閑話休題 Vol.95「歌合」(2)
<主な歌合>
在民部卿家歌合 : 仁和元年(885年)頃(記録に残る最古の歌合)<在原行平>
寛平御時后宮歌合 : 寛平元年(889年)
亭子院歌合 : 延喜13年(913年)
天徳内裏歌合 : 天徳4年(960年)<村上天皇>
寛和二年内裏歌合 : 寛和2年(986年)<花山天皇>
六百番歌合 : 建久3年(1192年)<九条良経>
千五百番歌合 : 建仁元年(1201年)頃<後鳥羽院>
水無瀬恋十五首歌合 : 建仁2年(1202年)<後鳥羽院>
<実例>
長元八年、1035年の5月16日に行われた、『賀陽院水閣歌合』
「賀陽院」とは藤原頼通の邸宅、10の題が出され、10番の戦い 計20首、9人 赤染衛門・相模・藤原公任・能因法師
最後の十番の歌 「恋」の題、
左方は能因法師
「黒髪の色も変わりぬ恋すとてつれなき人にわれぞ老いぬる」
右方は藤原頼宗(道長の次男)
「逢ふまではせめて命の惜しければ恋こそ人の祈りなりけれ」
勝ち 頼宗
和歌はただ思っていることを表現するものではありません。こうあってほしいという願いや、理想を表現するもの 「逢ふまでは」の歌は『後拾遺和歌集』にも選ばれました。
<歌会始(うたかいはじめ)>
和歌(短歌)を披露しあう「歌会」、年の始めに行うもの。年頭に行われる宮中での「歌会始の儀」 京都冷泉家 京都の風物詩
お題として漢字一字が指定、歌の中にこの字が入ることが条件。9月末頃の締め切り。
NHKの総合テレビで全国中継
明治天皇は、93,032首、昭憲皇太后は27,825首
人倫道徳を指針とする教訓的なものを15首ずつ、合計30首選び、解説文を入れて昭和22年の正月から「大御心」(おおみこころ)と題して社頭にて授与する。藁半紙(わらばんし)でガリ版刷り、1円で授与。今のようなおみくじになったのは昭和48 年の正月から。昭和43年20 首を選び「英文おみくじ」
2019年1月16日に皇居・宮殿で開かれる「歌会始の儀」の入選者10人を発表。平成最後の題は「光」。約2万2千首の中から選ばれた。召人(めしうど)、俳人の鷹羽狩行さん(88)。
かな:《藤原為家本土佐日記》の仮名の字源は、〈安以宇衣於加可幾支木久計介己御散之数須世曾所太多知州天止奈那仁尓奴祢乃能波八比不部保末美三武无女毛也由江与良利留礼呂和為恵遠乎〉の63字で、ほとんどすべて万葉仮名。
宮廷の後宮での女手は、歌合の文字として用いられる。
和歌を女手で書く慣習が成立し、勅撰集である《古今和歌集》は、女手が公的に用いられた。
紀貫之によって、初めて散文の日記文学へと用途が拡大される(《土佐日記》)。
《竹取物語》《宇津保物語》以下、勅撰和歌集もすべて女手で書かれる。
<参考>
岡野玲子『陰陽師』第7巻(白泉社):天徳内裏歌合の経緯を描く。
『詠う!平安京』 真柴真 『月刊Gファンタジー』(スクウェア・エニックス)にて連載中。中学生・藤原定家 平安最強のプレイボーイ・在原業平 歌人達の和歌対決《歌合》に巻き込まれていく。在原業平/遍昭/文屋康秀/小野小町/紀貫之/紀友則
小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書) 1997年4月
コトバンク(世界大百科事典第2版)、日本大百科全書(ニッポニカ)、世界大百科事典(「仮名」より)、NHK解説委員室「歌合 勝負を競う和歌」(視点・論点)、Wikipedia