神話。

 

「全身に何百の武器を仕込んでも、腹に括った「一本の槍」にゃ敵わねぇこともある・・・」 赤足のゼフ (ONE PIECE)

「俺の槍を磨け」 アルゴニアンの侍女

 

 

BLEACH

50回(平成16年度)小学館漫画賞少年向け部門受賞。20182月時点でコミックスシリーズ累計発行部数は、国内で9000万部、全世界では12,000万部を突破。テレビ東京はテレビ東京の業績に貢献度の高い作品として、『NARUTO -ナルト-』『遊☆戯☆王』と共に『BLEACH』の名前を挙げた。

閑話休題 Vol.87「槍」(2)

〇使い方

 

槍のメリットは、間合いの広さです。離れた場所から刀剣や盾の相手へ攻撃したり、振り回せます。短くすれば近接戦闘にも対応できたと言います。

戦闘時に相手との距離がとれることによる恐怖感の少なさや振りまわすことによる打撃や刺突など基本操作や用途が簡便なため、練度の低い徴用兵を戦力化するにも適する。

剣よりも刃先に使用される石(黒曜石など)や金属(青銅、鉄など)が少なく済む。

 

欠点としては、大型ゆえ閉所での戦闘には向かないことや、長い柄が不利に転じ得る、携帯に不便などである。

 

担架やもっこの代用品として負傷者や荷物などを運ぶ道具。旗竿、軍旗や優勝旗などの旗竿はしばしば槍を模した穂先などの装飾。

複数の槍を使って壁を作る、物干し竿代わりにするなどにも使われました。

 

投擲用の槍は、独自の発展を遂げた。古代ローマのピルムは最も高度に発展したものの一つ。弓がなかったアフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ニューギニア島、ポリネシア・メラネシア・ミクロネシア太平洋諸島圏及びハワイ諸島、南米奥地などでは、近代まで狩猟具や武器として用いられてきた。

飛距離を増大させる槍投器が世界各地から発掘されている。

現在の陸上競技でも投げた槍の飛距離を争う、やり投があります。

 

〇種類

 

大身槍 穂が長い槍のこと。

柄の形状は、扱いやすいように穂よりも短く、太くなるのが特徴です。穂の長さが長大になればそれだけ重量が増し、扱いにくくなるため、大身槍を扱うことができたのは筋力と腕力が優れた使い手でした。

史上最も有名な3口の槍「天下三名槍」(てんがさんめいそう)が、大身槍です。

菊池槍 短刀に長い柄を付けた槍。

刀身に短刀を使用しているため、片刃となっている。1336年の「箱根・竹ノ下の戦い」「菊池武重」(きくちたけしげ)が竹の先に短刀を縛って武器としたことがはじまり。

刃長は6寸(約18cm)前後と1尺(約30cm)前後の2種類があり、後者は「数取り」(かずとり)、隊長が所持していました。長さが異なる菊池槍で、一目見て兵士の数が分かるようにしたのです。

 

鎌槍 穂の側面に「鎌」と呼ばれる枝刃が付いた槍のこと。相手の足を斬る目的で付けられたと言われる一方で、深く貫きすぎることを防ぐ役割ももっていました。

片方だけに鎌が付いた槍を「片鎌槍」(かたかまやり)、十字に鎌が付いた槍を「十文字槍」(じゅうもんじやり)、「両鎌槍」(りょうかまやり)、「十字槍」(じゅうじやり)と呼びます。

 

十文字槍には、左右の枝刃の長さが異なる「片鎌十文字槍」、鳥が飛び立つ様子に似た「千鳥十文字槍」、枝刃の取り外しが可能な「掛け外し十文字槍」。

左右の鎌が上下向きになっている「上下鎌十文字槍」(または「卍鎌槍」)など様々な種類がありますが、費用がかかるため、主に大将が使用していました。

戦国武将「真田幸村」(真田信繁)は、「大坂冬の陣・夏の陣」で朱色の十文字槍を持ち、騎乗で「徳川家康」のいる本陣へ突撃したという逸話。真田幸村は、この活躍から「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と呼ばれるようになりました。

 

袋槍 穂の茎(なかご:刀身の中でも柄に収める部分)が筒状になった槍のこと。「かぶせ槍」とも呼ばれており、穂の着脱が容易なため、近くの竹などを切り出して先端に差し込めば急造の槍として使用できました。

明治時代まで全国展開した刀工一派「信国派」の中でも、筑前で活躍した信国派は槍の制作を得意としており、多くの袋槍を遺したことで知られています。

 

管槍(くだやり 穂に近い柄の上方に鉄製の管を嵌めた槍のこと。管を嵌めることで素早く刺突ができるようになるため、「早槍」とも呼ばれます。

江戸時代 近松門左衛門」は、浄瑠璃「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)で「きぬは紅梅、魚(うお)は鯛、云(い)ふも管槍、人は武士」(花であれば桜、魚であれば鯛、槍であれば管槍、人であれば武士が最も優れている)と記した。

管槍を考案したのは、槍術家の「伊東佐忠」(いとうすけただ)。伊東佐忠は、戦場で左手を負傷した際、槍に管を嵌めて扱いやすくした。特に尾張藩で発達。

 

 

蜻蛉切(とんぼぎり) 正式名称を「槍 銘 藤原正真作」(号 蜻蛉切)、徳川家康の重臣「本多忠勝」が愛用した笹穂型の大身槍。笹穂型とは、刀身が笹の葉に似ている。刃長は43.7cm、柄の長さは約6mあったが、晩年は約90cmに詰められました。名称の由来は、壁に立て掛けてあった槍の刃に触れた蜻蛉が真っ二つに切れたことから、天下三名槍の中で最も切れ味が優れていたことを示す。

 

日本号(にほんごう/ひのもとごう)は、正式名称を「槍 無銘(名物 日本号)」。「正親町天皇」から「足利義昭」「織田信長」「豊臣秀吉」「福島正則」に渡り、黒田家へ伝来した大身槍です。刃長79.2cm、茎長80.3cm、拵を含めた全長は321.5cm。正三位の位を賜ったという言い伝えから「槍に三位の位あり」と謳われた名槍で、「黒田長政」の家臣「母里友信」(もりとものぶ)が酒飲み対決で福島正則を圧倒した末に譲り受けた。この逸話から「呑み取りの槍」という別名が付けられ、民謡「黒田節」が生まれました。

 

御手杵(おてぎね)は、正式名称を「槍 銘 義助作」。鞘の形状が手杵(てぎね:餅つきに使う道具)に似ている。刃長4尺6寸(約139cm)、茎を含めると7尺1寸(約215cm)、鋒/切先(きっさき)から石突(いしづき:柄の先端)までの全長は11丈1尺(約333.3cm)、刃長は「天下三名槍」でも最大級。

下総国の大名「結城晴朝」(ゆうきはるとも)が、戦場での首級を槍に刺して帰城した際、ひとつの首が転がり落ち、手杵のように見えたため、手杵形の鞘を作りました。

閑話休題 Vol.86「槍」(1)

〇定義

 

槍は、長い柄の先に刀剣を付けた武器。「穂」と「柄」を組み合わせた武器。

穂は、槍の先端部に付ける刀身部分。

「長柄槍」では約20cm、「大身槍」(穂が長い槍)では約60cm前後と、槍の種類によってその大きさは違う。

柄は、槍や刀剣を手で持つところで、強度が左右される部分です。

長柄槍では約46m前後、大身槍では4m、記録上では8m前後の柄も存在しました。

 

鎗、鑓とも書く。現代中国語で、「槍」(qiāng, ㄑㄧㄤ)という漢字は銃を表す(本来の槍と区別するために、銃を「火槍」と表記することもある)。

日本で槍が使われた例は、絵画では『紙本著色拾遺古徳伝』(元亨3年(1323年))

「やり」という日本語は、建武政権期に大光寺合戦(1333年–1334年)で「矢利」が使用されたのが初出である。

 

剣と並ぶ、手元用の戦闘武器だが、剣と違って切断ではなく刺突を目的とする武器。

衝撃に耐え得るように分厚く丈夫に作られている。

長さは一般的には2mから3m前後(身長の倍くらい)だが、大規模な歩兵戦が行われた時代には4mから6m以上の槍も用いられた。

室内での戦いや個人戦闘といった場所で使う事を目的に作られた長さが1m前後の短槍もある。投擲に用いる槍も存在する(投槍)。

 

柄の長い刀(剣)は、長刀・薙刀(ナギナタ)、長柄刀となり、刃渡りを得るために槍よりも刃が大きくなり、バランスをとるために柄は短めになる。

 

旧石器時代から槍状の武器は用いられていた。鉄砲・銃が台頭するまでは、剣と並んで戦場での主力武器。

槍は、世界中で近接戦の主力武器として最も使用されました。

槍を扱う武術は「槍術(そうじゅつ)」という武術があり、剣術などと並んで流派が今も多く存在します。

 

〇歴史

 

弥生時代。槍の前身である矛が使用されています。

藤原氏初期の伝記「藤氏家伝」(とうしかでん)には、宴会の席で酔った「天武天皇」が床に槍を刺したとあります。この時期の主力武器は矛、盾、弓でした。

 

鎌倉時代。武器は、薙ぎ払うことに特化した長柄の武器「薙刀」や太刀で、矛は一時的に姿を消します。

 

安土桃山時代になって、戦闘形式が騎馬戦から徒歩戦、個人戦から集団戦へと移行したことで、薙刀よりも槍の方が有用となりました。

 

近世以降は銃剣を着剣した小銃が狭義の槍になるが、その使用法は槍そのものである。

 

江戸時代になると、槍は大名の格式を表す道具、武術「槍術」(そうじゅつ)として様々な流派が生み出されます。

閑話休題 Vol.85「薙刀」(5)

〇著名な薙刀

 

「岩融」(いわとおし)は、薙刀の名手「武蔵坊弁慶」の愛刀。

武蔵坊弁慶は源義経に仕え、「衣川の戦い」(ころもがわ)において、激戦の末に立ったまま絶命した僧。扱っていた岩融は、刃の部分だけで35寸(約106cm)もある長大な大薙刀。その制作者は、「天下五剣」のひとつ「三日月宗近」を鍛えた「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)。平安時代の名工で狐の精霊と共に鍛えたと言われる「小狐丸」(こぎつねまる)を作刀した。

 

「権藤鎮教」(ごんどうしずのり)は、江戸幕府が編纂した名刀リスト「享保名物帳」に記載。福岡藩祖「黒田家」に伝来した名物三作のひとつ、制作者は豊後国高田の刀工「平鎮教」(たいらしずのり)。

 

〇薙刀直し

 

長槍や鉄砲の戦国時代から、薙刀の使用は減ったため、薙刀の刃を打刀として作り直した薙刀直しが生み出された。 刃渡りが短いので、短刀や小太刀に使われ、刃渡りが長い薙刀の刃は、そのまま太刀や打刀として使われた。 薙刀直しに使われたものには名品が多く、侍にも人気であった。 大名家に伝えられる名刀の中にも薙刀直しは数多くブランド化した。

 

薙刀の切っ先の張りを落として全体の反りを小さくし、茎を切り詰めて打刀としたもので、薙刀の刀身は刃渡りが比較的短いので、脇差や短刀に仕立てたものが多いが、大薙刀を薙刀直しとする例もあります。代表的なものに、九鬼嘉隆が所持していた打刀がある。

「薙刀直しに鈍刀なし(なまくらなし)」と、優れたものも多い。

豊臣秀吉が入手した「名物 骨喰藤四郎」、豊臣秀頼が差料にしていた脇差「名物 鯰尾藤四郎が有名、粟田口吉光の作。

 

〇薙刀直し造り

 

薙刀を造り直して刀としたものではなく、作刀時から薙刀直しであるかのような形状として造られた刀もあり、それらは「薙刀直し造り」と呼ばれる。

薙刀直し造りは、茎が最初から「刀の茎としての形」であるが、茎の形状も含めて“最初から薙刀であったかのように”作刀される例もある。また、直し造りではなくとも、冠落造りもしくは鵜首造りに薙刀樋もしくは腰樋とした、薙刀に刀身形状の似た短刀や脇差もある。

稀に、薙刀用の縁金具や筒金を用いて、薙刀の柄を切り縮めたかのように仕立てられている変わり拵があり、「薙刀造の拵」と呼ぶことがある。

 

〇現存する薙刀

 

薙刀は、戦場で使用されることが少なくなってからは、薙刀直しをされたり、鋳潰されて槍、ひいては鍬や鋤などの農具の素材とされたり、磨り上げ(短く縮めて仕立て直す)や切っ先の削ぎ落とし(峰側の張っている部分を削る)、後樋(後から樋を掻き入れる)など。

薙刀は、高名な刀匠によるものから無銘の「数打ち物」まで多数が現存しているが、江戸期以前のもので当初の姿のまま現存するものは少ないです。

残っているものは豪華な拵により文化財指定された江戸期の嫁入り道具や奉納のために作刀された大薙刀が中心です。

 

〇名のある薙刀

 

岩融

蝉丸

弁慶の薙刀(大三島美術館所蔵)

静御前の薙刀(三条派のもの、前田家所有など複数の謂れあり)

面の薙刀(備前、細川忠興所要)

小林薙刀(大内左京大夫義弘の薙刀ともいわれるが、複数の同名刀あり)

小屏風(佐竹氏所有)

備前長船景光(宇喜多秀家所有)

権藤鎮教(黒田家所有)

源真守(護良親王所有)

備中国住家次作の薙刀

無銘伝法城寺

 

大薙刀

日光東照宮 刃長65.9cm、反り3.0cm、茎長77.7cm日光東照宮宝物館。

但馬国法城寺派作 刃長80cm 千葉県立中央博物館大多喜城分館。

銘備州長船兼光一振 長さ46寸、身幅15分、厚さ4分半 法善寺 山梨県。

 

〇参考

ピクシブ百科事典 月刊秘伝2019.8 、日本刀/薙刀https://ja.wikipedia.org/wiki/薙刀/刀剣ワールド

閑話休題 Vol.84「薙刀」(4)

〇分類

 

薙刀は、形状によって分けられます。

 

巴形薙刀は、「女薙刀」とも呼ばれ、形状や長さに明確な規定がない薙刀です。一般的には、鋒/切先(きっさき)の方が強く反り、身幅が広がっているのが特徴。

江戸時代に制作された婦人用薙刀の形状、巴形薙刀という名称も江戸時代になってから付けられました。木曽義仲の愛妾、巴御前にちなんで命名、その由来に巴御前は関係がないという説もあります。

 

静形薙刀  「男薙刀」とも呼ばれ、形状や長さに明確な規定がない薙刀です。一般的には反りが浅く、身幅の先が狭い、いわゆる菖蒲造の日本刀に似ているのが特徴。静形薙刀術、静流は、鬼から剣術を習った源義経が、その剣術を薙刀術に応用し、静御前だけに教えたことがはじまりと言われています。

 

筑紫薙刀  室町時代、九州地方の大名「大友家」を中心に、筑紫地方で盛んに使用された薙刀です。最大の特徴は、柄に収める茎(なかご)がないこと。

刀身の棟側に「櫃」(ひつ)という輪状の金具を付け、そこに柄を通すという特殊な構造をしています。鋒/切先(きっさき)の方が強く反り、身幅が広がっているのが特徴。

中国大陸より伝来した各種の長柄武器から発展したものと考えられているが、農器具「草刈大鎌」「枝切大鎌」の長柄鉈から発展したという説も有力である。このため、鉈長刀、無爪鉈長刀とも呼称する。「鉈長刀」の呼び名は、『大友興廃記』でも度々登場し、大友氏ではこの武具が重用されていた。

大阪府羽曳野市の壷井八幡宮には神功皇后所持との伝承がある薙刀が収蔵されており、この形式である。

 

袋薙刀  安土桃山時代になり、筑紫薙刀と同じように刀身の峰側に櫃を持ち、この部分に柄を挿し込んで固定して使用する形式の長柄武器が出現した。これらは「袋薙刀」と呼ばれ、瀬戸内の水軍衆を中心に用いられている。

「袋槍」とは違って刀身の根元がソケット状の「袋穂」になっているわけではなく、筑紫薙刀とほぼ同じである。違いは、刀身の形状が薙刀とほぼ同じ冠落造りや菖蒲造りの刀身形状を持つものから鎬の無い平造りのもの、ほぼ半月形に近い形状のものまで多岐に渡っていることと、櫃が二つあるものが多く存在する。

 

鍵付薙刀  鍔の代わりに鍵(鉤)の付いた薙刀。薙刀本来の動作に加え、鍵で引っかけることが可能。戸田派武甲流薙刀術が使うことで知られている。

 

日本式眉尖刀  中国大陸より伝来した眉尖刀から発展したもの。中国式の眉尖刀とは違い日本刀や薙刀と同様の重ね構造で刃金が存在するとされるが、身幅が広いという特殊な形状である。現存する流派では元戸隠流(忍術)の武神館が使用。実際に昔から日本で使われていたかは不明。

 

 

閑話休題 Vol.83「薙刀」(3)

○女性と薙刀

 

戦場から姿を消した薙刀は、武将の正室などが城を守るために用いる武具となりました。槍は、突き刺したり叩いたりする必要があるため、腕力の弱い女性には扱いづらいですが、薙刀は、振り上げれば、重力によって振り下ろせます。

江戸時代には、帯刀は男性の特権となります。女性の武芸、護身用の武具として、薙刀を所持するようになり、武家への嫁入り道具のひとつになりました。

近代になっても女性のたしなむ武道となり、ひらがな表記のなぎなたとなります。戦う日本人女性キャラが使う主な武器と言えば薙刀でしょう。薙刀に「号」をつける場合は、女性の名をつけるのが慣しです。

 

薙刀術が武家の女性のたしなみとされたのは、鎗や刀は重く、それに比べ、遠心力を活かせるため、あまり腕力を必要とせず、護身用の長物としてもふさわしかったからでしょう。

女剣士達が用いた薙刀は、江戸時代には薙刀術として、武家の子女が身に付ける武芸となりました。非常時に、主君やその正室などが城や屋敷から逃げる時間を稼ぐために、腰元が応戦する武具にも、薙刀が用いられたのです。そして薙刀全体が小振りな造りになっていったのです。

薙刀術は、競技人口の9割が女性を占める武道なぎなたへと繋がり、武術や精神が、現代の女性に受け継がれています。

 

○三人の女性

 

中野竹子 幕末期にあたる1846年生。会津戦争で若松城下の女性達と共に「婦女隊/娘子隊」(ふじょたい/じょうしたい)を自ら結成します。飛弾を受けて重傷を負い、妹に介錯させて自決。23歳で、非業の最期を遂げたのです。

 

巴御前 合戦に参戦した女武将であり、薙刀の使い手としても知られています。平安時代後期、信濃国出身の巴御前は、「源義仲/木曽義仲」の側室。「平家物語」において「一人当千」の猛将であったと評されていた一方で、「源平盛衰記」には、「長に余る黒髪を、後へさと打越て、額に天冠を当て、白打出の笠を着て、眉目も形も優なれけり。歳は二十八とかや」とあり、上品で見目麗しい女性でもあったと。

1184年(寿永3年)には、「治承・寿永の乱」「源平合戦」における戦いのひとつ、「粟津の戦い」苦戦を強いられた源義仲軍は、たった5騎となるまで追い込まれることに。巴御前は、敵将恩田八郎の首をねじ切る武勇を見せました。源義仲は討死します。刃の反りが深い大ぶりな姿の薙刀が、巴御前の名前を取って「巴形薙刀という名称でも分かるように、男性武将顔負けの勇将であった巴御前に、女性の武具である薙刀を結び付けることで、強い女性としての理想像である。

 

立花誾千代(たちばなぎんちよ) 女城主としても名高い戦国時代の女武将。1569年「女子組」(おなごぐみ)を結成。外部からの攻撃があった場合に備えて、薙刀を持って武装していました。1600年、関ヶ原の戦い、加藤清正軍の進軍を妨害したと伝えられています。

閑話休題 Vol.82「薙刀」(2)

〇歴史

 

人が最初に手にした武器は石でした。石器を発明し、石刀、石鏃(セキゾク)を持つようになり、これを棒の先につけて石槍とします。さらに金属を用いた鉾、長刀と長い柄の武器が出てきます。

薙刀は、「菖蒲造」と呼ばれる形の刀身を、長い柄の先に付けたのがはじまりです。9世紀半ばから矛に代わって使われ始めました。

長い柄の先に刀身が組まれているので、離れた距離からの斬り付けられ、騎馬武者のように弓が扱えない下級武士や雑兵に薙刀は広く使われました。平安末期の源平合戦には僧兵が好んで用いました。

 

鎌倉時代 柄(つか)の長さ約4尺、刃の長さ約3尺で総長約7尺と、比較して短いのが特徴です。遠距離から馬上で弓を射る騎射で名乗りを上げて一騎討ちを行うには、手持ちの武器による接近戦(打物戦)が行われます。やがて、戦闘が、徒戦(かちいくさ)となると、薙刀は武士から足軽まで広く用いらます。

鎌倉時代頃から刀身の身幅を広げて、反りを強くした形状に変わりました。重量を増すため、棟(むね:刃先と反対側)側に山型の突起を付けた薙刀が制作されます。

一騎打ちが、戦闘方法として主流となっていたので、長いリーチを取って相手を攻撃できる薙刀が重用されたのです。

武蔵坊弁慶が義経と五条大橋で振って戦ったのが薙刀です。

♪京の五条の橋の上、大の男の弁慶が、長い薙刀振りかぶり、牛若めがけて斬り掛かる

 

南北朝時代 長大に発達しました。なかには、柄の長さ約5尺、刃の長さ63寸で総長約113寸(約333cm)の大薙刀も制作さました。

小薙刀では、柄の長さ約3尺、刃の長さ22寸という寸法の薙刀が制作され、歩兵の主要武器として使用されました。馬上の武器としては太刀、大太刀、槍、鉞なども使われたが、薙刀が一般的でした。

斬るだけではなく、刺突や石突を使用した打突、柄での打撃ができる薙刀は、騎射技術を失った南北朝時代や室町時代、武士の重要な武器でした。大薙刀では、敵の騎馬の足を薙ぎ払って落馬させました。

南北朝時代後半には、長巻、槍が、戦国時代には、火縄銃が出現して、薙刀は使われなくなっていきます。

応仁の乱の頃より、足軽による集団戦に変わりました。重量のある薙刀を振り回すと、誤って味方を討ってしまうことになりかねません。

槍は、薙刀と同様に長い間合いがある分、足軽なども容易に扱うことができ、甲冑の隙間から相手を突き刺しダメージを与えられます。

 

室町時代 柄の長さ9尺、刃の長さ2尺となり、柄の長さに比べて、刃が短くなります。

 

江戸時代 武士の間では、薙刀は嫁入り道具として定着、美術品としての需要が高まります。名工による刀身を用い、拵は金梨子地、蒔絵、螺鈿などの細工を施し、鞘も実用を外れた特異な形状や豪華な仕上げ。刀身のみならず拵や鞘も合わせて文化財指定された薙刀もあります。これら江戸期の鞘には、家紋が入れられています。女性が菩提寺に奉納することもありました。武道としての薙刀術が確立、各藩で様々な流派が生まれます。

薙刀や槍は、武の威力の象徴として大名行列の先頭に立てられました。

 

明治時代 刃の反り具合から、反りの大きい「巴形」、反りの小さい「静形」と分けられる。撃剣興行で人気。明治中期以降、女子武道として薙刀が重視されるようになり、多くの女学校で薙刀の授業が行われます。大日本武徳会は、昭和9年に薙刀術教員養成所を設立します。

 

大正時代 太平洋戦争後にかけて、女性のたしなむ武道。

 

昭和30年、山内幸子元公爵夫人を会長に全日本なぎなた連盟が発足します。ひらがなでの、なぎなた、に統一します。

 

現在 0地方の伝統芸能や古流武術としての薙刀を伝承する団体が現存。武道・競技としての「なぎなた」が学生の部活動など。

全日本なぎなた連盟によって現代武道として制定されています。天道流、直心影流、戸田派武甲流、楊心流などがあります。剣道などとの異種試合もあります。すね当てを着用します。

「リズムなぎなた」も人気。外国人の人気も高く、海外からの参加者も多いようです。

漫画「あさひなぐ」は、作者こざき亜衣が2011年よりビッグコミックスピリッツで連載されヒットしました。女子高生もの。後に映画、舞台化します。伊丹市でコラボし、なぎなたの街伊丹として地域振興に供しています。

閑話休題 Vol.81「薙刀」(1)

〇特徴

 

薙刀は、奈良時代から平安時代にかけて出現した、相手を薙ぎ斬ることを目的にした日本固有の長柄武器。「太平記」に最も登場する武器で、南北朝時代に普及しました。

薙刀は、間合いが広く、斬る以外にも刺突や打撃を与えられます。刃の先が大きく反っているのが特徴で、刃の長さによって「大薙刀」と「小薙刀」に大別されます。

 

長い柄の先に反りのある刀身を装着し、「長刀」(ながなたとも読まれた)と言われていました。「刀」に打刀が生まれると「短刀」と区別するために呼称した「長刀」と区別するため、「薙刀」となりました。

長巻(ながまき)は、長大な太刀を振りやすくするために柄をそのまま長く伸ばした柄の長い刀で、薙刀は、刀の柄を長くしただけではなく刀身と柄も斬撃に特化させたものです。

 

柄の先に反りのある刀身が付いており、刀剣に近い。

突くと斬るを目的に使われ、刀身は平均約30cm60cmの長さ。

(拵え)は平均約90cm180cmで刀の鍔がある。

全長約210cm超の「大薙刀」もあり、通常のは「小薙刀」とわけられる。 

 

槍とは違い、柄の断面が楕円形。

戦場では刀身は剥き出しであるが、平時には刀身には鞘が被せられていた。

槍と違い地面に突き立てることはないため、石突は先尖形ではなく半月形など石突側でも斬り付ける用途に向いた形。

水軍用もあり、柄が短く、艪としても用いられるように石突が翼状。

実戦用は、必要最低限の金具に漆塗。

熨斗付薙刀(のしつきなぎなた)や銀蛭巻ノ薙刀(ぎんひるまき)のように、柄に装飾を施したものもある。鍔は小振りなものが主流、

鍔のないものもあるが、大太刀のように大型の鍔を持つものもあり、鍔付薙刀とも呼ぶ。

 

遠心力を利用して、腕力を要せず使用できる薙刀は扱うのには技術が要ります。その長さを利用して、敵を自分の懐に入れないようにして、距離を保ったまま、薙ぎ払うか突くなどの攻撃を繰り出すためです。

刀よりも遠い間合で戦える

長くも短くも扱える

切るだけでなく、打つ、祓うなど多彩

左右を持ち変えて使える

重量があるため、衝撃が強い、

両手を広げて持てば扱いやすい

反りがあり、ひっかけることができる

腕だけでなく全身足腰を使うため、身体操作を学ぶのに適切。

 

欧米では、日本の薙刀はヨーロッパの長柄武器であるグレイブ、パルチザン、ハルバードなどと類似の武器。グレイブと比較して、薙刀は刀身の部分が日本刀のようになっています。中国の青龍刀も似ています。

 

アニメ映画もののけ姫で、サンが持っているのが槍、ゴンザがアシタカに曲げられたのが大太刀、タタラ場の人々が手にしていたのが薙刀。地侍や鎧武者にも長巻を使う者がいます。

閑話休題 Vol.80「大和魂」(2)

<歴史

 

明治に入り、西洋のものが流入すると、岡倉天心らによって、日本流に摂取すべきという主張が現れ、和魂洋才が用いられます。和魂漢才のもじりで、大和魂の本来的な意味を含んでいましたが、西洋の知識や文化を必要以上に摂取することへの抵抗感もありました。

 

欧米列強に対抗できる国家づくりを目標に、欧米を模倣した中央主権的な国家体制が整備され、国民の統制教育も整備されました。それまでの自由主義的傾向の教育から、中央集権的・国家主義的傾向へと変わる過程で、大和魂は、日本精神として、国家忠誠心的な部分が強調されました。

 

1894年8月「支那征伐大和魂」鬼石学人

日清戦争が始まった頃には「銀の匙」(1913~1915年)中勘助で「朝から晩まで、大和魂とちゃんちゃん坊主でもちきってゐる」と。

 

1900年、新渡戸稲造の「武士道」に“Yamato Damashi, the Soul of Japan”「大和魂は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」として宣長の歌を引いています。

 

夏目漱石は「吾輩は猫である」で、巷に大和魂が溢れている状況を皮肉って「大和魂は、それ天狗の類か」と(190510月、日露戦争直後、発表の6章(「ホトトギス」)。

 

日露戦争以降の帝国主義の台頭に伴い、国家への犠牲的精神とともに他国への排外的・拡張的な姿勢を含み、日本精神の独自性・優位性の表現に変容。明治天皇も大和心、大和魂を詠んでいます。(1904年、3首)

 

第二次世界大戦期には、軍国主義的に、現状打破、突撃精神を鼓舞するのに使われました。日本の国家(国体)を支える日本人(臣民)の大和魂となります。

 

 「大和魂に磨きをかけて生産性を戦い抜くことである」(19439月、武田春爾 戦時安全訓)

「砲の不足は大和魂で補え」(中内功の談)

 

戦前のタバコの名称、敷島、大和、朝日、山桜。戦艦名、関島、大和、朝日。

神風攻撃隊、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊。

 

1967年「大和魂と星条旗」竹下トマスK    アメリカ移民日系人

 

2004年 なでしこジャパン 新語流行語大賞2011年 

 

2011年から 侍ジャパン WBC野球チーム

 

発言「大和魂を貫いてまいります」豪栄道/「大和魂で戦う」K1渡部

21世紀に入り、大和魂と入った本が、たくさん発行されるようになります。

 

2020年「大和魂」田中マルクス闘莉王(サッカー選手)幻冬社

 

アカツキ5(オリンピック女子バスケット2021

 

2021年ヘビメタバンド「LOUDNESS」が40周年、新曲をNFT(非代替性トークン)で販売。8/5日夜、初披露、新曲「大和魂」

 

<映画>

 

「大和魂」“The Man Who Laughs Last”(アメリカ)

早川雪洲氏がワーナー・ブラザース映画のために米国で出演録音した英語版映画。原作は雪洲氏が十八番ものとして上演した舞台劇(エドモンド・ジョセフ脚色、マレイ・ロス監督)。

長崎の名家の息子オトヤはスペインの血をうけた混血児ロジエタを愛していたが、ジムという男はオトヤを恋敵として憎み、一夜だまし討にし、ロジエタを誘拐して逃れる。10カ月後、南海の小港にジムとロジエタは姿を見せる。ジムはロジエタを監禁し、彼女は逃れようとしている。ジムはロジエタが意に従わないので嘆く。そこへ死んだと思ったオトヤが入って来る。オトヤはロジエタが自分を愛していること、長崎のピストルの件はロジエタの関知しないことを知り、ジムと最後の決闘をする。倒れたジムに向ってオトヤは笑う。「おれは勝った。10カ月前、長崎で貴様は笑った。勝って笑った。しかし、今はおれがこうして笑っているぞ。最後に笑う方が勝つのだぞ」

 

参考文献:「大和魂のゆくえ」(2020年)島田裕巳(インターナショナル新書集英社)/WikipediaWeblioほか

 

 

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