閑話休題 Vol.111「邦楽」(2)
〇 歌いものと語り
古謡の催馬楽(さいばら)、今様は、歌。
歌は芸能で賤民。
言語の多様性、方言に対し、大和朝廷は統一へ
<語り>
詠―ことばを引っ張る 朗詠
謡―ことばを揺らす 声明
<歌い>
民謡、お国ことば、ユリ、コブシ
ハーモニーがない。ハーモニーはプリミティブ、古代国家からはユニゾンになる。
古代には歌っていたのに、大げさな歌い方を嫌い、微妙なイントネーションを重視、語りを歌より上とみなしていた(大和時代)。
歌垣→掛け歌、盆踊り
野遊び(もうしあそび)―沖縄、歌い踊る
東南アジアでは、高い音と低い音の2音
能のツヨ吟 ヨワ吟(メロディックで4度)
(江戸の三味線音楽)
歌いものは唄。長唄、端唄、小唄、地歌、うた沢。
語りものは節。義太夫、常磐津、浪花節←平曲(平家琵琶)、謡曲(能)。
声明、梵讃、漢讃から和讃へ。
和歌の披講(ひこう)、詠う、吟ずる、誦ず(ずうず)
朗詠は、詠うから歌うへ(現在、飛鳥井流、冷泉流など)
江戸では、「常磐津」「清元」が芝居(歌舞伎)の舞踊劇の伴奏「浄瑠璃」。
芝居でメロディ中心「長唄」叙景。
関西では「義太夫」 関西では義太夫と浄瑠璃が同義語「節」。関西の唄いものは「地唄」で家庭音楽。筝(琴)と合奏でき、関西は生田流、関東は山田流が主流。沖縄からの三味線の伝来は、戦国時代末期の永禄期。各地で歌われるはやり歌、アカペラから三味線を伴奏にする。そういう曲が「端唄」。江戸末期に大流行。『古今集』、『伊勢物語』からの「夕ぐれ」。
<三味線音楽>
歌い物:地歌、長唄など
地歌は「上方歌」、江戸時代初期から京阪地方で流行 盲人音楽家による家庭音楽 地歌は江戸に伝えられ、黒御簾にて芝居の伴奏、演者の心情描写。そこから「上方長唄」にアレンジ(長唄、三味線、囃子)が加わり「江戸長唄」へ。
語り物:義太夫・常磐津・清元など
琵琶を伴奏として語った「平曲」、能の「謡」が源流 「浄瑠璃姫物語」が一世を風靡して「浄瑠璃」が語り物の総称となる。三味線が渡来する前の「平曲」「謡曲」「薩摩琵琶」「筑前琵琶」などは浄瑠璃と区別。「浪曲」も別ジャンルの語り物。
浄瑠璃「豊後節」上方から江戸へ:創始者、宮古(みやこ)路(じ)豊後掾(ぶんごじょう)は「心中道行物」(みちゆきもの)により人気となるも心中事件多発で、元文4年(1739年)、幕府により取り潰し。
江戸に残った門弟、常磐津(ときわず)文字(もじ)大夫(だゆう)は、延亭4年(1747年)独立し常磐津を興す。歌舞伎に進出。義太夫の曲調を取込み音楽に重厚さを加味、舞踏伴奏に拍子本位の部分を取り入れリズム感をフィーチャー。文化・文政年間(1803年~1830年)、「変化物舞踏」の全盛で長唄との交流も盛んとなる。「掛け合い物」(1曲の中で長唄と常磐津)など。
別の門弟、富士(ふじ)松(まつ)薩摩(さつま)は新内節を興す。
寛延元年(1748年)小文字大夫は常磐津から脱退し「富本節」創設、門弟の清元(きよもと)延寿(えんじゅ)太夫(だゆう)が文化14年(1814年)「清元」創設。明るい曲調、いなせであだっぽい江戸文化を反映して人気。素浄瑠璃として独自に語る。
貞亭元年(1684年)、竹本(たけもと)義太夫(ぎだゆう)の竹本座で演じられる人形芝居の音楽が「義太夫節」となる。
「阿呆陀羅(あほだら)経」と「でろれん祭文」浪曲の前身として江戸時代の大道芸。
「阿呆陀羅経」は、お経のパロディ。男性が木魚を叩き女性が三味線演奏で意味のない言葉遊びから世相風刺的な内容を歌う。
「でろれん祭文」祭文を下層山伏修験者たちが言葉の合間にほら貝を口に当て『でろれんでれん』と合いの手を入れたのが始まり。
「浪曲」:関東で「浪花節」、関西で「浮かれ節」、昭和2~3年ごろから「浪曲」と総称。祭文から出た「歌祭文」と説教節から出た「門説教」が文政(約1825年ごろ)時代に合流し「説教祭文」となり野外大道芸の一つとして発達。
「雪音」大太鼓で連打 「風の音」「山おろし」
「音取」能管のヒュ~、大太鼓の“ドロドロドロ~”






